この記事では、映画『セブン』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。
映画『セブン』の作品情報
出典:U-NEXT
製作年 | 1995年 |
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上映時間 | 126分 |
ジャンル | サスペンス ミステリー |
監督 | デヴィッド・フィンチャー |
キャスト | ブラッド・ピット モーガン・フリーマン グウィネス・パルトロー ジョン・C・マッギンレー |
製作国 | アメリカ |
映画『セブン』の登場人物(キャスト)
- デイヴィッド・ミルズ(ブラッド・ピット)
- 熱意に満ちた新米刑事。サマセットとコンビを組み、世間を騒がす「七つの大罪」をモチーフとした連続殺人事件の捜査に乗り出す。
- ウィリアム・サマセット(モーガン・フリーマン)
- デイヴィッドの相棒で、あと1週間で定年退職を控えたベテラン刑事。暴走しがちなデイヴィッドを諌める保護者的役割。
- トレイシー・ミルズ(グウィネス・パルトロー)
- デイヴィッドの美人妻。思いもしない形で事件と関わりを持つ様になる。
映画『セブン』のネタバレ・あらすじ(起承転結)
映画『セブン』のあらすじ【起】
とある街で、一つの燦々たる事件が起こりました。被害者は汚物にまみれ、無理やり食べ物に顔を突っ込まれなくなっているという状態で、その傍らには「大食い」と恐らく犯人からの犯行メッセージであろう言葉が残されていました。捜査にあたる事となったのは、あと1週間で定年退職を迎えるベテランのサマセット刑事、そして熱意とやる気に満ちている新米刑事、デイヴィッドです。
しかしこの一件はこの後に続く悲惨な連続殺人のほんの序章に過ぎませんでした。その次に起きた事件では、弁護士が腹を引き裂かれて息絶えていました。そして先の事件の様に、死体の傍らには犯行メッセージが残されています。今回の文字は「強欲」でした。
大食いと強欲、この2点を結ぶ共通点は「7つの大罪」であると判断した2人は、犯人は7つの大罪になぞらえて事件を起こしているのではないかと予測します。つまり残りの5つの大罪、「嫉妬」「怠惰」「色欲」「高慢」「憤怒」になぞらえたあと5つの殺人が起きるのではないかと考えるのでした。
映画『セブン』のあらすじ【承】
デイヴィッドとサマセットは、凄惨な現場に残された一つの手がかりを発見します。それは犯人のものと思われる指紋でした。指紋を採取した彼らは、その指紋の持ち主と思われる人物の家に急行しました。しかしなんと、その部屋ではまるで廃人の様に死に絶えている男が1人取り残されていました。そして例の如く、死体の傍らには犯行メッセージが残されていました。今回の言葉は「怠惰」、まだ殺人が続くという2人の予想は奇しくも的中してしまったのでした。
捜査の末、なんと今回の被害者は一年間もこの部屋に監禁され徐々に弱らされていった事が判明します。つまり犯人のこの一連の犯行はかなり前から計画され、そして実行に向けて着手していたのでした。犯人の狂気的な執念に気圧されながらも、サマセットとデイヴィッドは犯人を捉えるべく捜査を続けます。
そして新たに犯人の目星をつけた2人はその人物を捕まえるべく踏み込みましたが、デイヴィッドの若さ故の情熱が空回りしてしまいます。そんなデイヴィッドの隙を見て犯人と思しき人物は逃走してしまうのでした。
映画『セブン』のあらすじ【転】
デイヴィッド達が突入した部屋には、その犯人の犯行を裏付ける様に室内に今までの被害者の写真が残されていました。そして何故か、デイヴィッドの写真もその中にあったのでした。
その後のデイヴィッドとサマセットの必死な捜査も虚しく、「肉欲」と「高慢」を題材とした2つの犯罪が立て続けに生じてしまいます。その被害にあったのは、肉欲では娼婦、そして高慢ではモデルの女性でした。残りの大罪は「嫉妬」と「憤怒」です。何とかその2つの犯罪が起きる前に犯人を食い止めようと、操作が行き詰まる中デイヴィッドとサマセットは躍起になりました。
しかし丁度その時、自分が一連の事件の犯人だという男が名乗り出てきました。何故あと二件の殺人を残すこのタイミングで自首してきたのか。その意図は全く不明なまま犯人と思われる男に対する取り調べが行われます。そして犯人は、自分の犯行について教えてやる、とサマセットとデイヴィッドを連れてとある場所へ向かうのでした。
映画『セブン』の結末・ラスト(ネタバレ)
デイヴィッドは犯人の言うままに車を走らせます。そして到着した場所は何もない、ただただ広がる荒野でした。犯人が何故この場所を指定したのか意味がわからない2人でしたが、そんな彼らの前に一台の宅急便の車が止まります。そしてその場に小包をひとつ置き去っていったのでした。
荒野の真ん中に置かれたその小包を、「中身を見てみろ」とデイヴィッドに向かって楽しそうに犯人は笑います。嫌な予感がしながらもデイヴィッドは犯人に従い、その小包に手をかけました。すると何と、小包の中にはデイヴィッドの最愛の妻であるトレイシーの生首が入っていたのでした。ここでサマセットは犯人の企みに気がつきます。
トレイシーという美人な妻をもらったデイヴィッドに「嫉妬」した犯人は、トレイシーを殺す事で「嫉妬」をテーマとした殺人を成立させたのです。そして最後の一つ、「憤怒」は言うまでもありません。必死で止めるサマセットの声も届かず、怒りのままデイヴィッドは犯人に向けて銃口を向けるのでした。
映画『セブン』の考察・解説(ネタバレ)
映画『セブン』で、妻が死んでない可能性はあるのか?
映画『セブン』の悲劇的なクライマックスにおいて、ミルズ刑事の妻トレイシーが生きている可能性はほとんどないと言えるでしょう。犯人のジョン・ドウは、「嫉妬」の罪を自ら実行したと告白し、トレイシーを殺害したことを明かします。彼女の頭部が箱に入れられ、ミルズのもとに送られてくるという衝撃的な場面は、彼女の死が確実であることを示唆しています。
映画の中で、箱の中身が直接映し出されることはありませんが、ミルズとサマセット刑事の反応から、そこにトレイシーの頭部が入っていることは明白です。さらに、トレイシーが妊娠していたことが判明し、彼女の死がより一層悲劇的なものとなります。
トレイシーが実は生きているという展開は、物語の流れからすると不自然であり、「七つの大罪」をテーマとしたジョン・ドウの計画を完結させるためにも、彼女の死は必要不可欠な要素となっています。したがって、彼女が生存している可能性は極めて低いと考えられます。
映画『セブン』の「奥さんから電話」は何を意味するのか?
映画『セブン』の序盤、ミルズの妻トレイシーがサマセット刑事に電話をかけ、夕食に招待するシーンがあります。この「奥さんから電話」は、物語の初期段階においてサマセートとミルズ家族の絆を深める重要な役割を果たしています。
サマセットは独身で、人生に疲れを感じているキャラクターです。トレイシーからの電話は、彼にとって日常的な人間関係の温かさや家庭の温もりを感じさせる貴重な瞬間でした。このシーンを通じて、サマセットがミルズ夫妻に対して人間的な親近感を抱くようになり、後半の感情的な反応に繋がっていきます。
また、この電話は、トレイシーがサマセットに悩みを打ち明けるシーンの伏線ともなっています。彼女とサマセットの間に信頼関係が芽生えたことが、後の展開に影響を与えるのです。物語の中で、サマセットがトレイシーの死に強い感情を抱く背景には、この電話のシーンが重要な役割を果たしていると言えるでしょう。
映画『セブン』に気まずいシーンはあるか?
映画『セブン』には、観客が非常に気まずさを感じるシーンがいくつか存在します。特に、ジョン・ドウの犯行現場を目撃するシーンや、ラストの箱をめぐる緊迫した場面は、その好例と言えるでしょう。
まず、「色欲」の罪に基づく殺人シーンでは、犯人が被害者に対して極めて過激な手段で殺害を行い、その結果が生々しく描写されます。直接的な暴力や殺人の瞬間は映し出されませんが、残虐な道具とその状況から観客の想像力がかき立てられ、強い不快感と緊張感が生み出されます。
また、映画のクライマックスである箱のシーンでは、ミルズとサマセット、そしてジョン・ドウの間に生じる心理的な駆け引きと衝撃的な真実が明らかになることで、極度に不安定な感情が描かれます。ミルズが感情的に追い詰められる様子は、観客をも巻き込んで、息苦しさを感じさせずにはいません。
これらのシーンは、『セブン』という作品全体の暗く重苦しいトーンを反映し、視聴者に強烈な不快感や緊張感を与えることで「気まずさ」を演出しているのです。
映画『セブン』は、どのあたりがグロいのか?
『セブン』のグロテスクな要素は、主にジョン・ドウが犯した「七つの大罪」に基づく一連の殺人に表れています。それぞれの殺人は、罪に対応した残忍な方法で行われ、被害者の死体や殺害の痕跡が視覚的に強調されることで、観客にショックを与えます。
例えば、「怠惰」の罪を表す殺人では、被害者が何年もベッドに縛り付けられたまま放置され、生きたまま衰弱していく姿が描かれます。その痩せ細った身体と惨めな生存状況は、非常に衝撃的です。また、「暴食」の罪では、被害者が強制的に大量の食事を与えられ、最終的に死に至るまでの過程が赤裸々に描写され、食べ物と死のコントラストがグロテスクさを際立たせています。
さらに、「色欲」の罪に関連する殺人では、被害者に性的な暴力が加えられた様子や、その証拠となる道具が露骨に示されます。直接的な暴力シーンは控えめですが、被害者の状態や周囲の状況描写が観客の想像力を刺激し、強い不快感とグロテスクなイメージを喚起するのです。
映画『セブン』で、サマセットが黒幕の可能性はあるのか?
映画『セブン』において、サマセット刑事が黒幕である可能性は極めて低いと言えます。物語の構成やテーマを考慮すると、サマセットは物語の道徳的な中心となるキャラクターであり、彼が黒幕であるという仮説は成り立ちにくいのです。
サマセットは、キャリアの終わりが近づいている冷静で思慮深い刑事として描かれ、ジョン・ドウの残虐な犯罪を阻止するために全力を尽くしています。彼は倫理的な判断力を持ち、世界の不条理や腐敗に対して無力感を感じている存在です。もし彼が黒幕だとしたら、その信念と行動が完全に矛盾することになります。
また、物語の終盤でジョン・ドウが自ら出頭し、周到に計画されたミルズへの罠が明らかになる中で、サマセットは完全にその計画に巻き込まれ、最後までミルズを守ろうとする姿勢を見せます。彼が黒幕である証拠やそれを示唆する描写は一切なく、物語における彼の役割は、ミルズとは対照的な立場を保っています。
以上のことから、サマセットが黒幕である可能性は極めて低いと考えられます。
映画『セブン』に年齢制限はあるか?
映画『セブン』は、残虐な描写や重苦しいテーマを含むため、多くの国で年齢制限が設けられています。特に「R指定」や「18歳未満鑑賞禁止」といった厳しい規制が適用されており、その主な理由は、暴力的でグロテスクなシーンの存在です。
映画の中では、「七つの大罪」をモチーフとした一連の殺人が次々と描かれ、その手口は非常に残酷で視覚的にショッキングなものばかりです。被害者の遺体の状態や犯行現場の描写は生々しく、観客に強い不快感を与えます。特に「暴食」や「怠惰」、「色欲」に関連する殺人シーンは、その残虐さが際立っており、精神的にも大きな衝撃を与えかねません。
さらに、映画全体のトーンが非常に暗く、ラストも重く悲劇的な結末を迎えるため、若年層の観客には精神的な影響が懸念されます。このような理由から、多くの国で18歳以上を対象とした年齢制限が課されており、日本でもR-18指定となっています。
映画『セブン』の舞台となった場所はどこ?
映画『セブン』の舞台となる都市は、具体的な名前が明示されていません。物語は、無名の大都市を背景に展開し、常に悪天候に見舞われ、犯罪が蔓延する暗く陰鬱な街並みが印象的です。この都市は、絶え間ない雨とどんよりとした空模様が特徴的で、全体的に抑圧された雰囲気を醸し出しています。
実際の撮影は、主にアメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスとその周辺で行われました。廃墟となった工場や汚れたアパート、荒れ果てた路地など、不気味で陰鬱な雰囲気を醸し出す場所が選ばれています。しかし、映画の中では、舞台となる都市の具体的な位置や名前についての言及は意図的に避けられており、観客に「どこにでもあり得る都市」という印象を与えるように工夫されています。
この無名の都市設定は、物語全体に漂う不安感や無力感、そして腐敗した社会の象徴としての役割を果たしています。特定の場所に限定せずに、普遍的な「どこにでもある都市」として描かれることで、作品のテーマがより強調され、不気味さが増幅されているのです。
映画『セブン』の箱の中身のネタバレは?
映画『セブン』のクライマックスで、ミルズ刑事に届けられる箱の中身は、彼の妻トレイシーの頭部です。これは映画の中で最も衝撃的なシーンの一つであり、「七つの大罪」に基づいたジョン・ドウの計画の最終章を飾る重要な要素となっています。
ジョン・ドウは、自らが「嫉妬」の罪を犯してトレイシーを殺害したことを告白し、その結果、ミルズを「怒り」の罪へと導き、ジョンを射殺するという結末を迎えます。箱の中身そのものは直接映し出されませんが、ミルズとサマセット刑事の反応から、その衝撃的な内容が明らかになります。
このシーンは、ミルズを絶望と怒りの極限へと追い込み、ジョンの入念に計算された計画が見事に成就する瞬間でもあります。箱の中身の衝撃は、物語の結末に向けた決定的な転換点となり、観客の感情を大きく揺さぶる重要な場面として機能しているのです。
映画『セブン』でミルズは何を言いかけたのか?
映画『セブン』の終盤、ミルズ刑事は感情的に追い詰められ、彼のセリフが未完のまま終わるシーンがあります。特にクライマックスでは、ジョン・ドウから妻トレイシーの殺害を告げられ、怒りが爆発寸前の状態で何かを言おうとしますが、言葉が詰まってしまいます。このシーンは観客に強烈なインパクトを与えます。
ミルズが言いかけた言葉の内容は、映画の中で明確には示されていませんが、彼の心の中で渦巻く絶望、怒り、そして愛する妻を失った悲しみが入り混じっていることが推測できます。この瞬間、彼は妻を殺された怒りと正義感の間で激しく揺れ動いていますが、あまりの衝撃に言葉を見出すことができないのです。
多くの観客は、このシーンでミルズが具体的に何かを言おうとしたというよりも、感情が高ぶりすぎて言葉にならなかったと解釈しています。妻の死という残酷な現実に直面し、言葉では表現しきれない感情の渦が彼の中で巻き起こっているのです。このセリフの未完は、映画の緊張感とミルズの絶望をより一層際立たせる効果を生んでいます。
映画『セブン』で、ミルズが過去に撃った人物を思い出せない理由は?
映画『セブン』の中で、ミルズ刑事が過去に撃った相手の詳細を思い出せないシーンは、彼の性格に内在する衝動性や感情の不安定さを表しています。ミルズは強い正義感を持ち、犯人を追い詰めるために全力を尽くす熱血漢ですが、時として正義感に感情が支配され、冷静さを失ってしまうことがあるのです。
物語の中で、ミルズが過去に撃った人物の記憶があいまいなのは、長年の警官生活で数多くの事件に遭遇し、犯人を捕まえるために極限の状況下で行動してきた経験が、彼の記憶を曖昧にしてしまったからだと考えられます。犯罪捜査の過程で暴力を用いて犯人を撃つことは、ミルズにとって日常的な出来事になってしまっているのかもしれません。
このシーンは、ミルズが強い正義感と衝動に突き動かされている一方で、冷静に状況を判断したり、自分の行動を反省したりすることが苦手であることを示唆しています。ジョン・ドウの巧妙な罠に嵌り、最終的に愛する妻を失った時、ミルズの感情は完全に崩壊してしまいます。あまりのショックに、過去の出来事さえも思い出せなくなってしまったのかもしれません。
ミルズのこのような性格は、映画全体を通して描かれる彼の内面的な葛藤と関連しています。正義を追求する強い意志と、感情に流されやすい衝動性との間で揺れ動くミルズの姿は、『セブン』という作品の重要なテーマの一つなのです。
映画『セブン』のエンドロールが逆に流れる理由は?
映画『セブン』のエンドロールが逆再生されるという演出は、作品全体の暗く不安定な雰囲気を最後まで維持するための意図的な手法です。一般的にエンドロールは、物語の終結とともに観客に安心感を与える役割を果たしますが、この映画ではあえて逆方向に流すことで、物語の後味の悪さや불安感を増幅させているのです。
『セブン』という作品は、全編を通して暗く陰鬱な雰囲気が支配し、残虐な犯罪が次々と描かれます。エンドロールの逆再生は、このような作品の持つ反道徳的で破壊的なメッセージを象徴的に表現しているとも言えるでしょう。ジョン・ドウの「七つの大罪」に基づく殺人計画が成功を収め、ミルズの人生が崩壊していくラストシーンは、通常のエンドロールでは収まりきらない強烈な印象を観客に残します。
また、逆再生のエンドロールは、物語がまだ続いているような錯覚を観客に与え、不安感を持続させる効果もあります。通常とは異なる視覚的な演出により、観客は映画の提示したダークでゆがんだ現実から完全に抜け出すことができず、上映後もその余韻に浸ることになるのです。
このように、『セブン』のエンドロールが逆再生されるのは、作品のテーマや雰囲気と密接に関連しており、観客に強烈な印象を残すための巧みな演出手法だと言えるでしょう。物語の終わり方と同様に、エンドロールもまた、この映画の持つ独特な世界観を表現する重要な要素なのです。
映画『セブン』のラストのサブリミナル効果について
映画『セブン』のラストシーンでは、サブリミナル効果と呼ばれる手法が用いられており、観客の無意識に強烈なインパクトを与える仕掛けが施されています。このサブリミナル効果は、主に短いカットや素早い編集技術によって、視覚的にショックを与えることを目的としているのです。
サブリミナル効果とは、通常は観客が意識的に気づかないほど短時間で画像や映像を挿入する技法のことを指します。『セブン』の場合、特に終盤、ミルズ刑事が怒りと絶望に包まれるシーンやジョン・ドウの最終的な計画が明かされる場面で、この手法が用いられていると言われています。一瞬のうちに挿入されるこれらの映像は、観客が見逃したと感じても無意識のうちに脳に刻み込まれ、不安感や緊張感を増幅させる効果があるのです。
『セブン』という作品は全体的に暗く不気味な雰囲気に包まれていますが、このサブリミナル効果はさらに視覚的にも心理的にも不安定な感覚を強調するために活用されています。観客はエンディングに向けて徐々に心の中に焦燥感や不安感が募っていき、映画が終わった後もその影響から完全に抜け出せないような感覚を抱くことになるのです。
このように、『セブン』のラストシーンに用いられたサブリミナル効果は、観客の感情に直接訴えかける強力な演出手法だと言えるでしょう。意識下に働きかけるこの手法により、作品の持つ暗くて不安定な世界観がより深く観客の心に刻み込まれていくのです。
映画『セブン』はどこで見れる?フルで無料視聴する方法は?
映画『セブン』を見逃した人やもう一度見たい人のために、以下の記事では映画『セブン』のフルを無料視聴できる動画配信サービスと方法について紹介しています。
ぜひ、以下の記事もご覧いただき、映画『セブン』をフル視聴してみてはいかがでしょうか。
みんなの感想・レビュー
この作品は、公開から20年以上経っている今もなお色あせない名作だと思う。決してハッピーエンドではなく、これまで観てきた映画の中でも上位のいわゆる胸糞映画である。しかしそのあまりにも衝撃的な結末は、観る者の心に残ることだろう。
物語としては、次々と殺人事件が起きていくというありきたりな設定ではあるものの、一つ一つの事件が衝撃的な内容で、驚きの連続に目が離せない。予想をはるかに上回る残酷な殺人事件、そして苦しくなる程無残なラスト、サスペンス好きにはたまらない一作である。
七つの大罪、私達にはあまり馴染みがない言葉ですが、主にカトリック教会の言葉で人間が罪を犯すかもしれない人間の欲や感情を戒めるために定義されたものらしいです。物語では書物通りに罪を裁くための殺人が行われていると言っています。
最初に殺された巨漢の男の罪は大食い、次は弁護士のグールドは強欲のため殺されます。弁護士は次のターゲット怠惰のアランの弁護を務めたことがあります、お金の為にアランの罪を軽くしたため目をつけられました。次は肉欲の金髪女性が殺され翌日には高慢の女性が顔をひどく傷つけられ両手には電話と睡眠薬が糊づけされた状態で発見されました。残る憤怒と嫉妬の罪は・・・それはラストで確認してみてください。
犯人はジョン・ドゥという人物ですがこの人物の素性など最後まで一切分かりません。とにかくお金を持っているという事と指紋を削り取っているため犯行現場で指紋がなかったということだけです。ジョン・ドゥという名前も日本でいうところの“名無しの権兵衛”のような意味合いです。
自分は選ばれた人間で救世主だと言っていました、自分のしたことが人々の心に残り悔い改める機会が与えられると。サマセットも捜査中に犯人は殺して痛悔を強いたと言っています、痛悔(つうかい)とは神を信じていなくても悔いることを指すのだそうです。
とにかくラストの衝撃が強すぎる映画でした、何年経ってもこのインパクトは計り知れないほど強くて映画のセブンと聞いただけであのシーンが甦ります。無関心という鎧を纏って定年まで刑事として過ごしてきたサマセットと熱血というかキレやすい新米刑事ミルズという対照的なキャラクターという王道の組み合わせで物語が進んでいきます。これがラストであんなに衝撃的な事になるとは思いもよりませんでした。もっと冷静に考えるようにしたらどうだというサマセットのアドバイスにミラズは“自分は感情で動く人間なんだ”と開き直りますがその時アドバイスを受け入れていたら・・と本当に悔いが残ります。実際に殺されるのではなく心を殺すこともできるんだと考えさせられた作品でした。