この記事では、映画『死刑にいたる病』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。
映画『死刑にいたる病』の作品情報
出典:U-NEXT
製作年 | 2022年 |
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上映時間 | 129分 |
ジャンル | サスペンス ミステリー スリラー |
監督 | 白石和彌 |
キャスト | 阿部サダヲ 岡田健史 岩田剛典 宮崎優 |
製作国 | 日本 |
映画『死刑にいたる病』の登場人物(キャスト)
- 筧井雅也(岡田健史)
- 大学生。父親との関係が冷え切っている。
- 榛村(阿部サダヲ)
- 多くの少年少女を殺害した連続殺人鬼。
- 金山(岩田剛典)
- 雅也が出会った怪しげな長髪の男。
映画『死刑にいたる病』のネタバレ・あらすじ(起承転結)
映画『死刑にいたる病』のあらすじ【起】
大学生の筧井雅也は、幼い頃から不自由な生活をしていた。教育に力を入れる父親のプレッシャーが強いからだった。雅也は進学校に入学したがそこはいわゆる3流大学だった。そのために父親からは認められていない。
雅也は祖母の葬儀のために実家に戻る。戻って早々に父親は文句や小言を言ってくる。そんな父親にうんざりしていた。そこで実家に届けられていた手紙を見つける。手紙の主は榛村大和という男だった。中学時代に雅也が足しげく通っていたベーカリーの店主だった。しかし彼には裏の顔があった。24人もの人間を殺害し、そのターゲットの爪を剥がしてコレクションするという連続殺人鬼だった。
雅也は刑務所に収監されている榛村の面会へ向かう。彼は昔の優しい店主のような顔で雅也に語り掛けてくる。彼は雅也にある願い事を頼むために手紙を出したのだった。
榛村はすでに死刑が決まっていた。彼は立件されたほとんどの事件の関与を認めていた。しかし、最後の事件だけは自分が関わっていないと語る。雅也にはその真犯人を見つけ出して欲しいのだと依頼してきた。
映画『死刑にいたる病』のあらすじ【承】
面会から帰る途中、雅也は髪の長い怪しい男に話しかけられる。
調査を始めた雅也は榛村の担当弁護士から事件に関する資料を見せてもらう。高校生ぐらいの少年少女をターゲットにしていた榛村の手口に対し、最後の事件の被害者だけは年齢も殺害方法もこれまでとは違ったものになっていた。この違和感から雅也はさらに調査を進めていく。
被害者の近辺を調べ始めると、彼女は極度の潔癖症であったこと、さらにストーカー被害に悩んでいたことが判明する。また、実家で祖母の遺品を整理していると母親が若い頃に榛村と繋がっていることも知る。そこで雅也は、過去の二人を知る滝内という男から話を聞くことにする。
榛村は実の親から虐待を受けたため、実の親元から離れて育ての親の元で育っていた。育ての親とやっていたボランティアで雅也の母親と出会っていた。幼い頃から人の心を掴むことに長けていた榛村に心を開いていたが、彼女は妊娠と共に姿を消していた。
映画『死刑にいたる病』のあらすじ【転】
自分の本当の父親は榛村なのではないか、そんな考えが雅也の脳裏に浮かんでくる。榛村本人もその可能性を否定しようとはしなかった。雅也はどこか複雑な感情を持つようになり、少し凶暴な一面が見え隠れするようになった。雅也の中学時代の同級生である灯里も彼を心配していた。
榛村の調書を読み進めていると金山という男が榛村の目撃証言をしていた事が分かる。その際、榛村から見られないように特例措置が取られていた。
担当弁護士から、金山が幼い頃に弟とお互いを傷つけ合うような遊びを榛村にやらされていた事が分かり、それゆえに金山にトラウマがあることが判明する。また、父親へのコンプレックスを利用されて榛村に心を掌握されている事が判明する。
そして金山の写真を見ると雅也は驚く。その男は刑務所で出会った怪しい男だった。最後の被害者の事件現場に現れた金山を雅也は追いかける。彼の口から真相を語らせる事に成功する。その真相を榛村に伝えるため雅也は面会に向かう。
映画『死刑にいたる病』の結末・ラスト(ネタバレ)
雅也から話を聞いた榛村は金山が犯人だと決めつけたように話す。雅也は引き続き話を進めていく。実は最後の被害者は過去に榛村が殺害に失敗した人物だった。その後も榛村は彼女を狙い続けてきたのだった。そして金山を利用して次の殺人のターゲットに選ばせていた。
金山はそのために共犯関係であることをずっと思い悩んでいた。榛村は金山を利用し、雅也も利用して楽しんでいたのだった。真相に辿り着いて雅也は榛村の元を去る。榛村は自室に戻ると一枚の紙を開く。それはマインドコントロールした人間の名前をリストアップしたメモだった。榛村は雅也の名前に線を引く。
雅也は灯里と交際を始めており、刑務所から出てきた雅也を灯里は迎えに来ていた。実は榛村のリストには灯里の名前もあり、彼女は榛村から手紙を貰っていた。真相を暴き、普通の生活に戻った雅也。彼と過ごす灯里が人の爪が気になると語る内側に榛村の影がかすかに見えた。
映画『死刑にいたる病』の考察・解説(ネタバレ)
映画『死刑にいたる病』で、逃げた子は誰だったのか?
映画『死刑にいたる病』の中で、「逃げた子」の存在は大きな謎として描かれています。物語では、連続殺人犯の榛村大和が、少年・雅也に手紙を送り、自分の無罪を証明してほしいと頼みます。その過程で、榛村が犯したとされる殺人事件の中に、「逃げた子」と呼ばれる生存者がいたことが示唆されるのです。
この「逃げた子」とは、榛村の凶行から奇跡的に逃れた唯一の被害者を指していると考えられます。しかし、映画の中では、その「逃げた子」の正体や、その後の運命については明らかにされません。「逃げた子」の存在は、榛村の罪と真相を巡る謎を深める重要な要素として機能しているのです。
観客は、物語全体を通して、「逃げた子」が誰なのかを探ることになりますが、結局のところ、明確な答えは提示されません。映画は、この謎を残したまま、観客の想像力に委ねる形で幕を閉じるのです。
この曖昧さが、物語の緊張感と不気味さを高める効果を生んでいます。「逃げた子」の存在は、観客の心に疑問と恐怖を植え付け、作品の印象を深めているのです。
映画『死刑にいたる病』で最後の女・灯里は逃げた子だったのか?
映画の終盤で登場する女性・灯里は、「逃げた子」なのではないかという疑問を観客に抱かせます。灯里は、物語の鍵を握る重要人物であり、雅也にとっても謎に包まれた存在です。物語が進むにつれ、彼女が榛村と深い関わりを持っていることが明らかになりますが、「逃げた子」であるかどうかは曖昧なままです。
灯里が「逃げた子」である可能性を示唆するのは、彼女が物語の終盤で雅也に残す意味深長な言葉です。しかし、映画は、彼女の正体を明確に断定することはありません。観客は、その真相を推測するしかないのです。
登場人物たちの複雑な関係性と、彼らが放つ謎めいた言葉が、この疑問をさらに深めています。灯里が「逃げた子」なのかどうかは、観客一人一人の解釈に委ねられているのです。
映画は、あえてこの真実を明らかにせず、観客の想像力を刺激する形で物語を展開しています。灯里の正体は、永遠の謎として、観客の心に残り続けるのです。
映画『死刑にいたる病』がトラウマになる映画と言われる理由とは?
『死刑にいたる病』がトラウマ映画と呼ばれるのは、その重苦しい雰囲気と、心理的に大きな負荷をかける内容にあります。
まず、この映画は連続殺人犯とその被害者を中心に物語が展開します。残虐な犯行の描写や、殺人の詳細な描写が観客に強い衝撃を与えるのです。特に、榛村が犯した残忍な犯罪の数々は、観る者の恐怖心を掻き立てずにはいません。
また、この作品は単なる暴力の描写にとどまらず、登場人物たちの心の闇や、人間の負の側面を赤裸々に描き出します。登場人物たちが抱える精神的な混乱、恐怖、罪悪感などが、観客の感情に直接訴えかけるのです。特に、榛村と雅也の歪んだ関係性や、物語が進むにつれて明らかになる衝撃の真実が、観客の心に重くのしかかります。
さらに、映画のラストに用意された曖昧な結末と、未解決のまま残される謎も、観客の心に大きな衝撃を与えます。
こうした要素が複雑に絡み合うことで、『死刑にいたる病』は観る者の心にトラウマを残す作品となっているのです。この映画が与える心理的な負荷は、観客の記憶に深く刻み込まれ、長く尾を引くのです。
映画『死刑にいたる病』の「お母さんの爪は綺麗でしたか」の意味とは?
映画の中で、「お母さんの爪は綺麗でしたか」というセリフは、不気味で印象的な言葉として観客の耳に残ります。この一見不可解な質問は、雅也に投げかけられるのですが、その裏には深い意味が隠されています。
まず、このセリフは雅也の母親を象徴的に表現しています。物語が進むにつれ、雅也の母親が物語に与える影響の大きさが徐々に明らかになっていきます。この言葉は、単に母親の外見的な特徴を尋ねているのではなく、彼女が家族や雅也に与えた影響、あるいは彼女自身の心理状態や生活環境を暗示しているのです。
また、「爪」という身体の一部に着目することで、外見の美しさや整った印象の裏に潜む、内面の闇や問題を示唆しているとも解釈できます。つまり、このセリフは、雅也の母親が表面的には「綺麗」に見えても、内面には深い問題を抱えていたのではないか、という可能性を示唆しているのです。
このセリフは、物語全体を貫く不気味な雰囲気を醸成し、登場人物たちの心の闇を象徴的に表現する役割を果たしています。一言一言に込められた深い意味が、観客の想像力を刺激し、作品の印象を深めているのです。
映画『死刑にいたる病』のラストの灯里の言葉の意味とは?
映画のラストで、灯里が発する言葉は、物語の結末に深い影響を与え、観客の心に強く残ります。彼女が雅也に投げかける最後の言葉は、非常に意味深であり、物語全体の真相を暗示するかのような重みを持っています。
灯里の言葉は、榛村が連続殺人を犯した真の理由や、その背景にある真実と関連しているように感じられます。彼女が何を知っているのか、雅也に何を伝えようとしているのかは明確には語られませんが、その言葉には真実を示唆する意図が込められているのです。
この「真実」が、榛村の犯罪や事件の全容に関わるものなのか、それとも雅也自身の抱える問題に関するものなのかは定かではありません。しかし、灯里の言葉は、物語の核心に迫る重要な手がかりであることは間違いありません。
灯里の言葉は、曖昧さを残しつつも、観客の想像力を刺激します。彼女の言葉は、真実を明らかにすることなく物語を締めくくり、観客の心に疑問と不安を残して幕を下ろすのです。
この言葉が投げかける謎は、観客一人一人の解釈に委ねられます。灯里の言葉は、物語の余韻を深め、作品の印象を永続させる役割を果たしているのです。
映画『死刑にいたる病』と原作での灯里の違いとは?
映画『死刑にいたる病』で重要な役割を果たす灯里は、原作小説とは異なる描かれ方をしています。映画と原作における灯里の性格や役割の違いは、物語の解釈や展開に微妙な影響を与えているのです。
原作では、灯里の存在がより神秘的で不可解な印象を与えます。彼女が雅也に与える影響の大きさや、物語全体における重要性が、より詳細に描写されているのです。また、原作では彼女の過去や背景に関する情報がより深く掘り下げられており、彼女の正体を巡る解釈の幅も広がります。
一方、映画では灯里の役割がやや簡略化されています。彼女は物語の鍵を握る重要人物ではあるものの、具体的な動機や背景があまり明らかにされません。そのため、映画における灯里は、観客にとってより謎めいた存在として映るのです。
原作と映画における灯里の描かれ方の違いは、彼女の存在の曖昧さや、観客に与える印象の違いとして表れています。原作では彼女の役割がより明確であるのに対し、映画ではあえて曖昧なままに置かれているのです。
この違いが、物語の解釈や、観客の想像力を刺激する効果を生んでいると言えるでしょう。
映画『死刑にいたる病』は実話を基にした作品?
『死刑にいたる病』は、実在の事件や人物に基づいた作品ではありません。この映画は、櫛木理宇による完全なフィクションの小説を原作としています。物語の内容や登場人物は、すべて作者の想像力によって生み出されたものなのです。
ただし、この作品のテーマや物語展開は、現実に存在する犯罪心理や犯罪者の行動パターンから着想を得ている可能性があります。特に、連続殺人犯の榛村というキャラクターは、過去に実在した凶悪犯罪者の心理的特徴や行動様式を反映しているように感じられます。榛村の冷酷な行動や、犯罪への異常な執着は、犯罪心理学的な観点から巧みに描写されており、観客に強い不気味さを感じさせます。
このように、『死刑にいたる病』はフィクションでありながら、現実の犯罪や人間の心理を深く掘り下げた作品となっています。作品に散りばめられた現実感が、物語の説得力を高め、観客の感情に直接訴えかけるのです。
作者の豊かな想像力と、現実世界の犯罪心理学への深い洞察が融合することで、この作品は単なる空想の物語を超えた、深みのある作品となっているのです。
映画『死刑にいたる病』が「つまらない」と言われる理由とは?
『死刑にいたる病』が「つまらない」と感じる人がいるのは、この作品の独特な世界観やテーマ性が、誰にでも受け入れられるものではないからかもしれません。
まず、この映画は連続殺人犯とその事件に巻き込まれる少年を中心に物語が展開します。全編を通して暗く重苦しい雰囲気が漂っており、明るい要素があまり見られません。このような陰鬱な作品性は、娯楽性や爽快感を求める観客にとっては、物足りなく感じられるかもしれません。
また、この作品は次々と謎を提示しながら、その多くを曖昧なまま放置します。観客は疑問の答えを求めて物語を追いかけますが、明確な解決が与えられることはありません。このような展開は、スリリングな体験を期待していた観客にとっては、不満を感じさせる要因となるでしょう。
さらに、登場人物たちの心理描写や、複雑な人間関係の描写が、わかりにくいと感じる人もいるかもしれません。この作品を十分に理解するためには、じっくりと登場人物たちの心情に寄り添い、考察を巡らせる必要があります。気軽に楽しめる娯楽作品を期待していた観客にとっては、この作品の持つ深みが負担に感じられるのです。
こうした要素が重なることで、『死刑にいたる病』は一部の観客にとって「つまらない」作品と感じられてしまうのかもしれません。しかし、この作品の持つ独特な魅力を理解し、味わうことができる観客にとっては、深い感銘を与える作品となるでしょう。
映画『死刑にいたる病』で灯里は犯人だったのか?
映画の中で、灯里が真犯人なのかどうかは、物語を貫く最大の謎の一つとして描かれています。連続殺人の容疑で逮捕された榛村とは対照的に、灯里の言動や行動は、雅也にとって次第に不可解で不気味なものに映っていきます。彼女と榛村の関係性や、彼女自身が事件に何らかの形で関与しているのではないかという疑念が、観客の心の中で徐々に大きくなっていくのです。
映画は、灯里が犯人であったかどうかについて、明確な答えを提示しません。しかし、彼女をめぐる様々な伏線や、彼女の過去を示唆するような描写は、彼女が事件に深く関わっていた可能性を示唆しているように感じられます。彼女が事件の黒幕として暗躍していたのか、それとも単なる被害者の一人に過ぎなかったのか。その真相は、映画の曖昧な描写の中に隠されたままなのです。
結局のところ、灯里が真犯人なのかどうかは、明確には語られません。彼女の役割は最後まで謎に包まれたまま、観客の想像に委ねられるのです。この曖昧さが、映画のミステリアスな雰囲気を高め、観客を物語の世界に引き込む役割を果たしています。灯里という存在が放つ不確かさが、この作品のサスペンスをより深いものにしているのです。
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