映画『勝手にしやがれ』の概要:「勝手にしやがれ」(原題:À bout de souffle)は、1959年のフランス映画。監督・脚本は批評家としてデビュー以来、数編の短編映画の監督や出演を務めながら、本作が長編映画デビュー作となったジャン=リュック・ゴダール。フランソワ・トリュフォーが原案、クロード・シャブロルが監修を務める。本作にてジャン・ヴィゴ賞、ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞。主演は1957年にデビュー以来、端役を務めながら本作の主演で一躍脚光を浴びたジャン=ポール・ベルモンド。共演に「聖女ジャンヌ・ダーク」、「悲しみよこんにちは」のジーン・セバーグ。本作はそれまでの映画の既成概念と映画の文法を壊し、映画史に残る名作となった。ゴダール監督は本作でヌーベルバーグの旗手となり、アメリカン・ニューシネマなどに多大な影響を与えた。
映画『勝手にしやがれ』 作品情報
- 製作年:1959年
- 上映時間:95分
- ジャンル:サスペンス、アクション
- 監督:ジャン=リュック・ゴダール
- キャスト:ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ、ダニエル・ブーランジェ、ジャン=ピエール・メルヴィル etc
映画『勝手にしやがれ』 評価
- 点数:95点/100点
- オススメ度:★★★★★
- ストーリー:★★★★☆
- キャスト起用:★★★★★
- 映像技術:★★★★★
- 演出:★★★★★
- 設定:★★★★★
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映画『勝手にしやがれ』 あらすじ(ストーリー解説)
映画『勝手にしやがれ』のあらすじを紹介します。
ミシェル(ジャン・ポール・ベルモンド)は自動車泥棒の常習犯だった。ある日、いつものようにマルセイユで盗んだ車を飛ばしパリに向ったが、途中で追いかけられた白バイの警官を射殺してしまう。そのままパリに逃げ戻ったミシェルは、顔見知りの女から金を盗んで街へ出て、旅行案内所のアントニオの所へ約束の金を取りに行くが、渡されたのは小切手であり現金はベリユッティという男が替えてくれると聞かされる。やがて刑事がミシェルを尾行し始めたが、何とかその場を凌いだ彼はパトリシア(ジーン・セバーグ)の許へ向かった。彼女は新聞社のライター見習い兼売り子をするアメリカからの留学生であり、二人は南仏の海岸で知り合い男女の関係に陥った。パトリシアは彼の誘いを断って街へデートに出かけるが、ふてくされたミシェルは彼女のアパートに泊り込む。翌朝、パトリシアはミシェルと部屋でしばしの時を過した。その後、彼女は飛行場へ作家のインタビューに出向き、彼は街で盗んだ車をポンコツ屋に持って行くが、現金を出し渋る店の主人に腹を立て、暴力を振るって逃げ出した。そこから社に戻ったパトリシアの許に刑事が訪ねミシェルの居所を知らせろと強要する。刑事の尾行を逃れたパトリシアはミシェルと二人でモンマルトルへ向かい、ようやくベリユッテイに会うことが叶って翌日の現金の受け渡しを確約できた。その晩、二人はベリユッティの友人のところに泊り、ミシェルは金が手に入ったらイタリアへ行こうとパトリシアを誘うが、彼女は一旦承諾するも翌朝に心変わりをする。彼女の一番欲しいものは自由だった。新聞を買いに行ったその足でパトリシアは警察に密告し、部屋へ戻り旅仕度をしているミシェルに10分で警察が来ると言う。外へ金を受け取りに出たミシェルを待っていたのは警官たちだった。そこへ車で金を持って来たベリユッティは彼に逃亡を勧めるが、ミシェルはパトリシアに未練があり、疲れて眠りたいと付け加えて逃亡を拒否した。抵抗もしないまま警官に背後から射たれたミシェルはよろめきながら路地に倒れた。馳けつけたパトリシアに「お前は最低だ」と一言呟き、ミシェルは息を引き取った。
映画『勝手にしやがれ』 感想・評価・レビュー(ネタバレ)
映画『勝手にしやがれ』について、感想・レビュー・解説・考察です。※ネタバレ含む
”フランス映画”というイメージを定着させた革新的作品
手持ちカメラを多用したフレーミング、カメラ目線で独白する俳優の演技、唐突なシーンチェンジなど、それまでの常識を覆す実験的な映像が”ヌーベルバーグ”という言葉を定着させた作品である。ゴダール自身が冒頭のテロップでB級映画と表しているところから理解出来るように、映画としてのストーリーに重きを置かず、ありがちなストーリーを断片的なイメージとして定着させるような意図で作られた映画である。新しいポップカルチャーのスタイルを映画で表現したというところであろうが、デザインの技法と同じように計算されて作られた美術というニュアンスであり、思考とか哲学・宗教などの介在するような重みというものは一切介在しない。かつてのデカダンスという退廃的なパリの耽美主義の表現文化を、その時代にはなかった映像というもので現代的に置き換えているようにも窺えるのだが、そこは観る人の受け止め方で違ってくるだろう。何はともあれ役者の見せ方という技術においては群を抜いており、そのカメラワークに応える二人の主役が何とも魅力的に映る作品である。
ゴダールの最高傑作にして入門編
映画というものはまずシナリオというところから始まり、そこからどのような人物像を描いて行くのかというプロセスで進められてゆくものだろうが、本作はまず登場人物をどう表現するのかと言う一点に絞られているような感がある。絵コンテ通りにカット割し、計算された光で対象を写し取る。従来の映画作りの文法とは違って、物語よりもビジュアルのイメージが優先されるプロセスなのである。病的なほどにタバコを手放さない野放図なベルモンドと、飄々としながらも悩ましく小悪魔的なセバーグとの無意味なセリフの応酬などもその象徴であるが、若いカップルの会話としては実に当を得ている表現だとも言えるだろう。用意されているありがちなシナリオとは違うダラダラと続く男女の駆け引きは、個人差はあるものの恋愛中には実際にこんなバカバカしいセリフのやりとりがあったなぁと、自分を振り返れば当てはまる部分にも驚いてしまった。
モノクロでも伝わるこのお洒落さ。ずっとフランス版「俺たちに明日はない」だと思っていた。フィルムをカットして繋いだ感じの荒さというかそういう技法さえ映画の一部としてお洒落に感じる。そしてベルモンドがあざとい!台詞やら仕草やらがずっと頭に残ってくれる。
人物たちは感情の振り幅が平行線なので観客は感情移入しにくいけど「気狂いピエロ」では「大砂塵」、こっちでは西部劇とアメリカ映画の引用だったり映画館が出現したり映画自体に対しての態度に愛を感じた。(女性 20代)
衝動的すぎるミシェルの行動と、パリの街並みや美しい風景のアンバランスなのにマッチしている芸術的な世界観がものすごく好きな今作。
警察に追われていてもパトリシアへの気持ちは一向に増すばかりのミシェルなので、これはきっと…とバッドエンドを予想してしまいましたが、ラストの彼の一言で彼の最後の描写の意味が大きく変わったと思います。
女に裏切られたバカな男になってしまうと思っていましたが、あの吐き捨てるような一言のおかげで、自分勝手だけど自由に生きた男というイメージが付いたのではないでしょうか。(女性 30代)
映画『勝手にしやがれ』 まとめ
映画史上で大きな分岐点となるヌーベルバーグの代名詞であり、スタイリッシュな現代映画に通じるカメラワークなど、フランス映画の魅力が満載である。現代映画の表現を先駆け革新したという部分では、全ての映画監督に影響を及ぼした人物だろう。ゴダールは映像的な革新者としてイノベイターではあるが、難解さは少なく近年の映画にも多く観られるような表現が多い分、若い人にも受け入れやすいのではないだろうか。そして何よりアンチヒロイズムの象徴のようなベルモンドと、ファッショナブルな小悪魔であるジーン・セバーグの魅力が堪能できたならば、他のゴダール作品にも触手が伸びるはずである。フランス映画を鑑賞するにおいては避けて通れない作品と言えるだろう。少々的外れだが、ブルース・リー曰く「考えるな、感じろ」というニュアンスで鑑賞できれば何よりである。
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