映画『誘う女(1995)』あらすじネタバレ結末と感想

誘う女(1995)の概要:アメリカで実際に起きた事件を題材にジョイス・メイナードが書いた小説「誘惑」をガス・ヴァン・サント監督が1995年に映画化。主人公の“誘う女”をニコール・キッドマンが演じた。

誘う女 あらすじネタバレ

誘う女
映画『誘う女(1995)』のあらすじを紹介します。※ネタバレ含む

誘う女 あらすじ【起・承】

スザーン・ストーン(ニコール・キッドマン)はニューハンプシャー州リトル・ホープで地方のケーブルテレビ局のお天気お姉さんをしていた。

夫のラリー・マレット(マット・ディロン)が殺害された事件で、スザーンは容疑者として疑われ数多くのマスコミから追われる身だった。しかしスザーンはむしろそれを喜んでいるかのように、嬉々としてインタビューに答えていた。

イタリア系のマレット家は、家族でレストランを経営していた。
ある晩、その店にスザーンが現れ、ラリーはスザーンの魅力にメロメロになる。しかしラリーの姉のジャニスはスザーンの冷たい本性を見抜いており、そんな弟を心配していた。
一方、スザーンの家は小金持ちのユダヤ系であり、両家とも2人の交際には消極的だったが、ラリーは熱烈にスザーンを愛しており、結局2人は結婚する。

スザーンには幼い頃から“テレビに出て有名になりたい”という野望があった。

新婚旅行先で、テレビ局の大物プロデューサーから“のし上がるためには枕営業してでも自分を売り込むべき”と聞かされたスザーンは、手始めに地方のケーブルテレビ局へ押しかけ的外れな自己アピールをする。応募していたのは雑用係であったが、たった2人の社員しかいない弱小テレビ局は仕方なくスザーンを雇うことにする。

スザーンは強烈な出たがり精神でケーブル局のお天気お姉さんとなり、すっかりキャスター気取りだった。そんなスザーンをラリーは純粋に応援し、好き放題の生活をさせていた。

誘う女 あらすじ【転・結】

スザーンは若者についてのドキュメンタリー番組の企画を思いつき、地元の高校へ行く。スザーンの話を聞いて、撮影に協力したいと名乗り出たのはクラスでも一番の落ちこぼれで貧困層のジミー(ホアキン・フェニックス)、ラッセル、リディアの3人だけだった。

しかし、ジミーの頭の中にはスザーンへの性的欲望しかなく、ラッセルは下品なジョークしか言わない。ただ、最悪の家庭環境で育ったリディアは、自分をかまってくれるスザーンをすっかり信用し、自分の家に銃があることを話してしまう。

スザーンの野望は空回りしており、ラリーからは店の手伝いと子作りを迫られるようになる。しかし、スザーンは自分のことしか考えておらず、だんだんラリーの存在が疎ましくなってくる。

そこでスザーンは自分に夢中のジミーを誘惑し骨抜きにした上で“ラリーから暴力を振るわれている”と嘘をつき、ジミーがラリーを殺すよう仕向けていく。スザーンの身体に溺れきっていたジミーはスザーンと2人の甘い生活を夢見て、ラッセルに協力を頼みリディアの家にあった銃でついにラリーを銃殺してしまう。

しかし、犯行は適当で警察はすぐに犯人を特定し、ジミーとラッセルは逮捕される。

スザーンは悲劇の妻を演じメディアの取材を嬉々として受けていたが、ジミーとの関係はすぐに警察の知るところとなり、殺人教唆の疑いで逮捕される。
それでもしぶとく裁判を勝ち抜き、マスコミに向けて好き放題のことを言っていた。

テレビで息子を侮辱するような嘘をつきまくるスザーンに激怒したラリーの父は、殺し屋を雇い、スザーンを始末する。

誘う女 評価

  • 点数:65点/100点
  • オススメ度:★★★☆☆
  • ストーリー:★★☆☆☆
  • キャスト起用:★★★★☆
  • 映像技術:★★★★☆
  • 演出:★★★★☆
  • 設定:★★☆☆☆

作品概要

  • 公開日:1995年
  • 上映時間:106分
  • ジャンル:サスペンス、コメディ
  • 監督:ガス・ヴァン・サント
  • キャスト:ニコール・キッドマン、マット・ディロン、ケイシー・アフレック、イリアナ・ダグラス etc

誘う女 批評・レビュー

映画『誘う女(1995)』について、感想と批評・レビューです。※ネタバレ含む

ムカつくけどよくできた人物像・スザーン

ニコール・キッドマン演じる主人公のスザーンは心底ムカつく女だ。
根拠のない自信と空気を読めない行動でやりたい放題やった末に邪魔になった夫を殺してしまう最低の女であり、見ていて不愉快極まりない。が、リアル感はある。

現実の保険金殺人事件などで男を何人も殺した犯人の顔を見て、驚いたことはないだろうか?ニコール・キッドマンは美人でセクシーだが、たいてい“え?何でこんな女に何人もの男が騙されるの?”と首を傾げたくなるような人が多い。

しかし、スザーンを見ればなるほどと納得がいく。羞恥心がない、自己顕示欲の塊、悪知恵が働く、マメである、欲望の実現のためなら誰とでも寝るといったこの手の女の特徴をスザーンは全て兼ね備えている。

大した取り柄もないのに男をたらしこむことだけには天才的な才能を持つ冷酷な女スザーン。この人物像は個人的には大嫌いだが、よくできたキャラクターになっている。

2人目のバカ

主演のニコール・キッドマンはバービー人形のような厚化粧と衣装で、このどうしようもない主人公をうまく演じている。しかし、本作の中でどうしようもないのは主人公だけではない。

ホアキン・フェニックス演じる高校生のジミーが、これまたどうしようもないおバカで、はっきり言って気持ち悪い。ジミーは確かに若いのだが、若々しい魅力は全くない。何となく不潔そうで、バカはバカでもうすのろバカの部類のバカだ。ホアキン・フェニックスはこの気持ち悪い童貞少年を非常にリアルに演じている。

ジミーが賢くかっこいい若者ではないことで、スザーンの無計画さ(いろいろ思いつくが緻密な計算はできない)と節操のなさがより強調されており、事件を起こしたことも、あっけなく事件が発覚したことも説得力を持つ。

こんなバカ2人にものすごくアホらしい理由で殺されたラリーは本当に気の毒だ。

誘う女 感想まとめ

この映画は実話に基づいたフィクションとなっており、現実の犯人は夫殺しの罪で終身刑を言い渡され現在も服役中らしい。本作でもその方がすっきりしたのにとも思う。

結末はさておき、全体にとても胸糞悪い映画である。胸糞悪い話なのだから、観客がそう感じるというのはある意味作り手の狙い通りだろう。

それぞれの立場の人のインタビューシーンを挟みながら回想シーンでスザーンの人柄と事件の顛末を見せていくという構成になっているが、前半はこれといった展開もないので少々退屈だ。物語そのものも大して面白くない。
ただただ“ムカつく”という感情だけは大いに揺さぶられる内容となっている。

気の置けない人とお酒でも飲みながら観て、後で散々スザーンの悪口を言いまくると案外ストレス解消にはなるかもしれない。

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