映画『ヨコハマメリー』のネタバレあらすじ結末 | MIHOシネマ

「ヨコハマメリー」のネタバレあらすじ結末

ヨコハマメリーの概要:「ハマのメリー」と呼ばれたホームレスの老娼婦にスポットを当てたドキュメンタリー映画。撮影時、メリーさんはすでに横浜から姿を消しており、彼女を知る人々にメリーさんと戦後の横浜について語ってもらう。メリーさんを語ることで、それぞれの人生も見えてくる。

ヨコハマメリーの作品情報

ヨコハマメリー

製作年:2005年
上映時間:92分
ジャンル:ドキュメンタリー
監督:中村高寛
キャスト:永登元次郎、五大路子、杉山義法、清水節子 etc

ヨコハマメリーの登場人物(キャスト)

メリーさん
終戦後の伊勢佐木町で米兵相手の娼婦(通称パンパン)をしていたホームレスの老女。晩年も白塗りメイクにヒラヒラのドレスを着て、伊勢佐木町界隈で生きていた。同情や施しを好まず、独自の生き方を貫いている。非常に無口で、誰も彼女の詳しい素性を知らない。
永登元次郎
横浜でシャンソンバーを経営するシャンソン歌手。若い頃は男娼をしていた。撮影当時は60歳前後で元気そうに見えるが、実は末期ガンを患っている。メリーさんに母親の面影を重ね、いろいろと力になってきた。

ヨコハマメリーのネタバレあらすじ

映画『ヨコハマメリー』のあらすじを結末まで解説しています。この先、ネタバレ含んでいるためご注意ください。

ヨコハマメリーのあらすじ【起】

1995年、歌舞伎役者のような白塗りの顔に厚化粧を施し、ヒラヒラのドレス姿で横浜の街を徘徊していたホームレスの老女が、忽然と姿を消す。彼女は通称「ハマのメリー」と呼ばれ、横浜では有名な存在だった。

メリーさんは、1968年の大ヒット曲『伊勢佐木町ブルース』の舞台となった伊勢佐木町の街角に立ち、米兵相手に娼婦をしていた。彼女は独特な出で立ちから、「実は山手の豪邸に住んでいる」「皇族の末裔らしい」などと噂されていたが、真相は誰も知らない。

シャンソン歌手の永登元次郎は、1991年の8月6日、初めてメリーさんに声をかけた。その日は永登のリサイタルの日で、ポスターを見ていたメリーさんに、招待券を渡したのだ。メリーさんは律儀にプレゼントを用意してホールに現れ、永登の歌を聴いてくれた。それ以来、永登はメリーさんの友人となり、彼女を助ける。気位の高いメリーさんは、裸の現金は決して受け取らなかったが、ちゃんとご祝儀袋に包んで「綺麗なお花でも買ってね」と一言添えると、納得して受け取ってくれた。

永登は20歳の時に歌手を目指して上京したが挫折し、川崎で男娼をしていた。その後、横浜に「シャノアール」というシャンソンバーを作り、そこで歌うようになった。現在、永登は末期ガンを患っており、治療をしながら歌手を続けている。

1954年、33歳のメリーさんは横須賀で娼婦をしていた。その頃から、貴族の令嬢のような出で立ちで街に立っており、「皇后陛下」と呼ばれるようになる。メリーさんは群れることを嫌い、いつも単独行動をしていた。客にする米兵も将校のみで、階級の低い兵隊は相手にしない。メリーさんは、当時の横須賀でも非常に目立つ存在だった。

ヨコハマメリーのあらすじ【承】

1961年、40歳になったメリーさんは、横浜の伊勢佐木町にたどり着く。舞踏家の大野一雄は、妻が経営するドラッグストアで当時のメリーさんを目撃している。大野たちはメリーさんのことを「きんきらさん」と呼んでいた。大野は、パントマイムでオフィーリアを演じる時、メリーさんの立ち振る舞いや表情を参考にした。その舞台は大好評だった。

大衆酒場「根岸屋」でお座敷芸者をしていた五十田京子は、店の前に立って客引きをしているメリーさんをよく目撃した。メリーさんはプライドが高く、他の娼婦とは話をしない。お座敷のお姐様方にも挨拶をしないので、五十田はメリーさんを怒鳴りつけたことがある。それでもメリーさんは、涼しい顔をしていたらしい。

書籍『横濱物語』で語りべを務めた松葉好市は、元愚連隊の高見澤政雄と共に、根岸屋の跡地を訪れる。24時間営業の大衆酒場として、いつも賑わっていた根岸屋は、1980年に倒産し、その後火事で焼け落ちた。現在は駐車場になっており、当時の面影は全くない。根岸屋を知る人たちは、賑やかだった昔の横浜を懐かしむ。

大道芸マネージャーの大久保文香は、メリーさんから年賀状を受け取っていた。年賀状には「ニシオカユキコ」というメリーさんの本名が記してあり、住所はメリーがよく昼寝をしていた宝飾店前の番地になっていた。メリーさんは、この宝飾店の店主にも、御中元と御歳暮を贈っていた。店前からメリーさんを追い払うようなことをしなかったので、それに対する感謝の気持ちなのだろうと、店主は考えていた。

メリーさんがよく利用した喫茶店では、メリーさん専用のカップを置いていた。他の客から、「例え綺麗に洗っていても、あの人が使ったカップは嫌だ」と言われたからだ。このように、メリーさんを迫害する人も多かったが、彼女の存在をありがたく感じている人もいた。県民ホールの興行主は、海外のオペラやバレエ公演など、芸術性の高い興行があると、メリーさんの姿を探した。彼女が足を運んでくれた公演は、必ず成功したのだ。好みの公演があると、メリーさんは自分で高価なチケットを購入し、劇場へ来てくれた。

ヨコハマメリーのあらすじ【転】

メリーさんが通っていたルナ美容室のオーナーは、普段無口なメリーさんが、珍しく自分から話しかけてきた時のことを覚えている。メリーさんは、恋人にもらった大切な指輪を失くして悲しんでいた。それから数ヶ月後、店を訪れた彼女の指には指輪が入っており、「良かったですね」と声をかけると、「あったのよ」と嬉しそうに答えてくれた。そのメリーさんを見て、よほど大切な指輪なのだろうと思ったそうだ。しかし、この店でも他の客から苦情が出たため、メリーさんの来店を断ることになる。オーナーは今でも、入店を断った時のメリーさんの残念そうな顔が忘れられない。

メリーさんが白粉を購入していた化粧品店の店主は、横浜松坂屋の前で寂しそうなメリーさんを見つけ、「お茶を飲まない?」と声をかけたことがある。その時のメリーさんの態度は非常に素っ気なく、店主は悲しくなった。しかし、夫にその話をすると、それはメリーさんの心遣いだと諭される。娼婦だった自分と親しげにしていれば、店主も同類の女だと誤解されるかもしれない。メリーさんは、そういう心遣いのできる頭のいい女性だった。

メリーさんが利用していたクリーニング店の山崎夫婦は、家のないメリーさんのために、店の更衣室を着替え場所として提供していた。メリーさんは衣装持ちだったので、店には彼女の衣装がどんどん溜まっていった。それでも、山崎夫婦は迷惑がったりせず、彼女の好きなようにさせていた。

昔のハマの男は、メリーさんに声をかけられるのは光栄なことだと思っていた。彼女は、「メガネをかけている(頭がいい)、太っている(金がある)、色が黒い(健康的)」という自分なりの条件を満たした男にしか声をかけなかったからだ。

作家の団鬼六は、この条件を満たした男だったようで、彼女に興味を持たれた経験がある。メリーさんは無言で後ろをついてきて、団のことを見つめていた。団は、そんなメリーさんに不気味なものを感じていた。

メリーさんは、うっかり私服警官の袖を引いてしまい、留置所に入れられた経験がある。警察はメリーさんを留置所に入れたくなかったが、売春の現行犯なので仕方がない。大久保は、「メリーさんにとって、留置所は安心して眠れる場所だったかもしれない」と語る。

メリーさんは自分の部屋を欲しがっていた。永登は、その願いを叶えてやりたくて、行政機関に相談する。しかし、住民登録していないメリーさんは、生活保護を受けられなかった。

作家の山崎洋子は、『天使はブルースを歌う』という自著の中で、米兵と娼婦の間に生まれたハーフの赤ちゃんのことを、「メリーさんの子供たち」と表現している。山崎はメリーさんを、「パンパン」と呼ばれた米兵相手の娼婦たちを象徴する存在だと思っている。そして、メリーさんの白塗りの顔は、彼女が「娼婦のメリー」という役を演じるための仮面なのだろうと考えていた。

SEXカウンセラーの清水節子は、メリーさんのドキュメンタリー映画を製作しようとしたことがある。スタッフ間でトラブルが生じて映画は完成しなかったが、清水はメリーさんに強く惹かれていた。街に立つ前、トイレでメイクを施すメリーさんを見て、清水は女の業を感じる。メリーさんはデパートのピアノ売り場で、童謡の『さくらさくら』や『海』を弾いていた。映画プロデューサーの福寿祁久雄は、「あの人は自分を演じている、あの人の生き方は人を打つ」と語る。

写真家の森日出夫も、そんなメリーさんのことが気になり、被写体に彼女を選んだ。森の撮ったメリーさんの写真は、1995年に『PASS ハマのメリーさん』という写真集として発表されている。森は、メリーさん自身が伊勢佐木町の風景になっていたと語る。

ヨコハマメリーのあらすじ【結】

1995年、74歳になったメリーさんは、クリーニング店の山崎夫人の勧めもあって、故郷に帰る決断をする。山崎夫人は、メリーさんの実家と連絡を取り、家族の了承を得る。山崎夫人は切符も手配し、メリーさんが故郷へ帰るための段取りをつけてやった。帰る前の晩、メリーさんは初めて山崎夫人の出したお茶を口にして(メリーさんは遠慮深いので、普段は口をつけない)、「私の父君が亡くなった時、私はこの道に入った」と、自分の過去を語った。山崎夫人は「父君と言われて恐れ入った」と、笑顔でその時の驚きを語る。

1995年12月18日、メリーさんは白塗りのメイクをしたまま、故郷へ帰って行った。森は、「メリーさんが消えて、間の抜けた伊勢佐木町になった」と表現する。

この映画の撮影中、出演者たちにも変化があった。メリーさんの行きつけだったルナ美容室は閉店し、オーナーは小さなスナックを開店していた。1999年、山崎夫婦のクリーニング店も閉店し、その土地には中華料理店が建った。永登と山崎夫人はその中華料理店を訪れ、メリーさんの思い出話に花を咲かせる。メリーさんを知る人々は、みんな何かしらの喪失感を感じているようだった。

永登は、母子家庭で育った自分の生い立ちを語る。水商売をしていた母親に恋人ができた時、永登は「パンパン!」と母親を罵ったことがある。メリーさんと出会い、彼女の口から「私はパンパンをやっていたからね」という言葉が出た時、永登の胸は激しく痛んだ。今の永登には、母親やメリーさんの痛みが理解できる。永登は、メリーさんに亡くなった母親の面影を重ね、「他人と思えなかった」と語る。

『横浜ローザ』という舞台劇で、メリーさんをモデルにした女性を演じてきた女優の五大路子は、ラストシーンで観客から「メリー!」という声がかかるのだと語る。五代は観客の拍手を、メリーさんへの拍手だと感じている。メリーさんに扮した五代が、伊勢佐木町をゆっくり歩くと、道ゆく人々は立ち止まり、物珍しそうに彼女を見る。

入院中の永登の元に、メリーさんから達筆な手紙が届く。メリーさんは横浜へ帰りたがっていた。入院治療を終えた永登は、電車を乗り継いで、メリーさんの故郷へ向かう。

メリーさんは、故郷の老人ホームに入っていた。永登は、その老人ホームでミニコンサートを開く。客席のメリーさんは、静かに微笑みながら、永登の歌に聴き入っていた。娼婦の仮面(白塗りメイク)を外したメリーさんの素顔は、とても上品で美しい。コンサートの後、メリーさんはニコニコ笑いながら、「ありがとうございます」と永登にお礼を言う。永登とメリーさんは100歳まで生きようと約束して、指切りをして別れる。

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