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映画『哭声/コクソン』のネタバレ・あらすじ・考察・解説

この記事では、映画『哭声/コクソン』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。

映画『哭声/コクソン』の作品情報


出典:U-NEXT

製作年 2016年
上映時間 156分
ジャンル サスペンス
ミステリー
ホラー
監督 ナ・ホンジン
キャスト クァク・ドウォン
ファン・ジョンミン
國村隼
チョン・ウヒ
製作国 韓国

映画『哭声/コクソン』の登場人物(キャスト)

ジョング(クァク・ドウォン)
妻と娘とごく普通の生活を送る警察官。村で起きた村人惨殺事件をきっかけに、言葉では説明のつかないようなオカルトじみた事件へと巻き込まれることとなる。
謎の日本人(國村隼)
犬と共に山奥でひっそりと暮らす日本人。誰とも関わろうとしないためか身元に謎が多く、また非常に無口。彼が村に現れた頃から事件が起きるようになったために彼が犯人なのではないかと疑われているが……。
ヒョジン(キム・ファニ)
ジョングの娘。父にはどこかぶっきらぼうな態度を取ることもあるが、しっかり者で優しい性格。ジョングが日本人の男と接触してから、その身体と精神に異変が起き始める。
イルグァン(ファン・ジョンミン)
娘に起きた異変を治すためにジョングが呼んだ、高名な祈祷師。高い霊力を持つ。
ムミョン(ファン・ジョンミン)
奇妙な挙動と言動が目立つ、若い女性。事件の目撃者で、ジョングには「事件の犯人は悪霊。悪霊の正体は、山に住む日本人の男だ」と伝える。
ソンボク(ソン・カングク)
ジョングの後輩警察官。ジョングに何かと協力してくれる。
イサム(キム・ドユン)
ジョングの同僚の甥っ子で、神父の見習い。日本語の通訳ができるために日本人の男との接触の際、ジョングたちと同行することに。

映画『哭声/コクソン』のネタバレ・あらすじ(起承転結)

映画『哭声/コクソン』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『哭声/コクソン』のあらすじ【起】

のどかな田舎の村、コクソン。平和そのものだったその村に、ある日身内が身内を襲い殺してしまうという事件が多発する。加害者には共通して、肌が爛れ目が濁り、正気を失った状態になり家族に襲い掛かるという特徴があった。

事件を担当することになったのは、妻と娘、そして祖母とつつましくも幸せな生活を送る警官のジョング。事件の現場に向かうと、加害者の家族と思しき男性が泣きながら「何故だ!どうしてこんなことに!」と叫んでいる。事件のあった家の中はめちゃくちゃになり、被害に遭った家族の遺体が見える。容疑者の青年は全身血まみれになり、虚ろな状態のまま座り込んでいる。明らかに常軌を逸した状況だ。容疑者に動機はなく、専門家たちの見解では「幻覚性のキノコにより錯乱した末の犯行だ」と述べる。

ある夜、警察署の中では部下のソンボクがジョングに村はずれの山奥に住む日本人の話を始める。村人たちの間では彼の存在が怪しい、ともっぱらの評判であった。ソンボクの話によれば、村の猟師が山へ鹿狩りにいった時のこと。彼が足を滑らせてしまい谷底に落ちた際に、その日本人は現れた。姿は裸で、目は赤く光り、まるで悪魔のような形相で日本人は鹿に食らいついたのだという。一連の事件はその日本人が関連しているのではないか?村ではそんな噂が流れているのだ。そんな馬鹿な、と笑い飛ばすジョングだったがその時突然警察署に雷が落ち、停電に。あまりのタイミングに2人して怯えていると、更なる落雷の直後、署の前には裸の女がまるでゾンビのように佇んでいた。年甲斐にもなく大声を上げ、本気で怖がる2人。慌てて外に出てみると、既に女の姿はどこにもなかった……。

女の正体が分からないまま翌日を迎えるジョング。女のせいで悪夢に魘されながらの目覚めの直後、朝から妻と車の中でせっせと情交に耽りはじめる。娘のヒョジンに見つかりそうになりながらも、大慌てで車を飛び出すジョング。何とも落ち着きのない一家ではあるが、ヒョジンにオカリナを教えてあげたりと幸せそうにジョングは微笑む。

そんな中、またもや村で事件が起きる。とある一家の妻が家族を惨殺した。現場に駆け付けると、全身の皮膚が爛れ凶暴化した妻がゾンビのようにジョングに襲い掛かってきた。馬乗りにされ間抜けな絶叫を上げるジョングから妻を引き剥がす警察官たち。身を起こしたジョングは、ふと野次馬の中に例の日本人がいるのを何気なく目撃してしまう。

翌日、この妻は首を吊って自殺していた。そしてジョングは気付く。死んだその妻は、あの停電の夜に現れた裸の女だったのだと。

映画『哭声/コクソン』のあらすじ【承】

事件後、現場保全のために惨殺事件のあった家の前で警備をしているジョングとソンボク。ジョングは、加害者たちの肌が異様に荒れていたのを思い出し皮膚科に聞き込みへ向かえと命じる。それに従ってソンボクがいなくなった後、スマートフォンをいじくりながら警備を続けるジョング。そんな彼に向かって何故か小石を投げ続けてくる、不審な女が現場に現れた。女の名はムミョン。どことなく異様な雰囲気を漂わす彼女に何の用か尋ねると、ムミョンは事件の目撃者なのだと言う。止めるのも聞かずに勝手に現場へ入っていくムミョン。その後を追いかけると、ムミョンは話し始めた。

「犯人は確かに奥さんだけど、それは呪いのせい。呪いをかけた悪魔はあの日本人だ」

オカルトじみた話を半信半疑に聞きつつ、目撃者がいたことをソンボクに連絡しようとしたところでムミョンは姿を消してしまった。彼女が姿を消した後、現場の裏手に周ると裸で生肉を頬張っている例の日本人の姿を見てしまう。日本人はジョングを見つけるなり、ユラリと起き上がる。血に塗れた全身で、こちらへと近寄ってくる日本人。ジョングは情けなく声を上げ、腰を抜かしてしまう……たちまち悲鳴。と、場面は自室の布団の上。どこまでが事実かは分からないが、裸の日本人に襲われかけたのはジョングの夢落ちであったようだ。目覚めたジョングの横で眠るヒョジンだったが、どうもあまり体調がよくないらしい。……風邪でもひいたのだろうか?

それまでは所詮は噂話だと取り合わなかったジョングも、いよいよ日本人について無視できなくなってくる。ムミョンの言葉もあってか、ジョングとソンボクは調査のため、例の猟師に日本人の住む家へと案内してもらうことにする。その道中で猟師は怖気づき、やっぱり帰ると引き返し始めてしまった。そこで雨が降り出したかと思うと、猟師は雷に打たれ倒れてしまう。漁師はそのまま病院へ運ばれるが、更にその病院では最初の事件の容疑者の青年が激しい痙攣を起こしたまま息を引き取った。その場を目撃し、唖然とする二人。

ある朝、それまで具合の良くなかったヒョジンが異常なまでの勢いでご飯を食べている。「おはよう!」と普段と変わらない様子を見せながらも嫌いだったはずの魚を大量に口に運び、妻も祖母もやや不可思議な顔つきでそれを眺めるばかりだった。

後日、ソンボクの甥だという日本語が話せる助祭・イサムと共に再び日本人の住む家へと向かう一同。家の中に日本人はおらず、飼い犬だけがいるようだった。ジョングは勝手にその家の中を覗き込み、怪しげな仏像や蝋燭が並んだ、まるで何かの儀式でもしているかのような部屋を発見する。一方でソンボクも、大量の写真が貼られた小部屋を見つけ息を飲んだ。そこに映し出されていたのは例の皮膚が爛れた加害者たちの姿や、殺害現場の映し出された写真である――その時、突如悲鳴が響く。飼い犬が、イサムの脚に噛みついていた。犬を何とか払いのけているうちに、家主の日本人が帰宅する。勝手に侵入したということもあってなのか、気まずそうに立ち去る3人。車の中では、真っ青な顔をしたソンボクが呟いた。

「あいつがみんなに呪いをかけてるんだ。部屋の中に写真がたくさんあった。事件に関する写真が……」

やがてソンボクは今にも泣きそうな顔で、運転席のジョングに何かを差し出した。それは……『ヒョジン』、と娘の名前が書かれた片方だけの運動靴だった。慌てて帰宅し、娘にこの靴はお前のものか、と尋ねるジョング。知らない、と素っ気なく答える娘に対し、「日本人には会ったか。重要なことなんだ、答えなさい!」と詰め寄るとヒョジンは豹変したように叫び出した。「一体何が重要なんだよ!」と、金切り声を上げるヒョジン。夜中、彼女が寝静まった頃にそっとパジャマを捲るとその身体には湿疹ができていた。目覚めた娘は再び金切り声を上げ、信じられないような汚い言葉をジョングに浴びせ始める。――ソンボクの言う通りに、娘はあの日本人に呪われてしまったのだろうか?

映画『哭声/コクソン』のあらすじ【転】

再び、イサムと共に日本人の家へと向かうジョング。日本人の男はそこにおり、ジョングは家の中へと上がり込むなり例の写真が消えていることに気付く。イサムに尋ねさせると、日本人は「台所で燃やした」と言う。更に「何しにここへ来たのか」と聞くと、「言っても信じないだろう」と曖昧な返答。何者なのか、目的は何なのか、何故ここにいる、次々尋ねかけても真実を語らない日本人に我慢ならなくなり「俺の娘に何をした!クソったれ!」と近くにあった農具で家をめちゃくちゃにする。更には襲ってきた犬を正当防衛からか撲殺してしまう。「3日以内に出て行かないとお前も同じ目にあわせるぞ」と脅し、無表情のままでいる日本人の元を去るジョングとイサム。

翌朝、騒がしい妻と祖母に起こされて玄関を見ると、黒山羊の死体が吊るされていた。更に、ヒョジンが近所のおばさんを刃物で怪我を負わせてしまう。返り血を浴びながら自分のしたことに恐怖を覚えるヒョジン。祖母がすぐさま、有名な祈祷師だというイルグァンに依頼をする。一家の元を訪ねて来たイルグァンはジョングを見ただけで「あんたは最悪の相手を挑発してしまった。あの日本人は悪霊だ」と、除霊の代わりに多額の金額を要求した。娘のためにもそれに同意するしかない家族たち。ジョングは尋ねる、何故うちの娘が狙われたのかと。イルグァンは答える、「釣りをする時に何が釣れるか分かるのか?奴は餌を撒いただけ。そして、あんたの娘はそれに食いついただけ」だと答える。

数日後、イルグァンの祈祷が始まる。『殺』という呪術を掛けることでしか悪霊を倒せないという。お祓いというよりは激しい舞いでも踊るかのようなその儀式に、ヒョジンは術が効いているのか苦しみ激しくもがき始める。見守ることしかできないジョングと、「もうやめて」と泣いてせがむ妻。相手の日本人も抵抗するように静かに術を唱え始め、呪術と呪術のぶつかり合いが始まった。こちらの術が効くと日本人も苦しむが、また同時にヒョジンも悲鳴を上げてのた打ち回り空を掴むように悶絶する。そんな姿に耐え切れず祈祷を中止するジョング。同時に、術のダメージで倒れていた日本人も息を吹き返した。それを物陰から見つめるのはいつかの不思議な女、ムミョンであった。一方ヒョジンは病院へと搬送される。

ジョングはイサムと共に神父に相談に行くが、「実際に見たもの以外は信じるな」と言うばかりで力にはなってもらえそうにない。ジョングは直接日本人を殺しに行くしかない、と再度彼の元を数人で訪れる。隠れていた日本人を見つけ出し、追い詰めようとするジョング一同だが、彼は怯えたような表情で逃げ出してしまう。途中、崖近くで見失い諦めるより仕方なくなってしまう。一方、ジョング一行から逃げ出した日本人は例の女・ムミョンを見つけるなり何故か彼女を追う。その途中、諦め帰宅しようとしたジョングらの乗る車に轢かれる日本人。突然の出来事に呆然とするが、一先ず彼を殺せたことで遺体を崖下に投げ捨てる。……結果として日本人を殺すことには成功したがそれは正解なのだろうか?答えは分からないままヒョジンの入院先へ向かうと、娘は元気になっているようだ。涙を流し抱き合う親子。何だ、やはりあいつの呪いだったんだな、とジョングは安心する。しかし、一方では何かに気付いたイルグァンがジョングにしきりに電話を入れる。電話に気付かないジョングに、イルグァンは直接彼の家へと向かう。

場面は変わり、ソンボクの家。ソンボクは自分の祖母を殺害していた。返り血を浴び呆然としているソンボク――、呪いはまだ、終わっていない。

映画『哭声/コクソン』の結末・ラスト(ネタバレ)

ジョングの家に着いたイルグァンだったが、車から降りた彼の前に暗闇から1人の人物が現れる。……ムミョンだ、日本人から逃げていた彼女が何故ここにいる?突然大量の鼻血と共に嘔吐するイルグァン。ムミョンに恐れをなし車に乗り込むイルグァン、そこでようやく彼からの大量の着信に気付いたジョングがイルグァンの元へと向かう。彼からの電話に応じながら、信じ難い言葉を聞くこととなる。

「俺は『殺』をかける相手を間違えた!本当の悪霊はあの女だ。日本人はきっとあの女から村を守ろうとしていたんだ。早く家に戻ってくれ!」

混乱しつつ言われた通り家に戻るジョングだったが、退院してきた筈のヒョジンの姿がない。周辺を探し回っていると、そこへ姿を見せたのは「本当の悪霊」だというその女・ムミョンだった。こんな時間にどこへ向かうのか、と尋ねる彼女に警戒心を持つジョング。娘の行方を尋ねると、ムミョンは「あの子は悪霊に惑わされている。今、家に入っては駄目。今家に入ればあなたの家族がみんな死ぬ」。……分からない。誰が敵で誰が味方なのか?ジョングは尋ねる。

「どういう意味なんだ?」
「あの日本人の男はあなたが家に戻るのを待っているのよ」
「あいつはもう死んだじゃないか」
「死ぬなんて有り得ないわ。家に罠を張ったから、あそこの鶏が3回鳴くまでは家に入らないようにして」
「お前は何者だ?」
「あなたの娘を救うために来たの」

一方、家にはヒョジンが帰ってくるが様子がおかしかった。虚ろな目をしたままヒョジンは家へと入り、家中の食料を食い散らかし始めた。座り込みそれを呆然と眺めるしかできない母と祖母。

ジョングの元に、再びイルグァンから電話が入る。「女に惑わされてはいけない。早く娘の元へ!」と切羽詰まった声で告げると、毅然としたままでムミョンは言う。「あの祈祷師はグルだから信じないで」。

一方、鎌を持ったイサムが日本人の家へと訪れていた。死んだ筈の日本人は確かに生きている。毛布に包まったその日本人に話しかけるイサム、「お前は何者なんだ」。日本人は表情一つ変えずに答える、「お前はどう思っているんだ」。イサムは「悪魔だ。お前は悪魔だ。お前の口から正体を言え!」と迫る。日本人は言う、「お前は私が悪魔だと確信をもってここへ来たんじゃないか。なら、その考えは変わらない」。そんな日本人にそれは違う、と叫び、本当の正体を明かしてくれるなら自分は何もせずに帰ると告げる。不気味に笑いだす日本人。一方で、ジョングの元では鶏が1度、2度と鳴き、結局ムミョンが止めるのも聞かずにジョングは家へと入ってしまう。愕然とし、止めようとしその手を伸ばしたまま悲し気な顔をするムミョン。家へと入ると、そこには血の海が広がっている。かろうじて息のある妻を抱き起こすと、その背後には包丁を持ったヒョジンの姿が現れる……。

日本人の男の顔は、まさに悪魔そのものと化していた。笑いながら聖書の言葉を呟き、イサムの顔をカメラに収める日本人。結局彼は本当に悪魔なのか?それとも人を疑い、殺しまで起こそうとした罪を犯したジョングを裁く神なのか?――答えは定かではない。

夜が明けて、ジョングの家へとやってくるイルグァン。軒先では血に染まり虚ろな眼差しのヒョジンが座りこけているが、構うこともなく中へと入っていく。その現場を写真に収めるイルグァン。家の中では瀕死のジョングがうわ言のように繰り返している。

「ヒョジン、大丈夫だ……父さんが何とかしてやるから……父さんが……」

イルグァンは何事もなかったかのように、その場を後にして去っていくのだった。

映画『哭声/コクソン』の考察・解説(ネタバレ)

映画『哭声/コクソン』の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『哭声 コクソン』に出てくる女の正体とは一体?

『哭声 コクソン』に登場するミステリアスな女性は、この映画のストーリーにおいて非常に重要な役割を果たしています。彼女の真の素性は明らかにされていませんが、物語全体を通して神秘的で複雑なキャラクターとして描かれています。村で次々と不可解な出来事が起こり、住民たちが狂気に陥っていく中で、この女性は繰り返し姿を現します。そのたびに、彼女が事件に何らかの形で関与しているのではないかという疑念が観客の心に芽生えるのです。

この謎めいた女性は、主人公のジョングとも何度か接触を持ちます。そして、村で起きている異常事態について警告するかのような素振りを見せるのです。彼女が日本人の男性について「あの人は悪魔だ」と言及するシーンがありますが、これは観る者に大きな困惑を与えます。なぜなら、作品全体を通して、誰が善で誰が悪なのかが曖昧なままだからです。

時には優しさを見せ、またある場面では不気味なオーラを放つこの女性の存在は、登場人物たちをさらなる混乱へと導きます。彼女が村の「守護者」なのか、それとも邪悪な存在なのかは、エンディングを迎えるまで明確になりません。結局のところ、彼女は超常的な力を持っており、村で起きる悲劇に深く関わっていることは間違いないでしょう。

つまり、この女性の正体については、悪霊を追い払う存在とも捉えられますし、逆に悪魔そのものを操る存在とも考えられるのです。彼女の真実は最後まで謎に包まれたままであり、その曖昧さこそが、この映画全体に漂うミステリアスな雰囲気を一層際立たせているのです。

映画『哭声 コクソン』のどの部分が意味わからないのか?

『哭声 コクソン』が「意味不明」だと言われる理由は主に、ストーリーの展開や登場人物の立ち位置、そして善悪の境界線があいまいな点にあります。この映画では、村で次々と起こる不可解な殺人事件や住民の発狂が描かれますが、その背景にある真相や原因が最後まではっきりと明かされません。

特に観客を戸惑わせるのは、登場人物たちの立場が目まぐるしく変化することです。日本人の男性は悪魔のように描かれ、祈祷師もそれを裏付けるかのような行動を取ります。しかし物語が進むにつれ、その信頼性が揺らいでいきます。さらに、謎の女性や神父の立ち位置も曖昧で、彼らが本当に味方なのか、敵なのかが分かりづらくなっているのです。

ラストに近づくにつれ、誰が真の悪で、誰が善なのかが混沌としてきます。観客はどちらの言い分を信じればいいのか判断がつかなくなるのです。この曖昧さが、作品全体に漂う不気味な雰囲気や不安感を助長していますが、同時に物語の真相を掴みにくくしている要因でもあります。

また、悪霊や超常現象がどのように関係しているのかについても、説明が非常に少ないため、観客はそれを推し量るしかありません。このような点から、『哭声 コクソン』を理解しようとする観客にとって「意味不明」という印象が生まれるのです。

映画『哭声 コクソン』の事件の犯人は誰か?

『哭声 コクソン』における事件の黒幕は、物語の大半を通して明らかにされませんが、クライマックスに差し掛かる頃、主要登場人物の一人である日本人男性が悪魔である可能性が高いことが示唆されます。この男性は、映画の随所で不審な行動を取っており、村で起きている不可解な殺人事件や住民の狂気に関与しているのではないかと疑われています。

映画の中で、日本人男性は実際に村人たちに悪霊や呪いをかけているかのように描写されます。森の中で何らかの儀式を行うシーンや、住民たちが次々と異常な行動に走るシーンが続くことで、彼が裏で村に災いをもたらしているのではないかと観客は思い込むのです。しかし、物語の終盤になっても、彼が本当に悪魔なのか、それとも単に疑われているだけの無実の人物なのかは明らかにされず、観客の判断を揺さぶり続けます。

同時に、事件に関わっている可能性のある他の登場人物、例えば謎の女性や祈祷師も、それぞれ不可解な行動を見せます。特に祈祷師は、日本人男性となんらかの繋がりがあるように見え、一部の観客からは彼もまた事件の黒幕なのではないかと疑われています。

結局のところ、映画が幕を閉じるまで犯人が誰なのかは明確に語られず、観客の解釈に委ねられます。しかし、物語全体の流れを見ると、日本人男性が悪魔であり、村の事件を引き起こした張本人である可能性が最も高いと考えられています。

映画『哭声 コクソン』の事件で祈祷師はグルだったのか?

『哭声 コクソン』に登場する祈祷師が、日本人男性と「グル」であった可能性を示唆するシーンがいくつか存在します。祈祷師は、主人公ジョングの依頼を受け、彼の娘や村人たちに取り憑いた邪悪な力を追い払おうとします。しかし、物語が進むにつれて、彼の意図や行動に疑問符がつくようになるのです。

映画の中盤、祈祷師が執り行う儀式は非常に派手で迫力があるものの、その効果は逆に村人たちの状況を悪化させているように見えます。このため、彼が本当に呪いを解こうとしているのか、それともむしろ邪悪な力を強めているのかが曖昧になってくるのです。特に、日本人男性が悪霊として描かれる一方で、祈祷師が彼の行動を追いかける様子から、二人の間に何らかの関係があるのではないかと観客は疑い始めます。

物語の終盤、祈祷師が突然村を去ろうとするシーンや、ジョングに対して警告を発するシーンは、彼が最初から悪意を持って行動していたのではないかという疑念を強めます。また、日本人男性と同じように不気味なオーラを放っていることから、観客は祈祷師もまた村で起きている事件に深く関わっているのではないかと推測するのです。

最終的に、映画の中で祈祷師が直接的にグルであると明言されることはありませんが、彼の行動や態度から、悪意ある存在と手を組んでいる可能性は高いと解釈されています。この曖昧さが、『哭声 コクソン』のミステリアスな要素をさらに際立たせているのです。

映画『哭声 コクソン』の事件の原因は、毒キノコなのか?

『哭声 コクソン』の物語の中で、村で起きている一連の事件の原因として「毒キノコ」が言及されるシーンがあります。この設定は、村で起こっている不可解な殺人や住民の狂気が、超常現象ではなく、ある種の毒キノコによる中毒症状によって引き起こされたのではないかという疑念を観客に抱かせます。実際、映画の序盤で村人が異常な行動を見せるシーンにおいて、キノコ中毒のような説明がなされることがあるのです。

毒キノコによる中毒は、幻覚やパラノイアを引き起こす可能性があるため、この点において村人たちの異常な行動が説明できるかもしれません。映画では、村の自然環境が物語の背景として重要な役割を果たしており、自然の中に潜む要素が事件に関係している可能性が示唆されているのです。特に、毒キノコによる幻覚が原因で村人たちが次々と発狂し、凶行に及ぶという考えは、物語の一部において合理的な解釈を提供します。

しかし、映画全体の流れや後半の展開を考慮すると、毒キノコはあくまで一時的な説明に過ぎず、実際にはもっと大きな、超常的な要素が事件の背景にあることが明らかになります。毒キノコの設定は、物語にリアリティを持たせるための一つの手段であり、観客に対して「これは全て自然現象の結果かもしれない」という疑問を投げかけるトリックとして機能しているのです。

結局のところ、毒キノコが村の事件の唯一の原因ではなく、映画の背後には悪霊や超常現象が関与していることが示唆されています。毒キノコは物語の説明の一部として提示されますが、それだけでは事件の全容を解明することはできないというのが結論と言えるでしょう。

映画『哭声 コクソン』は、実話を元に作られているのか?

『哭声 コクソン』は、直接的に実在の事件を基にしているわけではありませんが、韓国の民間伝承や宗教的儀式、そして悪霊にまつわる話など、現実に存在する文化的要素が物語に大きな影響を与えています。監督のナ・ホンジンは、韓国の伝統的な迷信や呪術、信仰などを巧みに作品に取り入れることで、超自然的な恐怖を描き出し、観客にリアリティを感じさせることに成功しているのです。

韓国には古くから悪霊や呪いに関する伝承が数多く存在しており、特定の場所や人物が悪霊に取り憑かれるという考え方は一般的なものです。映画の中で描かれる祈祷師による儀式や、悪霊を追い払うための儀礼は、実際に韓国の一部地域で行われている伝統的なものと類似しています。これらの要素は、作品に現実味を与えるだけでなく、韓国の宗教や民間信仰に関心を持つ観客の心にも訴えかけるのです。

また、映画の舞台となる村の描写や、村人たちが悪霊や超常現象に巻き込まれていく過程も、韓国の地方に伝わる怪談や民間伝承に基づいていると考えられます。特に、古くから信じられてきた「霊的な汚れ」や「祟り」に関する考え方が、映画の中で強調されています。

つまり、『哭声 コクソン』は実在の事件を直接的に基にした作品ではありませんが、韓国の文化的背景や伝承、宗教的儀式などを巧みに取り入れることで、物語全体にリアリティと恐怖感を与えているのです。この文化的要素こそが、映画をフィクション以上のものにし、観客に強い印象を残す要因となっているのです。

映画『哭声 コクソン』とキリスト教の関連性とは?

『哭声 コクソン』には、キリスト教的な要素がいくつか見られ、物語の中で重要な役割を果たしています。特に、終盤で登場する神父や、悪魔との戦いを描くシーンは、キリスト教の影響を色濃く受けたものと言えるでしょう。

映画に登場する神父は、主人公ジョングの家族や村で起きる怪奇現象に関与し、悪霊を追い払おうと奮闘します。この神父の役割は、キリスト教における悪霊払いの儀式「エクソシズム」に類似しており、超自然的な力に対抗するために奮闘する彼の姿は、キリスト教的な正義の象徴として描かれています。神父はキリスト教の教えに基づいて、悪魔と対峙しますが、その力及ばず、最終的には悪霊に太刀打ちできない状況に陥ってしまうのです。

また、映画の中で描かれる「善と悪」の対立もキリスト教的なテーマです。日本人男性が悪魔として描かれる一方、神父や祈祷師がそれに立ち向かう存在として登場することで、キリスト教における善と悪の二元論が映画に反映されているのです。この善悪の戦いは、キリスト教における悪魔と天使の戦いにも通じるものがあり、物語全体に神秘的な雰囲気を醸し出しています。

さらに、終盤でジョングが直面する選択や、家族を守るために何を信じるべきかという葛藤も、キリスト教における「信仰」の問題と密接に関連しています。ジョングは、悪霊や呪いの存在を信じるべきか、それとも神の助けを信じるべきか迷いながら行動します。その選択が物語の結末に大きな影響を及ぼすのです。

つまり、『哭声 コクソン』にはキリスト教の影響が色濃く反映されており、特に善と悪の対立や、信仰と懐疑のテーマが物語の核心を成しているのです。映画の中で描かれる超常現象とキリスト教的な要素が絡み合うことで、物語に深みと複雑さが加わっているのです。

映画『哭声 コクソン』と『女神の継承』との類似点とは?

『哭声 コクソン』と『女神の継承』は、ともに超常現象や呪いをテーマとしたホラー映画であり、様々な共通点を持っています。何よりも、両作品が「家族」を物語の中心に据えている点が大きな類似点と言えるでしょう。家族の一人が不可解な現象や呪いに巻き込まれ、その影響が家族全体に及んでいくという構図が、二つの映画に共通しているのです。

『哭声 コクソン』では、主人公ジョングの娘が悪霊に取り憑かれ、それを救おうとする父親の奮闘が描かれます。一方、『女神の継承』では、家系に伝わる呪いが娘に受け継がれていくというストーリーが展開されます。どちらの作品でも、家族の中で次第に不安や恐怖が増大していき、それが物語の緊張感を高めています。

また、両映画とも「超常的な力」が物語の核となっている点も共通しています。『哭声 コクソン』では、悪霊や悪魔、そして祈祷師の儀式が重要な役割を果たしますが、『女神の継承』においても、シャーマニズムや宗教的儀式が物語の鍵を握っています。呪いや悪霊が家族や登場人物たちを脅かすことで、観客の恐怖心を掻き立てるのです。

さらに、二つの映画はともに「田舎の閉鎖的な環境」を舞台としている点でも似ています。『哭声 コクソン』が韓国の小さな村を、『女神の継承』がタイの田舎を舞台にしており、そうした閉鎖的なコミュニティが不気味な雰囲気を醸し出しています。都会から離れた場所で、外部の助けが得られない状況が登場人物たちを追い詰め、観客に不安感を与えるのです。

最後に、両作品が「宗教的な要素」を強く取り入れている点も見逃せません。『哭声 コクソン』ではキリスト教とシャーマニズムが対立し、『女神の継承』ではシャーマニズムが中心的なテーマとして描かれます。宗教的な儀式や信仰が、登場人物たちの行動や物語の進行に大きな影響を及ぼしているのです。

このように、『哭声 コクソン』と『女神の継承』は、家族を巻き込んだ超常現象、宗教的儀式、そして閉鎖的な田舎を舞台にした設定など、多くの共通点を持っています。どちらの作品も、観客に強い恐怖と不安を感じさせる優れたホラー映画と言えるでしょう。

映画『哭声 コクソン』の没となった別エンディングとは?

『哭声 コクソン』には、撮影時に検討されていた別のエンディングが存在したと言われていますが、最終的にはボツになり、劇場公開版とは異なる結末が描かれる予定だったようです。没エンディングの具体的な内容は公式には明らかにされていませんが、様々な情報やインタビューから、その概要を推測することができます。

まず、没となったエンディングでは、物語がより明確な終わり方を迎えていた可能性があります。本編では、日本人男性が本当に悪魔だったのか、祈祷師や謎の女性がどのような立場にいたのかが曖昧なまま終わっています。これが観客に強い印象を残し、謎を残す形で幕を閉じるのですが、別エンディングではこれらの謎が解明され、よりはっきりとした結論が描かれていたのかもしれません。

具体的には、日本人男性が明確に悪魔であると判明するか、あるいは彼が実は無実であり、別の登場人物が真の黒幕として描かれるような結末だった可能性があります。また、主人公ジョングの運命も、公開版とは異なっていたかもしれません。本編では、ジョングは娘を救うことができず、事件の全容を理解できないまま物語が終わりますが、没エンディングでは彼が真相に気付き、より劇的な対決や解決が描かれていたのかもしれません。

監督のナ・ホンジンは、観客に強い余韻を残すために、あえて多くの部分を曖昧なままにして終わらせたと言われています。たとえ没エンディングがより分かりやすい解決を描いていたとしても、監督は映画全体のテーマである「善悪の曖昧さ」や「信じることの困難さ」を強調するために、現在の形を選んだのです。この選択が結果的に観客に深い印象を与え、議論を呼ぶエンディングとして評価されているのです。

つまり、『哭声 コクソン』には没となった別エンディングが存在し、その内容は現エンディングよりも明確な解決を描いていた可能性がありますが、最終的に監督の意図で曖昧な形に変更されたのです。この曖昧さこそが、映画の魅力の一部として高く評価されているのです。

映画『哭声 コクソン』のラストの日本人は、悪魔なのか、神なのか?

『哭声 コクソン』のラストに登場する日本人男性は、彼が「悪魔」なのか「神」なのかという点で、観客に大きな疑問を投げかけます。物語の中で彼は、村で起こる一連の不可解な事件や住民たちの狂気に深く関与しているかのように描かれますが、最終的にその正体が明らかにされることはありません。彼が悪魔なのか、それとも別の存在なのかが曖昧なままなのです。

日本人男性が悪魔だと考えられる理由は、彼の行動と村で起こる事件との関連性にあります。彼は村で不気味な儀式を行い、祈祷師との対立や村人の死に関与しているように見えます。また、終盤で彼の姿が怪物のように変化するシーンがあり、これが彼の悪魔的な本性を示唆しているのかもしれません。さらに、謎の女性がジョングに「彼は悪魔だ」と警告するシーンもあり、彼が悪魔である可能性を強調しているのです。

一方で、日本人男性が「神」やその他の超常的な存在である可能性も考えられます。映画全体を通して、善と悪の境界線が非常に曖昧に描かれており、彼が悪魔のように見える一方で、実は村を救おうとしている存在なのかもしれないという見方もできるのです。物語の中で、彼が明確に悪意を持って行動しているという証拠はなく、観客は彼の真の姿を判断する材料に乏しいままなのです。

ラストシーンでは、日本人男性がカメラに向かって微笑むシーンがありますが、この笑顔がさらに彼の正体を曖昧にしています。彼の笑みは悪意の表れにも見えますが、同時に何か大きな計画や意図が背後にあることを示唆しているようにも感じられるのです。

結局のところ、日本人男性が悪魔なのか神なのかは、映画の中で明確には答えられておらず、観客の解釈に委ねられています。彼の行動や登場人物たちの反応から、悪魔として描かれている可能性が高いと言えますが、映画全体が曖昧さを保っているため、断定することは難しいのです。この曖昧さこそが、『哭声 コクソン』の独特な魅力を作り出しているのかもしれません。

映画『哭声 コクソン』に出てくるゾンビが作られた理由とは?

『哭声 コクソン』に登場するゾンビのような存在は、物語全体の中で描かれる呪いや悪霊の影響によって生み出されたと考えられます。ゾンビが登場するシーンは、映画の怪奇現象や恐怖を象徴する重要な要素であり、村の住民たちが何らかの邪悪な力に取り憑かれた結果、ゾンビのような状態に変貌していくことを示しているのです。

映画の中で、村人たちは次々と不可解な発狂や暴力的な行動を取り始めます。これらの行動は、何か超常的な力によって操られているかのようであり、村に蔓延する呪いや悪霊が原因だと考えられます。この呪いの力によって、村人たちは生気を失い、理性を失っていく過程がゾンビのような姿で表現されているのです。特に、彼らの無表情でゆっくりとした動きや、意思を持たないかのような行動は、典型的なゾンビ映画のキャラクターと重なる部分があります。

また、映画に描かれるゾンビ的な存在は、単なる恐怖演出以上の意味を持っています。それは、物語のテーマである「人間の魂が悪霊に支配されること」の象徴でもあるのです。村人たちが次々と自我を失っていく過程は、彼らの精神や魂が外部の力によって奪われていくことを表しており、ゾンビのような姿はその象徴的な表現と言えるでしょう。

つまり、ゾンビが作られた理由は、村で暗躍する悪霊や呪いの力が住民たちを支配し、彼らを生ける屍のような状態に追い込んだからだと考えられます。映画は超常的な力が現実世界にどのように影響を与えるかを描いており、ゾンビ的な存在はその一環として物語に不気味さを加えているのです。

結論として、『哭声 コクソン』に登場するゾンビ的な存在は、悪霊や呪いの力が村人たちを支配し、彼らを生気のない存在に変えてしまった結果として描かれています。これは物語の恐怖要素を強化するだけでなく、映画全体のテーマである「魂の喪失」を表現するための重要な要素なのです。

映画『哭声/コクソン』はどこで見れる?フルで無料視聴する方法は?

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映画『哭声 コクソン』を無料視聴できる動画配信サービスと方法
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