この記事では、映画『花束みたいな恋をした』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。
映画『花束みたいな恋をした』の作品情報
出典:U-NEXT
製作年 | 2021年 |
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上映時間 | 124分 |
ジャンル | ロマンス |
監督 | 土井裕泰 |
キャスト | 菅田将暉 有村架純 清原果耶 細田佳央太 オダギリジョー 戸田恵子 岩松了 小林薫 |
製作国 | 日本 |
映画『花束みたいな恋をした』の登場人物(キャスト)
- 山音麦(菅田将輝)
- サブカルチャー好きの男子大学生。映像撮影や絵を描くことなど創作活動が好き。
- 八谷絹(有村架純)
- 映画や音楽が好きな女子大生。ブログでラーメンについて書いている。
映画『花束みたいな恋をした』のネタバレ・あらすじ(起承転結)
映画『花束みたいな恋をした』のあらすじ【起】
2020年。あるカフェでカップルがイヤホンの左右を分け合って音楽を聴こうとしていた。麦は音楽が好きな者として注意しようと立ち上がる。その時、別のテーブルに座っていた絹も同じ思いで立ち上がった。互いの顔を見た麦と絹は気まずそうに席に戻る。
2015年.大学生の絹はお笑いのライブに行こうとしたところで大学の同級生と出くわしてしまう。そのせいで絹はライブに行き損ねる。
大学生の麦は交通調査のアルバイトをしていた。ぼんやりとした日々を過ごしていたのでお笑いライブのチケットを買っていたのに存在すら忘れてしまっていた。
ある夜、絹は付き合いでカラオケ店に行くことに。母から電話でお使いを頼まれ、帰りの電車に向かう。
麦は別のカラオケ店にいたが帰ることに。駅に向かうが終電に乗り遅れてしまう。麦は終電に乗り遅れその場に居合わせた絹ら男女4人でカフェに向かう。
麦はこのカフェに来ていた映画監督を発見する。そのことに絹は喜ぶが、他2人はリアクションが悪い。意気投合した麦と絹は居酒屋に行くことに。
映画『花束みたいな恋をした』のあらすじ【承】
二人は好きな小説や映画、音楽、行きそびれたお笑いライブなど共通点が多いことに気付く。麦は作った長編動画に絹は興味を示す。麦の家を訪れた絹は、彼の本棚が自分の本棚とほぼ同じであることに気付く。そこには麦がイラストを描いたスケッチブックがあり、絹はそれを気に入る。2人で麦が編集した長編動画を観る。
2人はミイラ展に行くなど何度かデートを重ねる。互いに気持ちは伝えられないままだった。3度目のデートをしていた時、麦と絹はイヤホンの左右を分け合って一緒に音楽を聴いていた。そこにたまたま合わせた男に音楽好きとしてそれは分かってないと1時間説教されてしまう。終電間際に麦は絹に告白する。付き合うことになった2人は手をつなぎキスをする。
麦と絹は交際を順調に進め、麦の先輩であるカメラマンやその恋人との交流も深めていく。
映画『花束みたいな恋をした』のあらすじ【転】
麦は夢に向かって邁進していたが、絹は就職活動で苦戦していた。連日の圧迫面接と父親からのプレッシャーで疲弊していた絹に、麦は同棲を提案する。川沿いのマンションでの同棲生活が始まる。麦はイラスト描きのバイトを始め、絹はジェラート屋でバイトを始める。2人はクリスマスも大みそかも2人きりで過ごす。
2人は初詣に訪れた際に黒猫を拾い飼うことにする。大学を卒業した2人はフリーター暮らしを続ける。絹の両親は就職を進めてくる。麦の父は実家に戻らないなら仕送りを止めると言ってくる。
麦は実家には戻らず同棲を続ける。バイトで行っていたイラスト描きの単価を下げられてしまい生活のために定職に就く決心を固める。絹も定職を探し、歯科医の受付の仕事が決まる。
やがて麦の就職先が決まる。物流会社の営業で仕事に追われる日々。2人で過ごす時間も失われていく。
映画『花束みたいな恋をした』の結末・ラスト(ネタバレ)
絹は知り合ったイベント会社社長にスカウトされ、転職することを決める。転職のことを麦に告げるが仕事は遊びじゃないと批判される。麦は勢いで自分が働くから結婚して好きなことをすればいいと、最悪なプロポーズをしてしまう。2人の間には重苦しい空気が流れる。
絹は転職する。麦はますます忙しくなり、2人の間には一緒に過ごす時間どころか話す気力も喧嘩する気力も失われていた。
ある日、麦と絹は大学時代からの友人の結婚式に出席する。2人は幸せな気持ちのまま別れる決心をする。そこには初々しいカップルがいた。その光景に過ごした幸せな日々を振り返る2人。麦は別れたくないと言うが、絹はもう戻れないと思っていた。
絹の引っ越し先が見つかるまでは共に暮らすことになる。まるで付き合い始めた頃に戻ったような日々を過ごす。
2020年。麦と絹は偶然出くわしてしまう。2人は言葉を交わすことなく店を後にするが背を向けたまま手を振りあう。
麦が自宅でGoogleストリートビューを見ていると奇跡に遭遇する。それは川沿いを仲良く歩いている麦と絹の姿だった。
映画『花束みたいな恋をした』の考察・解説(ネタバレ)
映画『花束みたいな恋をした』のファミレスシーンの2人は泣いてる理由が違うのか?
映画のファミレスシーンで、麦と絹が別れを決断する瞬間、2人とも涙を流しますが、その涙の意味合いは微妙に異なっています。
絹の涙は、麦と共に過ごした幸せな時間や、彼への愛情を感じながらも、もはや昔のようには戻れないという現実を突きつけられた悲しみから来ています。彼女は2人の思い出を大切にしつつも、それを手放さなければならない痛みに涙しているのです。これまで築き上げてきた関係を終わらせるという決断は、絹にとって非常に辛いものですが、それでも前に進まなければならないという覚悟が、彼女の涙を誘っているのです。
一方、麦の涙は、自分の無力さや、絹を十分に支えられなかったことへの後悔と自責の念から来ています。彼は今でも絹を愛していますが、現実的には2人の関係を続けることが難しくなっていることを理解しているのです。麦が感じているのは、絹への愛情を持ちながらも、彼女が求めているものを与えられなかった自分自身への嫌悪感と後悔の念なのです。
このように、2人は同じシーンで涙を流していますが、絹は過去の愛とその喪失を嘆き、麦は自分の無力さを悔やみながら涙しているのです。
映画『花束みたいな恋をした』の結末はハッピーエンドを意味するのか?
『花束みたいな恋をした』の結末は、一般的な「ハッピーエンド」とは少し異なる印象を与えます。物語の最後で、麦と絹はそれぞれ別々の道を歩むことを選択しますが、これは単なる悲しい別れとして描かれているわけではありません。むしろ、2人がそれぞれ自分自身と向き合い、成長しようとする姿が描かれているため、観る人によっては「ハッピーエンド」とも受け取れる結末なのです。
麦と絹は、出会った当初は共通の趣味や価値観で強く結ばれていましたが、時間の経過とともにそれぞれが異なる方向へと成長していきます。この過程で、2人は一緒にいることが幸せではなくなり、別れを選択するのです。しかし、それは単なる悲劇ではなく、成長のプロセスの一部として描かれています。
彼らは互いを思いやり、愛し合っていましたが、別々の道を歩むことで新しい未来を切り開こうと決意します。このため、悲しみもありつつも前向きな選択をしたと言えるでしょう。したがって、この結末は完全なハッピーエンドではないものの、2人がそれぞれの新しい幸せを見つけるための第一歩と見ることができるのです。
映画『花束みたいな恋をした』の伏線、トイレットペーパーが意味するものとは?
映画『花束みたいな恋をした』に登場するトイレットペーパーの伏線は、2人の関係の変化や日常生活の中での小さなずれを象徴しています。
物語の初めのうちは、麦と絹は同じ生活リズムを楽しみ、共通の価値観を持って一緒に暮らしていました。しかし、物語が進むにつれて、トイレットペーパーの購入をめぐる小さなやりとりが、2人の間に生まれた微妙なずれや距離感を表すようになるのです。
絹がトイレットペーパーを買い忘れたり、麦がそれに対して少しイラついたりするシーンは、一見すると些細な出来事に見えますが、実は2人の関係の変化を示唆しているのです。かつては自然にできていた日常の小さな行動や気遣いが、少しずつできなくなり、すれ違いが生まれていく様子が描かれているのです。
このトイレットペーパーは、日常生活の中での細かな不一致や、相手への関心の薄れを象徴しており、映画全体を通して2人の関係が変化していく過程を示す重要な伏線となっているのです。
映画『花束みたいな恋をした』の猫の名前「バロン」について考察
映画に登場する猫の名前「バロン」は、2人の関係性や共通の趣味と深く結びついています。
「バロン」という名前は、スタジオジブリの映画『耳をすませば』に登場する猫の彫像から取られています。『耳をすませば』は若い男女の成長や恋愛を描いた作品であり、この名前が麦と絹の関係を象徴するものとして選ばれているのです。
この猫の名前は、麦と絹が共有していた趣味や映画への愛情を反映しており、2人が特定の映画や文化に共感し合うことで絆を深めていた時期を表しています。『耳をすませば』の中の「バロン」は、恋を後押しする存在としても描かれており、この猫の名前が象徴するのは、麦と絹の間にあった特別な時間や共通の趣味を大切にする気持ちなのです。
しかし、物語が進むにつれて、2人の関係が変化し始める中で、猫の存在も過去の象徴として扱われるようになります。バロンという名前は、2人が共有していたかつての楽しい時間を思い出させる一方で、現在の関係のすれ違いを感じさせる要素としても機能しているのです。
映画『花束みたいな恋をした』が伝えたいこととは?
『花束みたいな恋をした』が伝えたいテーマは、愛と成長、そして人生における選択についてです。
物語の中心にあるのは、麦と絹の恋愛ですが、この映画は単なるラブストーリーではなく、2人が共に過ごした時間を通じて成長し、最終的に別々の道を選ぶことに焦点を当てているのです。
映画は、愛することの喜びや幸せだけでなく、愛し合いながらも別々の人生を選ばなければならない現実を描いています。麦と絹は、共通の趣味や価値観で強く結ばれていましたが、時間とともにそれぞれの目指す方向が異なり、すれ違いが生じるのです。このすれ違いを通して、映画は人間関係の複雑さや、成長に伴って変化する個人の欲望や目標を描いているのです。
また、映画は「別れ」というテーマに対しても、単純な悲劇ではなく、それぞれが新しい人生を歩むための一歩として肯定的に捉えています。別れが成長の一部であり、人生の中で避けられない選択であることを伝えているのです。
このように、映画は愛の美しさと同時に、その限界や人間の成長についても考えさせる作品となっているのです。
映画『花束みたいな恋をした』で麦と絹は最後どうなるのか?
『花束みたいな恋をした』のラストシーンでは、麦と絹はお互いに別々の道を歩むことを選びます。
かつては強い絆で結ばれていた2人でしたが、物語が進むにつれて、生活のリズムや将来への考え方の違いが浮き彫りになり、最終的に関係を続けることが難しくなっていきます。
結末で、2人はお互いへの愛情を持ちながらも、別れを決断します。麦は、自分が絹を十分にサポートできなかったことや、自身のキャリアや将来への不安を抱えています。一方の絹も、自分の成長や夢を追いかけるために、麦との別れを受け入れるのです。
ラストシーンでは、麦と絹が最後にファミレスで別れの話をする場面が描かれ、2人の関係が穏やかに終わることが示されます。お互いを傷つけることなく、感謝の気持ちを持ちながら別れることで、彼らはそれぞれの新しい人生に向けて一歩を踏み出すのです。
2人が再び交わることはありませんが、別々の道を選んだことで、前向きな未来が示唆されています。
映画『花束みたいな恋をした』で「絹がわがまま」と言われる理由は?
絹が「わがまま」と言われる理由は、物語の中で彼女が自分のキャリアや夢を追求する姿勢が、結果的に麦とのすれ違いを引き起こす要因になっているからです。
彼女は自身の成長ややりたいことに対して真剣に向き合っており、それに対して妥協することを避けるように描かれています。この姿勢が、時折、麦に対して冷たい印象を与える場面があるため、彼女の行動が「わがまま」と感じられるのです。
特に、麦が自分の将来に迷いを感じている中で、絹が自分の道をはっきりと決めて進んでいく姿は、2人の関係に緊張感を生み出します。彼女が自己実現を優先する姿勢が、時に他者とのバランスを取ることの難しさを感じさせるため、結果的に「わがまま」と見られることがあるのです。
しかし、絹の行動は彼女自身の成長や目標に基づいており、必ずしも他人を無視したわがままとは言えません。彼女が自分の夢を追い求めることは、物語の中で重要なテーマとして描かれていますが、恋愛とキャリアのバランスに悩む姿が観客に「わがまま」と映る場合があるのです。
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