映画『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』あらすじとネタバレ感想

円卓 こっこ、ひと夏のイマジンの概要:小説家・西加奈子の小説『円卓』を映画化。監督には『春の雪』『遠くの空に消えた』『今度は愛妻家』などの行定勳。主演には、子役としてハリウッドデビューも果たし、本作では単独初主演の芦田愛菜。彼女を支えるように羽野晶紀、八嶋智人、いしだあゆみなど、ベテラン勢が総出演。ひと夏を通して、体験するノスタルジーに誰もが共感できるキッズ・ムービーだ。

円卓 こっこ、ひと夏のイマジン あらすじ

円卓 こっこ、ひと夏のイマジン
映画『』のあらすじを紹介します。

こっここと、渦原琴子(芦田愛菜)は小学3年生の9才の女の子。大家族に囲まれて、賑やかな毎日を送りながらも、騒がしい大家族とは正反対の“孤独”に憧れを抱く少し変わった小学生。自分自身に無いものに対して、常に憧れを抱き、クラスの女子が“ものもらい”になった時も、こっこはそれに憧れて、眼帯を当てて、その真似事をしている。周囲は単なる真似事と捉えても、本人はただ真面目に真似しているだけ。

そんなある日、学校のホームルームの時間に学級委員長の朴くんが、急に胸を押さえて倒れた。ざわめく室内。その後、朴くんは救急車で運ばれた。そのクラスの担任でもあるジビキ(丸山隆平)が朴くんはパニックを起こし、不整脈で倒れたと説明。こっこは初めての聞き慣れない言葉に興味津々。いつも書き溜めているノートを取り出そうとしたところ、そのノートを失くしていた。紛失したことに気付いたこっこもまた、パニックに陥ってしまう。そんな彼女を見兼ねて、クラスメートは彼女もまた、朴くんと同様にパニックだ、と囃し立てる。こっこは自分自身がパニックになり、不整脈が起きたと信じ込むも、担任のジビキは、彼女を抱き起こし、嗜めるのだった。クラスメートはそんな彼女を裏では渦原ではなく、“うざはら”と、そう呼んでいる。

その晩、同じ公団に住む幼馴染のぽっさん(伊藤秀優)に、こっこは昼間の出来事について相談するのだった。ぽっさんは、産まれ付き吃音に悩まされ、自分の母親からでさえも、同情のような眼差しで見られることがあり、そのような点からいつも引け目を感じていた。そんな気持ちを払拭させてくれたのが、こっこ本人だと彼は言う。ぽっさんの真似をして、先生に怒られたこっこだが、ぽっさん本人は吃音の彼がかっこいいと言ってくれたことが、とても嬉しかったと。ならば、なぜ昼間の朴くんの真似はしたらいけないのか?と詰め寄るこっこに、ぽっさんは冷静に『本当に真似をしていい時としちゃいけない時がある。』と答える。こっこには、その境界線がはっきり分らなかった。戸惑う彼女に、側にいた祖父・渦原石太(平幹二郎)が、ぽつりぽつりと語り出すのだった。「『イマジン』という言葉を知っているか?それは、相手の気持ちを想像することだよ。」と諭されたこっこは、イマジンについて3年生の夏休み間に考えるのだった。人の気持ちを理解できるようになるためのイマジンについて。

円卓 こっこ、ひと夏のイマジン 評価

  • 点数:75点/100点
  • オススメ度:★★★★☆
  • ストーリー:★★★☆☆
  • キャスト起用:★★★★☆
  • 映像技術:★★★☆☆
  • 演出:★★★☆☆
  • 設定:★★★☆☆

作品概要

  • 公開日2014年6月
  • 上映時間:113分
  • ジャンル:ファンタジー、コメディ、青春
  • 監督:行定勲
  • キャスト:芦田愛菜、伊藤秀優、青山美郷、入江甚儀 etc

円卓 こっこ、ひと夏のイマジン ネタバレ批評

映画『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』について、感想批評です。※ネタバレあり

監督・行定勳と子役・芦田愛菜のイメージ

すごく否定的な話になってしまいますが、子役・芦田愛菜のイメージと言えば、一体何を思い浮かぶであろか?私は真っ先に思い浮かぶことは、子どもらしくない芦田愛菜であろう。番組などのインタビューなどで見掛ける彼女はどことなく大人ぶっていて、しっかりした小学生だ。いやしっかりしすぎている。大人の世界を知りすぎて、受け答えがすべて、計算に見えてしまうのが、私からは卑しく感じていた。そんな彼女をテレビで見るのは苛立ってくる。正直、同時期に活躍した鈴木福くんのイメージの方が、好感度が高い。

子どもらしくないインタビューの受け答えはどこか鼻に付いて仕方なかったが、芦田愛菜には類い希なる演技力があるのは確かだ。彼女の過去の出演作の役柄は、なかなか難しい役が多い。『Mother』では、虐待され育ち、ある女性に誘拐される少女を。『明日、ママがいない』では、赤ちゃんポストに捨てられた悲しい少女を。『マルモのおきて』では、明るい作品だが、シングルファーザーの娘として。『うさぎドロップ』では隠し子の女の子として、10歳にして実に感情移入が難しい役柄ばかりが当たる彼女が、本作『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』では、今までのイメージを払拭させるような等身大の女の子を溌剌と熱演している。主人公・こっこのイメージはどことなく強気で、何にでも好奇心があって、口癖は親や先生に対してでも「うっさい、ボケ」と言える、口の悪い関西の女の子。自分にないものに憧れ、自分が持ってない事に強い関心がある。少し変わっているが、純粋な心の持ち主だ。最近、一時のピークを過ぎ、人気が低迷しつつある芦田愛菜の、起死回生とでも言える彼女にとっての代表作にでもなる名作だろう。関西出身でもある芦田愛菜のホームグラウンドはまさに、彼女自身を本来の彼女にする場所だ。

次に、監督・行定勳のイメージは如何なるものか?正直、私は日本映画が苦手で、特に行定勳監督の作品は、すべて未観だ。本作が初めての観賞になる。ただ過去の作品を一つ一つ調べてみると、共通点が見えてくる。長編2作目の『ひまわり』『贅沢な骨』『きょうのできごと a day on the planet』の初期3作品。メジャー級に進出した『世界の中心で、愛を叫ぶ』『北の零年』『春の雪』『遠くの空に消えた』のメジャー4作品。そして近年の『今度は愛妻家』や『クローズド・ノート』など多くの作品を世に送り出しているが、これらの作品群から見えてくるのは、彼のアーティストを気取った演出法だ。「私はアーティスティックな作品を作っています」感が、ぷんぷん匂ってくる。正直私は、そんな人は好きになれない性分だ。だから彼の監督した作品の好き嫌いは、はっきり分かれるのではないだろうか?そんな彼は、一体誰に影響されたのだろうか?それは、監督の助監督時代に遡ることができる。

助監督時代に、行定監督が師事していたのは90年代に日本映画のブームを牽引した日本を代表する監督・岩井俊二の元で数々の作品を制作していた。映画に限らず、ドラマでも助監督として活躍していた行定監督。代表作には岩井俊二監督を一気に有名にさせたドラマ『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』や90年代の日本映画の大名作『Love Letter』なども、岩井俊二と共に制作している。まさに時代の寵児を支える名助監督。そんな彼のデビュー作『OPEN HOUSE』は批評家たちからポスト岩井俊二と言われるほど、期待され、注目を浴びていた行定監督だったのだ。ただ残念ながら、岩井俊二を越えたのか?と問われると、それは否定せざるを得ないでしょう。残念ながら、行定監督は岩井俊二を越えることはできないでしょう。少し話が逸れましたが、ポスト岩井俊二と期待されていた行定勳監督の作品の特徴は、岩井俊二のような少し歯の浮いたような、地に足が着いてないような浮世離れしたアートの世界を押し出した作品が多かった。これは私の勝手なイメージなので、本当はそれが彼自身が思い描いた監督像ではないでしょう。あくまで個人の勝手なイメージですが。今までアーティスティックな作品が多かった行定監督にとって、本作『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』では新境地を切り開いたような作風だ。下町人情溢れる関西のどこか長閑な街の公団に住む少女が、ひと夏を通して経験する成長物語は、監督の作品では滅多に見られない題材なのではないでしょうか?ただ一つ、やはり行定監督らしい演出だなぁと思う点は、全編通して映画がセピア調の映像は、CGを駆使した映像や関西弁のコメディタッチで描かれる本作をどこか一呼吸置いて安心させてくれるような落ち着いた演出だ。そして、それはノスタルジーを意識した演出なのだろうと推測すると、そのセピア効果は大いに成功していることでしょう。本作は、両者のいい所が最大限、発揮した名作だ。

本作『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』の制作のきっかけ

本作『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』が生まれるきっかけは、どのような出来事で制作に至ったのでしょうか?それを紐解くには、ある監督のインタビューで監督本人から語られています。映画のテーマ・主体・骨組みともなる“イマジン”の誕生は、監督が体験した出来事から生まれました。

渦原家の祖父・石太はこっこに授ける「いまじん(イマジン=想像する)」と言う言葉。東日本大震災を訪れた際に被災した友人から言われた「世の中と自分たちの間に温度差があるような気がする」と言う言葉に起因する。

「じゃあ、どうすればいいのってなるんだけれど、相手の気持ちに立ってみればもうちょっといい方法があるんじゃないか、相手に気を使わせていたんだなって思った時に、そこに温度差があるのは当たり前だし、いい距離を保って彼らをうまく支援していかなきゃいけないという事に至る。こっこも自分にすごく正直な子で、その個性を壊さないで成長させることの難しさは、これからの日本の在り方に今一番問われているような気がしたんです」

とあるインタビューで答える行定監督は、東日本大震災のボランティアで足を運ぶ度にその“温度差”を深く考えるようになったという。また、映画人として何か出来ることはないかとも考えるようになったという。そんな時、脚本家でもある伊藤ちひろからある一冊の小説を手渡される。それが作家・西加奈子の小説『円卓』だったという。その本の中で語られる“イマジン”が、監督本人が考えることに似通ったものがると感じ、この小説を映画化することを決意。その主人公を芦田愛菜に起用することを念頭に入れるも、もし芦田本人からオファーの承諾が無ければ、この映画化の話も頓挫する覚悟で芦田愛菜にオファーを出したらしい。それほどの強い想いから本作『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』は誕生したのである。

また、本作品に欠かせないのが、こっこの個性的な性格や興味を引き立たせる事柄でしょう。クラスメートの中に吃音の少年、在日カンボジア人(ボート難民もしくわボート・ピープル)の少年、在日韓国人の少年など、メディアでは少し扱いにくい題材を見事に扱っている。個性的な彼らの要素がなければ、こっこの好奇心は生まれないはず。その興味を最大限にフル活用させているが、現代の子どもたちが、吃音やボート難民、在日韓国人と言う言葉をどこまで知っているのでしょうか?この作品を通じて、こっこと同じように様々な事柄に興味を示して欲しいと思う。世の中には数多くの人間が存在すること。この映画の中には、世の中にアンテナを張ると言う意味合いでは、子どもたちに多くを学ばせてくれる何かが詰まった作品だ。その何かを発見できたとき、私たちもまた映画の中の主人公のこっこのように、成長できるんじゃないだろうか?

円卓 こっこ、ひと夏のイマジン 感想まとめ

作品としての評価は、正直あまり芳しくない。好きな人は好き。嫌いな人は嫌い。人によって、評価が分かれそうな作品だが、私は割かし好きな方に入る部類の作品だ。芦田愛菜や彼女を囲む子どもたちの演技は、少々やり過ぎ感が否めないが、私には映画の中で好きなシーンがある。それは夏休み中に変質者に遭遇してしまったこっこは、驚き戸惑いながらも、その事を体験する。夏休み明けにその変質者が捕まった時、こっこは初めてぽっさんに変質者との体験を語る。体験って言っても、卑猥な体験は何一つない。それを聞いたぽっさんは、涙を流しながら、ただひたすらこっこに謝るのだが、こっこはその謝罪の意味が理解できずにいる。でもぽっさんは、側にいなかったこと、助けてあげられなかったことに、後悔し涙を流す。そんなシーンを見て、私はどこまでも純粋な心を持つぽっさんに憧れと感動を覚えました。やはり年を重ねると、他人の痛みや苦しみ、悲しみに対し一緒に泣けなくなってしまう。大人になれば自分の事で精一杯で、人の事などに注視できなくなってしまう。そんな時、このシーンを観ると、もう一度純粋だった子どもの時分に戻り、人のために泣ける自分でありたいと、私は心から思わされる。そんな人のために泣けるぽっさんはまさに、こっこが憧れる“かっこいい”存在ではないでしょうか?

もう一つ粋だなぁと思えたのは、こっこがいつもしている髪留め。どのような髪留めかと言うと目ん玉なのだ。あんな髪留めは普通の女の子なら、しないでしょうね。こっこが少し変わった女の子だと、観る側に暗示させているような粋な小道具だ。笑いの要素はたくさんあるが、その小道具にはある意味制作者側の意図が見えるようで、クスッと笑わせてくれる。またその髪留めには違う考え方がある。それは、髪留めの目とこっこの目を合わせて6つの目で、こっこは世の中の知らないことにアンテナを張っている。それが髪留めで表現されているのではないのかな?とも受け取れます。映画は些細な事から、多くの情報を受け取ることが出来ます。それを一つ一つ考えるのも、映画を観る楽しみではないでしょうか?私はそんな楽しみ方もあるのだと、多くの方にも知って欲しいと思っています。夏休みには、親と子どもで一緒になって観れる作品だ。

Amazon 映画『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』の商品を見てみる