12000作品を紹介!あなたの映画図書館『MIHOシネマ』

映画『ウンタマギルー』のネタバレあらすじ結末と感想

この記事では、映画『ウンタマギルー』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説しています。また、累計10,000本以上の映画を見てきた映画愛好家が、映画『ウンタマギルー』を見た人におすすめの映画5選も紹介しています。

この記事でわかること
  • 『ウンタマギルー』の結末までのストーリー
  • 『ウンタマギルー』を見た感想・レビュー
  • 『ウンタマギルー』を見た人におすすめの映画5選

映画『ウンタマギルー』の作品情報

ウンタマギルー

製作年:1989年
上映時間:120分
ジャンル:ファンタジー
監督:高嶺剛
キャスト:小林薫、青山知可子、平良進、戸川純 etc

映画『ウンタマギルー』の登場人物(キャスト)

ギルー / ウンタマギルー / サンラー(小林薫)
サトウキビ精製所で働く男。キムジナーにいつも黒糖のカケラを分け与えている。西原親方の囲うマレーを誘い、親方の怒りを買ってしまう。運玉森に逃げ込み、ギジムナーに聖なる石を額に埋め込まれ、超能力を得る。
チルー(戸川純)
ギルーの妹。青山羊亭の娼婦。動物占いにのめり込み、客を取らなくなってしまう。警察に連行され高等弁務官に差し出されるが、高等弁務官を運命の人だと直感する。
マレー(青山知可子)
西原親方に囲われている豊満な肉体を持つ女。いつもサトウキビ精製所の片隅で水タバコを吹かしている。ギルーに毛遊びに誘われ、関係を持つ。実は豚の化身。
アンダクェー(エディ)
西原親方の所で、豚の種付けや管理をしている男。西原親方の怒りを買ったギルーと一緒に運玉森へ逃げ込む。キジムナーに超能力を授けられたギルーと共に義賊となり盗みを働く。
西原親方(平良進)
サトウキビ精製所の親方。目が見えないが、ウトゥーバーサンの指示する場所に正確に槍を投げ込むことができる。
ウトゥーバーサン(間好子)
西原親方の元で働く巫女。ちょっとした能力を持っている。千里眼や、人の夢を覗いてみることができる。
キジムナー(宮里栄弘)
沖縄に古くからいるといわれている妖怪。赤毛の少年の姿が一般的だが、本作ではジャケットを羽織ったおじさん。ギルーからいつも黒糖を分けてもらっており、そのお返しとして魚などを持って来たりする。

映画『ウンタマギルー』のネタバレあらすじ(起承転結)

映画『ウンタマギルー』のストーリーをネタバレありの起承転結で解説しています。この先、結末までのネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『ウンタマギルー』のあらすじ【起】

炎天下のサトウキビ精製所で働くギルーは、お昼休みに木陰にいるギジムナーに声をかけ、黒糖のかけらを一つお裾分けするのを日常としていた。精製所の片隅にはマレーがいて、気怠そうに水タバコを吹かしている。ギルーは、そんなマレーの豊満な胸を揉む淫靡な夢を見る。人の夢が解るウトゥーバーサンは、「そんな夢を見るんじゃない」とギルーを叩き起こすのだった。

精製所は、目の見えない西原親方のもので、マレーもまた彼のものだった。西原親方は、ウトゥーバーサンと共に、マレーの身体を洗う。マレーは淫豚草をよく吸い、身体が熟れているのだった。

ギルーは妹のチルーと一緒に住んでいる。チルーは青山羊亭の娼婦だった。しかし、動物占いに凝るようになって客を取らなくなっていた。チルーは、兄ギルーは豚に取り憑かれていると直感的に思っているのだった。

昼休み、いつものようにギルーはキジムナーに黒糖を渡す。お礼にと、キジムナーは魚を持ってくるが、腐りかけている。マンゴーと魚は腐りかけが一番うまいと言うキジムナーだが、ギルーは断り、代わりにサトウキビ運びを手伝わせる。その間、ギルーは昼寝をするのだった。

ギルーは、豚の鳴き声で目を覚ます。そして、豚の世話をしているアンダクェーと毛遊びにマレーを誘うかどうかを話す。そして満月の夜、マレーが屋敷からいなくなる。ギルーが毛遊びに誘ったのだった。

映画『ウンタマギルー』を無料視聴できる動画配信サービスと方法
映画『ウンタマギルー』を無料視聴できる動画配信サービスと方法を分かりやすく紹介しています。

映画『ウンタマギルー』のあらすじ【承】

ギルーは、マレーを運玉森に誘い、その身体を抱く。横たわっているマレーの草履が宙に浮き、それを追いかけるギルー。その先で、ギルーは溺れているキジムナーの子供を見つけ、助ける。戻ってみるとマレーの姿はなかった。

ギルーは、西原親方の家まで行き、豚小屋の横にあるトイレに入る。潜んでいると、西原親方のマレーを叱る声が聞こえてくる。そして、西原親方は、「しばらく豚のままでいなさい」と話すのだった。目の見えない西原親方だが、ギルーがトイレにいることを察知する。マレーの秘密を知ったギルーは、西原親方は怒りを買う。日中、働いているギルーの目の前に、西原親方が投げた槍が飛んでくるのだった。

チルーは、親方に殺されてしまうとギルーに告げる。そして、ギルーに自分の毛を渡し、危なくなったら運玉森に逃げ込めと告げる。ただ、運玉森の土だけは食べるな、食べると神隠しに会うと警告するのだった。

精製所が火事になる。ギルーは、放火の疑いをかけられ、運玉森に身を隠す。しかし、火をつけたのは西原親方本人だった。母親とアンダクェーと一緒に森に逃げ込んだギルーは、自給自足の生活を始める。それを見守るキジムナーの姿があった。

映画『ウンタマギルー』のあらすじ【転】

キジムナーは、ギルーに力を伝授する。キムジナーが、額に聖なる石を埋め込むとギルーは超人的な力を得るのだった。それは、宙に浮いたり、動物たちを呼び寄せたりする力だった。そして、その力を使い、盗みを働く。しかし、思っていた以上に動物たちがギルーについて来てしまったので、余った家畜を貧しい生活をしている村人に分け与えるのだった。

義賊となったギルーは運玉ギルーと名乗るようになる。ギルーは、アンダクェーと共に様々な盗み繰り返す。西原親方の家から、上物の泡盛古酒を液体だけ宙に浮かし盗み出そうとするが、西原親方に槍によって阻止される。米軍基地から武器弾薬も盗んできて独立党のメンバーにも渡す。ギルーを追いかけて来た警察と独立党は、撃ち合いになる。しかし、ギルーとアンダクェーは煙幕をはって、その場から消えさるのだった。そしていつしか、マレーも西原親方の家を出て、運玉森にやって来てギルーたちと一緒に生活するのだった。

映画『ウンタマギルー』の結末・ラスト(ネタバレ)

チルーは、警察に連れていかれ、高等弁務官に差し出される。チルーは、高等弁務官の家で下女として働くようになる。チルーを助けにいくギルーだったが、チルーは高等弁務官のカマジサーを運命の人だと言い、戻ろうとしないのだった。数ヶ月後、チルーのお腹は大きくなるが、村の人々は、想像妊娠だと思っているのだった。

村の人々のヒーローになった運玉ギルーは、お芝居になり上演されるようになる。そのお芝居に、ギルーとアンダクェーは本人役で出演することになる。その上演を、ウトゥーバーサンと一緒に見にきていた西原親方は、芝居の最中に槍を投げる。そして、その槍はギルーの額の聖なる石が入っている場所に突き刺さるのだった。ギルーは、額に槍が刺さったまま、歩き出し、何処かへ消えてしまうのだった。

時は流れ、どこかのさとうきび精製所で働く男がいる。その男は、ギルーと良く似ているがサンラーという。そして、精製所の片隅にはマレーがおり、水タバコをふかしている。昼休み、サンラーもマレーとのイヤらしい夢を見る。そして、ギルーと同じようにウトゥーバーサンに怒られる。しかし、この精製所の親方は西原親方ではなかった。親方は、みんなに日本復帰になったことを伝えると、マレーの所に行き、身体に巻きつけていたダイナマイトに火をつけ、マレー共々爆死するのだった。

映画『ウンタマギルー』の感想・評価・レビュー(ネタバレ)

沖縄の民話「運玉義留」をもとにしたものすごくファンタジーなお話でした。『ウンタマギルー』という聞きなれない言葉は沖縄の民話の事でした。沖縄の言葉はとても独特で聞いても意味が理解できなきものが多いですが、今作はほとんどがその沖縄の言葉で構成されているので世界観にどっぷり浸ることができます。
このシーンは今の時代で言うとこういうことかなと考えながら見るととても面白かったです。理解するのではなく、心で感じる作品でした。(女性 30代)


沖縄の土着文化とファンタジーを融合させた異色作。全編ウチナーグチという言語的な挑戦に最初は戸惑いましたが、観終わる頃にはその世界観にどっぷり浸かっていました。ギルーの成長と戦い、そして妹チルーの存在が、沖縄という場所の精神性を象徴しているように思います。特に終盤、「琉球が故郷だ!」という叫びには胸を突かれました。(20代 男性)


映画としての完成度というよりも、沖縄の歴史や文化、精神性を込めた“表現”としてとても印象に残りました。ギルーとマレーの愛、そして沖縄の霊的な世界観が入り混じる展開に、不思議と引き込まれます。特に、最終的に無理心中を選ぶというエンディングが衝撃的で、国家や民族のアイデンティティについて深く考えさせられました。(30代 女性)


沖縄の神話や民話をベースにしたヒーロー譚として興味深かった。キジムナーから力を授かるギルーの姿はまるで琉球版スーパーヒーローのよう。だが、単なる勧善懲悪ではなく、米軍支配や本土との軋轢など、重いテーマも絡んでくる。クライマックスの爆発シーンは、まさに“破壊と再生”を象徴していたと感じる。(40代 男性)


沖縄の言葉・リズム・空気感がぎゅっと詰まった作品で、言語的な壁を超えて届いてくる“魂”を感じました。マレーの妖艶さ、チルーの愛らしさ、そしてギルーの葛藤と覚醒。寓話のようでいて政治的。そんな多層的な映画体験はなかなかないです。もっと多くの人に観てもらいたい一作。(20代 女性)


上映当時にリアルタイムで観て、今回久々に再鑑賞しました。今観てもその鮮烈さは色褪せません。沖縄の「うた」や「ことば」が、映画を通して祈りのように響いてくる。ギルーの選択も、チルーの祈りも、どこか現代に通じる痛みがありました。忘れられない映画です。(60代 男性)


母として、チルーの存在がとても切なく感じられました。兄を想い、島を守ろうとする少女の無垢な優しさと祈りが、映画全体の暴力的で混沌としたエネルギーを中和していたと思います。沖縄という土地の重層的な歴史や文化を映像で感じられる、稀有な作品です。(40代 女性)


沖縄の民俗信仰や方言が全面に出てくるので難解に感じる部分もありましたが、それ以上に、エネルギーに満ちた演出と役者たちの熱量に圧倒されました。ギルーの変化はまるで現代の沖縄人の象徴のよう。破壊の果てに見える希望を、あの最後の爆発に込めていたのかもしれません。(30代 男性)


“沖縄のスーパーマン”と言われることもありますが、それだけでは片付けられない深みのある映画です。笑える場面、切ない場面、意味深なセリフの数々。ひとつひとつに文化と歴史が込められていて、観るたびに新しい発見があります。アートとエンタメの中間にある、非常に貴重な存在です。(50代 男性)


沖縄の女性たちの強さと、土地に根ざした精霊信仰が印象的でした。チルーのようなキャラクターは、単なる子どもではなく“媒介者”のようで、観ていて神聖な感覚に包まれました。マレーの“豚”という象徴も興味深く、女性=欲望=再生というようなテーマを読み取れました。(30代 女性)

映画『ウンタマギルー』を見た人におすすめの映画5選

累計10,000本以上の映画を見てきた映画愛好家が、映画『ウンタマギルー』を見た人におすすめの映画5選を紹介します。

ナビィの恋

この映画を一言で表すと?

沖縄の風と音と共に描かれる、ひと夏の“禁じられた恋”の物語。

どんな話?

本土から帰省した孫娘が、祖母ナビィの若かりし頃の恋の記憶に触れていく中で、家族の歴史や沖縄の伝統に向き合っていく。時代や慣習に縛られながらも、真実の愛を貫こうとするナビィの姿が温かく切ない物語。

ここがおすすめ!

沖縄の自然、音楽、言葉が彩る独自の世界観がとても魅力的です。『ウンタマギルー』と同様に、沖縄文化と個人の物語が交錯する作品であり、土着性と普遍的な人間ドラマが心に響きます。

パラダイス・ビュー

この映画を一言で表すと?

沖縄の原風景に溶け込むような、静かで異質な詩的映像体験。

どんな話?

本土復帰後の沖縄を舞台に、婚姻制度と慣習に翻弄される人々の姿を通して、失われゆく文化と生きる意味を問いかける作品。明確なストーリーよりも情景と空気感で語る、まさに“感じる映画”。

ここがおすすめ!

沖縄の伝統と変容をテーマにしながら、音楽と映像によって観る者に深く訴えかけます。『ウンタマギルー』のように言語や構造の壁を越えて、観る者の感性に直接訴える作品です。

マタンガ! ありがとうサイゴン

この映画を一言で表すと?

沖縄とベトナム、戦争の影に生きた者たちの静かな叫び。

どんな話?

ベトナム戦争を背景に、沖縄に駐留する米兵と沖縄の若者たちの関係を描いたドキュメンタリータッチのドラマ。戦争がもたらす分断と交錯するアイデンティティがテーマになっている。

ここがおすすめ!

沖縄という土地が抱える“境界の悲しみ”を真っすぐに描いた力作です。『ウンタマギルー』が抱えていた政治的・文化的メッセージに共鳴する内容で、観終わったあと深く考えさせられる1本です。

ガマの油

この映画を一言で表すと?

死と向き合いながらも“生”を叫ぶ、静かな祈りの物語。

どんな話?

父子の絆と、戦争の記憶を背負った人々の再生を描く人間ドラマ。過去と現在が交錯しながら、家族の“失ったもの”と“取り戻そうとするもの”が静かに描かれていく。

ここがおすすめ!

派手な演出ではなく、心の奥深くに触れてくる演技と脚本が魅力です。沖縄の歴史と人間の感情を複雑に描いた『ウンタマギルー』が好きな人にとって、こちらも深く刺さる作品です。

カタブイ 〜沖縄に生きる〜

この映画を一言で表すと?

見えないものを“見る”、沖縄の日常の中にある精神文化のドキュメント。

どんな話?

沖縄に生きる人々の「語られないけれど確かにあるもの」を掬い取りながら、沖縄社会の記憶や精神性、信仰を多角的に描いていくドキュメンタリー。土地に根ざした記憶の語り部たちが登場する。

ここがおすすめ!

キジムナーや精霊といった“見えない存在”が軸になる『ウンタマギルー』に近く、沖縄独特の死生観や信仰心がリアルに伝わる作品です。沖縄の「見えないもの」を知りたい人に必見の一本。

この記事の編集者
影山みほ

当サイト『MIHOシネマ』の編集長。累計10,000本以上の映画を見てきた映画愛好家です。多数のメディア掲載実績やテレビ番組とのタイアップ実績があります。平素より映画監督、俳優、映画配給会社、映画宣伝会社などとお取引をさせていただいており、映画情報の発信および映画作品・映画イベント等の紹介やPRをさせていただいております。当サイトの他に映画メディア『シネマヴィスタ』の編集長も兼任しています。

影山みほをフォローする
ファンタジー映画

みんなの感想・レビュー