
結論から言うと、デル・トロ版『フランケンシュタイン』は怪物の物語ではありません。
私が実際に観て感じたのは、創り手が背負う“責任と孤独”。その核心をネタバレ考察で解説します。
まず断言したい|これはホラーではなく「叙事詩」だ
Netflix映画『フランケンシュタイン』を観て、
最初に感じたのは恐怖ではありません。
あまりにも悲しく、美しい物語だ
という感覚でした。
ギレルモ・デル・トロ監督は、
本作をショック映画としてではなく、
「創造と喪失の神話」
として描いています。
あらすじ解説(ネタバレなし)|原作への忠実さと再解釈
物語の軸は、
メアリー・シェリー原作『フランケンシュタイン』に忠実です。
若き科学者ヴィクター・フランケンシュタインは、
禁忌を超え、
死体から新たな命を生み出してしまいます。
しかし本作が特別なのは、
“怪物誕生”よりも、その後の放棄に重きを置いている
点です。
ネタバレ考察|怪物はなぜ“怪物”になったのか
※ここから先はネタバレを含みます。
怪物は最初から暴力的だったのか
答えは、明確に「NO」です。
彼は言葉を学び、
世界に触れ、
愛を理解しようとします。
怪物を怪物にしたのは、拒絶された経験そのもの
でした。
- 恐怖による排除
- 理解されない悲しみ
- 創造主からの無責任な逃避
これらが積み重なり、
暴力へと変質していきます。
ヴィクターの罪は「創ったこと」ではない
ヴィクター・フランケンシュタインの罪は、
生命を生み出したことではありません。
創ったあと、向き合わなかったこと
です。
デル・トロは、
ヴィクターを悪人としては描きません。
むしろ、
理想と恐怖の間で逃げ続けた
“未熟な創造者”
として描いています。
デル・トロ版ならではのゴシック表現
本作の映像は、
徹底したゴシック美学で統一されています。
- 陰影を強調した照明
- 宗教画のような構図
- 死と生が溶け合う美術設計
醜さすら美しく撮る
――それが、
デル・トロ作品の真骨頂です。
なぜこの「フランケンシュタイン」は現代的なのか
この物語は、
決して19世紀の幻想ではありません。
AI、生命倫理、創造責任
といった現代的テーマと、
強く地続きです。
作れるから作る。
できるからやる。
その先にある責任から、
人は本当に逃げられるのか。
ラストが示す“救いのなさ”の意味
物語の結末に、
明確な救済は用意されていません。
なぜなら、誰も正しく償っていないから
です。
怪物も、
ヴィクターも、
世界も。
すべてが、
取り返しのつかない選択の上に立っています。
この映画が合わない人・刺さる人
強く刺さる人
- 原作『フランケンシュタイン』が好きな人
- 哲学的な映画をじっくり味わいたい人
- デル・トロ作品のファン
合わない可能性がある人
- 分かりやすいホラーを期待している人
- テンポ重視の娯楽作を求める人
まとめ|これは「怪物」ではなく「人間」の物語
Netflix映画『フランケンシュタイン』は、
ネタバレ考察や解説を通して見えてくる通り、
怪物誕生譚ではありません。
創る側の傲慢さと、捨てられた側の孤独
を描いた、
極めて人間的な物語です。
怪物とは何か。
人間とは何か。
その問いを、
静かに、しかし深く突き刺してくる――
これこそが、
デル・トロが現代に蘇らせた
『フランケンシュタイン』の本質だと私は思います。
ぜひあなたの感想や考察も、コメント欄で教えてください。
この怪物、あなたには「哀れ」に見えましたか?






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