映画『悪魔の陽の下に』の概要:名誉あるパルムドール賞を受賞したが、その観念的な内容や宗教の観点から賛否両論を巻き起こした。モーリス・ピアラ監督自身が司祭役として登場し、多彩な才能を見せている。キリスト教における奇跡を描いているが、そこには悪魔の影が濃厚である。
映画『悪魔の陽の下に』の作品情報
上映時間:98分
ジャンル:サスペンス
監督:モーリス・ピアラ
キャスト:ジェラール・ドパルデュー、サンドリーヌ・ボネール etc
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映画『悪魔の陽の下に』の登場人物(キャスト)
- ドニサン神父(ジェラール・ドパルデュー)
- 神父という立場に自信が持てず、心に迷いがある。悪魔と出会うことで、人の心が読める能力を手に入れる。
- ムヌウ・スグレ神父(モーリス・ピアラ)
- 首席司祭であり、ドニサンの相談相手。彼の神父としての才能を見抜き、様々な助言で彼を導く。
- ムシェット(サンドリーヌ・ボネール)
- 16歳にして、複数の男と肉体関係を持つ。妊娠するが、恋人であるカディニャンを銃で撃ち殺してしまう。ドニサンに呪われた運命を宣告され、絶望の末に自殺する。
- カディニャン侯爵(アラン・アルキュール)
- ムシェットの恋人。周囲の目を気にし、ムシェットとの関係を曖昧にする。彼女に撃たれて死んでしまう。
- ガレ(ヤン・デデ)
- 医者であり、妻子を持ちながら、未成年のムシェットと愛人関係にある。彼女に殺人の罪を告白されるも、自分の身ばかり案じて耳を貸さない。
映画『悪魔の陽の下に』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『悪魔の陽の下に』のあらすじ【起】
ドニサンは、神父という身の上に自信がなかった。人々の懺悔を聞くことで、悪という絶対的な存在を知り、自分の無力さを思い知ってしまったのだ。自室で聖書に目を通すが、無気力にも床に放り投げてしまう。
神父としての資質がないため、修道院に行きたいと言いだすドニサンを、首席司祭であるムヌウは引き止める。彼は自分こそ役立たずであり、それはドニサンも既知のことであろうと言う。代わりに、ドニサンには天賦の才能があると諭す。ムヌウの話を聞いているうちに、苦しみだして倒れてしまうドニサン。彼の胸は赤く膿んでいて、白いシャツまで真っ赤に染まっていた。彼は苦行として、毎日のように自分の体を鞭で打っていたのだ。
少女ムシェットは夜遅く、恋人であるカディニャン侯爵の家を訪ねる。何かと理由をつけて居座ろうとするが、彼はムシェットの父親に関係を知られたことを気にして、彼女を家に帰そうとする。一緒になるには時間が必要だと言い訳する彼に、痺れを切らしたムシェットは、共通の知人である医者のガレと関係を持ったことを告げる。彼女は妊娠の事実を言い出せないまま、カディニャンと一夜を共にする。
映画『悪魔の陽の下に』のあらすじ【承】
翌朝、カディニャンの家に置いてあった銃を弄んでいたムシェットは、彼に向けて発砲してしまう。恐怖で泣いてしまいながらも、血がついた靴を川で洗い、証拠を隠す。
後日、ムシェットはガレの家を訪れる。妻子の存在を気にする彼の態度に、軽蔑や侮辱を感じとるムシェット。妊娠を告白した彼女は、まるでガレが父親かのように話し、彼を試す。そして中絶手術を望むが、ガレは違法行為だと逃げ腰になり、また自分の子ではないと言い張る。ムシェットは、相手はカルディニャンであることと同時に、彼を殺害したのは自分だと打ち明ける。頑なに信じないガレに、ムシェットは苦悶の末、発狂する。
ドニサンは神父としての仕事を全うしていた。ある時ムヌウの命で、遠くの教会へと使いに出される。夜道を歩いていると、一人の男が話しかけてきて、親切にも道案内をしてくれるという。だが彼の正体は、馬商人の姿をした悪魔であった。心の迷いと好奇心から悪魔を引きつけてしまったドニサンは、肉体を乗っ取られそうになる。意志の力で悪魔に打ち勝つが、代わりに特別な力を授かってしまう。
映画『悪魔の陽の下に』のあらすじ【転】
道端で気を失っていたドニサンは、通りがかりの青年に助けられ、馬商人の家に向かう。そこで、運命の引き合わせのようにムシェットと遭遇する。悪魔と出会ったことで、人の心を読めるようになったドニサンは、死を望むムシェットの本心や、殺人の罪について言い当てる。さらにムシェットの運命が、遺伝的な悲劇によって支配されていることを見抜き、彼女は絶望する。
目的地に辿り着かぬまま引き返したドニサンは、恐ろしい試練が待っていたことや、特別な恩恵によりムシェットの心を読んだことを、ムヌウに報告する。ムヌウは彼の言葉を信じたが、そこに奇跡の兆候を見ることについては懐疑的だ。
ムシェットは帰宅すると、カミソリで首を切って自殺してしまう。駆けつけたドニサンは、彼女の亡骸を祭壇の前まで運んで弔うが、騒ぎを起こしたことで修道院に飛ばされてしまう。
悪魔との対峙により、ドニサンは憎しみが漲るのを感じたと言う。次なる救済の際には命をも差し出す覚悟だが、ムヌウはその危険性を説く。彼は、神の御心は時として無駄に思え、司祭としての自分も無力に感じるという本音を漏らす。
映画『悪魔の陽の下に』の結末・ラスト(ネタバレ)
修道院に移ったドニサンは、変化のない日々の始まりに虚無感を覚えていた。ある日、息子の病気を医者に見放された教徒が、ドニサンに救いを求めてやってくる。他の神父の区域であるが、その妻と知り合いということもあり、ドニサンは彼の家に急ぐ。
ドニサンが到着した頃には、子供は死んでいた。彼は自らの非力を呪うが、「子供を生き返らせろ」という内なる声を聞く。神の敗北と、悪魔の支配をひしひしと感じながら、子供の元へと引き返す。
子供の寝室に戻ったドニサンは、神と悪魔双方に語りかけ、自分の命を代償にするとまで言って、復活を祈る。すると、子供はうっすらと目を開ける。母親は泣いて喜び、ドニサンを本物の聖人だと言う。
ムヌウが修道院を訪ねてきて、ドニサンは再び教会へ戻る。だが彼の肉体は、徐々に悪魔に蝕まれてゆく。ドニサンは悪魔の侵入を拒絶しようと試みるが、薄れゆく意識を自覚する。そして告解室の中で懺悔を聞きながら、息絶えてしまう。ムヌウはそんな彼の目を優しく閉じる。
映画『悪魔の陽の下に』の感想・評価・レビュー
イエスの復活である奇跡は起こり得たが、それをもたらすのは神ではなく悪魔であった。本作は、信仰の無意味さに気づく、絶望に満たされた物語だ。悪魔の存在は「青い光」によって冒頭から匂わされているが、ドニサンが悪魔と対峙した直後から、その青みは最大限に引き出される。悪魔の完全なる支配を思わせると同時に、神の消滅を告げていた。いや、つまりそれは、新たなる神の出現ということであろうか。
宗教的な意味合い以外は一切排除されていたように感じた。馴染みのないテーマに、置いてきぼりの観客も少なくないだろう、というのが本音である。(MIHOシネマ編集部)
「悪魔崇拝」って聞くと、ちょっとオカルト的な要素を感じてワクワクしてしまう私。そんな人はガッカリしてしまうほど、真面目な作品でした。日本人にはあまり馴染みがない展開。神父と言われても何をする人なのかイマイチよく分からないので、見ていくうちにああなるほどとなってきます。それでもしっかり楽しめたので大丈夫です。
人間の根底に潜む苦悩を描いたファンタジードラマ。「人生について」そんな深いことを考えさせられる作品でした。(女性 30代)
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