映画『レディバード・レディバード』あらすじとネタバレ感想

レディバード・レディバードの概要:監督ケン・ローチ。主演クリッシー・ロック、ウラジミール・ヴェガ。社会福祉と言う名の下に親権を剥奪された女性と、法権力と社会に対する闘いを描いた、実話を基にした実録ヒューマンドラマ。余談だが、タイトルのレディバード、レディバードは有名な童話『マザー・グース』の一節から名付けられている。

レディバード・レディバード あらすじ

レディバード・レディバード
映画『レディバード・レディバード』のあらすじを紹介します。

1990年代のイギリス。深夜のカラオケバーは今夜も大盛況。多くの大人たちがカラオケで盛り上がっていた。ベット・ミドラーの『ローズ』を歌う女性マギー(クリッシー・ロック)は、どこか悲しみと寂しさを纏い熱唱している。その歌声に一人心動かされた男性ジョージ(ウラジミール・ヴェガ)が、歌い終わった彼女に声を掛ける。一杯だけという口約束の元、彼らは少しずつ話し始める。どこか悲しそうに見えたマギーに声を掛けたジョージ。その悲しみはすぐに判明した。手を貸したいと申し出るジョージに、そんな簡単な問題ではないと、断るマギー。彼女はジョージに質問を投げかける。子どもはいるのかと。マギーは4人の子どもがいると、彼に告げた。でも現在、一緒に暮らしていない事も話した。社会福祉局に子どもを取り上げられたことを白状した。彼女はお酒の助けを借りて、幼少時代の思い出を語り始めた。それは、壮絶なものだった。父親が母親に暴力を振るう家庭に育っていた。その頃の記憶は、思い出したくないと、吐露する彼女。その話を聞いて、ジョージはより深く彼女のことを知りたくなった。なぜ4人の子どもを全員奪われてしまったのか。彼女はすべて社会福祉局の責任だと主張する。二度と会えないと、肩を落とすマギー。一人一人、父親の違う4人の子どもの写真を見せる。少しずつ話が盛り上がってきた時に、マギーは帰るために突然席を立ってしまう。テーブルの上には、置き忘れた彼女の財布。慌てて彼女を追いかけるジョージ。この事がきっかけで、二人は食事をしながら、再び話し始めることに。

終バスを逃したマギーはジョージの家を招かれることに。ここで再度、彼女は身の上話を話し始める。父親はいないが、4人の子どもと仲良く慎ましく暮らしていた。4人の子どもを愛していたこと。そんなある日、スーパーで出会った大柄の男性サイモン(レイ・ウィンストン)が彼女たちの新しい夫、父親になった。最初の頃は楽しかったと述懐する彼女だが、ある日状況が一変する。帰りが遅くなったサイモンは、彼女に暴力を振るった。まるで幼少期の父親と同じような暴力男だった。彼女は、この暴力で怪我を負い、入院。この事件がきっかけとなって、社会福祉局が彼女ら家族に目を付けられることに。サイモンから逃げるように新しい家に引っ越した彼女。彼の暴力に怯えながらも、家族は仲睦ましく、協力し合い、暮らし始めたというのだ。ここまでをジョージに包み隠さず話した彼女だが、これ以上、心を開こうとせず慌てて帰り支度を始める彼女だったが、玄関先で何かを思い出したかのように泣き出したマギーを見て、ジョージは優しく抱き締めるのであった。

マギーはまた、ぽつりぽつりとあの事件のあった晩のことを話し始めた。彼女は、その晩カラオケバーで楽しんでいた。すると、彼女の家が火事にあったと連絡が入る。カラオケバーを慌てて飛び出て、家に向かった彼女の目の前には、予想を越える信じられない事態が…。子ども達は皆、救急車で運ばれた後だった。警察官と共に病院に訪れたマギー。そこには火傷で傷を負った長男の姿があった。泣き叫び、崩れ落ちるマギー。警察の事情聴取でマギーの証言と警官の聞き込み内容が食い違うばかり。この事故が大きな引き金となって、社会福祉局が本格的に彼女の家庭に介入することに。最初に傷を負った長男が、福祉局に引き取られ、最終的に4人の子ども全員が、彼女の手元から無理矢理離された。そんな絶望的な彼女の前に現れたのが、心優しいジョージだったのだ。彼の心からの優しさが、彼女の荒んだ心を癒す鍵になった。

ジョージは実は、チリ出身の男性。彼は政治亡命者として至る国々を転々と放浪していた。もちろん永住権など持っていなかった。社会から母親失格としてレッテルはられた女性マギーと政治亡命者として行き場の無い男性ジョージは、立場は違えど、共に心に傷を負った者同士。その傷を互いに癒し合う形で、2人は恋に落ちた。そして、2人の間に待望の女の赤ちゃんが生まれたが、福祉局の“正しい措置”として、また子どもを強制的に引き離されることに。彼らは、社会と闘うことを決意する。2人目の赤ちゃんもまた、今度は生まれてすぐに引き離されてしまう。落胆と絶望の中で彼らは、何を見出そうとしていたのか?それは親としての責任。子への愛情。子どもが授かる喜びだったのではないでしょうか?この後、彼らは2人の子どもにも恵まれました。その養育には、国が一切関与することなく、子どもを育てたのだが、引き離されてしまった6人の子どもは、もう2度と彼女の元には返って来なかった。

レディバード・レディバード 評価

  • 点数:90点/100点
  • オススメ度:★★★★☆
  • ストーリー:★★★★☆
  • キャスト起用:★★★☆☆
  • 映像技術:★★★☆☆
  • 演出:★★★★★
  • 設定:★★★★☆

作品概要

  • 公開日:1994年
  • 上映時間:102分
  • ジャンル:ラブストーリー、ヒューマンドラマ
  • 監督:ケン・ローチ
  • キャスト:クリシー・ロック、ウラジミール・ヴェガ、モリシオ・ヴェネガス、レイ・ウィンストン etc

レディバード・レディバード ネタバレ批評

映画『レディバード・レディバード』について、感想批評です。※ネタバレあり

正しいのは母親か、それとも福祉制度なのか

この作品は、充実しているイギリスの社会福祉制度の盲点を突いた社会派ドラマだ。主人公の女性マギーは、母親として親の責務を必死に背負いながら、シングルマザーとして4人の子どもを育ててきた。確かに、彼女は生活保護を受けているのは事実かも知れないが、それが悪いわけでもなく、間違っているわけでもない。映画の冒頭に彼女の幼少時代が導入されているが、暴力を振るう父親と暴力を受ける母親の姿を見て育っている。そのような環境で育った彼女が、選ぶ相手を間違ったのかもしれない。かと言って、暴力の環境で育った人間が、暴力的になることも、暴力を振るう人間と必ずしも巡り合うことの確率が高いわけでもない。ただ、彼女にはそういう星のもとに生まれた運命があったのかもしれないからだ。

ここではっきり言えるのは、彼女のした行為は今で言うと間違いなくネグレクト=育児放棄には間違いない。夜子どもを寝かし付けて、夜な夜な遊びに家を出る。たとえそれがたった1回の行動にしてもだ。育児に疲れていたとか、暴力を振るう元夫からのストレスに耐え切れなかったのでとか、色々な原因があるかも知れないが、どんな理由にしても、子どもを置き去りにしてまで、自身のストレス発散のために、育児をなおざりにするのは彼女の大きな過ちだと言わざるを得ない。そのことで世間から母親失格のイメージを持たれても仕方がないことなのだ。映画を観ていると、彼女自身にも多くの問題があるのは見て取れる。癇癪持ちで、ヒステリックな一面を持ち、自制心に欠け、また4人の子どもが皆、違う男性の子どもの上、その生活そのものに問題があることも容易に分かる。そのような彼女の性格、生活態度、そして火事を起こしてしまった曲げられない事実を持ってして、裁判所並びに社会福祉局は、彼女が母親として不適格だと、そう判断したのだろう。

近年、日本でも悲しい虐待の話は増えてきている。私たちの記憶に新しい事件と言えば、2010年に大阪で起きた『大阪2児餓死事件』だろう。この事件では、20代の母親が幼い2人の子どもが親の育児放棄の末、命を落とした。この事件は、映画化もされ『子宮に沈める』と言う題でレンタルショップにも並んでいる。話が逸れてしまったが、子を産み、育てると言う視点で見ると、父親母親関係なしに、親としての責務、その重責が問われるわけだ。自分の身や時間をすべて削り、子どもに人生や愛を与えてやるのが、親になった人の大きな仕事だ。残念ながら、この事件の母親もこの映画の母親も、何かがどこかでずれてしまったのだろう。子どもを愛していながらも、自分本位に行動し、生活し、重大な結果を招いてしまった事実に、どう受け止め、心から反省できるのだろうか?

この映画の主題でもある育児放棄=ネグレクトと社会福祉の在り方について、どう感じ、どう思うのか、一般の方に聞いてみた。若い女性の方は、この映画の主人公の女性には、母親の自覚がないと、はっきりと言っている。子どもがいるのに、とっかえひっかえ違う男性と寝ては、新しい子どもを4人産む彼女の行動が、あまりに身勝手すぎると、全面的に彼女に否があると。

また子を持つ主婦の方にも意見を聞いてみると、難しい問題だが、やはり子どもを守る立場の親が、かわいい子どもを家に残して、外出するその神経が疑われると。彼女には、過去に知り合いの近所の方で、この映画と似たような状況で子どもを亡くしている家庭を知っていると告白してくれた。その家庭は、幼稚園ぐらいの子どもを家に残して、昼間に働き出ていた矢先に、家で火事が起こって、お子さんが亡くなったらしい。この話をしてくれた主婦さんは、どんな理由、どんな事情があっても、親は子どもだけを残して、家を出てはいけないと言った。彼女は「私なら、そんな事はできないと。ある程度大きくなるまでは、子どもを残して外出なんて出来ない」と。これが子を持つ親としての真の意見なのだろう。

最後に、年配の社会経験のある男性にも、意見を伺ったところやはり、為になる意見を貰えた。上の方と同意見で、やはり問題はまず、母親自身にあったと思う。ただ、この男性が一番言いたかったことは、国の制度にも、システムそのものにも問題点があったに違いないと。まずは母親自身が、ことの重大さにいち早く気付き、自身の仕出かした問題を反省すること。そして社会福祉局は、彼女を否定、非難するばかりでなく、国が親子を包み込むような制度を確立することが事件を未然に防ぐことではないかと、意見を頂きました。

昨今、核家族化が進み、共働き、片親家庭が増えた中で、人と人との関係性が軽薄になりつつあることが窺える。一昔前なら、近所のおじさん、おばさんが子どもたちを叱り、地域全体で支え、助け合う地域づくりが事件を未然に防ぐ役割があったのだろうが、近年の地域社会に対する関係性は希薄化しつつあることは、周知の通りだが、悲しい事件が起きる一歩手前に、私たちが手を差し伸べることで、守るべき命を守ることができるでしょう。

レディバード・レディバード 感想まとめ

この映画の争点はどちらかを糾弾するために制作されたわけではないと、私は思います。どっちの立場に立っても、双方の意見は理解できます。母親としての過ちは大きいかもしれませんが、子ども一人一人に愛情を持って接していたのは事実でしょう。たった一人で一生懸命になって、4人の子どもを育てるのは並大抵のことではないと思います。ましてや1人でも子どもを育てるのは大変なことなのに。お腹を痛めて産んだ子どもを愛するのは、ごく自然なことだ、彼女に欠けていたのは、大人として、母親としての責任だったと思うのです。

また社会、世間から見た母親への批判も理解できるのです。自制心がなく、ヒステリーに泣き叫び、4人の男性との間に産まれた子どもを女性が一人で育てているのは、当時も現在も特異なケースだろう。世間から見れば、そんな自堕落な女性が、4人の子どもを育てるのに、幾ばくかの不安と疑念が生まれるものです。この女性は、本当に親として子どもを育てられるのか、母親としての自覚が本当に備わっているのかと、疑念ばかりが先に生まれてしまうのでしょう。それが、結果として、彼女が愛してやまない子どもを引き離す決断に至ってしまうのではないでしょうか?ただ、ここで国としてのシステムで欠けていたのは、子どもを保護することばかりが念頭に入り、家族全体を保護するシステムはなかったのだろうかと、疑問を抱いてしまう。映画の冒頭で、幼い頃の彼女の母親が暴力に晒されていた。彼女自身、その光景を目の当たりにし、子どもながらに傷つき、心のどこかに深い傷を追っていたのかも知れない。母親自身、心に傷を負ったまま成長し、子どもを育てる立場になっても、その時に負った傷が癒えないでいたのではないか。社会は、母親自身の過去の出来事にも、目を向ける必要があったのではないかと、私は思うのです。まず親が取るべき行動に対して批判しつつも、どうしてこのような行動をしたのか真摯に考え、親子全体を保護するシステムを、この当時から導入していれば、もっと違った結果が出ていたのかも知れない。

彼女も彼女で、歩み寄ろうとするソーシャルワーカーを頭から否定し、拒絶するのではなく、自分から歩み寄れることができていれば、違った結果が待っていたのかも知れません。この映画の中の一番の問題点は、双方の食い違いから生まれた結果が、これだったのだと私は思うのです。まずは、双方が歩み寄り、コミュニケーションを取り、どう問題を解決していくことが正しいかを話し合うことで、事件も事故も未然に防げると、私は信じています。

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