この記事では、映画『セッション』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説しています。また、累計10,000本以上の映画を見てきた映画愛好家が、映画『セッション』を見た人におすすめの映画5選も紹介しています。
映画『セッション』の作品情報
出典:U-NEXT
製作年 | 2014年 |
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上映時間 | 107分 |
ジャンル | ドラマ 音楽 青春 |
監督 | デイミアン・チャゼル |
キャスト | マイルズ・テラー J・K・シモンズ ポール・ライザー メリッサ・ブノワ |
製作国 | アメリカ |
映画『セッション』の登場人物(キャスト)
- アンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)
- 名門のシェイファー音楽院でドラムを専攻している青年。名ドラマーのバディ・リッチのようになるのが小さいころからの夢。トップの座を獲るためなら厳しい練習もいとわない努力家だが、自分の才能を信じるあまり、周りの人を見下すことも多い。
- フレッチャー(J・K・シモンズ)
- シェイファー音楽院内でも有名な鬼教師。数々のコンテストで優勝している、学内トップのジャズバンドを指揮している。常に完ぺきを求め、名演奏家を育てるためならば生徒への罵倒・暴力もいとわない。
- ジム・ニーマン(ポール・ライザー)
- アンドリューの父。アンドリューはバディ・リッチ好きな父親の影響でドラマーを志した。アンドリューの夢を応援し、陰から支えている。教員をしており、妻には出ていかれている。
- ニコル(メリッサ・ブノワ)
- アンドリューと父が通う映画館の売店で働く女子大生。アンドリューにデートに誘われ、付き合うことになる。音楽とは無縁。
- ライアン(オースティン・ストウェル)
- アンドリューが元々所属していた学内バンドの主奏ドラマー。アンドリューは普段彼の楽譜めくりを担当していた。自信家でややチャラチャラしたところがある。
- カール(ネイト・ラング)
- フレッチャーが指揮する学内バンドの主奏ドラマー。アンドリューはこのバンドに移ってからも彼の楽譜めくりをさせられる。病気で記憶力が弱く、暗譜ができない。
映画『セッション』のネタバレあらすじ(起承転結)
映画『セッション』のあらすじ【起】
国内でも屈指の名門音学校、シェイファー音楽院。ここに通うアンドリュー・ニーマンは、子どものころからの夢であるドラマーを目指し、スタジオでひとり猛練習をしていた。そこへ学内でも有名な鬼教師、フレッチャー教授が現れる。彼は学内トップのジャズバンドで指揮をしており、彼に見初められればプロにスカウトされる道がぐっと近づく。アンドリューは緊張するが、フレッチャーは少し彼の演奏を見て、何も言わず行ってしまった。
アンドリューは普段、学内で他の教授が指揮するバンドに所属している。そこでのドラムの主奏者はライアンだ。アンドリューは彼の楽譜めくりをさせられることが多かった。ふとアンドリューが気づくと、フレッチャーらしき人影が部屋を覗いている。
次の日、フレッチャーがアンドリューのバンドを訪れた。フレッチャーは1人ずつ演奏させていき、アンドリューにもドラムを叩かせる。去り際、フレッチャーはアンドリューに自分のバンドに移るよう命じる。フレッチャーに才能を認められたと、アンドリューはほくそ笑む。
アンドリューは父のジムとよく行く映画館のアルバイト・ニコルをデートに誘い、成功する。
映画『セッション』のあらすじ【承】
フレッチャーのバンドでの初日。バンドには元々主奏者のカールがおり、アンドリューはここでも楽譜めくりをすることに。曲はジャズの「ウィップラッシュ」。元いたバンドとはケタ違いのレベルの高さに、アンドリューは圧倒される。フレッチャーはとても厳しく、音程がずれているかわからなかった生徒をバンドから追い出してしまった。練習後、フレッチャーはアンドリューに親しげに話しかける。
次の日、アンドリューに演奏する機会が回ってきた。フレッチャーにべた褒めされてにやりとするアンドリューだったが、わずかにテンポがずれたことをきっかけに、フレッチャーに何度もやり直させられる。しまいにはイスを投げつけられ、罵倒され、ビンタまでされてしまう。アンドリューは泣き出してしまった。自分の未熟さを思い知らされ、アンドリューは悔しながらに自主練をする。そのスティックを握る指は血だらけになっていた。
ニコルとのデートの日。アンドリューとニコルは会話が弾む。ニコルは地方から出て来た大学生だった。2人の付き合いが始まった。
フレッチャーのバンドは、シェイファー音楽院の代表としてジャズコンテストに出場する。主奏者のカールに楽譜を預けられたアンドリューだったが、楽譜を失くしてしまった。病気の症状で譜面を覚えていないカールに代わり、急きょアンドリューがステージに立つことになる。練習の甲斐あって、フレッチャーを満足させる演奏をすることができた。シェイファー音楽院は優勝し、コンテスト翌日、フレッチャーはアンドリューを主奏者にする。
映画『セッション』のあらすじ【転】
バンドでは大会に向け、ジャズの名曲「キャラバン」の練習が始まった。非常に速いテンポでドラムを叩く必要がある。フレッチャーはライアンをスカウトして来た。彼をべた褒めするフレッチャーに、アンドリューは焦りを感じていた。練習に打ち込むために、アンドリューはニコルを一方的に振ってしまう。
フレッチャーは、自分が才能を見いだし育てたトランペット奏者のショーン・ケイシーが、事故で亡くなったと語る。練習が始まり、フレッチャーはカール・ライアン・アンドリューに順番に演奏させる。3人ともテンポが追いついていないと、猛烈なしごきが始まった。長時間のしごきの末、アンドリューが主奏者の地位を勝ち取る。
大会当日、アンドリューの乗るバスが故障、彼はレンタカーで会場へ急ぐ。何とか間に合ったがライアンに主奏者の座を奪われていた。しかもスティックをレンタカー店に置き忘れてしまった。アンドリューは退学覚悟で主奏者の約束を取り付け、スティックを取りに戻るが、車が事故に遭ってしまった。
全身血だらけで、アンドリューはドラムの前に座る。演奏が始まったが、血でスティックが滑り落ちてしまう。ドラムの音が消え、演奏を中止せざるを得なくなったフレッチャーは、その場でアンドリューに「お前は終わりだ」と告げる。アンドリューは逆上してフレッチャーにつかみかかり、退学に追い込まれてしまった。
ジムは息子のために、フレッチャーのいきすぎた教育法を学校に訴えることにする。弁護士によると、フレッチャーの教え子・ショーン・ケイシーは、彼のせいでうつ病になり自殺したのだそうだ。匿名は守られると知り、アンドリューはフレッチャーから受けた教育について告白することにする。
映画『セッション』の結末・ラスト(ネタバレ)
音楽院を退学になり、アンドリューはドラムをやめた。ふとアンドリューは、フレッチャーがジャズバーでピアノを弾いているのを発見する。アンドリューの告げ口が原因で、フレッチャーは音楽院をクビになっていたのだ。アンドリューに気づいたフレッチャーは、彼を飲みに誘う。
誰かの告げ口で音楽院をクビになったこと、偉大な音楽家を育てることへの情熱などを語ったフレッチャーは、アンドリューを自分のアマチュアバンドに誘う。今度開かれるジャズ・フェスティバルに一緒に出てほしいと言うのだ。曲はアンドリューが叩ける「ウィップラッシュ」と「キャラバン」。アンドリューは、再びドラムへの情熱を取り戻した。
自分の態度を悔いたアンドリューは、ニコルに電話する。しかし彼女はもう別の男性と付き合っていた。
ジャズ・フェスティバル当日。プロのスカウトも来ている。バンドの演奏が始まった。しかし演奏曲は、アンドリューの知らない難解な変拍子のものだった。アンドリューは楽譜もなく必死に食らいつくが、大失敗してしまう。そう、これはアンドリューの告げ口に気づいていたフレッチャーの罠だったのだ。
プロへの道を絶望的にされたアンドリューは、舞台袖にひっこみ父に抱きしめられる。しかし負けたままでは終われない。アンドリューはもう一度舞台に上がる。そして曲紹介を無視し、「キャラバン」を叩き始める。他の奏者もそれに合わせ始め、演奏を続けざるを得なくなったフレッチャーは仕方なく指揮をする。アンドリューは長いドラムソロを叩き始めた。最初は怒り心頭だったフレッチャーも、彼のソロを聴くうちに真剣に指揮をし始め、倒れかけたシンバルを元に戻す。ついにドラムソロは最高潮を迎えた。その瞬間、フレッチャーの口元に満足げな笑みが浮かぶのだった。
映画『セッション』の感想・評価・レビュー(ネタバレ)
音楽映画というより心理戦スリラーに近い緊張感でした。主人公アンドリューが血まみれになるほどドラムにのめり込んでいく様子は、もはや狂気の域。最終的に師フレッチャーと舞台上で“対等”になるあのラストシーンは、恐ろしくも美しい一瞬でした。達成感と狂気が交差するその瞬間、言葉では言い表せないカタルシスを感じました。(20代 男性)
とにかく音が恐ろしかった。フレッチャーの怒声、メトロノーム、スティックの音が全部刃物のように感じられて、観ているだけで胃が痛くなる映画でした。音楽の才能を引き出すためにここまでやるべきか?という問いがずっと頭を離れません。だけど、あのラストの圧巻の演奏を観てしまうと…何も言い返せなくなる。恐ろしい映画です。(30代 女性)
教師と生徒の信頼関係がここまで歪んだ形になるとは思わなかった。途中まではフレッチャーが絶対的な“悪”に見えたけど、最終的に彼の狙いが「本物を育てる」ためだと分かった瞬間、少しだけ見方が変わった。正しいとは言えないけど、あの演奏が“奇跡”だったことも否定できない。音楽の怖さと崇高さを同時に感じる作品でした。(40代 男性)
アンドリューの恋人ニコルとの関係が切れていくシーンは本当に胸が痛かったです。夢を追うために大切なものを犠牲にしていく姿は、共感というより「覚悟」を感じさせました。最後に彼がドラムでフレッチャーを圧倒した瞬間、思わず鳥肌が立ちました。才能が開花する瞬間って、時にこんなにも恐ろしいのかと衝撃を受けました。(20代 女性)
若い頃に音楽を志していた自分にとって、あまりにも刺さる映画でした。指導という名の暴力が、時に人を育てることがあるのかもしれませんが、果たしてそれが正しいのかは分からない。自分なら耐えられなかった。でもアンドリューはやり遂げた。その姿にどこか羨望と恐怖が入り混じった感情を覚えました。(50代 男性)
クラシックやジャズに詳しくなくても楽しめるし、むしろ音楽を知らないほど衝撃が強く感じられるかもしれません。指導というものの“限界”を超えて、むしろ破壊に近いようなフレッチャーの教え方に、何度も「これはやりすぎだ」と思いました。でも最後の演奏シーンでそれが報われたと感じてしまう自分がいて、複雑でした。(30代 男性)
一瞬も目が離せないテンポの良さに加えて、俳優たちの演技が凄すぎて息が詰まりました。特にJ・K・シモンズの演じるフレッチャーの狂気とカリスマ性は圧倒的。アンドリューがどんどん追い込まれていく様子は見ていて辛かったけれど、最後の“対話するような演奏”には震えました。音楽で殴り合うような結末が最高です。(10代 女性)
教師としての倫理観を完全に逸脱しているフレッチャーに対して、嫌悪感すら感じながら観ていました。しかし映画の最後で、彼の「本物を作りたい」という執念が伝わってきた瞬間、全てが一つの答えに繋がったように思えた。賛否ある作品だと思うけど、これほどまでに観る人の価値観を揺さぶる映画は他にない。(40代 女性)
終盤の演奏シーンは何度観ても震えます。音楽映画というより、もはやスポ根や格闘技に近い。ひたすら努力と情熱を突き詰めて、それが一瞬の爆発になる…まさに魂の演奏。血を流しながらも叩き続ける姿に、自分は何を犠牲にしてでもここまで夢を追えるのか?と考えさせられました。音楽じゃなくても、何かに本気な人に刺さる。(30代 男性)
高校で吹奏楽をやっていた経験から、アンドリューの「認められたい」という気持ちが痛いほどわかりました。演奏の場では、少しのズレや表情で全てが変わる。その緊張感をリアルに描いていて、本当に引き込まれました。特に、あのラストの“アイコンタクトからの無言の共演”は音楽の力そのものを見た気がします。(20代 女性)
映画『セッション』を見た人におすすめの映画5選
ブラック・スワン
この映画を一言で表すと?
極限まで自分を追い詰めて完璧を目指す、狂気と美が交差するバレエ映画。
どんな話?
プリマを目指すバレリーナが、心と身体を削って役に没入していく心理サスペンス。完璧主義ゆえに精神を蝕まれていく主人公の姿が恐ろしくも美しく、幻想と現実の境界が曖昧になる展開が観る者を翻弄します。
ここがおすすめ!
ナタリー・ポートマンの鬼気迫る演技が圧巻。芸術を極めることの代償、自己との闘いというテーマは『セッション』とも共鳴します。美しさと狂気が渦巻く映像世界に、最後まで目が離せません。
アマデウス
この映画を一言で表すと?
天才と凡人、その才能に狂わされた男の壮絶な嫉妬と崇拝のドラマ。
どんな話?
モーツァルトの才能に打ちのめされた作曲家サリエリが、崇拝と憎悪の間で揺れ動きながら、やがて破滅していくさまを描いた伝記ドラマ。才能に対する人間のエゴや矛盾を描いた傑作です。
ここがおすすめ!
音楽と人間心理の深淵が見事に融合された映画で、クラシックがわからなくても心を揺さぶられます。『セッション』同様、音楽に人生を捧げる者たちの執念と、栄光の裏側が赤裸々に描かれています。
ソーシャル・ネットワーク
この映画を一言で表すと?
才能と執念、孤独が生んだ“天才の代償”を描いた現代の成功神話。
どんな話?
Facebook創設者マーク・ザッカーバーグの成功の裏にある、友情の崩壊や訴訟騒動を描く社会派ドラマ。天才であるがゆえの孤独や衝突がリアルに描かれ、技術革新の光と影が浮き彫りになります。
ここがおすすめ!
成功とは何か?本当の勝利とは何か?を問う作品。セッションのアンドリュー同様、マークも夢に突き進む過程で人間関係を犠牲にしていきます。現代的テーマと緊迫した展開が非常に魅力的です。
リーバー・ウィズアウト・ア・トレース(Leave No Trace)
この映画を一言で表すと?
社会に馴染めない父娘が選ぶ、生き方と絆の静かな闘いの物語。
どんな話?
森の中で孤独に暮らす父と娘が、現代社会に向き合いながら、それぞれの“自分の生き方”を見つけていく静かな感動作。抑制された演出の中に強い感情が流れるドラマです。
ここがおすすめ!
『セッション』が“社会の中での自己実現”を描くなら、この作品は“社会から離れる自由”を描いています。静かだけど、心に深く刺さる余韻があり、生き方に悩む人にそっと寄り添ってくれる映画です。
フルメタル・ジャケット
この映画を一言で表すと?
鬼軍曹の狂気と理不尽が支配する、精神破壊の軍隊ドラマ。
どんな話?
過酷な海兵隊訓練とベトナム戦争を描く戦争映画。前半の鬼軍曹ハートマンによる新兵のしごきと、それにより精神を壊されていく兵士たちの姿は、『セッション』のフレッチャーとの共通点が浮き彫りになります。
ここがおすすめ!
極限まで人間を追い詰める環境と、それでも成長(あるいは崩壊)していく若者たちの姿は衝撃的。指導者の狂気とカリスマ性というテーマが『セッション』と共通しており、見応え十分です。
みんなの感想・レビュー
フレッチャーに対する厳しい意見をよく目にしますが、ネイマンとフレッチャーは似た者同士ではないかと思いました。
ネイマンも楽譜を無くしたり事故を起こしたりと他者に迷惑をかけ、そのことを反省もしていない自己中心的と思える態度が目立ちます。かつての恋人に対してもそうです。自分の都合だけで別れたにも関わらず、相手に新しい恋人がいると分かると冷めたような態度に変わっています。
フレッチャーもネイマンも音楽以外のことに対して無関心な人間だったのでしょう。そして二人は音楽という共通の価値観を通じて深く通じ合っていたのだと思います。
厳しいことを言われて嫌になってしまうんじゃなくて、何くそ!と自分を奮い立たせて上を目指そうとするアンドリューがめちゃくちゃ推せました。
フレッチャーのやり方に賛否両論あるのは当然だし、フレッチャー自身も嫌なら辞めればいいと言うスタンスなのでそこまで暴力的な感じはしませんでした。文句を言う人は見なければよいだけの話です。
最大の見所は、最後の怖すぎるセッション。フレッチャーに「密告はお前だ」なんて言われたらもう死んだも同然ですよね。しかし、負けなかったアンドリュー。本当にかっこよくて感動的な作品でした。
エンディングに向かって、まるで坂道を転がるようにして加速していく緊張感は、異様だが惹きつけられるものがあった。そんじょそこらのサスペンス映画より手に汗握って観ていたと思う。本当に最後の最後、ラスト一秒まで目が離せない作品だった。
個人的な好き嫌いは別として、“なんだか凄いものを観た”という気持ちになれるのでおすすめ。情熱と狂気の狭間、本気で高みを目指した人間だけが辿り着く境地を垣間見たような気分になった。
鬼教師の学生に対する暴言や圧力、内容の激しさに賛否両論がある作品ではないだろうか。ドラマーを目指す学生のマイルズと、彼を指導するフレッチャーの緊迫したやり取りが見どころだ。個人的にはその荒々しさとピリピリとした緊張感のある演技に目が離せなかった。この作品で鬼講師役を演じたJ・K・シモンズがアカデミー賞助演男優賞を受賞したのも納得のパフォーマンスを見せていた。臨場感あふれる映像と展開に釘付けになった。
基本的に、フレッチャーとアンドリュー2人の場面が多いため、ストーリーに集中して見入ることができた。
鬼教師のフレッチャーのスパルタぶりが狂気的で、張り詰めた緊張感があった。
罵倒され、追い詰められ、その地獄のような厳しさはトラウマになりそうなほど圧巻。
こういった厳しい環境に身を置いたことがないが、本気で取り組むことの意味が描かれているのではないだろうか。
最後12分のコンサートシーンはとてもかっこよくて痺れた。
ネイマンはフレッチャーから指導を受ける際、相手の目を見るよう教育される。ネイマンは相手の目を見ない人物だったのだ。相手の目を見ることで自分の感情をむき出しにして伝えるということを体得したネイマンであったが、これと同時に彼が得たものがもうひとつある。「相手の目を見る」という行為は、同時に「相手から見られる」ということでもある。そう、彼は同時に「他人の目」という新たな概念を意識上に表面化させることとなるのだ。実際、これ以降、ネイマンはフレッチャーに気に入られることだけを求めるようになっていく。
終盤、ネイマンは幼いころの自分がドラムを叩く姿をホームビデオで見て涙を流す。ネイマンは、もはや自分の中に純粋な初期衝動がないことに気づいてしまったのだ。他者からどう見られるかを意識しすぎたあまり、音楽に向き合う姿勢を欠いていたということに気付かされる訳だ。
ネイマンはフレッチャーと揉め、音楽学校を退学となりドラマーの道を諦めるが、ドラムを壊したり捨てたりせず自宅のクローゼットに仕舞ってあることからも、未だどこかで夢を諦めきれていないことが伺える。一度、夢も愛する人をも捨てたことで、失うものがなくなったネイマンは音楽そのものに向き合うこととなる。
物語ラストのドラムの熱演は圧巻である。単純な物語のカタルシスがここにあるのはもちろんのこと、演出も冴えている。ネイマンは誰とも目を合わせず、目の前のドラムをひたすら叩くのだ。彼はようやく、他者の視点という呪縛から脱却したのだ。そしてこれがフレッチャーと分かり合えた初めての瞬間でもある。他者と真に交流するということは、心でお互いに語り合うことなのだ。
音楽を扱った映画でありながら、本作はアクション映画でもある。本心をお互いにぶつけあうという意味では、ある意味殴り合いなのだ。
時にそういった本気の殴り合いは、第三者から見れば滑稽である。本気で取り組むということは独善的なことなのかもしれない。本作ではラストの演奏シーンで引きのロングショットが効果的に多用される。あの世界の高次に達しているのはネイマンとフレッチャーだけで、観客もほかのバンドメンバーも置いてけぼりなのだ。
しかし格闘技と唯一異なるのは、勝敗がすべてではないということである。自分が真に納得できるものを実現できればそれで良いのだ。それを他者がどう言おうと関係ない。自分の人生は他でもない、自分のものなのだから。