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映画『溺れるナイフ』のネタバレ・あらすじ・考察・解説

この記事では、映画『溺れるナイフ』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。

映画『溺れるナイフ』の作品情報


出典:U-NEXT

製作年 2016年
上映時間 111分
ジャンル ロマンス
青春
監督 山戸結希
キャスト 小松菜奈
菅田将暉
重岡大毅
上白石萌音
製作国 日本

映画『溺れるナイフ』の登場人物(キャスト)

望月夏芽(小松菜奈)
東京でティーンモデルをするほどの美少女。コウに対抗意識を抱き、食らいついていく度胸もあるが、ストーカーに襲われトラウマになる。コウを自分の神様と思っている。
長谷川航一朗(菅田将暉)
浮雲町を牛耳る長谷川家の長男。次期当主。傲慢で態度がでかく、わがままな面もある。高校に進学してからは、喧嘩三昧で荒んでいる。通称コウ。夏芽は特別な存在。
大友勝利(重岡大毅)
コウとは幼馴染。夏芽に恋する好少年。明るく優しい。
松永カナ(上白石萌音)
中学では冴えないが、高校に進学してからは、おしゃれに目覚める。コウが好き。

映画『溺れるナイフ』のネタバレ・あらすじ(起承転結)

映画『溺れるナイフ』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『溺れるナイフ』のあらすじ【起】

望月夏芽は東京でティーンモデルをしていたが、両親の都合でモデルを辞め田舎にやって来た。この浮雲町は何もなくてつまらない。
到着したその日の夜、宴会を抜け出した夏芽は立ち入り禁止の浜辺へ入り、鳥居の向こう側の岩場で泳いでいる、金髪で傲慢な態度の少年と、運命の出会いを果たす。

中学3年のクラスに編入当日、同じクラスに金髪の少年を見つけた夏芽。彼の名前は長谷川航一朗。皆にはコウと呼ばれており、ここら一体を牛耳る長谷川家次期当主らしい。夏芽は口止めされていたにも関わらず、彼が岩場の海で泳いでいた事を暴露してしまう。どうやら、あの岩場は神様の神域らしく、一般人が入ると海が荒れるらしい。
夏芽は再び、神域の海へ向かう。そこにはやはり、コウがいた。彼は夏芽を岩場へ連れて行き、景色を見せた後に夏芽を道連れに海へ飛び込む。コウはこの町も山も海も、全部自分の物だから、自分はどこで遊んでもいいのだと笑った。

そんなある日、夏芽に有名カメラマンから写真集のオファーがある。母親と共にカメラマンと会い、オファーを受ける事にした。撮影中、コウに邪魔されたりするも、撮影は概ね順調に進んだ。

そして、写真集が完成。夏芽はコウを待ち伏せし、完成を知らせて逃げる。コウはすかさず、彼女を追いかけた。逃げそびれて川に落ちてしまう夏芽。その隙に彼女の鞄を持って行ってしまうコウ。少し先で座り込んだ彼の横に座った夏芽は、緊張しつつ写真集を見せた。彼女はコウの気を引きたくて、写真集を撮ったと話す。そして、見つめ合う2人は唇を重ねた。

コウは自分の言う通りに動く夏芽はつまらないと言う。夏芽が面白おかしく生きる事を約束すると、彼は長谷川家次期当主の証である数珠を彼女に渡す。これがお前を守ってくれるかもしれないと言う。夏芽は自分がつけていた数珠を渡し、私がコウを守るよう念じると言った。

映画『溺れるナイフ』のあらすじ【承】

浮雲町、最古の喧嘩祭りである火祭りが開催。面をつけ白装束を着た男達が、夜に松明を持って祭壇を囲む。祭り見学に来ていた夏芽だったが、旅館に宿泊していた考古学者から、夏芽の祖父が倒れたと知らされる。彼女は男に連れられて会場を後にした。それを輪の中から見ていたコウ。夏芽から貰った数珠が切れ、嫌な予感がして走り出した。

男の車に乗った夏芽。病院とは違う方向に向かっている事に気付いたが、男から違う病院だと言われる。だが、話を聞いている内に、男がストーカーだと判明。人気のない山へ連れて行かれるも、どうにか逃げ出して山へ入った。

夏芽を攫った車を発見したコウ。彼女を見つけて助けようとするが、背後から迫った男に殴り倒されてしまう。男に犯されそうになった夏芽は、寸前で追って来た青年団に助けられた。15歳、夏の出来事だった。

夏の出来事は思わぬ反響を呼ぶ。彼女の事件は表沙汰になり、ネット上でも話題を呼んだ。高校に進学した夏芽だったが、周囲は彼女を遠巻きにしている。同じ高校に入ったカナは、一気に垢抜けて明るくなり、対照的に夏芽は火が消えたように大人しくなった。

1人で昼食を摂る夏芽に、大友が声をかける。それからは、大友と行動を共にするようになった夏芽。コウの噂はあちこちから良く耳に入ったが、夏芽はあの夏以来、彼とは話もしていない。小さな町だ。顔を合わせる事もある。夏芽には未だ、コウは特別な存在だった。

映画『溺れるナイフ』のあらすじ【転】

夏芽を避けるように、仲間から離れ1人で歩いて行くコウを見かけた夏芽。彼を追いかける。小さな舟で海に出ようとした為、急いで船に飛び乗った。久々にお前の声を聞いたと笑うコウ。
誰もいない海の上。コウと夏芽は話し合いをするが、途中で2人は海に落ちる。海の中、コウは夏芽が痛々しく見ていられないと言う。お前の人生に巻き込まれるのは、もうごめんだ。もう、俺の人生に関わるな。彼はそう言って、夏芽を突き放した。

ずぶ濡れの夏芽が家に帰ると、大友が遊びに来ていた。彼は落ち込んでいる夏芽を、元気づけようとしてくれる。
次の日、熱を出して寝込んだ夏芽。大友と映画を観る約束をしていたが、彼は笑って許してくれる。大友はコウと夏芽の関係を良く知っており、友達でいいからと言いながら、一心に彼女の事を支えた。夏芽は少しずつ、大友に心を開いていく。

そんな折、映画の話が再び持ち上がる。夏芽はその話を断るが、送られて来た台本にはレイプシーンがあった。
学校帰り、夏芽の写真集を撮ったカメラマンが待ち伏せしている。彼は今の夏芽など撮るに値しないと言って去って行く。夏芽は悔しくて、1人で泣いた。

山の上の神社にお参りした帰り、傷だらけのコウと会った夏芽。2人の間に特別な空気が流れる。コウには夏芽が、夏芽にはコウが。2人は離れていても、離れられない。
この町の全てはコウの物。それなら夏芽もコウの物だ。だが、彼は夏芽を手放そうとする。遠くに行けるのが夏芽の力。しかし、コウはこの地を離れらない。彼は夏芽に何もしてやれないと泣く。夏芽はコウのナイフを持って、無言で走り去った。

映画『溺れるナイフ』の結末・ラスト(ネタバレ)

夏芽は大友に別れを告げる。彼女は映画の出演を決め、東京に行くと言う。彼は泣きながら、夏芽の背中を押してくれた。優しい彼らしい応援だった。

また火祭りがやって来た。祭りの手伝いをしていたカナは、白装束の不審人物を目撃する。彼女はコウに助けを求めた。カナが止める中、彼は松明を持ったまま駆け出す。
コウとの思い出の場所である、山奥の小屋にいた夏芽の元に、いつかのストーカーが現れる。彼女は恐慌状態に陥り気絶。ふと、気が付いて夢だったのかと思うが、祭り会場で舞を踊るコウと、ストーカーと争うコウの姿を垣間見る。夏芽は彼の名を呼び続ける。最早、どちらが現実なのか分からなかった。

夜半、血塗れのナイフを手にしたカナが夏芽に言う。ストーカーは自害して果てた。全てを海に沈め、なかった事にする。だからもう、コウには近付くなと。夏芽はその場に倒れ伏した。

東京に戻った夏芽は、出演した映画で賞を受賞。晴れやかな舞台で、彼女は堂々とスピーチをした。夏芽はコウが見ている限り輝き続ける。彼と約束した通りにずっと。あの地を離れられない彼の為に。

映画『溺れるナイフ』の考察・解説(ネタバレ)

映画『溺れるナイフ』の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『溺れるナイフ』が「ひどい」と評価される理由は何か?

映画『溺れるナイフ』が「ひどい」と評される理由は、ストーリー展開や登場人物の感情描写の分かりづらさにあると考えられます。物語の中心には、主人公の夏芽とコウの激しい感情の機微が描かれていますが、二人の関係性は非常に複雑かつ不安定で、感情の揺れ動きが頻繁に繰り返されます。特に、彼らが経験する感情の変化や出来事の展開が急激に進むため、観客にとってはキャラクターに感情移入しづらい部分があるようです。

また、夏芽が受けた暴行シーンとそれに伴う彼女の心情の揺れ動きは、物語の重要な要素でありながら、十分に掘り下げられていないという指摘もあります。このデリケートな問題が軽視されているように感じる観客も少なくなく、登場人物たちの行動や反応に共感を覚えにくいという声が上がっているのです。

さらに、映画のラストが極めて抽象的で明確な結末を迎えないことも、「ひどい」と感じる観客が多い要因の一つです。オープンエンディングとも言えるラストシーンは、多くの謎や未解決の問題を残したまま幕を閉じるため、物語に対する満足感が得られないと感じる人が少なくないようです。

映画『溺れるナイフ』のラストに「意味わからない」の声が多い理由とは?

映画『溺れるナイフ』の結末が「意味わからない」と評される理由は、物語の結末があまりにも曖昧で解釈が困難だからです。ラストシーンでは、夏芽とコウが再び強く結ばれたかのように描かれますが、その後の二人の関係性や未来についての具体的な描写はありません。彼らの感情がどのように決着したのかが明確に示されないため、多くの観客は「結局のところどうなったの?」という疑問を抱えたまま劇場を後にすることになります。

また、物語の終盤におけるコウの感情や行動の急激な変化も、観客を混乱させる要因となっています。彼の行動の動機付けや、夏芽との関係性の変化に一貫性が感じられないと指摘する声も多く、そのために「意味不明だ」という評価につながっているようです。特に、二人の関係があいまいなまま物語が閉じられるため、観客はそれぞれの解釈に委ねられる部分が大きいのです。

加えて、映画全体が詩的な映像表現や台詞で構成されているため、物語の具体的な展開よりも感情や雰囲気を重視する場面が多く見られます。そのため、明快な結末を期待していた観客にとっては、消化不良を感じる部分があるのかもしれません。

映画『溺れるナイフ』の原作と映画の違いとは何か?

映画『溺れるナイフ』と原作漫画の主な違いは、物語の展開の仕方とキャラクターの心理描写の深さにあります。原作では、登場人物たちの感情がより詳細に描かれており、特に夏芽やコウの内面の成長や葛藤が丁寧に描写されています。一方、映画は限られた上映時間の中で物語を進行させなければならないため、重要なエピソードや感情の機微が短縮されてしまう部分があります。その結果、映画ではキャラクターの感情の動きが唐突に感じられることがあるのです。

また、原作ではキャラクターたちの背景や人間関係の細部までより深く掘り下げられており、夏芽とコウ、そして他の登場人物との関わりが複雑に描かれています。しかし、映画ではこうした要素の多くが省略されているため、原作を知らない観客にとっては物語の奥行きが感じられないことがあります。

さらに、映画のラストシーンも原作とは異なる展開を見せます。原作では、夏芽とコウの関係性についてもう少し丁寧な描写がなされており、彼らの感情の行方がより明確に示されています。しかし、映画版では抽象的な終わり方が選ばれており、物語の解釈は観客に委ねられる形になっているのです。

映画『溺れるナイフ』のラストでカナが言ったセリフの考察は?

映画『溺れるナイフ』のラストシーンで、カナが放ったセリフは、物語全体を通して彼女が抱いてきた感情や思いを象徴するものと解釈できます。物語の中でカナは、夏芽とコウの関係を見守る立場でありながら、自身も複雑な感情に揺れ動いてきました。彼女の言葉には、二人の関係に対する一種の覚悟や理解、そしてある種の諦念が込められているように感じられます。

カナのセリフは、観客に物語の結末を考えるためのヒントを与えるものでもあります。彼女自身の感情が言葉に託されていると同時に、夏芽とコウの関係性をどのように解釈するかについて、観客に問いかけているのです。このセリフは、カナが物語の中で抱えてきた感情の決着点を示すと同時に、物語の余韻を残すための重要な要素としても機能しています。

シンプルな言葉の中に、感情のもつれや複雑さが凝縮されているカナのセリフは、観客一人一人にその言葉をどう受け止めるかを問いかけているようにも感じられます。

映画『溺れるナイフ』で、最後に夏芽とコウは結婚するのか?

映画『溺れるナイフ』のラストシーンでは、夏芽とコウが結婚するという明示的な描写はありません。二人の関係性は物語の終盤に至っても非常に複雑なままで、明確な結論が示されないまま観客の解釈に委ねられる形で幕を閉じます。映画全体を通して、夏芽とコウの間には強い絆と特別な感情が存在していることが描かれていますが、彼らの未来がどのような形で実を結ぶのかについては、具体的な説明がなされていないのです。

ラストシーンでは、二人が再び惹かれ合うように寄り添う姿が描かれますが、それが恋愛関係として続くのか、あるいは別の形の関係性へと落ち着くのかは明らかにされません。物語全体が二人の感情の波や不安定さを強調している以上、観客の中には二人が再び歩み寄る可能性を感じる人もいるかもしれません。しかし、同時に彼らがそれぞれの道を進んでいくとも解釈できる、開かれた結末なのです。

原作では、二人の関係性についてより深く掘り下げられている部分もありますが、映画版ではあえて曖昧な終わり方が選ばれています。夏芽とコウが結婚するのかどうかではなく、彼らの関係がどこへ行き着くのかは、観客一人一人の解釈に委ねられているのです。

映画『溺れるナイフ』で、コウがストーカー男を殺したのか?

映画『溺れるナイフ』の中で、コウがストーカー男を本当に殺したのかどうかは、物語の中で明確には描かれていません。コウは、夏芽が受けた凄惨な事件に対して激しい怒りを抱いており、犯人であるストーカー男に対しては強い憎しみを感じています。しかし、彼が実際に殺人に関与したかどうかについては、映画の中では直接的な答えが示されないまま幕を閉じるのです。

ストーカー男が事件の後に死亡したことは確かですが、その死が事故や他の原因によるものである可能性も排除できません。コウがその死に関与しているかどうかは、観客の想像に委ねられており、コウの行動や感情が暴走した結果、彼が何らかの行動に出た可能性も考えられるのです。

この曖昧さが、映画全体に漂う緊張感を高める要因となっており、コウの内面の葛藤や、夏芽に対する彼の強い思いが、物語の中で大きなテーマとして扱われています。コウが犯人を殺したのかどうかという問いは、物語の中で彼の行動と感情がいかに複雑なものであるかを象徴する存在なのです。

映画『溺れるナイフ』に気まずいシーンは出てくるか?

映画『溺れるナイフ』には、いくつかの気まずいシーンが存在します。特に、夏芽が暴行を受けるシーンとその後の彼女とコウの関係の変化は、観客にとって感情的に不快感を覚えるものかもしれません。この暴行シーンは物語の大きな転換点となる出来事ですが、その扱い方や、登場人物たちのその後の対応の仕方については、観る人によって受け止め方が大きく異なる、非常にデリケートな問題を孕んでいます。

また、夏芽とコウの関係性が時に激しい感情のぶつかり合いを見せ、お互いを傷つけ合うシーンも、観客にとっては居心地の悪い瞬間と感じられるかもしれません。二人の感情は大きく揺れ動き、特に夏芽がコウとの関係に苦しむ様子は、見ていてつらく感じられる部分が少なくありません。コウの感情表現が激しく、時に行き過ぎたものに感じられることもあり、観客はその行動に違和感や不快感を覚えることもあるでしょう。

さらに、映画全体のトーンが暗く、登場人物たちの不安定な感情が前面に押し出されているため、そうしたシーンが観客に居心地の悪さを感じさせることも少なくありません。登場人物たちが抱える感情の葛藤や複雑さそのものが、映画を通して気まずさを引き起こす大きな要因となっているのです。

映画『溺れるナイフ』で、カナと犯人の関係は原作と違う?

映画『溺れるナイフ』では、カナと犯人の関係性について、原作とは異なる描かれ方がなされています。原作の中では、カナのキャラクターや彼女が事件にどのように関わっているのかがより詳細に描写されており、映画版に比べると彼女の感情や行動の動機が理解しやすくなっています。原作では、カナの立ち位置や犯人との関係性についてより深く掘り下げられている一方で、映画ではその描写が幾分か省略されているため、彼女と犯人の関わりがやや分かりづらくなっている部分があるのです。

映画版では、カナの登場シーンが比較的短く、彼女の感情や行動の機微までは十分に描かれていません。そのため、犯人との関係性もぼんやりとしたものに感じられる部分があります。原作のファンからすれば、カナの背景や彼女が物語の中で果たす役割があまり描かれなかったことに、物足りなさを感じるかもしれません。

このように、原作の中ではカナの存在感がより大きく、物語の展開にも重要な影響を与える存在として描かれていますが、映画版ではその部分が簡略化され、犯人との関係性も薄く感じられるように描かれています。そのため、映画を観た人にとっては、カナの存在があまり強く印象に残らないということもあるかもしれません。

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みんなの感想・レビュー

  1. ぽすぽす より:

    田舎のきれいな風景か青春の瑞々しさか、終始映像から透明感が感じられるのが印象的な作品でした。キャストがとにかく良くて、主演二人はもちろん、重岡さんと上白石さんのハマり具合に驚きました。
    明らかに優しくて性格が良く、長く付き合えそうな大友ではなく、カリスマ的魅力のあるコウを選んでしまうのは、少女漫画あるあるだなと思いました。
    ストーリーがそれほど好みではなかったにも関わらず、キャストの演技力、映像の美しさなど演出がとても好みで、あっという間の110分でした。

  2. モクズ より:

    小松菜奈と菅田将暉、この2人の、この瞬間の輝きを切り取った、それだけでも十分すぎるほど価値ある作品だと思う。鮮烈でセンスにあふれた映像には、青春や恋愛の独特な不安定さやドラマチックさがかなり緻密に表現されている。個人的にはストーリーの流れよりも、キャストの演技やセリフの言葉、映像や音楽など、一瞬一瞬のディテールに詰められた情感に強く感動を覚える作品だった。

  3. きーもも より:

    漫画原作の「中高生向け」のラブストーリーかと思って見始めましたが、普通のラブストーリーとは違う「重み」のあるストーリーでかなり集中して鑑賞出来ました。
    菅田将暉と小松菜奈。この2人の「愛」だけでは無い繋がりがとても濃く、その繋がりが変わっていく様子が切なくも、可愛らしく温かくて、普通とは一味違った「青春」を感じさせてくれました。
    如何にもな「ラブストーリー」が苦手な方にも見て欲しい作品です。

  4. アリィ より:

    夏芽が引っ越した先の、浮雲町の町並みが素晴らしくてずっと見ていたい気分になります。コウが神のような存在感を放っています。さらに、高知弁のような方言を上手く使いこなしていて、渋みすら感じました。カメラワークに瞬発力があり、映像が圧倒的に美しいので2時間近く幻想を見ているかのようでした。ストーリーが少々浅い感じがしたので、浮雲町の歴史や火祭りの部分などをもう少し深く掘り下げるともっと面白くなるのではないかと思いました。

  5. あさとあさ より:

    キャストが小松菜奈と菅田将暉だったので期待してみたが、個人的には映画自体はあまり好きではなかった。東京のキラキラした環境で生活していた夏芽が、自然が多い田舎の環境に移り、紆余曲折しながら、人と向き合っていく物語だ。

    高校生にしては、とても落ち着いていて、自分を持っているコウがかっこよかったが、夏芽の押して押して押しまくる性格が作り物っぽく見えた。しかし、この二人の性格だから成り立っていたのかもしれない。

  6. 月夜 より:

    W主演が小松菜奈と菅田将暉ということもあり、海や緑に映える二人が作り出す映像はとても美しい。題名の通り、十代特有のナイフのような鋭利さを持つ、怖いもの知らずの彼女たちが、運命や環境に翻弄される中で必死にもがく姿が描かれている。

    ただ、個人的にストーリーはあまり好きではなかった。夏芽の、全てをコウ任せにする性格やコウにかける言葉などに憤慨してしまうが、そういうキャラクターでないと物語が進まない、と思って割り切って見た。

  7. ミヤナミ より:

    鮮やかで大胆な映像が印象的な映画だったと思う。特に、海や川などの水を映す場面が多く、タイトルの通り溺れる二人の演出に目を惹かれた。子どもの頃に感じる全能感や、思春期特有の理想と現実との差、悩みや葛藤が描かれている。夏芽とコウの関係の変化が、風景や映像の美しさで複雑かつ繊細に描写されていたと思う。

    原作は少女漫画だが、大人になってからもう一度観ることを勧めたい映画だ。学生時代の複雑な気持ちや、少年少女たちの輝く青春を追体験できるだろう。

  8. チーズ より:

    東京でモデルをしていた主人公が田舎に引っ越しをして、不良少年と恋に陥るストーリーです。原作は割と好きだったんですが、映画版はしっくりこなかったです。構成がいまひとつでした。主人公2人の演技は、素晴らしかったです。

    運命って、こういうのを言うのかなと思いました。ロケ地と2人の絵の構図が綺麗で観ていて、しっくりときていました。