映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』の概要:1999年4月20日に起きたコロンバイン銃乱射事件。その事件が象徴するのは、アメリカの銃犯罪の多さだ。アメリカよりも銃の所持率が多い国は他にもあり、アメリカよりも歴史上争いが多かった国もある。なのに、どうしてそんな国と比べてもアメリカの銃犯罪は飛び抜けて多いのか。マイケル・ムーアがその理由を探っていく。
映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』の作品情報
上映時間:120分
ジャンル:ドキュメンタリー
監督:マイケル・ムーア
キャスト:マイケル・ムーア、チャールトン・ヘストン、マリリン・マンソン、マット・ストーン etc
映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』の登場人物(キャスト)
- マイケル・ムーア
- 映画監督。コロンバイン銃乱射事件から、アメリカの銃犯罪の多さの理由を探る。
- マリリン・マンソン
- ミュージシャン。メタルバンドのボーカリスト。アメリカの若者に絶大な影響力を持つ。
映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』のあらすじ【起】
1999年の4月20日の朝。多くの人にとっては普通の日々だった。農家は農場に、牛乳店は配達に出かけ、大統領は名前も不確かなどこかの国を爆撃する。ノース・ダコタ州で暮らす男性も日課の散歩に出かけようとしていた。ミシガン州では、教師が生徒を出迎え、コロラド州の小さな町では少年が二人、ボウリングを始めていた。いつもとなんら変わらない平凡なアメリカ合衆国の朝。
ノース・カントリー銀行の窓口で口座開設の手続きをしようとするマイケル。彼の目的は口座開設の特典だった。ノース・カントリー銀行で口座を開くと、銃が付いてくる。銀行の地下には引き替え用のライフルが500挺以上も保管されていた。
かつて、子供が遊ぶ玩具の銃は弾こそ打てなかったものの、色合いや質感、発砲音に至るまで、リアルを追及していた。マイケルが手に入れたのもそういう銃だった。子供だった彼は買ってもらった銃の玩具を撃ってまわった。十代で全米ライフル協会の優秀賞を受賞した。
映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』のあらすじ【承】
マイケルが生まれたミシガンには銃愛好家ばかりが住んでいた。猟師が自分の犬に担がせた銃で撃たれ、床屋には整髪料と銃弾が同じ棚に並んでいる。町の近くの民兵訓練場では州兵が受講者に銃の扱いを指導していた。自衛や猟の準備のための訓練だが、そこの卒業生の二人がオクラホマ州の連邦政府ビルを爆破し、168人を殺した。しかし、市民軍は自分たちが彼らと無関係であることを強調し、武装は国民の責任だと述べた。
マイケルはコロンバイン銃乱射事件の犯人の同級生たちに話を聞いた。誰もが驚きを隠せないと言う反面、彼らの生活には銃によるトラブルが絶えず付きまとっていた。
ミシガンの人々は、一様に武装するのは国民の権利だと言う。世の中は危険だ。大人たちは子供に銃の扱いを教え、テレビコマーシャルが発砲を気軽なことのように見せかけた。例えどれだけ銃による犠牲者が現れても、報道カメラの前で命を落とす人々を目の当たりにしても、彼らは銃が自分の生活を守ってくれると信じて疑わない。
映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』のあらすじ【転】
南デンバーの町、リトルトン。かつては保養地として売り込まれていたそこは、泥棒や強姦魔の蔓延る土地になっていた。中流家庭の家の玄関はフェンスのついた二重扉で、地下には避難部屋が設置されている。町の状況を説明してくれたガードセキュリティの職員はコロンバインと聞いて、当時の殺戮のことを思い出し、感極まった。
南デンバーとリトルトンの空軍士官学校にはB-52爆撃機が、誇らしげな解説文と共に展示されている。町の外はロッキー・フランツで、世界最大の核兵器工場があり、現在は放射性物質の廃棄場になっている。近隣に存在する空軍施設にはミサイルが点在しており、ロッキード社によって、そこから弾頭を積んだミサイルが運び出され、町の中を通り、デンバーの反対側の空軍基地に届けられる。アメリカで製造されたミサイルは爆撃機に搭載され、敵性国に落とされ、兵士や民間人を問わず殺していく。1999年4月20日。アメリカはコソボに爆撃をしかけた。ミサイルは村の居住区に落とされ、大勢の村人が亡くなった。大統領は記者会見で標的はセルビアの弾圧機関であったことを述べ、民間人の被害は最小限だったと説明した。しかし、標的リストには病院や小学校も載っていた。その一時間後、コロンバインの高校で銃の乱射事件が起きる。コソボの村人には無関心だった大統領は、コロンバインの住民に哀悼の意を述べた。
映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』の結末・ラスト(ネタバレ)
12人の生徒と1人の教師が殺された。900発もの弾が発射され、負傷者は数十人にもなった。凶器の銃は鉄砲店や展示会で合法的に入手されたもので、弾の多くはKマートで購入されたものだ。最後に犯人は自分たちを撃って騒動を終わらせた。
喪中の町の嘆願に反して、ライフル協会は「我々は銃を手放さない」と宣言する。市長は協会の会員に対して訪問を拒んだが、ライフル協会はデンバーで銃擁護の集会を行った。会場の外では銃反対のデモが行われていた。
銃乱射事件以降、アメリカの学校は最悪の状況に陥った。非行対策と称し、荷物検査を徹底し、暴力行為に繋がると予見されたすべての生徒を停学や退学処分に追い込んだ。爪切りを持ち込んだ生徒や、フライドチキンを銃に見立てた人や髪の色を青く染めただけで停学処分を下された者までいる。金属探知機の会社は取引先に所持品の検査を精密に行うことで安全を確保できると訴えた。子供は今では小さなモンスターと揶揄される。なぜそうなってしまったのか。専門家はヘビメタ的サブカルチャーや、両親の教育、暴力映画、テレビゲームといったものの影響を示唆する。そして、専門家の批難はミュージシャンのマリリン・マンソンに集中していく。大統領のせいで、コソボで大量虐殺が行われたとは誰も言わない。しかし、CDやライブで自己主張をするマンソンは世間にしてみれば恐怖の象徴だった。テレビは洪水や殺人事件、性犯罪といった報道で視聴者に恐怖を植え付ける。そして、画面を突如切り替えて、コマーシャルを放送する。恐怖から逃れたい視聴者はテレビに映る商品に縋ろうとする。恐怖と消費の一大キャンペーンがアメリカの経済市場を支え、それが根本的な原因だとマンソンはインタビューで語った。
怒りや暴力、恐怖は視聴率を稼げるとテレビ関係者は語った。しかし、平和的で進歩的な番組は誰も見ない。自分にはそういうものを作る力がないとテレビ関係者は責任逃れをした。
マイケルはアメリカと国境を接するカナダに向かった。カナダはアメリカと同じように暴力的な映画やゲームが流通し、アメリカ以上に失業者が多い。しかし、カナダのどの町も、デトロイトと面している街でさえ、銃による殺人は三年に一人未満だ。人種の割合も然したる違いはない。国土が広く、元々狩猟が盛んだったため、アメリカ以上に銃が流通している。カナダの人たちは家に鍵をかけない。カナダ人の一人はアメリカ人が近所の人を恐れていると語った。家に鍵をかければ、他人を締め出せるとアメリカ人は考えている。カナダ人は相手を拒まないんだと続けた。
マイケルはカナダの報道番組を観て、カナダ人が寛容な理由を悟る。カナダの報道は視聴者に犯罪の原因を説明し、平和を訴える。視聴者に恐怖を植え付けようとする報道は全く見ないのだった。その姿勢はマスコミに限らない。政治家も社会的弱者を救うことに励んでいた。
同時多発テロがアメリカを恐怖のどん底に陥れる。アメリカは軽装のテロリストを相手に過剰な戦闘機と爆薬を購入した。ブッシュ政権下では貧困者を救うことは二の次で、敵を滅ぼすことに躍起になっている。テロ以前も以後も、怒りや恐怖で不安定な者の傍に銃を置くべきではないとマイケルは警告する。
映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』の感想・評価・レビュー
銃乱射と言えば「コロンバイン高校銃乱射事件」が浮かぶ。
この衝撃的な事件を通して、アメリカの銃社会の闇、そしてマイケル・ムーアが本当に伝えたい事、今では格差が広がってしまったアメリカの政治について根源を浮き彫りにする。
まあまあ意地悪な言い方で相手に思わず本音を言わせてしまうマイケル・ムーア、図々しくずかずか進んで行く所も痛快です。
気がつけば日本も格差社会。
日本にもマイケル・ムーアのような人が必要になってきた。(女性 40代)
コロンバイン高校銃乱射事件を扱った作品です。じつにマイケル・ムーア監督らしい皮肉たっぷりの表現で問題提起をしてきます。この事件に発端に、アメリカという大国の銃社会や暴力的なサブカルチャーが批判の的となりました。犯人が影響を受けたとされるマリリン・マンソンにも言及される事態となったそうです。同じ事件を題材にした作品に、ガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』がありますが、やはりマイケル・ムーアのほうがストレートに訴えてくると改めて感じました。(女性 20代)
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