映画『八日目の蝉』の概要:生まれたばかりの頃に誘拐された薫は、父親の不倫相手、希和子に育てられた。逃走中に過ごした時間希和子は薫と本当の母娘だった。自分のお腹に子供を宿した薫は希和子との思い出の旅に出る。
映画『八日目の蝉』の作品情報
上映時間:147分
ジャンル:ヒューマンドラマ
監督:成島出
キャスト:井上真央、永作博美、小池栄子、森口瑤子 etc
映画『八日目の蝉』の登場人物(キャスト)
- 薫(井上真央)
- 赤ん坊の頃誘拐事件にあった。今はバイトをしながらひっそりとくらす大学生。不倫相手の子供を身ごもってしまう。
- 希和子(永作博美)
- 不倫相手の子供を誘拐して全国を逃げ回った。薫を愛しており、立派に育て上げた。懲役刑をくらうが、反省は全くしていない。
- 千草(小池栄子)
- 逃亡先のカルト教団エンジェルホームで、薫と一緒に育った。雑誌記者と自分を偽り、薫に近づくが、友情が芽生えて行く。
- エステル(市川実和子)
- 旦那の奥さんに自分の息子を盗られて、エンジェルホームに入った。
映画『八日目の蝉』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『八日目の蝉』のあらすじ【起】
戻って来た娘は誘拐犯を母親として愛していた。この苦しみがわかるか。あの女は心を奪ったんだ。私たちの幸せな時間を、返してください。母親は語った。
希和子(永作博美)は外出した隙を狙って部屋に侵入した。激しい雨が振る日だった。私を見つめて赤ちゃんは微笑んだのだ。雨の中、赤ちゃんを抱えて走った。
希和子は懲役6年を求刑された。4年間子育ての気持ちを味わわせてくれてありがとうございます。 反省は全くしていなかった。
薫(井上真央)はアルバイトをしながらひっそりと暮らしていた。友達にカラオケに行かないかと誘われるが、キッパリ断る。誘拐事件の記事を見つめる。目の奥にフラッシュがよみがえる。
赤ちゃんを抱えて友人に助けを求めた。友人には夫が赤ちゃんを殴ると嘘をついた。テレビ番組に赤ちゃん誘拐のニュースが流れていた。赤ちゃんを隠すように逃げ出した。トイレで長い髪をばっさりはさみで切って、新幹線に飛び乗った。
前からつきまとっている新聞記者千草(小池栄子)を利用して、彼氏から逃げ出した。この記者はなんだか様子がおかしい。自分から一方的にしかしゃべらない。朝目を覚ますと、勝手に冷蔵庫を漁っていた。
映画『八日目の蝉』のあらすじ【承】
赤ちゃんが全く泣き止まない。ミルクも飲んでくれない。ラブホテルの一室で途方に暮れる希和子は赤ちゃんと一緒に泣き始めた。ベンチに座っていると、女性がご飯を分けてくれた。エンジェルホームのチラシを渡される。
薫は父親からお金を無理矢理押し付けられた。自分はちゃんと仕事をしているから大丈夫なのに。本当の両親の家から、交番に逃げ出したことがある。母親は誘拐のことが頭をよぎると泣きながら怒りだす。幼い私は何度も何度も母親に謝った。
エンジェルホームのエステルに助けてもらった。エンジェルホームには女性しかいなかった。そこの教祖に「お前、子供堕ろしてるだろう」と言われた。これからは魂で生きろ。赤ちゃんはエンジェルホームの宝だ。農作業をして、質素な食事を食べる。エステルは元旦那の奥さんに子供を奪われていた。なにかに傷ついた女達が集まっている。
千草が大学にインタビューに来た。どうやら薫のお腹の中には赤ちゃんがいるらしい。恋人には奥さんがいた。千草とお酒を飲んだ勢いで妊娠検査薬を使う。恋人に会って、自分が複雑な家庭に生まれた事を話した。今までありがとう、もう会わない事を伝えた。
映画『八日目の蝉』のあらすじ【転】
千草はなんで私に優しくしてくれるんだろう。千草は落ち着いたら一緒に取材旅行に行こうという。千草はエンジェルホームで薫と一緒に育ったことを告白した。
母親と父親に妊娠の報告をした。産んで育てたいと話したら、母親がまたパニックを起こした。手には包丁が握られていた。普通の母親になりたかったと泣かれる。
エンジェルホームに千草と再び訪れた。オウムの一件でエンジェルホームも叩かれ、教祖が死んだあと、幹部が大金を持ち逃げして廃墟になっていた。カルト宗教の風当たりが辛くなっていく。
施設の中に人が入って来るという。危険を察知して、薫を担いで施設から逃げ出した。別れ際、エステルに望みを託された。幼い千草がじっと私たちを見つめていた。
薫と希和子は広い世界に飛び出した。エステルの母親を頼って、新しい仕事に就く。海や山、空、いろんなものをいっぱい見よう。薫は希和子にずっとママと一緒にいたいと叫んだ。
千草と芝生の上に横になって話す。八日目の蝉は幸せかもしれない。一日長く生きた世界は美しいかもしれないからだ。二人の仲は深まって行く。
映画『八日目の蝉』の結末・ラスト(ネタバレ)
島のお祭りに薫と参加する。火を灯して道を練り歩く。美しい光景に親子は見とれた。ここで過ごした日々が一番幸せだった。希和子は本当の母親のようだった。
千草とのドライブ中、見た事がある場所へたどり着いた。あの火祭りを希和子と眺めた道、お母さんとずっと一緒にいると誓ったベンチ。母親が働いていたうどん屋さん。ここにいると希和子が自分を呼ぶ声が聞こえた。
うどん屋さんで働いていると、自分と薫が火祭りで笑っている写真が新聞に出ていた。コンテストに入賞して全国紙に載ってしまっていた。薫に島を出ようと話すが、納得してくれない。
写真館に家族写真を撮りに来た希和子。そのあと、波止場に急いだ。薫が走るスピードに追いつけない事を知った希和子は泣いていた。どんどん大きくなる自分の娘。
コンビニから出ると、黒塗りの車に乗った人々が自分たち親子を見つめていた。薫から手を離し、先に行きなさいと言った。両脇をつかまれ連行される希和子を、泣きながらママと呼ぶ薫。
薫は船着き場で、その姿を思い出していた。ずんずん歩き、写真館にたどり着いた。あのときシャッターを押したおじいさんがまだそこで働いていた。あの椅子もそのままある。おじいさんは一枚のネガを薫に手渡した。写真は5年前に希和子が持って行ったという。希和子は何も言わないで、写真だけ持って行ったという。印画紙に母との最後の時間が浮かび上がっていた。
泣きながら走り出す薫。本当はこの島に戻りたかった。でもそんなこと言えなかった。自分の子供を連れてここに戻ってこよう。
映画『八日目の蝉』の感想・評価・レビュー
薫(恵理菜)を誘拐した希和子が悪いとか、薫の実母である恵津子の性格に問題があるとか、そういう話を論点に置く必要はない。希和子と恵津子の関係は確かに険悪であるが、彼女達には一切罪がないと私は言いたい。
この物語で一番大きな罪を犯しているのは、薫の父丈博であると断言出来る。彼は本当にずるい男で、不倫相手の希和子からは上手いことを言って逃げ、娘の薫から責められると黙り込む、まさに救いようのない男である。恵津子は夫の不倫相手である希和子を責めたが、本当に責めるべき相手は丈博である。彼のように女性の人生を踏みにじる者は現実にもいる。相手の男性の軽率な行動一つで、女性の全てが奪われてしまう事実を、改めて考えさせられる映画である。(女性 20代)
4歳まで誘拐されていた子供のその後の人生を描いた映画。本当の家族と再会できてもいまいち馴染めない雰囲気や受け入れられない現実が痛々しく描かれていた。どことなくリアル感があり、主人公の母親の繊細な感情の動きが、母親としてまた一人の女性としてを表現していた。じめじめとした雰囲気に個性的なキャラクターたちが際立って異様な雰囲気もあり、悪夢を見せられているかのようだった。
DNAだけで判断するならば、血縁関係の有無がわかる。だがしかし、それだけでは判断できないものがある。それを再認識させられた。(女性 20代)
人の子供でも何かしらの思いや衝撃があった瞬間、誘拐してでも自分の子供として育てたいという思いは、分からなくもない。現に子育て中の私ですら、お腹を痛めて産んだ子は本当に我が子なのか、と思うときはある。もし自分が誘拐した人であったらどういう気持ちなのか、誘拐され続けた子供であったらどう思うのか、胸を痛めると同時に、自分に切り替えて感情移入してしまう、感慨深い映画である。(女性 20代)
誘拐された母親、誘拐してしまった母親、どちらに感情移入するかによって見え方や感じ方が全然違うな、と思いました。誘拐をすることは絶対に許されることではないですが、でも、誘拐した母親が注いでいた愛情があまりにも深くて、血が繋がっている母親と比較してしまうと、一体どちらが本当の意味での親子だったんだろうか…と考えさせられます。
正直、産みの母よりも誘拐犯の育ての母と一緒にいた方が、この主人公の少女は間違いなく幸せだっただろうなと思うと、誰一人として幸せではなく、とても辛くて涙が零れました。(女性 20代)
親の愛を見つめ直すのに最高の作品です。
この映画の全ての女性陣が“母である、母になる”ということに対して、もがいているのが伝わってきます。希和子のしたことは許されることではありませんし、残酷ではありますが、親の愛情という安心感の尊さを教えてくれる映画でした。
ストーリーだけでなく、あらゆるところに散りばめられた美しい情景と、気持ちのいいところですっと入ってくる音楽、そして出演陣の層の厚さが、この映画をより素晴らしいものにしてくれていました。(女性 30代)
不倫相手とその妻の子供を誘拐し、自分の子として育ててしまう女性。
それだけ聞くとなんて卑劣で恐ろしい女性かと思うが、演じる永作博美の演技はそのような背景を忘れさせてしまうほどに、子供に対する母親の愛情を見事に表現していた。
誘拐犯と被害者の二人の姿はどう見ても本当の親子にしか見えなかった。誘拐された母親側の気持ちを考えるとそれもまた辛く、自分勝手な行動により妻と不倫相手、そして娘の3人の女性を不幸にした父親に心底腹が立った。(女性 40代)
子供を誘拐された母と、浮気相手の子供を誘拐した女性。どちらが悪いとは言えず、心苦しくなる作品でした。薫へ深い愛情を注いできた希和子が警察に見つかり、薫と別れ離れになるシーンは胸が張り裂けそうなほど悲しく、2人を一緒にさせてあげてーっと思ってしまいました。しかし、大切な子供と過ごす4年間を奪われた母親の気持ちも考えると、こちらにも、やり切れない気持ちになります。こんな悲劇の原因を作り希和子の人生をめちゃくちゃにした父親は本当に罪な存在で許せません。そして俳優陣の演技が素晴らしく、惹きつけられてしまいました。(女性 30代)
永作博美の演技に強く心を打たれました。
希和子のしたことは決して許されることではありません。でも、薫と過ごした四年間、二人は本当に親子の絆で結ばれていて、希和子はありったけの愛情を薫に注いでいました。
薫は希和子によって人生を狂わされましたが、自分が深く愛されていたことを思い出したとき、幸せな想いに包まれたのではないでしょうか。
薫なら希和子の悲しい罪を受け入れ、許してくれるのではないかと思いました。
希和子が警察に捕まって薫と引き離されたときの言葉は思い出しても切なくなります。この物語でいちばん忘れられないシーンです。(女性 40代)
幼少期を誘拐された母とともに暮らした主人公が大人になり、その事件を書きたいというマリンとの出会いで過去の記憶を手繰り寄せていくお話です。それぞれ役者さんの演技が素晴らしく、映画の世界に引き込まれていくのですが、今回見て特に印象深かったのは小池栄子さんです。女優というイメージよりもグラビアアイドルというイメージが強かったですが、この映画での彼女の演技は役そのものの人生を歩んでいるように見えました。小池栄子さんのほかの映画も観たいなと感じました。(女性 40代)
深く考えさせられる作品。間違いなく一番悪いのは不倫をしていた旦那である。そして、もちろん子供を誘拐するなんてことは許されるわけではない。どんなに良い母親を演じていても、実の母親より良い母親だとしても犯罪者に変わりはない。当たり前なことだが、そんな当たり前なことさえも疑ってしまう程深い物語になっている。決して許してはいけない行為だが、今の薫にとって大切な母親は、本当に必要な母親はどっちなのだろう。様々な人の意見も聞いてみたくなるような、感慨深い作品である。(女性 20代)
みんなの感想・レビュー
NHKドラマと勘違いしている方がいらっしゃいますね。
小説と映画の場合は作者と監督の対談もあったり、同様の世界を共有してありますが、原作者はテレビドラマは全く別のもの、と語っています。
永作博美の凄さ。
こんなに凄かったのか。
久しぶりの大物女優の演技に、脱帽である。
もとアイドルとは、思えない鬼気迫る迫真の演技に井上真央の印象などまるで忘れてしまう、そのくらいの人である。
子供がいるように思えない姿と、アイドル出身とは思えない演技力。
この人は一体いつからこんなに人のめに止まるような才能を開花させたのか疑問が多い。
泣いてしまう。
前半部分、希和子が薫と離ればなれになるところが、一番泣けてしまった。
しかしここで冷静さを取り戻さなければいけない。
希和子は加害者であり、薫は被害者であるのだ。
そう彼女は不倫相手の子供を誘拐してしまった犯罪者なのである。
ここを忘れがちだ。
なぜならそのくらい俳優人全員が迫真の演技であり、誰が悪いのかはっきり描いているのだがそれはリアルですべての人々の気持ちがきちんと描ききれているからだろう。
実母役の森瑶子も実母であるがゆえに苦しむ姿が描かれており、一筋縄ではいかないすべてを細部にわたり描いている。
突発的に誘拐、その後のその家族のすべてを変えてしまった。
その罪は大きいのである。
ラストシーンで希和子が薫を呼ぶシーンがある。
これは、振り向いた薫だがそのまま行ってしまうというもの。
これは散々議論をかもしだした。
結末は観客に委ねられてしまったからだ。
しかし1つだけわかったこと。
それは育ててくれた希和子のことを求めていたのではないかということ。
もちろん誘拐されなかったら実母を求めるだろう。
だから実母が悪いわけではないのだ。
全員が加害者であり全員が被害者なのだ。
衝撃的な作品である。
また俳優同士の演技のぶつかりあいもまた見事であり、近年のほうがにおいてはまれに見る重厚で緊迫感漂う優秀作品であった。
実際公開当初からマスコミでは取り上げられ、宣伝が一人歩きしていた。
そのためそんなに期待せずに鑑賞したら頭を何かで打ち付けられたようなショックに襲われてしまったのだ。
何が正しく間違っているのかを見失わせるほどの、主人公の誘拐犯の正義みたいなものにも驚くし、この映画で見ていることが全てではないのかもしれないという人間の矛盾のようなものさえ感じてしまった。
娯楽作品というよりも新聞欄を映画にしたドキュメンタリーのような印象をうけた映画。
邦画もやるなと思った瞬間だった。