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映画『ANIARA アニアーラ』のネタバレ・あらすじ・考察・解説

この記事では、映画『ANIARA アニアーラ』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。

映画『ANIARA アニアーラ』の作品情報


出典:U-NEXT

製作年 2018年
上映時間 106分
ジャンル SF
監督 ペッラ・カーゲルマン
フーゴ・リリヤ
キャスト エメリー・ヨンソン
ビアンカ・クルゼイロ
アルヴィン・カナニアン
製作国 スウェーデン
デンマーク

映画『ANIARA アニアーラ』の登場人物(キャスト)

MR(エメリー・ヨンソン)
アニアーラ号の船員。地球のイメージを夢に投影する人工知能ミーマの管理人(ミーマローベ)。船内でミーマホールを運営する。
イサゲル(ビアンカ・クルゼイロ)
アニアーラ号の女性操縦士。MRと恋人同士となり同居生活を始める。カルト集団の乱交儀式で誰が父親か分からない子供を妊娠する。
船長(アルヴィン・カナニアン)
アニアーラ号の船長。軌道を外れたアニアーラ号は、二度と地球に戻れないという真実を知っていながら、強気に隠し通そうとする。

映画『ANIARA アニアーラ』のネタバレ・あらすじ(起承転結)

映画『ANIARA アニアーラ』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『ANIARA アニアーラ』のあらすじ【起】

地球から火星までを3週間で移動する巨大宇宙船アニアーラ号。火星に住む家族に会いに行く者など何千人もの乗客を乗せて、地球を出発した。船内の酸素は藻類農場システムにより安定的に供給。船内施設は21ものレストランやクラブ、スパがあり、まるで一つの街であった。

人工知能ミーマを管理するミーマローベ(MR)として、その女性は働いていた。ミーマとは人間の記憶を元に、かつての地球の美しい自然を夢に投影させられる人工知能のこと。MRはミーマホールを運営するが、人気は今一つだった。

出航して間もなく、アニアーラ号は宇宙ゴミに衝突する。発電装置が発火したため燃料が自動排出し、船は針路が外れたまま操縦不能に陥ってしまう。船長はこの状態は2年以上続くが、どこかの天体の重力を利用して戻る可能性はあると乗客に説明する。

不安となった乗客は癒しを求めて、ミーマホールに殺到するようになった。MRは過労となり、さらに相部屋の天体観測士から針路に戻れないと聞かされて不眠症に。深夜にひとりでミーマホールを利用するようになった。

映画『ANIARA アニアーラ』のあらすじ【承】

軌道を外れてから3年が経過。アニアーラ号は相変わらず宇宙を漂っていた。乗客は落ち着きを取り戻して大きな混乱はなく、以前と同じような生活を続けている。藻類農場は酸素供給のためにフル稼働し、乗客に向けてスタッフの募集を行っていた。ミーマホールにもスタッフが増員されており、MRは忙しい日々を送っている。彼女はクラブで出会った男と寝ながらも、女性操縦士のイサゲルに片思いをしていた。

ある日、ミーマホールで体験中の乗客のひとりが、悪夢でうなされてしまう。ミーマが使用過多で疲労したことが原因であり、夢の中に恐ろしいイメージを映し出すようになっていたのだ。MRはミーマを1か月休ませて欲しいと船長に訴えるが聞き入れられなかった。

MRはメッセージを読み取ろうとミーマに問い掛けをする。しかし、ミーマは限界を超えてしまい、自爆して粉々に飛び散ってしまった。MRはミーマを破壊したとして処罰が決定。囚人として隔離生活を送ることになった。

映画『ANIARA アニアーラ』のあらすじ【転】

それから1年が経つと、亡きミーマを教祖とするカルト集団が誕生していた。船内は秩序が無くなりゴミが散乱、自殺者はひと月で48人も出るほどに悪化する。MRは囚人としての隔離生活を終えて居住スペースに戻った。イサゲルと暮らしながら、昼間は子供たちを相手に教師の仕事を始める。

カルト集団でミーマを神聖化する儀式が開催された。ミーマホール跡地に集合した信者たちは全裸となり、祈りを捧げながら不特定の相手との乱交を行う。その翌年、イサゲルは父親が誰だか分からない子供を妊娠し、男の子を出産する。

ある日、アニアーラ号に何かが近づいてきていることが分かり、燃料を搭載した船かもしれないと期待された。14か月後の最接近に向けて、人々には生きる希望が湧き始める。

翌年、最接近した物体をドッキングさせ、船内への取り込みに成功。物体は細長い棒のような形をしていた。調査チームが分析を行おうとするが、その物体は固くて切断できず、成分も分からなかった。「大発見だが人間には関係のないものだ」と言い放つ天体観測士を、船長は射殺する。遺体は宇宙へと葬られた。

映画『ANIARA アニアーラ』の結末・ラスト(ネタバレ)

アニアーラ号はバウショックと呼ばれる衝撃波を受けて、かつてないほど大きな揺れで多くの死者を出した。燃料棒と期待された物体は解明できず、格納庫に放置されたままだ。イサゲルが精神不安定となる一方で、MRはミーマの再開発に夢中になっていた。やがてミーマが完成し、美しい滝の映像を投影させてMRは喜んだ。しかし、イサゲルが息子を道連れに無理心中してしまい、MRは絶望で嘆き悲しむのだった。

アニアーラ号の軌道が外れて10年の歳月が流れた。MRはミーマを再現した功績で、集会場で表彰を受ける。乗客は少なく、拍手はまばらだった。藻類農場の機能は低下し、設備はカビだらけになっていた。

24年後。アニアーラ号は電力を完全に失い、大きな石棺のような真っ暗な姿で、漆黒の宇宙を漂っていた。生き残っている人間はわずか数名。光を無くしたせいで失明が始まった。

598万1407年後。廃墟と化したアニアーラ号は、こと座付近を漂流。かつての地球のような緑豊かな惑星を通過するのだった。

映画『ANIARA アニアーラ』の考察・解説(ネタバレ)

映画『ANIARA アニアーラ』の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『ANIARA アニアーラ』で「槍」の正体は何だったのか?

『ANIARA アニアーラ』という映画の中で、「槍」は物語を象徴する重要な存在として登場します。宇宙船アニアーラ号が火星への航路を外れ、帰還の見通しが立たなくなった乗客たちは、絶望的な状況に直面します。そんな中で、彼らは心の支えとなる「槍」という概念を生み出します。

「槍」とは、乗客たちが過酷な現実から逃避するために創り上げた想像上の存在です。科学的な根拠はなく、人々の心の中だけに存在する神話のような存在と言えるでしょう。乗客たちは「槍」を信じることで、一時的に不安や恐怖から解放され、希望を得ることができました。しかし、それは本当の救済ではなく、かえって現実から目を背けることで、無力感が深まってしまうのです。

つまり、「槍」は乗客たちの精神的な拠り所でありながら、同時に絶望的な状況を象徴する存在でもあるのです。「槍」が幻想に過ぎないという事実は、登場人物たちの悲劇をより深いものにしています。

映画『ANIARA アニアーラ』が最後にたどり着いた「こと座」とは?

映画のラストシーンで、アニアーラ号は「こと座」と呼ばれる星座に辿り着きます。こと座は実在する星座の一つで、地球から非常に遠く離れた場所に位置しています。現代の科学技術をもってしても、こと座に到達することは不可能とされています。

アニアーラ号がこと座にたどり着いたという設定は、乗員たちが永遠に宇宙を彷徨い続け、帰る場所を失ったことを象徴しています。こと座は、彼らが望んでいた救済や希望の象徴ではありますが、実際にはそこに何もなく、ただ広大な宇宙が広がっているだけなのです。

乗員たちにとって、こと座への到達は一つの目標でしたが、皮肉にもそこには虚無しか待っていませんでした。こと座が象徴する絶望と虚無は、映画のテーマをより深く印象づけ、登場人物たちの悲劇的な運命を浮き彫りにしています。

映画『ANIARA アニアーラ』はなぜ鬱映画と言われるのか?

『ANIARA アニアーラ』が「鬱映画」と呼ばれる理由は、作品全体を通して描かれる絶望的な世界観にあります。宇宙船アニアーラ号が航路を外れ、乗客たちが帰還の手段を失ってしまうという設定自体が、強い閉塞感と孤独感を生み出します。

さらに、物語が進むにつれて、登場人物たちは希望を失い、精神的に追い詰められていきます。彼らは現実から逃避しようと様々な方法を試みますが、どれも効果がなく、状況は一向に改善されません。映画は一貫して希望のない展開を繰り返し、観客に深い絶望感を植え付けるのです。

加えて、映画のエンディングも救いのない結末を迎えます。登場人物たちは宇宙を永遠に彷徨う運命にあり、救済の手立ては一切ありません。この暗く重苦しいストーリー展開と、登場人物たちの精神的な崩壊を描写することで、『ANIARA アニアーラ』は観る者に強い鬱感を与える作品となっているのです。

映画『ANIARA アニアーラ』で描かれた「24年後」の悲惨な状況とは?

映画の中盤、「24年後」のシーンでは、長い年月をかけて宇宙を漂流し続けたアニアーラ号の乗客たちの過酷な状況が描かれています。24年という歳月の中で、彼らは希望を完全に失い、精神的にも肉体的にも限界を迎えているのです。

この時点で、食料や資源は底をつき、乗客たちは生きるために必死の努力を強いられています。人々の心は荒廃し、お互いを思いやる気持ちや協調性は失われ、各自が生き残ることだけを考えるようになります。また、24年間の漂流生活で多くの乗客が精神的に不安定となり、異様な宗教的儀式や非合理的な行動が蔓延するようになります。

生きる意味を見失った乗客たちの姿は、観る者に強烈なインパクトを与えます。彼らの置かれた状況は、「絶望」と「無力感」という映画のテーマを如実に表しており、長い時間の中で人間の尊厳や精神がどれほど脆いものであるかを物語っているのです。

映画『ANIARA アニアーラ』に出てくる船長はどんな人物か?

『ANIARA アニアーラ』に登場する船長は、当初は頼れるリーダーとして描かれていますが、物語が進むにつれて、その権威は揺らいでいきます。アニアーラ号が航路を外れ、帰還の見込みがなくなると、船長自身も絶望に飲み込まれていくのです。

船長には、トラブルに対処し、乗客たちに希望を与えるという重要な役割がありました。しかし、状況が悪化するにつれ、彼はその期待に応えることができなくなります。乗客やクルーが次々と絶望に陥る中、船長も精神的に追い詰められ、リーダーとしての決断力や統率力を失っていきます。

船長の姿は、極限状態に置かれた人間の脆さと限界を象徴しています。責任の重圧に耐えきれず、自身も絶望に飲み込まれていく彼の姿は、希望の持てない世界で苦悩する人々の縮図とも言えるでしょう。結局、船長は乗客たちを救うことも、自らの使命を全うすることもできずに物語を終えます。彼の存在は、映画全体のテーマである絶望と無力感を体現する重要な要素となっているのです。

映画『ANIARA アニアーラ』で人々はなぜ失明したのか?

映画『ANIARA アニアーラ』では、物語の終盤で多くの乗客たちが失明するという衝撃的な出来事が描かれます。この失明の原因には、長期間の宇宙漂流によるストレスや、食料・資源不足による健康被害が関係しています。絶望的な状況下で正常な生活を送ることができなくなった乗客たちは、肉体的にも精神的にも限界を迎えるのです。

しかし、この失明現象には象徴的な意味合いも込められています。乗客たちは絶望の中で未来への希望を完全に失っており、視力を失うことは、彼らの心の闇や孤独を表しています。終わりの見えない旅の中で視覚を失うことは、もはや何も見えない、何も期待できないという絶望的な心情を物語っているのです。

つまり、失明は単なる生理的な現象ではなく、乗客たちの精神的な崩壊を象徴するものでもあります。彼らが光を失っていく過程は、絶望の淵に立たされた人間の脆弱さを如実に表現しています。このシーンは、映画全体を通して描かれる深い絶望感を強調する重要な要素となっているのです。

映画『ANIARA アニアーラ』で描かれた絶望とは?

『ANIARA アニアーラ』で描かれる絶望は、人間の無力さと宇宙の広大さを背景に、極めて深く根源的なものとして表現されています。アニアーラ号の乗員と乗客たちは、無限に広がる宇宙空間の中で漂流し続け、地球や火星への帰還の望みを完全に失います。この絶望的な状況が、登場人物たちの精神を蝕み、日常生活を破壊していくのです。

彼らの絶望は、帰ることができないという現実から始まります。果てしない宇宙の中で、救援を期待することも、未来に希望を持つこともできません。この状況が長く続くことで、乗客たちは徐々に心を壊され、現実逃避や非合理的な行動に走るようになります。しかし、どんな手段も彼らを絶望から解放することはできないのです。

時間の経過とともに、乗員と乗客たちは生きる意味を見失い、存在そのものが無意味に思えてきます。誰からも助けてもらえない孤独の中で、絶望は深まる一方です。物語の終盤では、絶望が全てを支配し、登場人物たちは救いのない死を待つしかなくなります。この徹底的な絶望こそが、映画の中心的なテーマであり、観る者の心に強烈な印象を残す要素なのです。

映画『ANIARA アニアーラ』で「槍」はアニアーラ号爆発と関係があったのか?

映画の中で、「槍」は乗客たちの精神的な支えとして重要な役割を果たしますが、アニアーラ号の爆発とは直接的な関係がありません。「槍」はあくまでも象徴的な存在であり、人々が絶望の中で生み出した想像上の概念なのです。

アニアーラ号が爆発するのは、航路設定のミスや技術的な問題、乗員の過失など、現実的な要因が重なった結果です。「槍」はそうした物理的な事象には影響を及ぼさず、専ら乗客たちの心の中で機能する存在でした。

つまり、「槍」は人々が精神的に頼ろうとした幻想であり、アニアーラ号の悲劇的な運命を変えるような力は持ち合わせていなかったのです。むしろ、「槍」への過度な依存は、現実から目を背けさせ、乗客たちを絶望の淵へと導いたとも言えるでしょう。

このように、「槍」とアニアーラ号の爆発は直接的な因果関係にはありませんが、両者はともに、宇宙を漂流する人々の悲劇を象徴する重要なモチーフとして機能しているのです。

映画『ANIARA アニアーラ』は、どのあたりが怖いのか?

『ANIARA アニアーラ』という映画の恐怖は、物理的な脅威からではなく、心理的な側面から生み出されています。この作品では、宇宙空間を永遠に漂流するという設定そのものが、観る者の心に強い不安を呼び起こします。

映画は、人間という存在の儚さと、宇宙の計り知れない広大さを対比させることで、私たちの無力感を浮き彫りにしています。登場人物たちは、果てしない宇宙の中で、小さな存在に過ぎません。いつ助けが来るのかもわからない絶望的な状況に置かれた彼らの姿は、生と死、孤独といった人間の根源的な恐怖心に訴えかけずにはいません。

さらに、物語が進むにつれて、乗客たちが徐々に精神的に追い詰められていく様子が克明に描かれます。非日常的な行動や狂気じみた思考が蔓延する様子は、極限状態に晒された人間の脆弱さを如実に示しています。こうした心理的崩壊の過程を目の当たりにすることで、観客は登場人物と同じ恐怖を追体験させられるのです。

加えて、『ANIARA アニアーラ』は一貫して救いのない物語を展開することで、恐怖心を増幅させています。登場人物たちが辿り着く先には、終わりなき宇宙の旅路と、孤独の中での死が待っているだけです。この絶望的な結末は、生への執着と死の恐怖という、人間の本能的な感情に深く訴えかけます。

このように、『ANIARA アニアーラ』の恐ろしさは、目に見える形ではなく、人間の心の奥底に潜む弱さや恐れに働きかけることで生み出されているのです。未知の宇宙空間に投げ出された登場人物たちの姿を通して、この映画は現代人が抱える漠然とした不安感を見事に表現しているのです。

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