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映画『ジョーカー(2019)』のネタバレ・あらすじ・考察・解説

この記事では、映画『ジョーカー(2019)』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。

映画『ジョーカー(2019)』の作品情報


出典:U-NEXT

製作年 2019年
上映時間 122分
ジャンル サスペンス
ドラマ
犯罪
監督 トッド・フィリップス
キャスト ホアキン・フェニックス
ロバート・デ・ニーロ
ザジー・ビーツ
フランセス・コンロイ
製作国 アメリカ

映画『ジョーカー(2019)』の登場人物(キャスト)

アーサー・フレック / ジョーカー(ホアキン・フェニックス)
アーサーは精神的疾患や、貧困問題を抱えつつも、心優しい性格。人々を笑わせようと道化師の仕事をしながら、母親の世話をして暮らす。社会の抑圧から徐々に精神が崩壊し、狂気に満ちたジョーカーとなる。
マレー・フランクリン(ロバート・デニーロ)
人気テレビ番組の司会者で、コメディアン。小劇場で行ったアーサーのショーに目を付け、自身の番組にアーサーをゲストとして招く。番組内でもジョーカーを笑い者にして、精神的に追い詰める。
ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)
アーサーの母親。アーサーを自分とトーマスとの間に産まれた子供だと信じ、トーマスに生活の援助を求めるための手紙を送り続ける。しかし、精神疾患と病的な妄想癖があり、過去には精神病院で入院していた。
ソフィー・デュモンド(ザジー・ビーツ)
アーサーと同じアパートに住む黒人女性。アーサーにとって心の支えとなるが、ソフィーとアーサーの間に起こることは、全てアーサーの妄想であった。
トーマス・ウェイン(ブレット・カレン)
アーサーの母親のペニーが30年前に使用人として働いていた屋敷の主。ペニーはトーマスとの間に産まれたのがアーサーだと主張するが、トーマスは否定する。ゴッサム・シティの市長になるために、市民に寄り添う姿勢を見せるが、暴徒化する市民を社会の落第者でありピエロだと嘲笑する。また、後にバットマンとなるブルース・ウェインの父親である。
アルフレッド・ペニーワース(ダグラス・ホッジ)
トーマス・ウェインの屋敷に仕える執事。
ブルース・ウェイン(ダンテ・ペレイラ=オルソン)
トーマス・ウェインの息子で、後のバットマン。

映画『ジョーカー(2019)』のネタバレ・あらすじ(起承転結)

映画『ジョーカー(2019)』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『ジョーカー(2019)』のあらすじ【起】

舞台は1970年代のゴッサム・シティ。街は清掃員のストライキによりゴミで溢れ、貧富の差は拡大し、物々しい雰囲気が漂っていた。ゴッサム・シティに住むアーサーは、母親のペニーの介護をしながら、道化師の派遣仕事をして暮らしていた。道化師の仕事は低賃金だが、アーサーは人々を笑わせたいという気持ちと、いつの日かコメディアンとして成功したいという夢を持ち、ひたむきに生きていた。

ある日、ピエロの格好をして店の前で看板を持つ仕事をしていたアーサーは、街の不良少年達に絡まれ、袋叩きにされて看板を破壊されてしまう。ボロボロになりながら会社に戻ったアーサーを見て、同僚のランドルが身を守るためにと、アーサーに銃を渡した。

帰りのバスで、アーサーは乗り合わせた子供と目が合い、笑顔を向けたが、子供の母親に気味悪がられ咎められる。すると、アーサーは突然大声で高らかに笑い続けた。困惑する親子に、アーサーは1枚のカードを渡した。そのカードには、アーサーが脳の欠陥で笑いの発作が止まらなくなることがあるため、理解して欲しい、という内容が記されていた。

アーサーの家ではペニーがアーサーの帰りを待っていた。ペニーは心臓と精神の病を抱え、殆ど寝たきりの状態であった。ペニーは郵便受けに手紙が届いていなかったかと、アーサーに尋ねた。ペニーは30年前に使用人として仕えていたトーマス・ウェインに、生活の援助を求める手紙を送り続けていたのだ。

映画『ジョーカー(2019)』のあらすじ【承】

ある日、アーサーは小児病棟の子供たちの前でピエロのパフォーマンスをしている最中に、ランドルから渡された銃を誤って落としてしまう。その場は騒然となり、アーサーはピエロの格好のまま逃げ出したが、そのまま会社を解雇される。

アーサーは落ち込みながら地下鉄に乗り、帰路についた。ピエロ姿のアーサーに気付いた3人組のビジネスマン達が、アーサーをからかい、袋叩きにする。苦痛から笑いの発作が止まらなくなったアーサーを見て、ビジネスマン達の暴力はエスカレートしていく。すると、アーサーは持っていた銃でビジネスマン達を撃ち殺してしまった。この事件はニュースで大きく取り上げられることになり、殺されたビジネスマン達はトーマス・ウェインの会社の社員であったことが判明した。トーマスはニュースで、ピエロの格好でしか行動を起こせない犯人は社会からの脱落者だと述べ、怒りを露わにする。しかし、ゴッサム市長になるために上辺だけ謙虚な姿勢を見せていたトーマスは、市民達の反感を買うことになる。この事件を機に市民達は、ピエロをプロパガンダの象徴として暴動を一層過激にする。

映画『ジョーカー(2019)』のあらすじ【転】

少しずつ壊れていくアーサーは、アパートのエレベータでシングルマザーのソフィーと出会う。多くは語り合わなかったが、2人は少しずつ距離を縮めていった。アーサーは自身が出演するスタンドアップコメディーショーにソフィーを招いた。しかし、ショーの本番でアーサーは笑いの発作を起こし、ショーは失敗に終わる。ところが、ひたすら舞台の上で笑い続けるアーサーの姿が反響を呼び、人気コメディアンのマレー・フランクの番組にゲスト出演することが決まる。

一方ペニーは、トーマスに手紙を書き続けていた。アーサーはペニーに出しておくように頼まれた手紙を覗き見る。するとそこには、トーマスがアーサーの父親であるということが記されていた。困惑したアーサーは事実を確かめるために、トーマスの屋敷を訪ねた。しかし、使用人のアルフレッドに追い返される。アーサーは、母親の名前と、自分はトーマスの息子だということをアルフレッドに伝えるが、アルフレッドは聞く耳を持たなかった。

納得のいかないアーサーは、トーマスに会うために、映画鑑賞パーティーが開かれている建物へ向かった。トイレに立ったトーマスを追いかけ、アーサーはトーマスと対峙する。アーサーはトーマスに対して、自分の父親であることを訴えるが、否定され、ペニーは狂っていると冷たくあしらわれる。それでもなお激しく訴えるアーサーをトーマスは殴り飛ばし、ペニーが使用人として働いている時にペニーが貰ってきた養子がアーサーであるという事実をアーサーに突きつけた。

アーサーは真実を確かめるために、ペニーが過去に入院していた病院を訪れた。そこに保管されていた診察記録には、アーサーが養子であることに加え、ペニーの交際相手に虐待されたアーサーは脳に損傷を負ったこと、ペニーは虚言癖と妄想性障害を患っていることなど数多くの記録が記されていた。思わぬ過去を知ってしまったアーサーは、脳卒中で倒れたペニーが入院している病室へ向かい、そのままペニーの顔を枕で覆い窒息死させてしまう。

後日、ペニーの死を知った元同僚のランドと連れが心配してアーサーの家を訪ねる。しかしアーサーは、ランドルが警察に銃の所持の責任をアーサーに擦り付けて裏切ったという理由で、ランドルの首元を切り付け殺害する。

社会からも見放され、信じられるものも無くしたアーサーは助けを求めるかのようにソフィーの部屋を訪れる。しかし、ソフィーはアーサーの名前を辛うじて知っているだけで、アーサーの突然の訪問に恐怖の色を示す。ソフィーとアーサーの親密な関係は、全てアーサーの妄想であった。

映画『ジョーカー(2019)』の結末・ラスト(ネタバレ)

ビジネスマン殺害の容疑で警察に追われながらも、アーサーはマレーのコメディ番組出演当日を迎える。楽屋に着いたアーサーはピエロのメイクをしていた。マレーは素顔で舞台に立つアーサーを見てオファーをしていたため戸惑う。さらに、街ではピエロメイクをした市民達が暴動を起こしているため、プロデューサーは難色を示した。しかし、アーサーは政治的意図は無く、ただ楽しませたいだけだと主張し、マレーの了承を得る。アーサーはマレーに、番組で紹介する際にアーサーではなくジョーカーという名前で紹介するようにと告げる。

番組では、初めこそ拍手で迎えられたジョーカーであったが、やはりジョーカーの笑いと世間の感覚は噛み合わず会場は静まり返る。マレーがその場を盛り上げようと、ジョーカーを馬鹿にする冗談で笑いをとる。戸惑いと怒りが加速したジョーカーは、ビジネスマンを射殺した犯人は自分だと突然告白を始めた。マレーは半信半疑でジョーカーの話を聞いていたが、つまらない冗談だ、その話にオチはあるのか、と問い詰める。するとジョーカーは立ち上がり、マレーに向けて銃を突き付け、生放送中に射殺してしまった。会場はパニックになるが、一部で暴徒化する市民を一層煽る形となった。

トーマスは荒れ狂った街から逃げようと、妻と息子と路地裏を進んでいた。しかし、トーマスとトーマスの妻はピエロのマスクを被った男達に射殺されてしまった。呆然と立ち尽くす幼いトーマスの息子は、将来バッドマンとなるブルース・ウェインであった。

パトカーで連行されるジョーカーは、車内から荒れ狂う市民達や至る所で燃え上がる炎を眺め、微笑む。そこへ脇から、ジョーカーの乗るパトカーに救急車が突っ込み、ピエロ姿の市民達がジョーカーを助け出す。目を覚ましたジョーカーがパトカーのボンネットの上に立ち上がると、市民たちは称賛の声を上げ、ジョーカーは高らかに笑うのであった。

改めて逮捕されたジョーカーは、アーカム州立病院でカウンセリングを受けていた。カウンセリング最中に再び笑いの発作が起き、カウンセラーに理由を聞かれると、面白いジョークを思いついたが、理解できないだろう、と笑い続ける。ジョーカーは部屋を後にし、病院の廊下を華麗なステップを踏み、踊りながら進む。ジョーカーの歩いた廊下には、血まみれの足跡がくっきりと残っていた。

映画『ジョーカー(2019)』の考察・解説(ネタバレ)

映画『ジョーカー(2019)』の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『ジョーカー(2019)』は、どの辺りが「えぐい」と言われているのか?

『ジョーカー(2019)』が「えぐい」と評される理由は、その生々しい暴力描写や深刻な心理描写、そして主人公アーサー・フレックの精神崩壊の過程がリアルに描かれているところにあります。観る人の心に重くのしかかる場面が数多く存在し、ショッキングな印象を与えるのです。

特に、暴力シーンの「えぐさ」は、その現実味あふれる描写方法に起因しています。例えば、アーサーが地下鉄で若者たちに襲われた時、彼は自衛のために彼らを射殺しますが、この場面では彼の冷酷さと緊迫感が際立っており、観客に強烈なインパクトを与えます。

また、後半でアーサーが自宅で同僚のランドルを殺害するシーンも、その突然の残虐性が「えぐい」と感じさせる要因です。アーサーが感情の赴くままにランドルを激しく刺し、その後冷静に振る舞う様子は、彼の心が完全に壊れ、ジョーカーへと変貌したことを如実に示しており、観る者に強い衝撃を与えます。

さらに、アーサーがトークショーで司会者のマレー・フランクリンを生放送中に射殺するシーンも、非常に衝撃的で「えぐい」部分だと言えます。彼が躊躇なく銃を取り出し、冷静に殺害に及ぶ姿は、観客に恐怖と不安を呼び起こします。これらの暴力シーンは、その生々しさとアーサーの精神状態の変化を如実に見せつけることで、「えぐい」という表現がふさわしい印象を与えるのです。

映画『ジョーカー(2019)』でジョーカーがゲイリーを殺さなかった理由とは?

『ジョーカー(2019)』でアーサー・フレック(ジョーカー)が同僚のゲイリーを殺さなかった理由については、様々な解釈が可能です。物語の中盤、アーサーは自宅でランドルを殺害しますが、同じ場面に居合わせたゲイリーには危害を加えることなく、逃がしてやります。この行動からは、ジョーカーの複雑な心理が垣間見えます。

まず、ゲイリーはアーサーに対して友好的な態度を取っており、映画の中で彼に特別な悪意を向けていなかったことが挙げられます。長年社会から孤立し、同僚や他人から嘲笑や軽視を受けてきたアーサーにとって、ゲイリーは数少ない優しさを示してくれる存在でした。そのため、アーサーはゲイリーを殺す動機を持たず、むしろ彼に感謝や恩義を感じていたのかもしれません。ゲイリーの善良さが、アーサーをして彼の命を救う決断をさせたのです。

また、ランドルとは対照的に、ゲイリーはアーサーに対して物理的にも精神的にも脅威を与える存在ではありませんでした。ランドルはアーサーを裏切り、彼の不安定な精神状態を他人に暴露するなど、敵対的な行動を取っていました。それゆえ、アーサーはランドルを殺すことで復讐を遂げますが、ゲイリーに対してはそのような敵意を抱いていなかったのです。

さらに、ジョーカーには独自の「倫理観」があるとも解釈できます。アーサーは裏切り者や自分を傷つけた者には容赦しませんが、自分に優しくしてくれた人には恩返しをするという、一種の道徳観を持っているのかもしれません。ゲイリーを助けるシーンは、そんなアーサーの心理を表現したものであり、彼の行動には単なる暴力以上の意味が込められていることを示唆しています。

この場面は、ジョーカーが単なる冷酷な殺人鬼ではなく、彼なりのルールや感情を持った存在であることを強調する重要なシーンなのです。

映画『ジョーカー(2019)』のジョーカーの悲しすぎる生い立ちとは?

映画『ジョーカー(2019)』の主人公アーサー・フレックの生い立ちは、非常に悲惨で、彼がどのようにしてジョーカーへと変貌を遂げたのかを理解する上で重要な要素となっています。幼少期から数々の苦難や虐待に晒されてきたアーサーは、心に深い傷を負っています。この背景が、彼の精神を徐々に蝕み、やがてゴッサム・シティの犯罪者ジョーカーへと変えていく一因となっているのです。

アーサーの母親ペニー・フレックは精神的に不安定で、自身も過去に多くの苦しみを経験してきました。彼女はアーサーに「トーマス・ウェイン(バットマンの父)」が彼の実父だと信じ込ませていましたが、実際にはその話は彼女の妄想に過ぎないことが明らかになります。このことで、アーサーは自分が愛されていなかったばかりか、存在そのものが否定されたような感覚を抱くことになります。

さらに、アーサーは子供の頃、母親の当時の恋人から虐待を受けていたことも明らかになります。この虐待体験は彼の精神に深い影を落とし、後の人格形成にも大きな影響を与えています。加えて、アーサーは自身の抱える精神疾患に悩まされ、笑いたくない時にも笑ってしまうという症状に苦しんでいます。この障害によって彼は社会から孤立し、周囲の理解を得られず、嘲笑の的となってしまうのです。

ピエロとしての仕事も、アーサーにとっては楽しいものではなく、生活のために仕方なく続けているものでした。彼はコメディアンとして成功したいという夢を抱いていますが、その夢もまた、冷酷な現実によって打ち砕かれてしまいます。アーサーが理想とする世界とは真逆の現実に直面し、彼は次第に社会への不満や怒りを募らせていくのです。

こうした悲惨な生い立ちや過去の経験が、アーサーを絶望の淵へと追いやり、最終的には自分の存在を証明し、社会に復讐する手段として「ジョーカー」へと変貌させる大きな要因となっています。彼の悲しすぎる生い立ちは、観客に同情を呼び起こすと同時に、犯罪者へと堕ちていく過程を納得させるものとなっているのです。

映画『ジョーカー(2019)』は見ているとおかしくなるのか?

『ジョーカー(2019)』は、心理的に非常に深い作品であり、観客の心に強烈な影響を及ぼす映画です。そのため、この映画を見ていると精神的に不安定になる、つまり「おかしくなる」と感じる人もいるかもしれません。そう感じる理由は、映画が扱うテーマの重さと、主人公アーサー・フレックの精神状態があまりにもリアルに描かれているからです。

映画全体を通して、アーサー・フレックは精神的な崩壊の過程をたどり、現実と幻覚の境界線があいまいになっていきます。彼は自分の望む世界と現実の冷酷さとの間で葛藤し、最終的には自ら解放されようとします。このプロセスは観客にとってもストレスフルで、アーサーの苦しみや孤独を追体験させられるような感覚を与えるのです。

また、映画の視覚的演出や音楽も、観客の不安を煽る効果があります。アーサーの内面の混乱を反映した暗い映像や不気味な音楽は、彼の心の葛藤を増幅させるため、観客もその不安定な世界に引き込まれていくのです。こうした要素が、映画を観る人に「おかしくなる」ような感覚を抱かせる一因となっています。

さらに、映画のテーマ自体が非常に重く、社会の不平等や疎外感、そして人間の精神的な崩壊を描いているため、観客はアーサーの苦しみや怒りに共感しながらも、それが次第に暴力へと転じていく様子を目の当たりにすることになります。この過程は観客にとっても精神的に過酷であり、映画を見終えた後に深い疲労感や不安感を感じることもあるでしょう。

『ジョーカー(2019)』は、視覚的な恐怖やショックで観客を驚かせるのではなく、主人公の内面を深く掘り下げ、その精神的な崩壊をリアルに描いています。そのため、観客がアーサーと共にその崩壊の過程を経験し、彼の感情に強く影響されることがあります。それが「おかしくなる」と感じられる理由の一つなのです。

ただし、映画を観て精神的に不安定になるかどうかは、個人の感受性や体験によって異なります。多くの観客はこの映画を通じて現代社会の問題を深く考えるきっかけを得ることができますが、アーサーの精神的な崩壊に共感しすぎると、観ている最中に不安を感じることもあるでしょう。

映画『ジョーカー(2019)』の作品の時計が「11時11分」を示している理由についての考察

映画『ジョーカー(2019)』では、時計が「11時11分」を指しているシーンがいくつか登場します。この「11時11分」という時刻には、特別な意味が込められているのではないかと考える人も多く、物語の重要なテーマや象徴を暗示している可能性があります。

まず、「11時11分」はいわゆる「エンジェルナンバー」として知られており、スピリチュアルな意味を持つ数字だと言われています。この数字は新たな始まりや転機を象徴し、重大な変化が起こる兆しを示すとされています。映画の中で、アーサーがジョーカーへと変貌していく過程でこの時刻が示されることは、彼の人生が大きな転換点を迎えていることを暗示しているのかもしれません。彼の精神状態が崩壊し、ジョーカーという新たな人格が誕生する瞬間を象徴する意味で「11時11分」が使われている可能性があります。

また、この時刻が繰り返し登場することで、観客に現実と幻想の境界のあいまいさを印象付けている可能性もあります。アーサーの精神状態は映画を通じて徐々に不安定になり、現実と妄想の区別がつかなくなっていきます。時計が同じ時刻を指し続けることは、彼が繰り返し同じ現実に閉じ込められているか、あるいは時間そのものが彼にとって意味を失っていることを示唆しているのかもしれません。これによって、観客もアーサーの精神的な崩壊を共に体験し、彼の視点を理解しやすくなるのです。

さらに、時計が「11時11分」を指していることは、物語の中で不吉な出来事が近づいていることを予兆している可能性もあります。アーサーがジョーカーへと変貌していく過程では、暴力や混沌が増大していきます。この時刻は、彼の内面的な変化と、それがもたらす破壊の前兆を示しているのかもしれません。

このように、「11時11分」という時刻が繰り返し登場することで、映画の深層にあるテーマや象徴が強調され、アーサーの変化や物語の転換点が暗示されていると考えられます。

映画『ジョーカー(2019)』は、なぜ意味がわからないと言われているのか?

『ジョーカー(2019)』が「意味がわからない」と評される理由は、この作品が観客に対して明快な答えを示さず、様々な解釈の可能性を残しているからです。物語はアーサー・フレックの精神的な崩壊と社会からの疎外感を描いていますが、彼が体験する出来事の中には、現実なのか妄想なのか曖昧なものが多く存在するため、観客は時として混乱を感じることがあります。

例えば、アーサーがトークショーに出演し司会者のマレーを殺害するシーンや、母親に関する衝撃的な真実を知るエピソードなど、物語の中で重大な出来事が次々と起こります。しかし、それらが実際に現実に起きたのか、それともアーサーの幻想の産物なのかが明確に示されていません。また、映画の最後でアーサーが精神病院にいるシーンは、彼の現実逃避や妄想が映画全体に影を落としていることを示唆しています。こうした曖昧さが、映画の意味を掴みにくいと感じる一因となっているのです。

さらに、この作品はジョーカーの誕生を描きながら、社会の不平等や抑圧、人々の疎外感といったテーマにも触れていますが、それらのメッセージが必ずしも明確に伝わっていないと感じる観客もいます。アーサーの行動や動機づけが複雑で、彼が単なる被害者なのか、それとも冷酷な犯罪者なのかが曖昧であるため、物語全体の意図を理解するのが難しいと感じる場合があるのです。

また、アーサーがジョーカーへと変貌していくプロセスは、暴力と混沌に満ちた世界の中で進行しますが、その描写は直接的な説明を伴わないことが多いです。彼の変化がどのような社会的背景や心理的要因によって引き起こされたのかは、観客自身が映画を通して解釈することが求められます。こうした構成が、映画を「意味がわからない」と感じさせる原因の一つとなっているのです。

つまり、『ジョーカー(2019)』は現実と妄想、社会的メッセージと個人の物語が複雑に絡み合った作品であるため、一度の鑑賞だけでは全てを理解しきれない部分が多く存在します。それが「意味がわからない」と評される理由なのです。

映画『ジョーカー(2019)』とバットマンシリーズとの繋がりは?

『ジョーカー(2019)』は、バットマンシリーズに登場する悪役ジョーカーの誕生を描いた作品ですが、従来のバットマン映画とは直接的な繋がりを持っていません。この映画は、アーサー・フレックという一人の男性が、ゴッサム・シティの過酷な社会環境と個人的な悲劇を経て、どのようにしてジョーカーへと変貌していったかを描いています。

しかし、映画の中にはバットマンシリーズとの関連性を示唆する要素がいくつか登場します。特に重要なのは、トーマス・ウェインとその息子であるブルース・ウェイン(後のバットマン)との関係性です。アーサーは自分の母親がトーマス・ウェインと関係を持っていたと信じており、トーマスが自分の父親だと確信しています。この展開は、アーサーがブルース・ウェインの異母兄弟である可能性を示唆し、バットマンシリーズとの繋がりを感じさせます。

また、映画にはブルース・ウェインの幼少期の姿が登場し、アーサーがウェイン家の屋敷を訪れた際に幼いブルースと出会うシーンがあります。この場面は、将来バットマンとジョーカーが宿命の対決を繰り広げることを予感させ、二人の間に深い因縁があることを示唆しています。さらに、映画のクライマックスでは、トーマス・ウェインとその妻が暴徒に殺害されるシーンが描かれますが、これはバットマンのオリジンストーリー(彼の両親が殺されたことがバットマンになるきっかけとなる)の重要な要素として知られています。

このように、『ジョーカー(2019)』は独立した作品でありながら、バットマンの世界観と密接に関連する要素を含んでいます。特に、ブルース・ウェインの登場やウェイン家の運命が、アーサーのジョーカーへの覚醒と並行して描かれることで、バットマンとジョーカーの関係性が歴史的に深く結びついていることが示唆されているのです。

ただし、『ジョーカー(2019)』は従来のバットマンシリーズとは設定や世界観が異なり、ジョーカーの誕生を現実的で暗い社会問題として描いているのが特徴です。そのため、この作品はバットマンのヒーロー物語としての要素よりも、個人の悲劇と社会の崩壊をテーマにしたドラマとして評価されています。

映画『ジョーカー(2019)』でアーサーが冷蔵庫の中に入るシーンの考察

『ジョーカー(2019)』の中で、アーサー・フレックが冷蔵庫の中に入るシーンは、物語の中でも特に印象的な場面の一つであり、観客に様々な解釈を促します。このシーンは、アーサーの精神的な崩壊を象徴する重要な瞬間であり、彼が自分自身を現実から切り離していく過程を表しています。

まず、冷蔵庫に入るという行為は、アーサーが極度の孤独感や疎外感を抱いていることを反映していると考えられます。彼は社会から見放され、周囲の誰からも理解されない存在であり、人生における温もりや人間関係を完全に失っています。冷蔵庫の中に自らを閉じ込めることは、彼が心の中で感じている冷たさや孤独を象徴しており、外の世界から自分を隔離することで、さらに深い絶望感を表現しているのです。

また、このシーンは、アーサーが現実と自分の妄想の世界との境界線を失いつつあることを示唆しています。映画全体を通して、アーサーは妄想や空想に逃避する場面が多く見られ、冷蔵庫に閉じこもる行動もその延長線上にあると解釈できます。彼が冷蔵庫に入ることで、現実世界とのつながりを完全に断ち切り、自分の内面世界に没入する象徴的な瞬間であると言えます。この行為は、アーサーが現実逃避を選択し、もはや正常な判断力を失っていることを強烈に印象付けるのです。

さらに、冷蔵庫の中に入るという行動は、彼が自己の「再生」を試みているとも解釈できます。冷蔵庫は保存や維持を象徴するものであり、アーサーが自分を「閉じ込める」ことで、新たな自分を作り出そうとしているようにも見えます。彼は冷たい場所に自らを置くことで、古い自分を一度捨て去り、ジョーカーという新たな存在として「再生」しようとしているのかもしれません。この行動は、彼がジョーカーへと完全に変貌するための一つのステップとして捉えることができるのです。

このシーンは、アーサーがもはや社会的な規範や常識から完全に逸脱し、精神的にも限界に達していることを象徴する重要な場面として、物語全体の緊張感をさらに高めています。

映画『ジョーカー(2019)』はどこで見れる?フルで無料視聴する方法は?

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