映画『胡同(フートン)のひまわり』の概要:2005年製作の中国映画。文化大革命や近代化に伴う激動の中国を舞台に、絵描きとしての才能がある親子の関係性を30年に渡って描き出した社会派ヒューマンドラマである。
映画『胡同(フートン)のひまわり』 作品情報
- 製作年:2005年
- 上映時間:132分
- ジャンル:ヒューマンドラマ
- 監督:チャン・ヤン
- キャスト:ジョアン・チェン、スン・ハイイン、リュウ・ツー・フォン、チャン・ファン etc
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映画『胡同(フートン)のひまわり』 評価
- 点数:75点/100点
- オススメ度:★★★★☆
- ストーリー:★★★★☆
- キャスト起用:★★★★☆
- 映像技術:★★★☆☆
- 演出:★★★☆☆
- 設定:★★★★☆
[miho21]
映画『胡同(フートン)のひまわり』 あらすじ(ストーリー解説)
映画『胡同(フートン)のひまわり』のあらすじを紹介します。
1976年の北京市内の胡同。
9歳の向陽は母親とのんびりと暮らしている。
そこに突然1966年の文化大革命以来、思想改革のために建設された強制労働場から解放された父親のガンニャンが戻ってきた。
ガンニャンは画家だったが、強制労働の時に右手の親指を骨折しもう絵筆は握ることができなかった。
しかし一緒に住むようになって息子の絵の才能を見出したガンニャンは、向陽に厳しくなる。
今までのような友人付き合いや遊びを制限された向陽は、父に反発するようになっていく。
また父は息子に「絵を描け」と執拗に迫るように。
1987年向陽は19歳になった。
彼は絵の学校に通っている。
ガンニャンは相変わらず向陽には厳しく、自分の叶えることが出来なかった夢を彼に託している。
この頃には中国も女性の自由思想が次第に許され、スカートなど華やかな洋服を着る女性も多くなった。
そんなある日、向陽はユイという女性と恋に落ちる。
若すぎた二人の恋だったが、結婚を漠然と考える真剣なものだった。
しかしまたしても父の邪魔が入る。
このせいで別れることになってしまった二人。
1999年向陽は32歳。
画家としても順調、私生活では嫁をもらい充実した生活を送っていている。
北京も近代化し、高層マンションなどが流行りだした。
向陽の母はこのマンションに移りたかったが、頑固なガンニャンは拒み続ける。
やがて離婚という形をとり、別々に暮らすことになった。
ある向陽の展覧会が行われる日。
今までは頑なに展覧会に行くことを拒んでいたガンニャンが足を運んだ。
展覧会の成功を祝し、家族で久しぶりに食事をする。
しかし家族の溝は完全に埋めることは出来なかった。
息子の才能と成功を確認したあと、父は家族の前から姿を消した。
自殺をするわけではないから安心してほしいということだった。
こうして家族という時間は終わりを迎えたのだった。
映画『胡同(フートン)のひまわり』 感想・評価・レビュー(ネタバレ)
映画『胡同(フートン)のひまわり』について、感想・レビュー・解説・考察です。※ネタバレ含む
親子の確執がテーマ
全編を通して描かれているのが父と息子の確執である。
9歳の時に突然一緒に暮らすことになった父が、画家として暮らすという自分の夢を才能ある息子に託すようになる。
今までは優しい母と自由気ままに暮らしていた向陽は、急に絵を練習させられたり友人関係や遊びに口を挟まれたりと何かと父を鬱陶しく感じてしまう。
物語は時代の変化とともに向陽の姿を描く。
最初は9歳、次は19歳、そして32歳だ。
この23年の間に周囲の変化、社会の変化、政治的な変化が目まぐるしく起こるが親子の確執だけは平行線なのである。
その描き方はシリアスであり、リアル。
誰でも経験のあるような親子の関係性をドキュメンタリーでも見ているかのように心に響いてくる。
ラストシーンの意外性
最後は確執が消え、ハッピーエンドで終わらせるわけにはいかなかったのか。
私以外にもそれを望んでいた人は多いはず。
それなのに監督はそれをしなかった。
この映画は自分の父をモデルにしているという。
ということはこの息子は監督自身の姿だったのか。
それを聞くとリアルなのが頷けるというものである。
ラストでようやく息子の展覧会に顔を出した父。
会場で握手を交わした父子の姿は美しく、これからの未来が明るいものになる兆しのように感じられた。
しかし最後に父は家族の前から姿を消すという選択肢を選ぶ。
このラストの意外性は個人的には要らなかった。
息子の成功と才能を確認したことで安心したのだろうか。
もう自分は息子には必要が無いと思ったのだろうか。
もしそうならばなんて自分勝手な存在であっただろう。
子供は親を選ぶことが出来ない。
もっと愛情溢れた生活の方を望んでいたのではないか?と少しでも振り合えって欲しかった。
映画『胡同(フートン)のひまわり』 まとめ
親子の関係性というのは様々である。
特にこの時代の中国と言えば自由が許されず、社会や環境もかなり影響してしまう。
誰も責められないのだ。
そのなかでたった一件にスポットが当たったに過ぎない映画。
こんなことはそこら中であったに違いない。
いや、もしかたしたら恵まれた環境である。
絵を勉強したり、恋に落ちるなどということから縁の無い貧しい生活を強いられる者も大勢いるのだから。
本作品は最初から最後まで親子の確執を描くが、見終わったあとはスッキリもハッピーにもならない。
あるがままの事実を受け入れるのみである。
しかしなぜか心に深く刻まれるのだ。
静かに激しく魅せられてしまう。
中国映画の魅力はきっとここにあるのだろう。
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