この記事では、映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』の作品情報
出典:U-NEXT
製作年 | 2017年 |
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上映時間 | 121分 |
ジャンル | ミステリー サスペンス ドラマ |
監督 | ヨルゴス・ランティモス |
キャスト | コリン・ファレル ニコール・キッドマン バリー・キオガン ラフィー・キャシディ |
製作国 | イギリス アイルランド |
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』の登場人物(キャスト)
- スティーブン(コリン・ファレル)
- 心臓外科医。常に冷静沈着な態度で接する男。マーティンにつき纏われても、冷静な対応を心がけるが、次第にマーティンによって恐怖の底へと突き落とされていく。
- アナ(ニコール・キッドマン)
- 眼科医でスティーブンの妻。スティーブンを愛しているが、淡々とした態度や、時に優柔不断な様子を見せるところに苛立ちを感じることもある。
- マーティン(バリー・コーガン)
- スティーブンが手術中に死亡させてしまった患者の息子。物静かな少年だが、スティーブンが家族に会わせた後、本性を現していく。
- キム(ラフィー・キャシディ)
- スティーブンの娘。聖歌隊に入っており、歌うことが好き。マーティンに出会い、一目惚れしてしまう。
- ボブ(サニー・スリッチ)
- スティーブンの息子。髪を切れとさんざん言われているが、切ろうとしないワガママなお年頃。
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』のネタバレ・あらすじ(起承転結)
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』のあらすじ【起】
心臓外科医のスティーブンは美しい妻で眼科医のアナと、娘のキム、息子のボブと何不自由ない暮らしをしていた。そんな彼のところに、マーティンという少年から連絡がくる。マーティンはスティーブンの元患者の息子で、少し訳ありの関係だった。スティーブンはマーティンに高価な時計を贈ったり、親身に話を聞いたりしてあげていた。
スティーブンはマーティンを自宅へ招待した。聖歌隊で歌うキムはマーティンのことを気に入った様子だ。一緒に散歩に出かけると、マーティンが歌を聞きたいというので、キムは歌ってあげた。
マーティンはお返しに、自分の家で食事をしようとスティーブンを誘った。翌日、マーティンの家で食事をしたあと、映画を観ることになった。だが、マーティンはそうそうに寝てしまい、マーティンの母親と二人きりになってしまう。母親はスティーブンに気があり、迫ってくるが、スティーブンはそれを拒否し、逃げるように家を後にした。
連絡なしに病院に来てはいけないと忠告していたにも関わらず、マーティンはスティーブンのオフィスにやってきた。心臓が痛いという。父のように心臓の異常で死ぬのではないかと言いだすマーティン。だが、検査をしても異常は見当たらなかった。
マーティンから何度も電話がくるようになった。少しでいいから家に来てほしいと、しつこく誘ってくる。スティーブンはその度に、はぐらかしていた。
ある朝、息子のボブがなかなか部屋から降りてこない。気になって部屋へ行ってみると、立ち上がることができないという。足が動かないというのだ。病院へと運び、検査をしてみたが異常はなく、すぐに歩けるようになった。学校でのテストをサボるための嘘だとスティーブンとアナは思ったが、帰ろうとした瞬間、ボブの足は再び動かなくなり、その場に倒れこんでしまった。ボブはそのまま入院することとなった。
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』のあらすじ【承】
翌朝、病院にやってきたスティーブンは、ボブの病室にマーティンがいるのを発見する。マーティンはスティーブンに言った。“ついに始まった。先生はぼくの家族を一人殺したから、先生の家族も一人殺さないといけない”と。そして、家族の誰を殺すか、数日以内に決めて実行しろという。そうしないと、スティーブン以外の全員が死んでしまうというのだ。
ボブは歩けないため、寝たきりになり、何も口にしなくなった。あらゆる検査、治療が行われたが、なんの異常も発見できない。結果、これは心理的疾患だという結論が出される。
キムはマーティンとこっそり会うようになっていた。キムは彼に夢中だ。マーティンとの肉体関係を望んでいるが、誘いをかけても、マーティンは何もせずに帰ってしまった。そして、キムにも兆候が表れ始める。彼女もボブと同様に、突然に歩けなくなってしまったのだ。
スティーブンはアナに今までのことを全部話した。マーティンは自分が手術した患者の息子で、父親は手術中に亡くなったのだと。少し酒が入っていたが、自分のミスで死亡したのではないと強調するが、うしろめたい気持ちがないわけではなかった。半年前、マーティンに出会い、たまにお金を渡したりしていたという。マーティンが口にした“一人選べ”ということも、正直に話した。
入院しているキムに、マーティンから電話が入る。マーティンは駐車場にいるから、窓辺に立ってほしいと言ってきた。歩くことができないキムは無理だと言うが、ベッドから降りてみると、なんと歩くことができた。その様子を見て、アナもボブも驚きを隠せない。駐車場には誰もいなかったが、キムは窓辺まで歩くことができた。だが、ベッドに戻ると、再び歩けなくなってしまった。
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』のあらすじ【転】
キムはアナに不気味なことを言った。“次はママの番”だと。マーティンの言葉を信じ始めたアナは、彼の家を訪ねた。アナは、スティーブンの職務怠慢で父親が死んだのは申し訳ないが、なぜ無関係の私と子供たちが代償を払わなくてはならないのか、と問い詰める。マーティンは、フェアではないが、正義に近づいていると言い、アナを追い払った。
キムとボブに異常が見つからないため、強制的に退院させられてしまう。ナーバスになりだしたアナは、スティーブンの煮え切らない態度に苛立ちを募らせ、激しく叱責した。
翌朝、スティーブンはアナを連れて地下室へと向かった。そこでアナが見たのは、縛りつけられたマーティンだった。昨夜のうちに彼は誘拐され、監禁されたのだ。スティーブンはライフルに弾を込めると、マーティンに狙いを定める。だが、寸前で思いとどまった。マーティンは賢明だとこぼした。“一発で4人が死ぬのだから”と。
スティーブンは、誰を殺すのかという選択を迫られる。アナは、殺すならば子供たちだと言いだす。もし、殺したとしても、また生むことができるのだからと。では、どちらの子供を殺すべきか。スティーブンは学校の成績や、二人の良い子ぶりなどで判断しようとするが、当然、簡単に決められるものではない。
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』の結末・ラスト(ネタバレ)
ある日、スティーブンが地下室へ降りてみると、マーティンの姿が消えていた。アナに尋ねると、逃がしてあげたという。このまま監禁し続けても、何も解決しないからだと。そんな時、ボブの目から出血が始まった。死は、すぐそこまで迫ってきていた。
スティーブンは決断した。彼は三人をリビングに集めると、動けないようにビニールテープで縛りつけ、口も塞いだ。そして、顔には袋をかぶせた。スティーブンはライフルを手に持つと、ニット帽を深くかぶり、何も見えない状態で三人に順繰りに狙いを定めた。ロシアンルーレットの結果、弾丸は息子のボブに当たる。犠牲になったのはボブだった。
ボブの死のおかげなのか、アナとキムの命は助かった。キムの足もすっかりと治った。三人はダイナーに食事にやってくる。そこへ、マーティンがやってきた。だが、彼は三人を素通りしていく。スティーブンが席を立ち、三人は店を後にした。スティーブンは、マーティンを一度も振り返らなかった。その様子を、マーティンは静かにじっと見つめていた。
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』の考察・解説(ネタバレ)
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』の、マーティンの持つ力とは?
映画『聖なる鹿殺し』の中で、マーティンは物語の鍵を握る重要な存在として描かれています。彼が持つ「力」は明確に説明されてはいませんが、その行動や影響力から、現実の法則を超えた不可思議なものであることが示唆されています。具体的に言うと、マーティンは主人公スティーブンの家族に対して、呪いのような力を及ぼしているのです。彼が登場した後、スティーブンの子供たちが突然原因不明の病に冒され、動けなくなったり、食事が取れなくなったりするのです。
マーティンの力は、彼の父親がスティーブンの手術中に命を落としたことと密接に関係しています。マーティンはスティーブンに対して贖罪を求め、彼の家族の中から誰か一人を殺さない限り、全員が同じ運命をたどると宣告します。この力がどのように作用しているのかは、映画の中で明確に説明されていませんが、マーティンの存在そのものが古代の神話や因果応報の概念に基づいているように感じられます。
つまり、彼の「力」は物理的なものではなく、道徳的・宗教的な因果の力として表現されているのです。スティーブンが過去の過ちに対する贖罪を果たさなければならないという形で、マーティンはその力を行使しているのです。
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』における、マーティンの母親の役割は?
マーティンの母親は映画の中で比較的短い出演シーンしかありませんが、彼女の存在はマーティンの過去や心理状態をより深く理解するための重要な手がかりとなっています。彼女は未亡人であり、マーティンの父親がスティーブンの手術中に亡くなったことが、物語の中心的な悲劇なのです。マーティンがスティーブンに対して抱く復讐心とその理由は、彼の父親の死に根ざしているのです。
マーティンの母親は、スティーブンとその家族に対して異常なほど好意的で、特にスティーブンに対して強い興味を示します。これは、彼女が夫を失ったことで感じた孤独感や、スティーブンに対する複雑な感情の表れだと解釈することもできます。彼女の行動は、単なる親としての愛情というよりも、彼女自身の未解決の感情や欲望が反映されているのかもしれません。
彼女の役割は、マーティンが父親の死によってどれほど大きな影響を受けたかを示すと同時に、家族の壊れた絆を象徴しているとも言えます。彼女がスティーブンに接近しようとするシーンは、物語全体の不気味な雰囲気を増幅させ、観客にマーティンとその家族の異常な関係性を暗示する効果を持っています。
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』における、ボブの役割は?
ボブはスティーブンの息子であり、映画の中で最初にマーティンの呪いの影響を受ける登場人物です。彼が突然原因不明の病に倒れ、歩けなくなってしまうことで、物語は大きく動き出します。ボブは家族の中でも無邪気な存在であり、彼の症状が進行するにつれて、観客はスティーブンがどのように反応するかを見守ることになります。
ボブの役割は、物語の緊張感を高め、スティーブンの家族がマーティンの呪いにどう立ち向かうかを示すための重要な要素となっています。彼が最初に倒れたことで、スティーブンと妻のアンナはこの状況の深刻さを認識し始めます。また、ボブが日に日に衰弱していく姿は、家族全体の崩壊を象徴しています。スティーブンがボブを救うために必死になる一方で、解決策が見つからないことが、映画の中で緊迫感を高めていくのです。
ボブはまた、スティーブンが下す最終的な決断に深く関わる存在でもあります。家族の中で最も無垢な彼が、スティーブンの贖罪の選択にどのような影響を与えるかが、物語の最後において重大なポイントとなるのです。
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』はなぜつまらないと言われるのか
『聖なる鹿殺し』は、観客の間で賛否が分かれる作品です。つまらないと感じる人がいる理由の一つは、その非常に独特で冷徹な演出スタイルにあります。映画は抑制されたトーンで進行し、登場人物たちの感情表現が極めて限定的です。特にスティーブンや彼の家族の会話や行動は、不自然なまでに感情を抑えたものになっています。この冷たさや無機質な表現が、一部の観客にとっては共感を得にくく、感情的な繋がりを感じにくい要因となっているのです。
また、物語の進行も非常にゆっくりとしており、観客に深く考えさせる構成になっていますが、これが退屈に感じられることもあります。物語の真相が明らかになるまでに時間がかかり、途中でストーリーの展開に対する興味を失ってしまう人もいるのです。
さらに、映画のテーマや象徴が非常に難解で、明確な答えを提示しないため、一部の観客には理解しにくい作品となっています。特に、復讐や罪、贖罪といったテーマが哲学的に描かれており、これを十分に理解せずに映画を観ると、単に不快な印象だけが残ってしまうかもしれません。こうした要素が、映画をつまらないと感じさせる原因となっているのです。
映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』のラストの意味とは?
映画『聖なる鹿殺し』のラストは、非常にショッキングで象徴的な結末を迎えます。スティーブンは、マーティンの呪いを解くために家族の中から一人を犠牲にしなければならないという究極の選択を迫られます。彼は最終的に、誰を殺すかを決めるために、目隠しをして銃をランダムに発砲するという方法を取ります。その結果、息子のボブが犠牲となるのです。
このラストシーンは、スティーブンがいかに理性的で優秀な外科医であっても、因果応報や贖罪の重みから逃れられないことを象徴しています。彼の冷徹な科学の知識や論理では、マーティンの不可思議な力に対抗することができず、最終的に理性を超えた運命の力に屈してしまうのです。目隠しをしてランダムに家族を選ぶという行為は、スティーブンがもはやこの呪いを理論的に解決できないことを意味しています。
また、この結末はギリシャ神話のイピゲネイアの物語を踏まえており、家族の中から一人を犠牲にすることで神々の怒りを鎮めるというテーマが描かれています。スティーブンは、自らの過ちに対して最終的な代償を払わざるを得ず、マーティンの呪いを解くために最も大切なものを失うことになるのです。このラストシーンは、理性や科学を超えた人間の罪とその報いについての深い問いを投げかけているのです。
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