映画『エル・スール』の概要:1973年に発表した長編映画デビュー作『ミツバチのささやき』でいきなり大注目されたビクトル・エリセ監督が、それから10年後に発表した長編映画の2作目。スペイン内戦が残した傷跡は、父と娘の幸せな関係を少しずつ壊していく。エル・スールとは、スペイン南部を意味する言葉。
映画『エル・スール』の作品情報
上映時間:95分
ジャンル:ヒューマンドラマ
監督:ヴィクトル・エリセ
キャスト:オメロ・アントヌッティ、ソンソレス・アラングーレン、イシアル・ボジャイン、オーロール・クレマン etc
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映画『エル・スール』の登場人物(キャスト)
- アグスティン・アレーナス(オメロ・アントヌッティ)
- スペイン南部(エル・スール)出身の医者。内戦前から共和制を支持しており、内戦後のフランコ政権下では、反逆者扱いされた過去がある。真逆の考えを持つ父親とぶつかり、南にはずっと帰っていない。現在は妻と娘と北部で暮らしている。
- エストレリャ(8歳の時:ソンソーレス・アラングレン / 15歳の時:イシアル・ボリャイン)
- アグスティンの娘。幼い頃は父のことが大好きで尊敬していたが、あることを境に父のイメージが変わり、親子関係に亀裂が生じる。南へは行ったことがないので、幼い頃から南への憧れがある。
- フリア(ローラ・カルドナ)
- アグスティンの妻。教師だったが、内戦後に教職を追われ、専業主婦になった。アグスティンの変化に翻弄され、病気がちになる。
- ラウラ(オーロール・クレマン)
- アグスティンの元恋人。詳しい経緯はわからないが、内戦後の混乱でアグスティンと別れ、その後女優になった。芸名はイレーネ・リオス。アグスティンとは、8年間音信不通になっていた。
- カシルダ(マリア・カーロ)
- アグスティンの乳母。エストレリャの初聖体拝受のお祝いに訪れ、南のことを話してくれる。明るくて気のいいおばあさん。
映画『エル・スール』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『エル・スール』のあらすじ【起】
エストレリャの父のアグスティンは、彼女が15歳の時に自殺した。アグスティンが行方不明になった夜、エストレリャは枕の下に父の振り子があるのに気づき、もう父は戻らないのだと確信した。エストレリャは、父との日々を回想していく。
少女時代のエストレリャは、父の都合でよく引越しをした。そして8歳の時、スペイン北部の城壁に囲まれた川沿いの町へ越してくる。父は田舎と町の中間地点にポツンと建つ家を「かもめの家」と名付け、家の前の道を「国境」と呼んでいた。
アグスティンは医者で、町の公立病院で働いていた。アグスティンには不思議な霊的能力があり、振り子を使って水源を探し当てたりすることができた。エストレリャはそんな父が大好きで、アグスティンもひとり娘のエストリリャをとても可愛がっていた。
エストレリャの母のフリアは、スペイン内戦後の報復で教職を追われてからは専業主婦になっていた。エストレリャは父よりも母と過ごす時間の方が多かったが、母に関して特別な記憶はない。ただ、母から聞いた父の故郷の南(エル・スール)の話には、強い関心を持つ。父は祖父とぶつかり、若い頃に家を飛び出してから南へは戻っていなかった。そのためエストレリャも南へ行ったことがなく、見たことのない父の故郷に憧れがあった。
映画『エル・スール』のあらすじ【承】
8歳になったエストレリャは、初聖体拝受の日を迎える。儀式の前日、南から祖母と父の乳母だったミラグロスがやってくる。祖母とミラグロスは生まれたばかりのエストレリャを見たことがあったが、エストレリャにとっては初対面のようなものだった。
その晩、ミラグロスはエストレリャの質問に答え、父と祖父のことを話してくれる。父と祖父は政治的な思想が真逆で、それが原因で対立を深めた。内戦前の共和制の時代は、父の方が正義だったが、フランコ政権になってからは、祖父が正義となる。エストレリャには難しいことはよくわからなかったが、今まで1度も教会へ入ったことのない父が、明日の初聖体拝受へ来てくれるのかが心配だった。ミラグロスは「必ず来る」と言ってくれる。
翌朝、エストレリャは儀式に出るため、子供用の花嫁衣装に着替える。父はなぜか山に向かって猟銃を撃っていた。教会での儀式が始まり、エストレリャは無事に聖体を拝受する。父はちゃんと教会の入り口まで来てくれていた。エストレリャは、父が自分のために教会へ来てくれたことに満足する。お祝いの食事会で、エストレリャと父は『エン・エル・ムンド』の音楽に合わせ、ダンスを踊る。父はとても幸せそうだった。
その少し後、エストレリャは父の書斎で「イレーネ・リオス」と何回も書かれた封筒を見つける。母親はその人のことを知らないようだったが、イレーネ・リオスという名前は、エストレリャの記憶に深く刻み込まれる。
それから数ヶ月後。エストレリャは映画館の前に停められた父のバイクを見つける。映画館では『日陰の花』という映画が上映されており、そのポスターにイレーネ・リオスの名前があった。エストレリャは、イレーネ・リオスが実在の人物であったことを知り、父を待ち伏せする。
映画館から出てきた父は、カフェに入ってラウラという女性宛に手紙を書き始める。イレーネ・リオスの本名はラウラで、彼女はアグスティンの昔の恋人らしかった。エストレリャは、父が昔の恋人に手紙を書いているとは夢にも思わず、カフェの窓を叩く。その時の父の表情が、エストレリャはなぜか忘れられなかった。
映画『エル・スール』のあらすじ【転】
その日を境に、両親は言い争いをすることが増える。エストレリャは幼いなりに、それがあのイレーネ・リオスという女優のせいではないかと感じていた。そして父のイメージが変わり始める。
アグスティンは、ラウラからの返事を受け取る。2人は8年前に別れ、それきりになっていた。ラウラは、1年前に女優を辞めて故郷へ戻っていた。そして今更手紙をよこしてきたアグスティンへの恨み言を吐き、返事がつらいので2度と手紙は出さないでくれと書いていた。その夜、アグスティンがいなくなる。
アグスティンは駅のそばの安宿にいた。おそらくラウラのところへ行くつもりだったのだろうが、乗車予定の汽車に乗り遅れ、明け方、家に帰ってくる。エストレリャは、父が家出をしたのだと思っていた。その頃から父はおかしくなり、振り子も使わなくなる。
エストレリャは、家の中の重苦しい空気に抗議するため、ベッドの下に隠れる。日が暮れた頃、母親と使用人が自分を探す声が聞こえてくる。エストレリャは、いい気味だと思っていた。夜になり、エストレリャは杖で床を叩く音を聞く。父はずっとエストレリャの真上の屋根裏部屋にいた。そして、自分には深い悩みがあることを娘に知らせるため、無言で床を叩いていたのだ。エストレリャは無性に悲しくなり、ベッドの下で泣き始める。エストレリャは深い孤独を感じ、早く大人になって遠くへ逃げたいと思うようになる。
それから数年後、15歳になったエストレリャは、1人でいることにも幸福を考えないことにも慣れていた。母親は体調を崩し、ベッドで過ごすことが多くなっていた。思春期を迎えたエストレリャには、カリオコというニックネームのボーイフレンドがいた。カリオコはエストレリャに夢中のようで、彼女の家の塀に「愛してる」と大きな落書きをする。それを見たアグスティンは、娘の初恋を知って微笑む。
映画『エル・スール』の結末・ラスト(ネタバレ)
エストレリャは、学校帰りに1人で町を歩くのが好きだった。あれから映画館に新しいポスターが貼られるたびに、イレーネ・リオスの名前を探した。しかしあれ以来、イレーネ・リオスの名前を見ることはなかった。父は相変わらず悩みを抱えているらしく、アル中気味になっていた。しかしエストレリャは、それも当たり前のように感じていた。
そんなある日、珍しく父が学校に来て、エストレリャをグランド・ホテルでのランチに誘う。レストランの隣の広間では、賑やかな結婚式が行われていた。
父はエストレリャにボーイフレンドの話を聞く。そしてエストレリャに「仲直りをしよう」と申し出てくる。エストレリャは父の意図がよくわからないまま、ずっと聞きたかったことを質問する。それは、イレーネ・リオスという女性についてだった。エストレリャは、彼女の名前を何度も書いた封筒を見たことや、あの日、映画館の前で父を待ち伏せしていたことを打ち明ける。父は動揺を隠してトイレへ行き、水道で顔を洗う。
トイレから戻った父は、「午後からの授業をサボれないか?」とエストレリャに聞く。エストレリャは「パパがわからないわ」と言って席を立つ。その時、隣の結婚式場から『エン・エル・ムンド』の音楽が聞こえてくる。父は懐かしそうに、初聖体拝受の日の話をし始める。しかしエストレリャは、父を残して学校へ帰る。エストレリャが父と話をしたのは、これが最後だった。
その後、父は川沿いの茂みの中で猟銃自殺を図る。父が家に置いていった所持品の中には、死ぬ前の日に南の地へ長距離電話をかけた領収書があった。エストレリャは、それを密かに抜いておく。
そのままエストレリャは病気になってしまい、ベッドの中で退屈な時間を過ごす。見舞いの電話をくれたミラグロスは、心身の療養のため、しばらくエストレリャを南へよこしてはどうかと母親を説得してくれる。母親の許可が出て、エストレリャは生まれて初めて南へ行くことになる。エストレリャは期待と不安に胸を膨らませ、父の故郷へと旅立つ。
映画『エル・スール』の感想・評価・レビュー
本作は、スペイン内戦の記憶にとらわれたスペインと、故郷の南スペインを捨てて北へ移住した父と娘を描いたヒューマンドラマ作品。
情緒的で慎ましい静けさの中の光と影の劇的なコントラストが美しく、特に暗闇の中から人物が浮かび上がるようなカメラワークが印象的だった。
まだ幼い少女エストレリャが父と過ごした過去を振り返り、そして父の哀しい最期があまりにも切なかった。
エストレリャが大人になり、含みを持たす終わり方には明るい希望を感じた。(女性 20代)
一つの父と娘の物語として、とても心に残りました。スペインの歴史や時代背景について全く知識が無いので、はっきりとした答えは分かりませんでしたが、何が父と娘の関係性を変えてしまったのかを深く考えさせられました。
小さい頃は大好きだった父。しかしあるキッカケでその気持ちが変わってしまう。幼かった娘はその時の父の行動を理解出来なかったのだろうと思います。父も一人の人間であり、男であると理解出来た時には、また違った気持ちになるだろうと感じました。(女性 30代)
みんなの感想・レビュー
ビクトル・エリセ監督の初の長編映画「ミツバチのささやき」はかなり抽象的な物語であったが、2作目にあたる本作は登場人物のセリフも増え少しだけわかりやすくなっている。ただ、一般的な映画と比較すると、やはり自分自身で考えないといけない余地は多い。それを考えるのがこの作品の醍醐味でもあるので、どんどん深読みして欲しいと思う。
それにしてもこの監督の映像は本当に美しい。「光と影の魔術師」と呼ばれたレンブラントのバロック絵画を見ているような映像は、ため息が漏れる美しさだ。音楽の入れ方にも繊細なこだわりを感じるし、ピアノの調律音を効果的に使うシーンには感心した。
アコーディオン弾きの奏でる「エン・エル・ムンド」に合わせて父と娘が踊るシーンなど無条件にジワッとくる。なんて素敵なんでしょう…ため息…。
映画とは、こんなに美しいものなのだなあと改めて思える名作なので、機会があれば絶対に見て欲しい。
幼い頃のエストレリャは父のことが大好きでいつも父につきまとっている。屋根裏にこもる父に自分の存在をアピールし、ブランコに乗って父の帰りを待つ。振り子を操り奇跡を起こす父は彼女にとって憧れの存在であり、自分も父のようになりたいと切に願っている。だから父の故郷「エル・スール」にも興味津々なのだ。
その彼女の父に対する好奇心が思わぬものを発見させる。父の書斎で見つけた封筒に何度も書かれた「イレーネ・リオス」という女性の名前。父が母や自分以外の女性を気にかけるようなことは彼女にとって信じがたいことであり、しかもその女性は実在していた。
その頃から父は自分の世界にこもり始める。そして彼女は父のことを何も知らなかったのだと感じるようになる。彼女にとっては父の存在するこの小さな世界が全てなのに、父はそうではない。父は彼女が存在しない世界を持っている。それはエストレリャにとって大変な驚きであり、とても寂しいことだった。
ベッドの下に隠れて父が探しに来てくれるのを待ち続ける彼女に気づきながら、父は屋根裏から出てきてはくれない。無言で床を叩く父の行為は“今は自分の世界から出たくない”という娘へのアピールだろう。エストレリャもそれに気づき、彼女は深く傷つく。
この時彼女ははっきりと、父と自分の世界には目に見えない国境があると感じたはずだ。
父のアグスティンは共和制を支持しており、内戦後は反政府主義者とみなされ投獄されたり恋人と別れたりした過去を持つ。フランコ政権を支持する祖父とも決裂し故郷を捨てた。妻と娘を連れ、ようやく北の地に落ち着いたはずだったが、そこでも自分の過去を捨てることができない。
ただ唯一の希望は最愛の娘エストレリャの存在だ。彼女のためなら自分を曲げ、教会に行くことができた。ずっと越えられなかった過去という国境を越えられるかもしれない。彼は娘のために国境を越えようと努力する。しかし、本当にそれでいいのかという自分がいる。この葛藤が彼の心を蝕み、アルコール依存にさせていく。
娘が恋をするまでに成長したことを知り、彼は娘と話がしたくなる。今なら自分の過去や苦しみを打ち明けても理解してもらえるのではと期待したのかもしれない。しかしそんな父の期待と複雑な胸の内を娘は理解できない。7年前、父は自分との間に国境を築き、それを越えようとしてくれなかったことを娘は忘れていないし、それを越えてきて欲しいという願いすら捨てている。
過去の中で生き続けた自分は最愛の娘にとってもすでに過去の人なのだと知ったアグスティンは、未来を放棄する。過去という国境を越えられないまま、過去の中で死んでいく。それはエストレリャにとってはあまりにも悲しい、大好きな父の最期であった。