映画『セッション』の概要:名門音楽院でドラマーを目指す青年と、音楽院の伝説の鬼教師との対決を描くヒューマンドラマ。鬼教師を演じたJ・K・シモンズがアカデミー助演男優賞を受賞。音楽と表情だけですべてを語る、ラストの演奏シーンは圧巻だ。
映画『セッション』の作品情報
上映時間:107分
ジャンル:ヒューマンドラマ
監督:デイミアン・チャゼル
キャスト:マイルズ・テラー、J・K・シモンズ、ポール・ライザー、メリッサ・ブノワ etc
映画『セッション』の登場人物(キャスト)
- アンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)
- 名門のシェイファー音楽院でドラムを専攻している青年。名ドラマーのバディ・リッチのようになるのが小さいころからの夢。トップの座を獲るためなら厳しい練習もいとわない努力家だが、自分の才能を信じるあまり、周りの人を見下すことも多い。
- フレッチャー(J・K・シモンズ)
- シェイファー音楽院内でも有名な鬼教師。数々のコンテストで優勝している、学内トップのジャズバンドを指揮している。常に完ぺきを求め、名演奏家を育てるためならば生徒への罵倒・暴力もいとわない。
- ジム・ニーマン(ポール・ライザー)
- アンドリューの父。アンドリューはバディ・リッチ好きな父親の影響でドラマーを志した。アンドリューの夢を応援し、陰から支えている。教員をしており、妻には出ていかれている。
- ニコル(メリッサ・ブノワ)
- アンドリューと父が通う映画館の売店で働く女子大生。アンドリューにデートに誘われ、付き合うことになる。音楽とは無縁。
- ライアン(オースティン・ストウェル)
- アンドリューが元々所属していた学内バンドの主奏ドラマー。アンドリューは普段彼の楽譜めくりを担当していた。自信家でややチャラチャラしたところがある。
- カール(ネイト・ラング)
- フレッチャーが指揮する学内バンドの主奏ドラマー。アンドリューはこのバンドに移ってからも彼の楽譜めくりをさせられる。病気で記憶力が弱く、暗譜ができない。
映画『セッション』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『セッション』のあらすじ【起】
国内でも屈指の名門音学校、シェイファー音楽院。ここに通うアンドリュー・ニーマンは、子どものころからの夢であるドラマーを目指し、スタジオでひとり猛練習をしていた。そこへ学内でも有名な鬼教師、フレッチャー教授が現れる。彼は学内トップのジャズバンドで指揮をしており、彼に見初められればプロにスカウトされる道がぐっと近づく。アンドリューは緊張するが、フレッチャーは少し彼の演奏を見て、何も言わず行ってしまった。
アンドリューは普段、学内で他の教授が指揮するバンドに所属している。そこでのドラムの主奏者はライアンだ。アンドリューは彼の楽譜めくりをさせられることが多かった。ふとアンドリューが気づくと、フレッチャーらしき人影が部屋を覗いている。
次の日、フレッチャーがアンドリューのバンドを訪れた。フレッチャーは1人ずつ演奏させていき、アンドリューにもドラムを叩かせる。去り際、フレッチャーはアンドリューに自分のバンドに移るよう命じる。フレッチャーに才能を認められたと、アンドリューはほくそ笑む。
アンドリューは父のジムとよく行く映画館のアルバイト・ニコルをデートに誘い、成功する。
映画『セッション』のあらすじ【承】
フレッチャーのバンドでの初日。バンドには元々主奏者のカールがおり、アンドリューはここでも楽譜めくりをすることに。曲はジャズの「ウィップラッシュ」。元いたバンドとはケタ違いのレベルの高さに、アンドリューは圧倒される。フレッチャーはとても厳しく、音程がずれているかわからなかった生徒をバンドから追い出してしまった。練習後、フレッチャーはアンドリューに親しげに話しかける。
次の日、アンドリューに演奏する機会が回ってきた。フレッチャーにべた褒めされてにやりとするアンドリューだったが、わずかにテンポがずれたことをきっかけに、フレッチャーに何度もやり直させられる。しまいにはイスを投げつけられ、罵倒され、ビンタまでされてしまう。アンドリューは泣き出してしまった。自分の未熟さを思い知らされ、アンドリューは悔しながらに自主練をする。そのスティックを握る指は血だらけになっていた。
ニコルとのデートの日。アンドリューとニコルは会話が弾む。ニコルは地方から出て来た大学生だった。2人の付き合いが始まった。
フレッチャーのバンドは、シェイファー音楽院の代表としてジャズコンテストに出場する。主奏者のカールに楽譜を預けられたアンドリューだったが、楽譜を失くしてしまった。病気の症状で譜面を覚えていないカールに代わり、急きょアンドリューがステージに立つことになる。練習の甲斐あって、フレッチャーを満足させる演奏をすることができた。シェイファー音楽院は優勝し、コンテスト翌日、フレッチャーはアンドリューを主奏者にする。
映画『セッション』のあらすじ【転】
バンドでは大会に向け、ジャズの名曲「キャラバン」の練習が始まった。非常に速いテンポでドラムを叩く必要がある。フレッチャーはライアンをスカウトして来た。彼をべた褒めするフレッチャーに、アンドリューは焦りを感じていた。練習に打ち込むために、アンドリューはニコルを一方的に振ってしまう。
フレッチャーは、自分が才能を見いだし育てたトランペット奏者のショーン・ケイシーが、事故で亡くなったと語る。練習が始まり、フレッチャーはカール・ライアン・アンドリューに順番に演奏させる。3人ともテンポが追いついていないと、猛烈なしごきが始まった。長時間のしごきの末、アンドリューが主奏者の地位を勝ち取る。
大会当日、アンドリューの乗るバスが故障、彼はレンタカーで会場へ急ぐ。何とか間に合ったがライアンに主奏者の座を奪われていた。しかもスティックをレンタカー店に置き忘れてしまった。アンドリューは退学覚悟で主奏者の約束を取り付け、スティックを取りに戻るが、車が事故に遭ってしまった。
全身血だらけで、アンドリューはドラムの前に座る。演奏が始まったが、血でスティックが滑り落ちてしまう。ドラムの音が消え、演奏を中止せざるを得なくなったフレッチャーは、その場でアンドリューに「お前は終わりだ」と告げる。アンドリューは逆上してフレッチャーにつかみかかり、退学に追い込まれてしまった。
ジムは息子のために、フレッチャーのいきすぎた教育法を学校に訴えることにする。弁護士によると、フレッチャーの教え子・ショーン・ケイシーは、彼のせいでうつ病になり自殺したのだそうだ。匿名は守られると知り、アンドリューはフレッチャーから受けた教育について告白することにする。
映画『セッション』の結末・ラスト(ネタバレ)
音楽院を退学になり、アンドリューはドラムをやめた。ふとアンドリューは、フレッチャーがジャズバーでピアノを弾いているのを発見する。アンドリューの告げ口が原因で、フレッチャーは音楽院をクビになっていたのだ。アンドリューに気づいたフレッチャーは、彼を飲みに誘う。
誰かの告げ口で音楽院をクビになったこと、偉大な音楽家を育てることへの情熱などを語ったフレッチャーは、アンドリューを自分のアマチュアバンドに誘う。今度開かれるジャズ・フェスティバルに一緒に出てほしいと言うのだ。曲はアンドリューが叩ける「ウィップラッシュ」と「キャラバン」。アンドリューは、再びドラムへの情熱を取り戻した。
自分の態度を悔いたアンドリューは、ニコルに電話する。しかし彼女はもう別の男性と付き合っていた。
ジャズ・フェスティバル当日。プロのスカウトも来ている。バンドの演奏が始まった。しかし演奏曲は、アンドリューの知らない難解な変拍子のものだった。アンドリューは楽譜もなく必死に食らいつくが、大失敗してしまう。そう、これはアンドリューの告げ口に気づいていたフレッチャーの罠だったのだ。
プロへの道を絶望的にされたアンドリューは、舞台袖にひっこみ父に抱きしめられる。しかし負けたままでは終われない。アンドリューはもう一度舞台に上がる。そして曲紹介を無視し、「キャラバン」を叩き始める。他の奏者もそれに合わせ始め、演奏を続けざるを得なくなったフレッチャーは仕方なく指揮をする。アンドリューは長いドラムソロを叩き始めた。最初は怒り心頭だったフレッチャーも、彼のソロを聴くうちに真剣に指揮をし始め、倒れかけたシンバルを元に戻す。ついにドラムソロは最高潮を迎えた。その瞬間、フレッチャーの口元に満足げな笑みが浮かぶのだった。
映画『セッション』の感想・評価・レビュー
正直、私自身は狂気をはらむほどの師弟関係というものとは無縁だし、そうしたものの当事者になりたいと思ったことはない。ただ、それを遠巻きから見る分にはやはり楽しいのだ。少し嫌な奴になりながら、フレッチャーの鬼のシゴキの数々、追い詰められていくネイマンの姿を見ていると突如突き付けられるラストシーン。殺したいほどの憎しみを超えて、高みへと昇り詰めるネイマンの演奏は、まさに鳥肌ものである。(男性 20代)
理想の音楽を目指すあまり、悪魔に魂を売ったかのような狂気に満ちた指導するフレッチャー。そんな彼の指導を受けるニーマンは、当初は普通の大学生に見えたが、だんだんと心を蝕まれて生活が変わっていく。
プロ意識の芽生えと言えば聞こえがいいが、高みを目指すあまり大切なものを見失い周囲の人たちとの関係が悪くなる。そんな中、最後まで彼を見守る父親の存在がよかった。最後の最後まで気を抜けない展開が続くが、互いの憎悪までも凌駕する、音楽の高みを目指す姿には圧倒された。(女性 40代)
監督デイミアン・チャゼルという存在を世に知らしめた作品。ある意味、ホラー映画である。がむしゃらに一心不乱に手に入れた場所を失う恐怖。救いの手が伸ばされたと思った後に裏切られる恐怖。そして立ち向かうその先にある恐怖。息つく暇も与えられたっけと感じるほど、色合いも常にコントラストが強く、いつまで経ってもテンションが張りつめられていて観てる側も辛い。逃げ出さない、というよりもしがみつく狂気をずっと見せられていた。いつもの音楽映画と違って、こういうスターダム系ってワクワクすることが多いのに、それを一片もさせてくれない映画だった。(女性 30代)
ホンモノの音楽を奏でるためにはこんなことをしなければいけないのか、いい音を出すためにここまでの努力ができる人しか音楽はできないのかと色々なことを考えながら観ました。
教官は鬼のように怖くて私は指導なのかいじめなのか分からなくなり、いい気持ちではありませんでした。
最後の演奏は圧倒されました。この演奏のための映画だったのか、今までの時間はそのためのものだったのかと思いました。音楽をやっている人なら絶対に感動する作品だと思います。(女性 20代)
どこまでも真っすぐで真剣な教育者と教え子を追うストーリーです。音楽を題材にした映画としては異例なほどに痛く、苦しい感情を覚えました。
J.K.シモンズのありえない程の厳しさの中に、優しさを秘める演技には脱帽です。序盤は退屈に感じる方が多いかもしれませんが、ラストの演奏シーンだけでも観ていただきたいと思います。あの全てを投入したような、全てをぶつける演奏を観たら、全編観たくなるはずです。(女性 20代)
名門音楽大でストイックすぎる先生のもとで必死に食らいつきながら自身のドラムの技術を磨こうとする主人公の体当たりな演技が素晴らしかったので、すぐ作品に引き込まれました。作品は全体的に「音」を中心に物語が進むため、「観る」というより「聴く」作品だと感じました。
この作品を観て、今自分が頑張っていることは果たして本当に頑張っているのかと問いたくなるような作品でした。何かに本気になりたいと思っている人にオススメの作品です。(男性 20代)
ジャズ界で一流ドラマーになることを夢見た青年・アンドリューと、鬼教官・フレッチャーとの物語。ともかくすべてがパワー全開の作品である。
フレッチャーはパワハラなんぞお構いなし。しかし、人を見抜く才能はズバ抜けていて、アンドリューもそれに必死に食らいついていく。この二人のぶつかり合いがこの映画のエンジンであり、この熱量に観ているこちらも気持ちを引っ張られてしまうのだ。
ラストのアンドリューの演奏は圧巻。嫌がらせをしながらも、結局はアンドリューを認めたであろうフレッチャーの表情も素晴らしい。(男性 40代)
フレッチャーに少しでも期待した自分が馬鹿だった。
典型的なパワハラ・モラハラ上司のような感じ。確かに最近は怒られるとすぐにハラスメントだ。と問題になることが多く、もっと厳しくてもいいのではないかと思う世間だが、この作品はかなりハード。向上心がある人にはもってこいの作品かもしれない。指導方法に問題はあるも競争率が高い世界で一流として成り上がるには厳しい特訓あってこそだと思うから。
アンドリューのドラマーという夢に向かってひたむきな姿は見ていて勇気づけられる。中盤からはしがみつかないと、という何とも言えない無理やり感で心が痛むが、最後はほとんど殴り合いで勝敗は付かないものの先制を取った巻き返しで少しは気が晴れた気がする。(男性 20代)
一言で言うと、「超パワハラ音楽映画」。
まず映画の大部分がバイオレンスで理不尽、そして、主人公を貶めようとする最低な音楽教師が嫌で嫌でたまらなくなる。見ていて苦しくなってもう限界だと思った時に、ラスト数分の圧巻のドラム演奏。ここで主人公の今までのすべてが解放されて、最低な音楽教師さえも認めざるを得ない才能を見せつける。ふたりが演奏中見つめあい、互いに理解しあったかのような錯覚さえ覚えた(多分、違うだろうが)。
物語としては嫌いだ。でも映画としては、とてつもないパワーがあって引き込まれる。(男性 30代)
音楽院でのフレッチャーの指導や暴言は「ムチャクチャだなー」と思いながらも「プロの世界ってこういうものかな」と観ていられました。
でもニーマンがフレッチャーと再会し参加することになったコンテストの場面で、始まる直前のフレッチャーの言葉に耳を疑いました。最後は二人の意地の張り合いにしか見えなくて、ニーマンの渾身のドラムに集中できなかったです。
私は音楽が好きですし、型破りなミュージシャンは面白いと感じるほうですが、ラストの展開は理解に苦しみました。
ストーリーはともあれ音楽的な部分だけを楽しむのであれば、圧倒的なエネルギーを感じられる作品かなと思います。(女性 40代)
みんなの感想・レビュー
フレッチャーに対する厳しい意見をよく目にしますが、ネイマンとフレッチャーは似た者同士ではないかと思いました。
ネイマンも楽譜を無くしたり事故を起こしたりと他者に迷惑をかけ、そのことを反省もしていない自己中心的と思える態度が目立ちます。かつての恋人に対してもそうです。自分の都合だけで別れたにも関わらず、相手に新しい恋人がいると分かると冷めたような態度に変わっています。
フレッチャーもネイマンも音楽以外のことに対して無関心な人間だったのでしょう。そして二人は音楽という共通の価値観を通じて深く通じ合っていたのだと思います。
厳しいことを言われて嫌になってしまうんじゃなくて、何くそ!と自分を奮い立たせて上を目指そうとするアンドリューがめちゃくちゃ推せました。
フレッチャーのやり方に賛否両論あるのは当然だし、フレッチャー自身も嫌なら辞めればいいと言うスタンスなのでそこまで暴力的な感じはしませんでした。文句を言う人は見なければよいだけの話です。
最大の見所は、最後の怖すぎるセッション。フレッチャーに「密告はお前だ」なんて言われたらもう死んだも同然ですよね。しかし、負けなかったアンドリュー。本当にかっこよくて感動的な作品でした。
エンディングに向かって、まるで坂道を転がるようにして加速していく緊張感は、異様だが惹きつけられるものがあった。そんじょそこらのサスペンス映画より手に汗握って観ていたと思う。本当に最後の最後、ラスト一秒まで目が離せない作品だった。
個人的な好き嫌いは別として、“なんだか凄いものを観た”という気持ちになれるのでおすすめ。情熱と狂気の狭間、本気で高みを目指した人間だけが辿り着く境地を垣間見たような気分になった。
鬼教師の学生に対する暴言や圧力、内容の激しさに賛否両論がある作品ではないだろうか。ドラマーを目指す学生のマイルズと、彼を指導するフレッチャーの緊迫したやり取りが見どころだ。個人的にはその荒々しさとピリピリとした緊張感のある演技に目が離せなかった。この作品で鬼講師役を演じたJ・K・シモンズがアカデミー賞助演男優賞を受賞したのも納得のパフォーマンスを見せていた。臨場感あふれる映像と展開に釘付けになった。
基本的に、フレッチャーとアンドリュー2人の場面が多いため、ストーリーに集中して見入ることができた。
鬼教師のフレッチャーのスパルタぶりが狂気的で、張り詰めた緊張感があった。
罵倒され、追い詰められ、その地獄のような厳しさはトラウマになりそうなほど圧巻。
こういった厳しい環境に身を置いたことがないが、本気で取り組むことの意味が描かれているのではないだろうか。
最後12分のコンサートシーンはとてもかっこよくて痺れた。
ネイマンはフレッチャーから指導を受ける際、相手の目を見るよう教育される。ネイマンは相手の目を見ない人物だったのだ。相手の目を見ることで自分の感情をむき出しにして伝えるということを体得したネイマンであったが、これと同時に彼が得たものがもうひとつある。「相手の目を見る」という行為は、同時に「相手から見られる」ということでもある。そう、彼は同時に「他人の目」という新たな概念を意識上に表面化させることとなるのだ。実際、これ以降、ネイマンはフレッチャーに気に入られることだけを求めるようになっていく。
終盤、ネイマンは幼いころの自分がドラムを叩く姿をホームビデオで見て涙を流す。ネイマンは、もはや自分の中に純粋な初期衝動がないことに気づいてしまったのだ。他者からどう見られるかを意識しすぎたあまり、音楽に向き合う姿勢を欠いていたということに気付かされる訳だ。
ネイマンはフレッチャーと揉め、音楽学校を退学となりドラマーの道を諦めるが、ドラムを壊したり捨てたりせず自宅のクローゼットに仕舞ってあることからも、未だどこかで夢を諦めきれていないことが伺える。一度、夢も愛する人をも捨てたことで、失うものがなくなったネイマンは音楽そのものに向き合うこととなる。
物語ラストのドラムの熱演は圧巻である。単純な物語のカタルシスがここにあるのはもちろんのこと、演出も冴えている。ネイマンは誰とも目を合わせず、目の前のドラムをひたすら叩くのだ。彼はようやく、他者の視点という呪縛から脱却したのだ。そしてこれがフレッチャーと分かり合えた初めての瞬間でもある。他者と真に交流するということは、心でお互いに語り合うことなのだ。
音楽を扱った映画でありながら、本作はアクション映画でもある。本心をお互いにぶつけあうという意味では、ある意味殴り合いなのだ。
時にそういった本気の殴り合いは、第三者から見れば滑稽である。本気で取り組むということは独善的なことなのかもしれない。本作ではラストの演奏シーンで引きのロングショットが効果的に多用される。あの世界の高次に達しているのはネイマンとフレッチャーだけで、観客もほかのバンドメンバーも置いてけぼりなのだ。
しかし格闘技と唯一異なるのは、勝敗がすべてではないということである。自分が真に納得できるものを実現できればそれで良いのだ。それを他者がどう言おうと関係ない。自分の人生は他でもない、自分のものなのだから。