この記事では、映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』の作品情報
出典:U-NEXT
製作年 | 2008年 |
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上映時間 | 142分 |
ジャンル | ドラマ アドベンチャー サスペンス |
監督 | 堤幸彦 |
キャスト | 唐沢寿明 豊川悦司 常盤貴子 香川照之 |
製作国 | 日本 |
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』の登場人物(キャスト)
- ケンヂ / 遠藤健児(唐沢寿明)
- 少年時代には同級生の中でリーダー格であったが、中年となった今は長年夢見たロックスターを諦めコンビニで働いている。かつて仲間たちと共に「よげんの書」を作成した。
- カンナ/ 遠藤カンナ(平愛梨)
- ケンヂの姉の子供であるが、姉が行方不明となってしまった為ケンヂによって育てられている少女。
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』のネタバレ・あらすじ(起承転結)
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』のあらすじ【起】
物語の始まりは今よりも少し遡った時代。この年、大阪万博を間近に控えた日本は国全体が活気に満ちていました。また、世界でも人類が初めて月に辿り着いたという歴史に残る年でもあります。そんな激動の年、主人公のケンヂはまだ小学生でした。
毎日半袖半ズボンで走り回る若かりし頃のケンヂは、ある日人目につかない場所を見つけました。茂みの奥にあるその場所は、子供だから立ち入りのできるであろう場所で、大人は近付きそうにもありません。そこで、ケンヂは学校の同級生、オッチ、ヨシツネ、ユキジ、モッチャン、フクベエ、マルオ、ドンキーに声をかけ、全ての子供達の夢である、秘密基地の製作を立案するのでした。
そして、大人達の目の届かない自分達だけの場所を手に入れたメンバーは、その秘密基地で『よげんの書』というノートを作り上げます。そのよげんの書には、悪の組織が地球を滅ぼさんとする計画、そしてその企みを止めるための術を記しました。
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』のあらすじ【承】
そして、そんな楽しい少年時代から時は流れ1997年、かつては夢にあふれた小学生であったケンヂも立派な中年になっていました。ケンヂは夢であったロックスターを長年目指していましたが、とうとうその夢を諦めます。
そして、コンビニ経営という夢からはかなり遠ざかった仕事をしながらカンナという少女と暮らしていました。カンナはケンヂの実子ではなく、ケンヂの姉の子供でした。しかし姉が突如行方不明になってしまった為、今では代わりにケンヂが育てているのでした。
そしてこの頃、ケンヂの周りで不思議な出来事が続きます。姉の失踪に加え自分の経営するコンビニの常連である客までもが行方不明となりました。更に、かつての同級生で秘密基地のメンバーであったドンキーも謎の死を遂げたのです。そして丁度その頃、日本を大きく揺るがす事件が起こります。「ともだち」と呼ばれる顔面にマスクをつけたスーツ姿の教祖が率いるカルト集団が突如として現れたのです。
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』のあらすじ【転】
その「ともだち」はたちまちに強大な勢力を作り上げ、日本において圧倒的な力を持ち始めます。そして「ともだち」と「ともだち」が率いる集団によって日本内では様々な不可解な事が起こり始めます。しかし、ケンヂにはそれらの事件にどこか既視感がありました。そして、ケンヂはそれらの出来事がかつて自分と仲間達が書いたよげんの書に記してある内容と酷似している事に気がつくのです。
ケンヂはかつての仲間達に声をかけ、その事について話し合います。そして、やはり偶然にしてはあまりに出来すぎている現状に、よげんの書の作者である自分達が「ともだち」を止めなければいけないという結論に至りました。更に、ケンヂは未来が視えるという謎の老人から、人類の滅亡にケンヂが関わっていると予言されたのです。
一行は「ともだち」を止める為に動き出しました。しかし、自分にとって邪魔な存在であるケンヂ達を「ともだち」はテロリストに仕立て上げ、反対にケンヂ達が追われる立場となってしまったのです。
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』の結末・ラスト(ネタバレ)
今までその通りに事が動いてきたよげんの書には、人類が滅亡する日にちまで記されていました。その日とは2000年の12月1日です。今まで「ともだち」を止めるべく密かに動いてきたケンヂ達は、確実に「ともだち」がその日に何かを仕掛けてくると踏み密かに準備をしていました。
そしてその運命の日、何と突如として東京に巨大なロボットが現れたのです。原始の力で動くそのロボットは、東京の街を次々と破壊していきます。そして更に、細菌を辺りにばらまいていきました。破壊の影響に加え細菌兵器まで投入された東京は、未曾有のパニックに陥ります。事態を予期していたケンヂ達でしたが、そのあまりに強大な力を前に為す術もありません。
テロリストとして追われる立場であるケンヂ達は派手な動きも出来ず、破壊の限りを尽くされる東京の街をただ見ているしかありませんでした。よげんの書のとおり、本当に人間はこの日に最期を迎えてしまうのでしょうか。物語は第2作目へと続きます。
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』の考察・解説(ネタバレ)
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』が「ひどい」と言われる理由は?
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』が「ひどい」と評される理由の一つは、原作漫画の壮大な物語を2時間半という限られた時間の中に詰め込んだことにより、重要なキャラクターやエピソードが削られたり、物語の展開が性急になってしまったことにあります。原作を愛する読者からすれば、登場人物の深い心理描写や複雑に絡み合うプロットが、映画では十分に表現されていないと感じられるのです。特に、原作特有の過去と現在を行き来する語り口が、映画では分かりづらく、ストーリーについていけないという声も少なくありません。
また、キャスティングに関しても賛否両論があります。映画に登場するキャラクターたちが、原作から抱いていたイメージとは異なる俳優によって演じられていることに、違和感を覚えるファンも多いのです。中でも、物語のカギを握る「ともだち」という謎めいた存在や、主要登場人物の一部が、十分に掘り下げられていないという指摘があります。彼らの内面的な成長や葛藤が、スクリーンの中で生き生きと描かれていないというのです。
さらに、物語全体のテンポの速さも、観客を戸惑わせる一因となっています。特に終盤に差し掛かると、次から次へと急展開が繰り広げられるため、ストーリーについていくのが難しくなってしまうのです。映画を観ても、登場人物に感情移入できない、あるいは物語の真髄が掴みきれないという感想を抱く人が少なくないのは、このような理由からだと言えるでしょう。
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』と原作の違いは?
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』は、原作漫画の物語をできる限り忠実に再現しようとしていますが、映画という表現媒体の制約上、どうしてもオリジナルとは異なる部分が出てきてしまいます。最も顕著な違いは、ストーリーの進行スピードでしょう。原作では、1970年代の子ども時代と1990年代の大人時代を交互に描写しながら、登場人物たちの背景や心の機微に丁寧に迫っていきます。しかし、映画ではこの時間軸の移動がかなり短縮されており、物語が一気に進んでいく印象を受けます。
また、キャラクターの描き方にも違いが見られます。例えば、主人公のケンヂやその幼馴染のユキジは、原作の中では子ども時代から大人になるまでの過程で、数多くの試練や内面的な葛藤を経験します。しかし、映画ではそうした背景が十分に描かれておらず、彼らの成長の過程が簡略化されてしまっているのです。加えて、物語を彩る脇役やエピソードの多くが削られているため、原作が持つ豊かさや重厚感が、いくらか損なわれている印象も否めません。
「ともだち」という謎の人物に関する描写も、原作とは異なる点があります。原作では、「ともだち」の存在が物語の核心に迫る重大な謎として扱われ、その正体や目的が少しずつ明らかになっていきます。しかし、映画では謎解きの多くが次章以降に持ち越されるため、原作ほどの緊迫感や不気味さが伝わりづらくなっているのです。こうした相違点を踏まえつつ、映画を観ると、原作の持つ魅力がまた違った形で浮かび上がってくるはずです。
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』に出てくるトラウマシーンとは?
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』には、観る者の心に深い傷を残しかねない、衝撃的なシーンがいくつか登場します。その代表格と言えるのが、東京タワーが巨大ロボットに破壊されるシーンや、ウイルスの蔓延によって大勢の人々が命を落としていくシーンです。リアルに描かれた破壊や死のイメージは、スクリーンの向こう側にいる私たちにも強い恐怖心を呼び起こすのです。
また、物語の根幹をなす「予言の書」も、一種のトラウマ装置として機能しています。子ども時代のケンヂたちが無邪気に作り上げたこの「予言」が、大人になった今、現実の脅威となって彼らに襲いかかるのです。無心な遊びが、やがて取り返しのつかない結果を招くという皮肉な展開は、私たち観客の心に強い衝撃を与えずにはいません。
加えて、「ともだち」という存在が仕掛ける不気味な陰謀や、彼に操られた信者たちの異様な振る舞いも、観る者の精神を揺さぶる要素と言えるでしょう。現実と虚構の境目が曖昧になっていく戦慄の場面の数々は、私たちの心に深い傷跡を残すことでしょう。
こうしたショッキングな場面が、まるで惨事のトラウマを追体験させるかのように、観客の心を打ちのめしていきます。それこそが、この映画が持つ「トラウマシーン」としての本質なのかもしれません。
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』のともだちの正体は?
映画『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』において、「ともだち」と呼ばれる謎の人物は、物語の中心に位置する重要なキャラクターです。世界を混乱に陥れようとする巨大なカルトの教祖でありながら、その真の素性は謎に包まれています。第1章では、彼の正体が完全に明かされることはありません。そのため、観客は「ともだち」の真の目的や、その裏に隠された秘密を推測しながら、物語を追っていくことになるのです。
「ともだち」の存在は、主人公ケンヂの過去と深く結びついています。彼がケンヂたちと子ども時代を共にした友人の一人である可能性が、物語の随所で示唆されるのです。ケンヂたちが無邪気に紡いだ「予言の書」という遊びが、後に「ともだち」の手によって現実のものとなり、世界を破滅へと導く陰謀に姿を変えていきます。つまり、「ともだち」の存在そのものが、ケンヂにとって忘れ去りたい過去の悪夢であり、トラウマの原点なのです。
しかし、第1章が終わるその時まで、「ともだち」がいったい何者なのか、どのようにしてこれほどまでの力を手に入れたのかは、ついぞ明らかにされません。彼の正体は、次なる章で少しずつ輪郭を現していくことになるのです。「ともだち」という存在が放つ不気味な魅力と、彼を둘続く謎の数々が、私たち観客を物語の深淵へと誘い込んでいくのです。
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みんなの感想・レビュー
私は浦沢直樹の原作コミックは未読なのだが、映画は限りなく原作に忠実に作られているようだ。キャストはよくこれだけ集められたなと思うほど豪華で、お金がかかっているのが分かる。妥協することなく原作の通りのキャラクターに仕上がっている。
公開前からものすごい評判の映画であったことを覚えている。
原作の再現にこだわった作品なので、特に原作ファンにとってはワクワクする映画だったのではないだろうか。
過去の回想はもちろん昭和時代だが、現代の時代設定もやや古く2000年。メインの登場人物がほとんど中年ということもあってか、昭和の雰囲気を引きずりつつ現代まで来たという印象がある。
かつてロック・スターを夢見たケンヂがギター片手に歌うシーンが特に印象的だった。歌詞を見てみると、夕方どこからか漂ってくる晩御飯のカレーの匂いやコロッケの味など、なつかしくて切ない気分にさせられる。
三部作として作られているので仕方がないことではあるが、この第一章だけでは何の謎も解き明かされない。全体から見るとほんの序章に過ぎないのだろう。
原作を知っていれば、今どのあたりのストーリーなのか思い出しつつ楽しめるのだろうが、何も知らない人にとってはちんぷんかんぷん。
こんなところで終わるの?と驚くエンディングで、こんな起承転結が成り立っていない作品を独立した1本の映画としていいのだろうかと疑問に思った。
原作は20巻を越える壮大なストーリーの作品で、キャストも脇役まで豪華。原作のイメージがどれほど再現されているのかはわからないが、独特の雰囲気があっていい。今作はシリーズものの序章に過ぎないので映画としての評価はしにくいが、次作以降に期待できる作品になっていたと思う。
次作までに復讐して整理しておきたいのが、「ともだち」は一体誰なのか、彼の目的は何なのか、ケンヂたちは無事なのか、ということ。推理する楽しみがある。