『クレイマー、クレイマー』あらすじ感想とネタバレ映画批評・評価

クレイマー、クレイマーの概要:1980年に開催された第52回アカデミー賞にて、この年の最多5部門受賞。ビリー役のジャスティン・ヘンリーは、助演男優賞にノミネートされ、史上最年少記録を樹立。主演にダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ。当時、アメリカでも、日本でも、問題になっていた離婚をテーマに、女性の自立、父子家庭、父親不在の家庭と言う様々なエピソードを盛り込んだ感動の家族劇。これを観ずして、当時のアメリカ映画は語れない。

クレイマー、クレイマー

クレイマー、クレイマー あらすじ

映画『クレイマー、クレイマー』のあらすじを紹介します。

ニューヨーク・マンハッタン。夫の帰りを待つ妻ジョアンナ。家路に帰る夫テッド。どこにでもいる普通の夫婦。普通の家族。今日も昇進の話を妻に聞かせようと、軽い足取りで帰ってきたテッド。だが、妻の様子がどこかおかしい。そんな事にも気づけない夫は、一方的に自分の昇進話に花を咲かせるのだった。聞く耳を持たない夫に、ジョアンナは家出を切り出した。慌てる夫テッド。愛する我が子を捨ててまで、彼女は憔悴し、落ち込んでいた。

翌日、会社から自宅に電話を掛けるも、誰も電話に出る者はいない。テッドはこの時、初めて彼女の家出が、本気だったと気づく。その日から、息子ビリーとの生活が始まった。仕事人間だったテッドにとって、家事も育児も未経験。息子との接し方も分からず、怒鳴り散らす有り様。息子ビリーもまた、仕事ばかりの父親がある日突然、母親代わりを務めるようになったから、戸惑うばかり。2人の関係は、血の繋がった親子なのに、どことなくよそよそしく、ぎこちない関係。まさに、今まで父親不在の家庭で、家族を顧みなかった結果だろう。

親子の関係は最悪だった。ことあるごとに彼らはケンカし、テッドはビリーに怒鳴り散らす有様。家にまで仕事を持ち帰っても、息子に邪魔される毎日。机の上に広げてあった大切な仕事の書類に、ジュースを零され、つい怒鳴ってしまうテッド。息子ビリーも仕事が出来ても、家事が一切出来ない父親に反抗的な態度をとってしまう。お互い素直になれず、ケンカが絶えない毎日。そんなある日、夕食時に些細なことでケンカをしてしまう。それは、テッドが仕事の帰りに買ってきたアイスのことだ。食事のあとに食べなさいと言うテッドの言いつけを守らず、ビリーはまるで父親を試すかのように、アイスを一口。怒ったテッドは、ビリーを抱き上げ彼のベッドルームに連れて行く。ママが恋しいと泣き叫ぶビリー。それも仕方ないことだ。耐えられずに、テッドをストレートでウィスキーを一飲み。その後、落ち着きを取り戻し、ビリーの様子を見に行くテッド。泣き疲れたビリーはねているものかと思っていたら、起きていた。ビリーは父親にこんな疑問を投げ掛ける。『僕が悪い子だったから、ママは僕を捨てたのか?今度は、パパも僕を捨てるの?』と。テッドは、肝を冷やしたように、ハッとした。幼い子供が今まで、自分を責め続けていたことに。そして、出来るだけ分かりやすい言葉でビリーに諭すのだった。ビリー自身が悪くないこと。パパの考え方が、間違っていたこと。そして、誰よりもビリーを愛していることを。今まで素直になれなかった2人が、歩み寄った瞬間だった。

その日から、彼らの関係は急激に良くなった。テッドは、自転車の乗り方を教え、今まで母親には出来ない父親なりの接し方で、息子ビリーを愛した。時には、公園のジャングルジムから落ちてビリーが怪我をすると言うはハプニングもあったが、とても良好だった。そんな2人の関係を揺るがすことが起きてしまう。家を出てから1年半。妻ジョアンナが、マンハッタンに帰ってきたのだ。息子と暮らしたいジョアンナと息子と離れたくないテッド。2人の意見は平行線。この後、親権を巡って、泥沼の裁判が始まるのだった。

クレイマー、クレイマー 評価

  • 点数:80点/100点
  • オススメ度:★★★★☆
  • ストーリー:★★★★★
  • キャスト起用:★★★★★
  • 映像技術:★★★☆☆
  • 演出:★★★★★
  • 設定:★★★★☆

作品概要

  • 公開日:1979年
  • 上映時間:105分
  • ジャンル:ヒューマンドラマ
  • 監督:ロバート・ベントン
  • キャスト:ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ、ジャスティン・ヘンリー、ジョージ・コー etc

クレイマー、クレイマー 批評 ※ネタバレ

映画『クレイマー、クレイマー』について、2つ感想批評です。※ネタバレあり

物語の中に潜む1つの起承転結と3つの転

この映画は実に分かりやすい物語の構成で出来ている。一貫して最初から最後まで起承転結で占められている。物語の構成を成す起承転結の『起』は、妻ジョアンナの家出でしょう。今までの平穏な生活が、突如として崩壊してしまいます。次に『承』の部分です。これは、テッドとビリーの2人の冷めた日常を象徴しています。そして、3つ目の『転』の部分は、家出していたはずの妻ジョアンナがニューヨークに帰ってきて、テッドから子供を取り上げようと、親権を巡って裁判が起きます。これまでは、家族ドラマとして進行していた物語が、妻の登場で急に物語の趣旨が変わります。家族映画から法廷映画に。ただここでも根底にあるのは、何と言っても家族ドラマなのです。最後に『結』の部分ですが、これは映画が終わるちょうど1分辺り。勝訴したジョアンナが、ビリーを迎えに昔家族3人で住んでいたマンションに現れます。出迎えられたテッドに、涙ながらに自分が感じた想いを吐露します。息子ビリーにとっての本当の家=家庭はどこなのか?この作品が最も伝えたかったのは、この部分でしょう。子供にとって、何が一番幸せなことなのか。それは、子供の視点に立った時、初めて気付かされます。

次に、3つの『転』についてです。この映画の物語を3つのエピソードから成り立っていると、考えてみて下さい。1、テッドとジョアンナ夫婦のエピソード。2、テッドとビリーの父子関係のエピソード。3、親権を巡る裁判のエピソードです。1の『転』は冒頭の妻の家出です。今までの夫婦の結婚生活が、破綻を迎えるのです。夫婦の『転』です。2の『転』は父子の関係を示しています。初めこそ仲の悪かった親子関係ですが、劇中のアイスのエピソードから物語は一転し、テッドは子供想いの父親に変わり、ビリーは父親を愛する可愛い子供に変わります。父子の『転』です。最後に、3の『転』は裁判の結果が分かった瞬間です。夫テッドの敗訴が決まった途端、彼が築き上げてきた父子の生活が脆くも静かに崩れ落ちるのです。こうして分析してみると、複雑なテーマを持った作品でも、脚本の構成1つで観る側を分かりやすくさせてくれます。これは、作り手の勝利ですね。また、映画やドラマの脚本には三幕構成と言う手法がよく使われており、アメリカにはハリウッド式三幕構成なるものが採用されている。それは、大作映画で使用されていることが多いのですが、この作品に至っては、それが通用しないプロットで作られています。

また、少し話が変わりますが、物語の登場人物の“視点”がとても興味深いです。映画の冒頭は、ジョアンナ側の視点です。テッドが家庭を顧みない悪い夫に感じ取れます。同マンションの友人マーガレットの視点も、テッドが友達の悪い旦那として描かれ、ビリーの視点も頼りない父親に写ります。物語の中盤から終盤にかけては、テッド側の視点です。今まで悪く写っていた彼が一転、子供想いの子煩悩な父親に変わります。逆に、妻ジョアンナが少しワガママに見えてしまいます。裁判シーンで友人マーガレットが、ジョアンナに『もう前みたいなテッドはいない。状況は前とは変わっている』と語りかけます。それは作り手側から観る側に向けてのメッセージなのです。この映画は、観る側も注意深く観ないと、登場人物の視点がコロコロ変わることに気付けないのです。

アメリカン・ニューシネマとニューヨーク

この映画は、逸話が数多く存在しています。D・ホフマンのアドリブが多く採用されていることや彼自身、離婚調停中だったことや、当時・ストリープが妊娠中だったことなど、挙げれば枚挙に暇がない。どのサイトにも、どの文献にも、このような内容はすぐに見つけることが出来る。それほど有名なエピソードだ。だから、違う視点からこの映画を分析してみた。
今から話す事は、私の憶測です。中には、この話を否定する人がいてもおかしくありません。それに対し、私は一切反論致しません。

本題ですが、この映画が制作、公開されたのは79年。数年前まで、アメリカは世界で起きたブームの渦中にいた。そのブームとは、フランスから始まったヌーヴェル・バーグのことだ。ドイツ、チェコ、リスボン、ブラジル、イギリス、もちろんここ日本でも同じ運動が行われた。松竹ヌーヴェル・バーグだ。60年代頃から始まったこの有名な運動は、アメリカにも飛び火した。その最初の作品と位置づけられているのは『ボニーとクライド/俺たちに明日はない』だ。犯罪をヒロイズム的に捉え、愛と暴力と自由を前面に押し出したまったく新しいアメリカ映画だった。その脚本を書き上げたのが、実は『クレイマー、クレイマー』の監督R・ベントンなのです。アメリカン・ニューシネマの代表作には『卒業』『真夜中のカーボーイ』『小さな巨人』などがありますが、主演はすべてD・ホフマンでまたこの映画の撮影監督ネストール・アルメンドロスは、スペイン出身でありながら、フランスのヌーヴェル・バーグ時代の若手の監督(エリック・ロメール、フランソワ・トリュフォー、ジャン・ユスターシュ)と組んだ作品が、知られている。またアメリカでの活躍では、テレンス・マリック監督との『天国の日々』が有名だ。この作品で初めてアカデミー賞撮影賞を受賞。また本作でも、2度目の撮影賞を受賞している。

ここまで、色々書いたが、私が言いたいのは、これだけヌーヴェル・バーグやアメリカン・ニューシネマに携わった人物が多く存在しているのに、この作品を“アメリカン・ニューシネマ”の位置づけにならないのは、なぜなのか?暴力シーンがないからか?犯罪が出てこないからか?アウトローがいないからか?アメリカン・ニューシネマの定義は、反体制的な人間(主に若者)の心情を綴った映画作品郡を指す。すなわち、社会が若者にステレオタイプの考え方を押し付けようとする反面、若者が束縛から逃れ、自由を求めるのだ。ちょうど『クレイマー、クレイマー』が上映された時代、社会の考え方と世間の考え方にズレがあったのかも知れない。社会は、男は外で仕事をし、女は家庭で子育てを。離婚なんて許されない。そんな少し古臭い考えから脱却するように、この作品が生まれたのかも知れない。また劇中、父親テッドが妻ジョアンナについて語るシーンがる。彼女を自分の固定概念の型に嵌めようとしていた。女性は家庭で子育てと言う考え方だろう。まさに、その時代を切り取った旬の映画だったに違いない。奇しくも、70年代後半と言うのは、『スターウォーズ(77)』シリーズや『ロッキー(76)』シリーズの1作目が公開され始めて時期なのだ。続く80年代には、スピルバーグ、ルーカス、ゼメキスと言った大作映画を撮れる監督が台頭し始めた時代なのだ。その時期に、公開された本作は時代の遅れとアメリカ国民が求めるものとがうまくリンクした結果、予想以上のヒットを飛ばしたのだろう。

また主演の女優M・ストリープは、私個人の意見だが、つくづくニューヨークが似合う女優さんだ。W・アレンの『マンハッタン』と本作に続き『殺意の香り』『恋におちて』『母の眠り』『めぐりあう時間たち』『アダプテーション』『プラダを着た悪魔』『ダウト~あるカトリック学校で~』『ジュリー&ジュリア』『恋するベーカリー(舞台設定はカリフォルニアだが、撮影はニューヨーク)』と11作品。出演本数の1/4がニューヨークが舞台の作品に出演しているアメリカきってのニューヨークが似合う女優だろう。ただ彼女の出身は、ニュージャージー州だ。

クレイマー、クレイマー 感想まとめ

毎年2月~3月になると必ず、アカデミー賞の時期だろう。アカデミー賞には多くの印象に残る回がある。第1回目の作品賞の『つばさ』を始め92年のスリラー映画『羊たちの沈黙』そして、なんと言っても03年の『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』だろう。

人それぞれ、印象に残る作品は違うと思うが、私は中でも80年に5部門制覇した『クレイマー、クレイマー』はそれらの作品に匹敵する。時代に見合わない小品にも関わらず、世界的にヒットしたのは、この映画のテーマに対して国民が、なにかしら答えを見つけただからだろう。紛れもない名作。後世に語り継ぐべき名作に他ありません。

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