映画『サム・ペキンパー 情熱と美学』の概要:過激なバイオレンス描写と独特の手法で自らの映画哲学を貫いた巨匠サム・ペキンパーの生涯を追ったドキュメンタリー映画。彼の作品に出演した俳優や家族や仕事仲間たちが彼との思い出を語り、波乱に満ちた人生を歩んだサム・ペキンパーの人物像に迫る。
映画『サム・ペキンパー 情熱と美学』の作品情報
上映時間:120分
ジャンル:ドキュメンタリー
監督:マイク・シーゲル
キャスト:サム・ペキンパー、アーネスト・ボーグナイン、ジェームズ・コバーン、クリス・クリストファーソン etc
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映画『サム・ペキンパー 情熱と美学』の登場人物(キャスト)
- サム・ペキンパー
- テレビ西部劇の脚本家兼監督で頭角を現し、その後長編映画の監督として地位を確立する。映画作りにおいて妥協しない姿勢は傑作を生むが、激しい気性のため周囲との衝突が絶えなかった。仕事面での不遇から酒とドラッグに溺れていく。
- アーネスト・ボーグナイン
- イタリア系のアメリカ俳優。1951年に映画デビューを果たし、「マーティ」(55)でアカデミー主演男優賞を受賞。サム・ペキンパーの代表作「ワイルドバンチ」では盗賊役で渋みのある演技を見せた。
- ジェームズ・コバーン
- 舞台俳優を経て1959年に映画デビュー。数多くの映画やテレビドラマに出演しており、「白い刻印」(97)でアカデミー助演男優賞を受賞。サム・ペキンパーの作品には3本出演している。
- クリス・クリストファーソン
- 1960年頃から音楽活動を開始し、アメリカを代表するミュージシャンとなる。71年に俳優としての才能をサム・ペキンパーに見出され、映画俳優としても活躍を続ける。
- ケイティ・ヘイパー
- サムの秘書であり友人であり一時期は恋人でもあった。サムのプライベートまでよく知る人物。
映画『サム・ペキンパー 情熱と美学』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『サム・ペキンパー 情熱と美学』のあらすじ【起】
サム・ペキンパーはフレズノの北にある“ペキンパー山”の山里で育った。少年時代のサムは山里の自然を愛した。サムと母親の関係は複雑で、母親は息子を可愛がる反面、抑圧し支配しようとした。父はサムをミニタリー・スクールに入れ厳しくしつけようとしたが、サムは規則に反発する問題児だった。
スクールを卒業後に海兵隊へ入隊。除隊後に入った大学で演劇を学んだ。後に結婚するマリー・セランドの影響だった。
学校で演劇と舞台専門の演出を学び、テレビ局の裏方などを経て、ドン・シーゲルの下で映画の修行をする。「ガンスモーク」(55)、「遥かなる西部」(60)などのテレビ西部劇で監督としてのスタートを切り、俳優のブライアン・キースと親交を深める。
「荒野のガンマン」(61)ではキースがサムを監督に指名。しかしこの作品は脚本のリライトも許されず、不満足な出来で終わる。
「昼下がりの決斗」(62)でサムは妥協しない自分の流儀を貫く。豪華俳優が共演したこの作品はサムの父親の人生哲学が色濃く反映されており、カットや編集も斬新だった。会社は雑魚映画扱いするが観客や評論家の評判が高く、改めて華々しく公開された。
映画『サム・ペキンパー 情熱と美学』のあらすじ【承】
1964年「ダンディー少佐」(65)のロケがメキシコで開始される。時間や予算の問題でとうとう会社と本格的に対立したサムはクビを宣告される。しかし俳優のチャールトン・ヘストンは自分のギャラを返上してサムの味方につく。サムは制作会社の重役やプロデューサーとは常に対立していたが、俳優からの信頼は厚かった。過酷なロケを続け苦労して撮影した作品だったが、結局は会社側の編集で映画は台無しにされてしまう。
この頃からサムは使いにくい監督としての烙印を押され、業界から干されていく。仕事を取り上げられ、サムは酒浸りの日々を送るようになる。
「ヌーン・ワイン」(66)では“カット”の合図後も密かにカメラを回し続け、わざと女優を罵倒してショックで青ざめた彼女の顔を使った。
「ワイルドバンチ」(69)はパラス近郊の砂漠地帯で撮影された。68年の夏にロケが開始され、撮影初日の銃撃シーンでメキシコ人がいきなり実弾をぶっ放し、さすがのサムも驚く。根気強い撮影を繰り返して完成したアクションシーンはサムのイメージ通りに仕上がる。この作品は高く評価され、サムの代表作となる。
映画『サム・ペキンパー 情熱と美学』のあらすじ【転】
「砂漠の流れ者 / ケーブル・ホーグのバラード」(70)は36日間の撮影中21日が雨だった。俳優たちは退屈してホテルでどんちゃん騒ぎを繰り返した。
「わらの犬」(71)ではサムと主演のダスティ・ホフマンが演出方法をめぐって衝突するが、最終的にサムは好きに演らせる。イギリスの田舎町を舞台に内に秘めた人間の暴力性を描いたこの作品は物議をかもし、その内容や暴力描写についての議論が巻き起こった。
「ジュニア・ボナー / 華麗なる挑戦」(72)はサムにしては暴力描写の少ない作品だが、心を打つ珠玉の名作と評価する人も多い。主演のスティーヴ・マックイーンとサムは次の「ゲッタウェイ」(72)でもコンビを組む。
「ビリー・ザ・キッド / 21才の生涯」(73)の音楽はボブ・ディランが担当している。この作品でもサムは会社側と対立するが、俳優たちはあくまでサムに従った。
「ガルシアの首」(74)は伝説の多い映画だが興行的には失敗し、サムは稼げる企画を探す。
「キラー・エリート」(76)ではジェームズ.カーンを主演に迎える。脚本家のわがままで現場の空気は悪かったが、ジェームズとサムはウマが合った。映画は平凡な評価と興行で終わる。
1975年、サムは50歳の誕生日を迎え、親しい仲間300人が祝いに集まる。しかしハリウッドでサムの評判は落ちていた。
映画『サム・ペキンパー 情熱と美学』の結末・ラスト(ネタバレ)
「戦争のはらわた」(77)でサムはドイツ側の視点で描いた戦争映画に挑戦する。しかしドイツ人プロデューサーとサムは対立し、現場の空気は張りつめていた。そんな撮影の繰り返しはサムの神経を参らせ、彼はアルコール依存症に陥っていく。
サムはコカインにも手を出し始め「コンボイ」(78)の撮影現場は混乱する。会社も出演者も不安を感じており、その後サムは全てを失っていく。
80年代に入り親しい友が次々と亡くなり、サムは喪失感を募らせる。「コンボイ」の後、監督の依頼は途絶える。
「バイオレント・サタデー」(83)でサムは5年ぶりに映画作りの現場に戻る。しかし脚本の出来が悪くてもリライトを許されないただの雇われ監督だった。
1984年10月、アップステート・ニューヨーク。サムはジュリアン・レノンのビデオクリップの撮影に入る。撮影初日の朝、サムはギャラの前払いを要求し小切手は信用できないからと1万ドルを現金で用意させる。さらにわがままを言い続けるサムにプロデューサーは閉口する。
代表作の「ワイルドバンチ」以降、サムはどんどん身を持ち崩していった。しかし映画作りに自らの人生の全てを捧げた彼の暴走を誰も止めることはできなかった。1984年12月28日、サム・ペキンパーは59歳で彼の映画同様に波乱に満ちたその生涯を終える。よく年の1月、彼の遺灰はカリフォルニアのパラダイス・コーヴの海にまかれた。
映画『サム・ペキンパー 情熱と美学』の感想・評価・レビュー
サム・ペキンパーを知るためのドキュメンタリー作品。過激な描写の多い作品を作る監督として有名ですが、彼の感性は本当に豊かで、西部劇などについては豊富な知識や経験があったのだと知りました。穏やかとは言えない性格だったようですが、こんなにも才能があるのに仕事が上手くいかず、堕ちて行ってしまう様子は切なくなりました。
彼をよく知る友人だからこそ語れる武勇伝。今の時代に全く寄り添っていない武勇伝の内容は、これは作品にして良かったの?と思ってしまいましたが、それも彼らしかったのかも知れません。(女性 30代)
バイオレンスを描き続けてきたサム・ペキンパー監督のエピソードは桁違いにとんでもなかった。そんな血まみれのサムに魅力があると改めて思った。映画に対しての熱や愛は、その人の作品によく表れるのだと分かる。
根っからの西部人で、西部をよく理解し愛していた人だったと分かったし、そんな彼が描いた西部劇である『昼下がりの決闘』と『ワイルドバンチ』もう一回見返したくなった。(女性 20代)
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