映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』の概要:イギリスの名匠ケン・ローチ監督が、80歳にして2度目のパルムドール(カンヌ国際映画祭最高賞)を受賞したヒューマンドラマ。真面目に納税してきた善良なる市民を、冷酷に切り捨てる国家のあり方を痛烈に非難している。役者の演技もリアリティのある演出も素晴らしい。
映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』の作品情報
上映時間:100分
ジャンル:ヒューマンドラマ
監督:ケン・ローチ
キャスト:デイヴ・ジョーンズ、ヘイリー・スクワイアーズ、ディラン・フィリップ・マキアナン、ブリアナ・シャン etc
映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』の登場人物(キャスト)
- ダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)
- イギリスのニューカッスルで暮らす59歳の男性。心臓を患い、40年間続けてきた大工の仕事をやめざるを得なくなる。妻には先立たれ、子供もいない。職人気質の実直な男で、ケイティ一家を親身になって支える。
- ケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)
- ロンドンからニューカッスルに越してきたばかりのシングルマザー。父親の違うデイジーとディランという2人の子供がいる。貧困に喘ぎながらも、子供たちを懸命に育てている。
- チャイナ(ケマ・シカズウェ)
- ダニエルの隣人の黒人青年。わずかな賃金の日雇い労働しか仕事がなく、中国製のシューズを売って金儲けをしようとしている。今風の若者だが、ダニエルとは仲がいい。
- アン(ケイト・ラッター)
- 役所の職員の中で、唯一人間らしい対応をしてくれる女性。役所で困っているダニエルを助けようとして、上司に注意される。
映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』のあらすじ【起】
イギリスのニューカッスル。大工として40年間真面目に働いてきた59歳のダニエル・ブレイクは、仕事中に心臓発作を起こし、医者から仕事を止めるよう忠告される。ダニエルは、病気による支援手当を受けるため役所を訪れ、給付審査のアンケート内容の馬鹿らしさに閉口する。政府の委託事業者だという認定人の女性は、悪態をつくダニエルに、悪印象を持ったようだった。
ダニエルは、精神を病んでいた妻の介護を続けながら、質素に暮らしてきた。その妻も亡くなり、現在は安アパートでひとり暮らしをしている。隣人のチャイナは、貧しい黒人青年だったが、ダニエルは彼ともそれなりに良好な関係を築いていた。
検査のために訪れた病院で、仕事はまだ無理だと言われた翌日、役所から「支援手当の受給の資格なし」という書類が届く。ダニエルはすぐに役所へ電話をするが、音声案内と音楽が繰り返されるばかりで、電話はなかなかつながらない。1時間48分後、ようやく役所の職員が出るが、審査の担当者とは話せなかった。
ダニエルは直接役所を訪れ、これが不当な審査であることを訴える。しかし担当者はまともに取り合ってくれない。新たに支援手当を申し込むにしても、パソコンからのオンラインでしか受け付けていないと言われ、パソコンが使えないダニエルは途方にくれる。そんなダニエルに、アンという職員だけが、親切に声をかけてくれる。
ダニエルはそこで、ケイティという若い女性が職員と言い争っている現場に遭遇する。ケイティは2人の子供を育てているシングルマザーで、数日前にロンドンから引っ越してきたばかりだった。そのためバスを乗り間違えてしまい、審査の時間に遅れてしまったのだ。ケイティはその事情を必死で訴えていたが、職員は「後日違反審査を受けろ」の一点張りだった。ダニエルは思わず立ち上がり、「少し融通を利かせてやれ!」と怒鳴る。そのせいで、ダニエルもケイティと一緒に役所から追い出されてしまう。
ケイティはダニエルに感謝し、自宅に誘う。ケイティには、まだ幼いディランという息子と、小学生になるデイジーという娘がいた。ロンドンでは、2年間もホームレスの宿泊施設で暮らしていたが、3人でひと部屋という環境に限界を感じ、役所に紹介されたこの場所へ引っ越してきた。しかし家はボロボロで、お金がないため電気も引けず、親子は悲惨な暮らしをしていた。ダニエルは家の修理を引き受けてやり、幾らかのお金と自分の電話番号をケイティに渡しておく。
映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』のあらすじ【承】
ダニエルは、求職者手当の申請をするため、無料のパソコン設置場所へ行く。そこはパソコンを買えない貧困者で溢れており、長時間待たされる。やっと順番が回ってきて、職員から使い方を説明してもらうが、ダニエルには理解できない。周囲の若者に教えてもらいながら、ようやく申請書類を仕上げるが、時間切れでエラーが出て、書類は送信できなかった。
ダニエルは隣人のチャイナに助けを求め、書類作成を手伝ってもらう。チャイナは、中国製のシューズを仕入れ、それを売って儲けようとしていた。違法行為かもしれないが、そうしないとチャイナも生きていけない。チャイナも貧しかったが、役所の人間よりもずっと親身になって、ダニエルに協力してくれる。そうやって苦労して書類を申請しても、役所からは何の連絡もなく、ダニエルの苛立ちは募る。
一方で、ダニエルはケイティ一家との親交を深めていた。他に頼る人のいないケイティにとって、家の修理をしたり、子供の面倒を見てくれたりするダニエルは、かけがえのない存在になっていた。ケイティはせめてものお礼にと、自分の夕食をダニエルに食べてもらう。ダニエルは断ろうとするが、ケイティは譲らない。ダニエルには、ケイティが無理をしていることがわかっていた。
ようやく役所から連絡があり、ダニエルは職員と話をする。しかし、求職者手当をもらうためには、週に35時間以上求職活動をしている証拠が必要だと言われ、まずは履歴書の書き方講座に出席するよう命じられる。拒んだら処罰されると言われ、ダニエルは仕方なく講座に出る。
講座では、履歴書もパソコンで作成し、オンラインのデジタル版も作るよう言われる。しかしダニエルは手書きの履歴書を作り、あちこちを歩いて直接「仕事はないか」と聞いて回る。ほとんどの現場では門前払いされるが、ある園芸店だけは履歴書を受け取ってくれる。
手当がもらえず、ケイティの生活は逼迫する。食べるものにも困り、ボランティアが運営するフードバンクを頼ることにする。ダニエルも一家に付き合い、長い列に並ぶ。ようやく食料を支給してもらったケイティは、空腹に耐えきれず、その場で缶詰を開けて食べ始める。そしてあまりの惨めさに、泣き出してしまう。ダニエルは「君は何も悪くない」と言ってケイティを慰める。ケイティの飢えは限界だったのだ。
映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』のあらすじ【転】
医者から仕事を止められているのに、労働年金省はダニエルを労働可能とみなし、年金の受給を認めてくれない。収入のなくなったダニエルは、電気代を払うのも苦しくなる。
そんな時、あの園芸店から面接に来るよう電話がある。ダニエルは仕方なく、給付を受けるための求職活動だったことを打ち明ける。園芸店の担当者は怒っていた。
ケイティはスーパーで生理用品を万引きし、警備員に捕まってしまう。カバンを調べた支配人は、黙って生理用品をカバンに戻し、ケイティを許してくれる。帰り際、警備員の男がケイティに近づき、「金に困っているならいい仕事を紹介する」と囁いて、自分の電話番号を渡す。ダニエルは自分の窮状を隠し、ケイティ一家を支えていた。
求職活動をしたことを報告に行ったダニエルは、職を探したという証拠が不十分だと言われてしまう。職員の女性はダニエルの手書きの履歴書を見て、講座に行っていないと決めてかかり、手当の支給停止を宣告する。ダニエルは言い返す気力もなく、黙ってその場を去る。そして妻との思い出の詰まった家財道具を売り払い、急場をしのぐ。チャイナは、「困っているなら何でも言え」と声をかけてくれるが、ダニエルは静かに微笑むだけだった。
デイジーが貧困のせいでいじめられていると知ったケイティは、警備員の男に電話をかける。大体の予想はついていたが、男が紹介してくれた仕事は売春だった。ケイティが落としていたメモから、その事実を知ったダニエルは、彼女が働く売春宿を訪ねる。
ダニエルの姿を見て、ケイティは動揺する。ダニエルは、こんな仕事はやめるよう説得するが、ケイティは「止めるならもう会わない」と言って、彼を帰らせる。ケイティは子供たちを育てるために、どうしてもお金が必要だった。
映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』の結末・ラスト(ネタバレ)
ダニエルは再び役所を訪れ、求職者手当の申請をやめて、不服申し立ての手続きをするとアンに訴える。ダニエルのような正直者が、何人もホームレスになっていく姿を見てきたアンは、短気を起こさずに手当の申請手続きを続けるよう忠告する。しかし、ダニエルはもう限界だった。
外へ出たダニエルは、役所の建物にスプレーペンキで「俺はダニエル・ブレイクだ。飢える前に申し立て日を決めろ。電話のクソなBGMも変えろ」と書きなぐる。このダニエルの行動には多くの市民が賛同し、拍手を送る。しかしダニエルは、器物破損で逮捕されてしまう。初犯であったため、口頭注意で釈放してもらえたが、ダニエルは深く落ち込む。
ダニエルと連絡が取れなくなり、心配したデイジーが、食べ物を持って家を訪ねて来る。デイジーは何度もドアをノックし、ダニエルに呼びかける。ようやく顔を出したダニエルは、誰とも会いたくないようだった。しかし「今度は私たちに助けさせて」というデイジーの言葉を聞き、彼女を抱きしめる。
ケイティはダニエルから事情を聞き、支援手当回復の申し立てのために動いてくれる。書類も揃い、親身になってくれる代理人も見つかり、ダニエルにも希望が生まれる。
申し立ての日。ダニエルはいつになく緊張しており、申し立てが始まる前にトイレへ立つ。そしてそのまま心臓発作で倒れてしまう。ケイティは泣き叫んで助けを求めるが、すでに手遅れだった。
ダニエルの葬儀の日。ケイティは国の制度が彼を早い死へ追いやったことを訴え、ダニエルが申し立てのために用意した言葉を代読する。それは、どんなに貧しくとも尊厳を失わず、隣人に手を差し伸べてきたダニエルらしい正直な言葉だった。
「私は依頼人でも顧客でもユーザーでもない。怠け者でもタカリ屋でも、物乞いでも泥棒でもない。国民健康番号でもなく、エラー音でもない。きちんと税金を払ってきた。それを誇りに思っている。地位の高い者には媚びないが、隣人には手を貸す。施しは要らない。私は、ダニエル・ブレイク。人間だ。犬ではない。当たり前の権利を要求する。敬意ある態度というものを。私は、ダニエル・ブレイク。1人の市民だ。それ以上でも以下でもない」
映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』の感想・評価・レビュー
冒頭の給付審査のアンケートに真面目に取り合わないダニエルの物言いに、見ているこちらもイライラし彼にいい印象を持たなかった。しかし、ストーリーが進むにつれダニエルが曲がったことが嫌いで人情味のある人物なのだと分かり、ケイティ一家との交流に胸が温かくなった。
デジタル化していく社会の中でPCが扱えないために物事が進まなかったり、本当に必要としているにも関わらず制度の編み目からこぼれ落ち困窮している人々がいたりするのは、日本も同じだと感じる。状況描写がリアルで、社会的にも意義のある作品だった。(女性 40代)
役所は融通が利かない、という部分は、万国共通なんだなと思いました。
医師から診断書が出ているのであれば、役所はそれを元に判断してくれるものじゃないのか?と疑問に感じる部分もあったけれど、きっと詳しくは語られなかった制度上の罠などがあるんだろうな、と想像してげんなりしました。
一度人生の歯車が狂ったら最後、助けてくれるはずの福祉制度に見放され、一気に転落していく様は、現代社会の闇を映し出しているようで、とてもリアルで怖かったです。(女性 20代)
ケン・ローチ監督らしい社会派ドラマでした。
テクノロジーだけが先行し、それについていくことができずに、必要な支援すら受けることができない人がどれだけいるでしょうか。
今作はイギリスを舞台とした作品ではありますが、この日本でも他人事では済まないと思わされます。フードバンクのシーンでは苦しくて涙が止まりませんでした。
この一風変わったタイトルがすべてを象徴しています。鑑賞後にきっとわかるでしょう。
我々一個人ができることは何だろうか、世の中が改善できるのに現状できていないことは何だろうかと、考えるきっかけになる秀作です。(女性 20代)
主人公のダニエルのように真面目に誠実に生きてきた人が救われない社会。
食べることさえままならない生活を送っている人々。
格差が広がっていくこの世界では決して他人事ではないと恐怖を覚えました。
ロイヤルファミリーでも音楽や文化でもプレミアリーグでもないイギリス。
ケン・ローチの見せてくれるイギリスの姿はいつも痛い。
自分が窮地に追い込まれる中でも、他人に手を差し伸べることを忘れなかったダニエルの生き方に強いメッセージを感じました。
朝の葬儀は「貧者の葬儀」と呼ばれているというという言葉が印象的です。(女性 40代)
本作は、イギリスの複雑な国家の制度の下、貧困という厳しい現実にさらされながらも助け合いながら生き抜く人々を描いたヒューマンドラマ作品。
特に、オンライン操作のシーンでの市の職員の態度、目の前で困っている人に手を差し伸べない社会の仕組みに既視感を感じてイライラした。
メッセージ性も強く、非常に重みのある内容であるが、それだけでなく、庶民の生きる姿をドキュメンタリータッチで真っ直ぐ伝えようとしているところが心に響いた。(女性 20代)
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