映画『グーグーだって猫である』あらすじネタバレ結末と感想

グーグーだって猫であるの概要:吉祥寺を舞台に漫画家である大島弓子の自伝的作品を小泉今日子主演で映画化。愛猫の死をきっかけにして新たに迎え入れた子猫のグーグーと麻子の『生』と『死』に向き合う日常が優しく緩やかに綴られる。

グーグーだって猫である あらすじネタバレ

グーグーだって猫である
映画『グーグーだって猫である』のあらすじを紹介します。※ネタバレ含む

グーグーだって猫である あらすじ【起・承】

小島麻子はかつて人気だった漫画家だが、今は年に数本の新作を発表するのみである。そんな麻子の元には4人のアシスタントがいる。中でもナオミは子供の頃に麻子の漫画に感銘を受けて以来、憧れの気持ちを持って麻子を慕っていた。

徹夜続きの締め切り明け、麻子は飼い猫のサバがソファでぐったりしているのに気が付いた。ここ数年腎臓を悪くしていたらしいが、しかし15年の寿命を全うしたのだった。

麻子がサバと出会ったのは初めての連載の最終話に行き詰っていた時だった。それ以来苦楽を共にしてきたサバを失ったことは麻子には相当なショックで、以来しばらく漫画を描けなくなった。そんな麻子をアシスタントの四人は心配げに見守るが、ある日、麻子は一匹の子猫を迎え入れた。

その猫に麻子はグーグーと名付けた。可愛らしい子猫に麻子をはじめ、アシスタント4人も揃って可愛がり、麻子の自宅兼仕事場は以前のような明るさを取り戻した。

グーグーが来て数か月後のある日、酔いつぶれたナオミが麻子の部屋のソファで眠っていると、グーグーが足にしがみついてきた。どうやらグーグーはオスの自覚を持ったらしい。

それを見て、麻子はグーグーの去勢の手術を決意する。

グーグーだって猫である あらすじ【転・結】

去勢の手術当日、麻子が出かける準備をしている間にグーグーが姿を消してしまった。網戸を開けて外へ出ていってしまったのだ。

必死で探す麻子がほとんど諦めかけた時、公園で出会った男に木の上から話しかけられ「持っていて」と渡されたのはなんとグーグーだった。

麻子がその男の鷹揚さに惹かれたらしいことを偶然その場に居合わせたナオミが気づく。ナオミはかつて『21世紀の会』と称した、小島麻子の天才的な血脈を後世に残す為に結成された私的同盟を思い出した。その会のメンバーは今は自分一人だが、しかし長い間独身でいる麻子に相手を、と目論む。

ナオミの恋人マモルも手伝って麻子はその男、沢村との再会を成功させた。

グーグーの成長と共に距離を縮める麻子と沢村だったが、いまひとつ麻子は沢村との関係を進めることに躊躇してしまう。

しかしグーグーや沢村と過ごす時間は麻子にいい影響を与えており、久しぶりに新作を思いついた麻子は、そのネタをアシスタントたちに披露する。

それは急速に老化していく病気にかかった少女の話であった。作中に登場する80歳の老人とはどういうものかを経験する為に、5人は市役所で老人体験グッズを借りて街へ繰り出す。

だが、道中ナオミはマモルの浮気現場を目撃した。逃げ出したマモルと浮気相手を追いかけるナオミ。そのナオミをあとの4人も追う。だが、ついにナオミがマモルを捕まえたところで、麻子が道路に倒れ込んでしまった。

麻子はそのまま病院へ運ばれ、検査を受ける。先に帰宅したナオミの元にその夜麻子が訪ねてきてグーグーを預かってほしい、とお願いし、自分は子宮ガンだと告げた。

グーグーだって猫である 評価

  • 点数:65点/100点
  • オススメ度:★★☆☆☆
  • ストーリー:★★☆☆☆
  • キャスト起用:★★★☆☆
  • 映像技術:★★☆☆☆
  • 演出:★★★☆☆
  • 設定:★★☆☆☆

作品概要

  • 公開日:2008年
  • 上映時間:116分
  • ジャンル:ヒューマンドラマ
  • 監督:犬童一心
  • キャスト:小泉今日子、上野樹里、加瀬亮、大島美幸 etc

グーグーだって猫である 批評・レビュー

映画『グーグーだって猫である』について、感想と批評・レビューです。※ネタバレ含む

猫好き、もしくは、出演者推しならば観て損なし

精巧なカメラで一流のカメラマンが時間もお金も使って猫を取っているので、猫好きには必見である。可愛らしい効果音と軽快かつ落ち着いた音楽は猫の仕草をより可愛らしく見せ、引き立てる。
そしてまた、小泉今日子演じる麻子はじめ、ナオミ役の上野樹里、麻子の相手役となる加瀬亮の3人とプラス1匹の紡ぎだす緩く優しい、しかしどこかぎこちない時間がたまらなく愛おしく映し出されていた。

芝居なのか自然体なのか

麻子は漫画家として認められ、実績もあるのに決して偉ぶらないところが好感を持てた。また声を張らずに囁くように話す麻子の静けさはそのまま映画全体の雰囲気にも繋がる。だが、UMEZU氏に話しかけられた時、また、最後の「ただいま、グーグー」の台詞など時折そのキャラがぶれ、役ではなく小泉今日子が見えてしまうのが残念だった。
撮影では猫待ち、というのもあったらしいから、全体的には作られた芝居劇というよりはドキュメンタリーに近い空気感を感じた。
だが半面、人間だけのシーンではやけに芝居臭さが悪目立ちしてしまう箇所があるのも否めない。

ストーリーの中からテーマを拾うことが難しい

サバの死、子猫のグーグー、この2匹の避妊や去勢、それから麻子の卵巣ガンなど映画全体のテーマは『生』と『死』である。だが、それを一度観ただけでは受け手は認識できないだろう。故にこの脚本は成功しているとは言い難い。
吉祥寺という町をやけに推していて町案内要素が強く、タイから輸入された像や英会話学校のポールの登場などにシーンを割いていたが、実に分かりづらかった。
入院中、抗がん剤の副作用でうつ状態に陥った麻子だが、ナオミのナレーションで説明されるだけでその逼迫さが伝わってこなかったのも残念だった。
町案内要素を減らし、麻子自身のスランプや病気での苦悩、それを経験しての新作制作をもっと丁寧に描いてもよかったのでは、と思う。

グーグーだって猫である 感想まとめ

これは、紛れもなく猫映画である。

ナオミが女子高生に同棲中の恋人を寝取られ別れたことや、麻子が大病を患ったこと、その後スランプや療養生活を経て華々しく復帰したことなど、一人の人生の中で考えるとまぁまぁ大事件である筈なのに、それらの苦しみや悲しみをグーグーの可愛らしさだけで全てカバーされているのだ。いっそ猫のプロモーションビデオと言っても過言ではない。

特別に動物好きでもなければ、またキャストの誰かのファンでもない、という人にはなかなか辛抱のいる映画だったように思う。
つまり、ストーリー自体に変化があったとしても、最初から最後まで一貫してこの世界観に引き込まれる、続きが気になる、そんなワクワクとしたものは与えられない。ただ、猫と過ごす人々の日常、人生を描いているものなのだ。

厄介なのはBGMにするには、猫の出演が少ないし、ストーリーが載りすぎているということ。鑑賞するタイミングが難しい映画ではあるが、一方で「猫もキャストもどちらも好きだけど、まだ観ていない」という人には是非お勧めしたい。

Amazon 映画『グーグーだって猫である』の商品を見てみる