映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』の概要:ヒトラーの脅威に晒されていた1938年プラハ。当時証券マンだったニコラス・ウィントンは、独自の方法で子供達をチェコスロバキアからイギリスへ疎開させた。その数669人。それから50年以上たったある日、妻のグレタが屋根裏部屋で1冊のノートを見つけたことにより、眠っていた物語が蘇る。
映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』の作品情報
上映時間:101分
ジャンル:ドキュメンタリー
監督:マテイ・ミナーチュ
キャスト:ニコラス・ウィントン、ジョー・シュレシンジャー、アリス・マスターズ、クルト・シュテルン etc
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映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』の登場人物(キャスト)
- ニコラス・ウィントン
- 人道支援家。ヒトラー率いるナチスからの迫害に怯えるユダヤ系子供達をチェコスロバキアからイギリスへ疎開させた。そのことをひた隠しにしていたが、妻が屋根裏部屋でそのノートを見つけたことにより、世界中に彼の活動が知れ渡ることとなる。
- ジョー・シュレシンジャー
- カナダで活躍するTVジャーナリスト。チェコスロバキアのブラチスラヴァ出身。ニコラスに助けられた子供の1人で、親は疎開させた後にホロコーストで亡くなっている。劇中におけるナレーションも務める。
- アリス・マスターズ
- ニコラスに助けられた子供の1人で現在はIMF行政官として働いている。
- クルト・シュテルン
- イスラエルで旅行ガイドをしている。
- ジョン・フィールゼンド
- 弾道ミサイルの研究に従事した後、ニコラスのように人を助ける仕事をしたい、という思いから教会を建て、精神障害者のための施設を作る。自身も牧師に転身した。
- ベン・アベレス
- プリンストン大学の物理学者。半導体の研究で熱電変換器を開発した。さらに、宇宙船ボイジャー1号2号の電力供給を担って木星や土星などの探査に貢献した。
映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』のあらすじ【起】
1930年代、当時のチェコスロバキアはとても平和だった。差別や偏見などのない、多文化や多言語の認められた街であった。現在IMF行政官であるアリス・マスターズは、少女時代イチゴやキノコを採ったりして幸せな生活を送っていた。イスラエルに渡り旅行ガイドをしているクルト・シュテルンは日曜日によく家族で出かけたりしていた。1938年ナチスが来るまで皆それぞれに幸せに暮らしていた。
ドイツではヒトラーは救世主で英雄と崇められていた。そして、独裁者ヒトラーによるナチズムは他民族、特にユダヤ人、ジプシー、スラブ人への憎悪をドイツ人の心に植え付け、その憎悪を利用して国を戦争へ向かわせたのだった。今はイギリスで牧師をしているジョン・フィールゼンドは怪我をして病院へ行った際、医者からユダヤ人は診ないと言われたと言う。
ナチスはチェコ全土の割譲を次第に要求してきた。チェコは防衛を試みたが、イギリスなどの民主主義国はヒトラーと戦争をする気概はなかった。ナチスはチェコスロバキアの国境付近にあるスデーテン地方を占領し、チェコは周りの国々から見捨てられてしまう。
映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』のあらすじ【承】
ニコラス・ウィントンのノートが書かれ始めたのは19938年の12月。ニコラスはその日、友人とスイスへ旅行に向かおうとしていた。ニコラスは証券マンとして成功を収めており、その時はまだ人道支援に興味などなかった。そして電話がなる。プラハにいる友人からチェコでの難民支援活動が忙しくスイスへ行けないという内容だった。ニコラスはスイス行きを止め、プラハの友人に合流することにした。
友人の難民支援を手伝うニコラスの元に、必死な親達が子供達を連れて宿を訪れるようになった。ナチスの標的となり、せめて子供だけでもと思っていたのだ。ニコラスは当時を振り返って「不可能なようでも必ず道はある、それが私の信条」だと言う。ニコラスは各所に援助の手紙を書いた。どこの国も駄目だとわかると、ニコラスはすぐに次の手に移る。子供達の名簿を作ったのだ。
活動の噂が広まると、ドイツはニコラスに目を付け始めた。子供の救出のみが目的ではないと思ったからである。そして、美女の誘惑作戦でニコラスに近づいた。シャスティンと名乗る美女はスウェーデンの赤十字関係で働いており、スパイとの噂もあった。しかし、スウェーデンは移民の受け入れをしており、ニコラスは彼女に会い続けた。結果、シャスティンは25人の子供を連れてスウェーデンへと旅立っていった。これが後に「キンダートランスポート」と呼ばれる子供輸送の始まりであった。
映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』のあらすじ【転】
ニコラスは全てを最速で手配していた。なぜならば、一刻も早い我が子の出国を待っている親が2000人以上いたからである。ニコラスは来る日も来る日も家族と面談し、子供の名簿を作り続けた。ニコラスの上司からプラハでの活動を禁止するようにとの電話が入るが、彼はそれを無視して活動を続けた。アメリカで物理学を教えるベン・アベレスは、親達は希望と恐怖を分かち合い、子供達は他の子と顔を見合わせていた、と当時を表現した。
1939年3月、ナチスがチェコを完全占領した。第二次世界大戦が始まるまでに残された時間はわずかだった。子供の受け入れに唯一オーケーを出したのは、ニコラスの祖国イギリスだけであった。ニコラスはイギリスに戻り、この非常事態が終わるまで子供の面倒を見てくれる家を探し始めた。
ヒトラーの蛮行が深刻化し、プラハの状況は最悪となっていた。ユダヤ教教会がいくつも焼き討ちにされ、いつナチスに連行されるかわからず大人達は怯えていた。事態の悪化にニコラスは焦っていた。そこで、ニコラスは子供の写真を複数枚載せたポートレートを作り、里親志望の家庭に紹介し、迅速に事を運ぼうとした。
クルト・シュテルンは涙ながらに当時を振り返る。親達は、自分の子供がどこに送られるかを知らなかった。しかし、親達の勇気に子供達は救われたのである。そして、200〜250人の子供達が列車で一斉にイギリスへ旅立ったのだ。
映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』の結末・ラスト(ネタバレ)
ヒトラーがポーランド回廊を要求し、ニコラスは1人でも多くの子供を救おうと作業を速めた。出国を希望する子供の数は数千人となっていて、8回の輸送でも間に合わないくらいであった。しかし、第二次世界大戦が勃発し、250人の輸送を中止せざるを得なくなった。そして、ほぼ全員が亡くなってしまった。ニコラスはそのことを後悔し、過去のものとして誰にも話さずに封印することにした。
それから50年後、ニコラスの妻グレタは屋根裏部屋でニコラスのポートレートを偶然発見する。感銘を受けた彼女はすぐにポートレートに載っていた子供達と連絡を取り始める。そして遂に、TVショーでニコラスと、彼が救った子供達との再会が実現したのである。当時子供だった彼らは口を揃えて言う。「ニコラスは世界で一番大きな家族の家長である」と。
ニコラスの行った「人助け」の輪は子に、孫に、と湖に投げられた小石のように広がっていく。欧州を中心とした学生3000人が「ウィントン計画」と呼ばれる慈善活動に参加した。そして、今もニコラスの意思を受け継いだ子供達がそれぞれに活動を続けている。
映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』の感想・評価・レビュー
「イギリスのシンドラー」と呼ばれるニコラス・ウィントン。当時証券マンだった彼の運命が変わった瞬間、年齢は29歳だった。自分が29歳だった時にこのようなことができただろうか。「一見不可能なようでも、必ず道はある」がニコラスの信条であるが、不条理がまかり通るこの世の中で、民間の人間だからと諦めないで、民間人だからこそできる行動は必ずある。小さなことでいいのだ。たとえその善行が小さなことでも、湖に投げられた小石のようにそれは広がっていくのだとこの映画は教えてくれた。(MIHOシネマ編集部)
本作は、第二次世界大戦前夜にナチスの脅威が迫るチェコスロヴァキアで、699人のユダヤ人の子どもたちを救った1人のイギリス人ニコラス・ウィントンを追ったドキュメンタリー作品。
素晴らしい偉業を成し遂げたにもかかわらず、そのことを奥さんに話すことはなかったという事実に驚いた。
そして、たった1人で子どもたちを救うために動いたその行動力には頭が上がらない。
原題の『Nicy’s Family』の意味が分かって、いい作品に出会えたと思った。(女性 20代)
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