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映画『来る』のネタバレ・あらすじ・考察・解説

この記事では、映画『来る』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。

映画『来る』の作品情報


出典:U-NEXT

製作年 2018年
上映時間 134分
ジャンル ホラー
監督 中島哲也
キャスト 岡田准一
黒木華
小松菜奈
青木崇高
製作国 日本

映画『来る』の登場人物(キャスト)

野崎和浩(岡田准一)
フリーライター。津田の紹介で秀樹に会う。昔付き合っていた彼女が子供を下ろし、そのトラウマをずっと抱えている。
田原秀樹(妻夫木聡)
月島製菓で勤務。妻の香奈と子供の知紗の3人で暮らしている。子供の成長をブログで更新しており、その反応を楽しみにしている。
田原香奈(黒木華)
秀樹の妻で専業主婦。秀樹に対する不満を抱えているが、面と向かって文句を言うことができない。母親に育てられたが、良い思い出が全くない。
比嘉琴子(松たか子)
真琴の姉で本物の霊媒師。強力な力を持っており、除霊の依頼が絶えない。
比嘉真琴(小松菜奈)
琴子の妹でキャバ嬢をしながら霊媒師のようなこともしている。始めは能力がなかったが、姉に憧れ自力で手に入れた。
逢坂セツ子(柴田理恵)
昔はテレビに出演するほど有名だった霊媒師。インチキ臭い雰囲気だが、力は本物。琴子の紹介で秀樹の相談を聞く。
津田大吾(青木崇高)
秀樹とは大学からの友人。民俗学者として大学で准教授をしている。秀樹とは親友のように接するが、裏の顔がある。
高梨重明(大賀)
月島製菓で働く秀樹の後輩。ムードメーカー的存在で秀樹を慕っている。

映画『来る』のネタバレ・あらすじ(起承転結)

映画『来る』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『来る』のあらすじ【起】

月島製菓で働く愛想のいい秀樹は、彼女の香奈と共に充実した毎日を過ごしていた。会社には秀樹を慕う後輩の高梨もおり、仕事もプライベートも順調に進んでいた。ある日、秀樹は祖父の葬儀のため、香奈と実家に行くことになる。

葬儀が終わり部屋でうたた寝をしていた秀樹は、子供の頃に女の子と森で遊んでいる夢を見る。夢の中にいる女の子は、「秀樹のことも迎えに来るよ」と言う。驚いて目を覚ます秀樹だったが、深く夢の意味を考えることはなかった。

それからしばらくして、秀樹と香奈は結婚する。盛大な結婚式をあげ、たくさんの知り合いが参加した。その中には、秀樹の大学の親友で准教授をしている、津田大吾も参加していた。民俗学を研究している津田だが、人当たりが良く香奈とも親しく挨拶をする。

無事に結婚式も終わり2人での生活を過ごしていると、秀樹と香奈の間に子供ができた。大いに喜んだ秀樹は、赤ちゃんの成長ブログを始める。ある日、秀樹が会社で働いていると、後輩の高梨が知紗を名乗る女性が訪ねてきたと言う。会社の下に行った秀樹だったが、そこには誰もいなかった。あとを追いかけてきた後輩と秀樹は、「おかしいなー」と笑いながら話していた。すると突然、高梨が背中から大量の血を流し、倒れる。高梨は入院することになる。秀樹がお見舞いに行くと、そこには別人のような姿になった高梨がいた。

それから2年の月日が流れ、知紗も大きく成長した。ブログの人気も上がり、幸せな毎日を送っているはずの秀樹だったが、不可解な現象が増えていることに不安を感じる。そこで、民俗学を教えている津田に、不可解な現象のことを相談する。始めは冗談だと思っていた津田だったが、深刻な様子の秀樹と半分に千切れた大量のお守りを見て、不可解な現象の話を信じるのであった。

映画『来る』のあらすじ【承】

秀樹の話を信じた津田は、フリーライターとして活動している野崎を紹介する。その野崎は、キャバ嬢で霊能力のある真琴を紹介する。秀樹と津田、野崎の3人で真琴の家に行く。秀樹は真琴に霊視をしてもらうが、真琴の発言に怒って帰ってしまうのであった。

夜になって秀樹が家に帰ると、そこには真琴と野崎がいた。秀樹の家で起きる不可解な現象の正体を探るために。野崎と真琴は秀樹の家に泊まり、家でゆっくり過ごしていると、奴がやって来る。

家の中はめちゃくちゃになるが、真琴が手を振りかざすと静かになる。すると、真琴の姉であり本物の霊能力を持つ琴子から電話がかかってくる。そして、今の秀樹にできることは、ベランダにいる大量の毛虫を確認することだけだと伝える。

ある日、秀樹と野崎は琴子に紹介された、霊媒師の逢坂セツ子に会いに行く。昔はテレビに出るほど有名だったセツ子は、秀樹の話を聞く。すると秀樹の電話が鳴る。電話に出た秀樹の耳に聞こえてきたのは、死んだはずの人達の声だった。秀樹が声を出すと、突然セツ子の腕が落ちる。驚いた秀樹だったが、急いで家へ向かう。

家に向かう途中で琴子から電話があり、家族には会わず1人で家に向かうよう言われる。家に着いた秀樹は、琴子の指示通りに準備をする。家の中にある鏡を全て割り、刃物もしまった。廊下には水の入った器を大量に並べている。しかし、それは罠だった。焦って扉を閉める秀樹は、泣きながら扉を押さえている。次の瞬間、秀樹が目を覚ますと、下半身が無くなっていた。

映画『来る』のあらすじ【転】

秀樹が死んで1年が過ぎた。夫を失った香奈は、女手一つで仕事をしながら知紗を育てている。仕事に育児にと疲れ果てている香奈だが、秀樹の死は喜ばしいことだった。秀樹のブログで書かれていた内容は、幸せな家庭を演じた偽りの姿だった。一方で香奈もまた、津田と親密な関係を築いていた。

ある日、香奈の様子を見に来た野崎は、秀樹の仏壇で気になるお札を見つける。それからしばらくして、香奈の様子が次第に変わっていく。おしとやかな印象だった香奈だが、厚化粧をするようになり。服装まで派手になってゆく。香奈は津田と2人で会うために、知紗の面倒を真琴に頼む。真琴が知紗と遊んでいると野崎から電話があり、仏壇のお札を燃やす。すると、再び奴がやって来る。

夜になって帰って来た香奈と真琴が話しをしていると、知紗が立ち上がり低い声で話し始める。昼間に続き、再び奴がやって来た。白目をむいて何かを話す知紗を、真琴が抱きしめて守ろうとする。奴の狙いは知紗だった。すぐそこまで迫っている奴から知紗を守るため、香奈に逃げるよう叫ぶ。そして、真琴がベランダに飛び出すと、何かに切られたようにガラスに血が飛び散った。

それを見た香奈は、知紗を抱えて走り出す。逃げる途中で野崎に電話をするが、どこに逃げたらいいかわからずパニックになっている。野崎と待ち合わせをすることになり、一旦カフェで休む。そして、待ち合わせ場所に向かう途中、知紗がトイレに行きたいと言いだし、駅構内のトイレへと入って行く。

そこで知紗が、再び白目をむいて同じ言葉を繰り返す。トイレの中にいたが、扉が何者かに激しく揺らされる。知紗を強く抱きしめて香奈は叫ぶが、誰も助けには来ない。そして香奈は、血だらけの姿で倒れる。駅構内には、知紗の赤い靴が片方だけ落ちている。

映画『来る』の結末・ラスト(ネタバレ)

何とか一命を取り留めた真琴は、病院のベッドで眠っている。その横では、野崎も眠っている。野崎が目を覚ますと、そこには真琴の姉である琴子が立っていた。琴子が真琴にタバコの煙を吹きかけると、容体が安定してゆく。それにより目を覚ました真琴は、病院を出て行こうと暴れ出す。そんな真琴を琴子が再び眠らせると、明日中にカタを付けると野崎に伝える。

奴を祓うための準備を始める琴子は、日本にいる霊媒師の仲間を呼び集める。その中には、片腕を失ったセツ子もいる。野崎が津田に会いに行くと、津田は変わり果てた姿になっていた。津田もまた奴の犠牲になっていたのだ。そして、琴子に呼ばれていた霊媒師の仲間も、奴の犠牲になる。夜になり、野崎が真琴の病室に行くと、もうそこにはいなかった。

真琴と知紗を助けるため、野崎は琴子に指示されたように、秀樹の住んでいた部屋の掃除をしに行く。その周りでは、琴子によるお祓いの準備も進められている。野崎が部屋に着くと、そこには死んだはずの秀樹と話すセツ子がいた。セツ子は秀樹の話しを聞いたのち、秀樹を成仏させた。その後、野崎は無事に秀樹の部屋の掃除を終える。

夕方になり、正装に着替えた琴子が、野崎の部屋にやって来る。野崎の役目は終わっていたが、真琴を取り戻すため部屋に残る。そして、いよいよ琴子のお祓いが始まる。

琴子はお経を唱え、奴を秀樹の部屋へとおびき寄せる。作戦通りに真琴と知紗を捉えた琴子は、知紗に向けて鏡を照らし、奴を祓おうとする。しかし、そこで野崎が琴子の邪魔をする。部屋が崩壊し始め、奴がどんどん迫って来る中、野崎は知紗を抱いたままマンショの下へと落とされる。さらに琴子は、真琴も外に逃す。そして、奴と2人きりになった真琴は、1人秀樹の部屋へ残るのであった。

野崎と知紗、そして真琴は、その場を後にする。野崎はボロボロの姿のまま、コンビニで買い物をしている。ベンチには知紗を抱く真琴がいる。知紗は真琴の胸の中で、気持ち良さそうに眠っている。そして野崎は、真琴にこれからのことを聞くのであった。

映画『来る』の考察・解説(ネタバレ)

映画『来る』の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『来る』が「ひどい」と言われる理由は何か?

映画『来る』が「ひどい」と評される理由の一つは、ストーリーの展開が難解で、視聴者にとって理解しづらい点が多いことにあります。この作品は、ホラー要素を織り交ぜながら、家族の絆や人間関係の複雑さを描いていますが、そのテーマやメッセージが曖昧であり、全体的なまとまりに欠けていると感じる人が少なくありません。

また、物語の前半は緩やかに進行し、後半になって突然ペースが加速します。そのため、観客が物語に十分に没入する前に、急激な展開が訪れ、登場人物への感情移入が困難になってしまうのです。特に、クライマックスに近づくにつれ、霊的な儀式やバトルシーンが頻発しますが、説明不足な部分が目立ち、物語の流れについていけない視聴者も多いのが現状です。次々と起こる不可解な出来事に、観客は戸惑いを隠せず、ストレスを感じてしまうのです。

さらに、ホラー表現があまりにも派手で、恐怖や不気味さよりも視覚的なインパクトが優先されているため、リアリティが損なわれていると指摘する声もあります。霊媒師や超常現象が登場するシーンが、現実離れしていて荒唐無稽に映るため、ホラー映画に期待していた観客にとっては、失望を味わう結果となっているのです。

つまるところ、『来る』はテーマ性が曖昧で、ストーリー展開が理解しにくいため、視聴者の期待に応えられなかった部分が「ひどい」と評価される主な理由だと言えるでしょう。

映画『来る』に気まずいシーンはあるのか?

映画『来る』には、視聴者が「気まずい」と感じるシーンがいくつか存在します。登場人物たちの人間関係が非常に複雑に絡み合っており、家族や友人の間に生じる不協和音や緊張感が高まる場面が随所に描かれているからです。

例えば、主人公の田原秀樹と妻の香奈の関係が徐々に悪化していく描写は、まさに気まずさを感じさせる一例です。家族に無関心な夫に対し、香奈は不満を募らせ、次第に夫から距離を置くようになります。そのシーンでは、視聴者にも夫婦間のぎくしゃくとした空気が伝わり、感情的な対立が起こる寸前の静かな緊張感が漂うのです。このような家庭内の不和は、観客にとって「気まずい」雰囲気を醸し出す要因となっています。

また、霊的な存在への恐怖や疑念が高まる場面も、気まずさを感じさせます。秀樹や周囲の人々は、自分たちを脅かす存在の正体が分からないまま、不安に苛まれていきます。特に、霊媒師や超常現象が介入するシーンでは、現実の常識が通用しない状況に直面した登場人物たちの反応が、観客に不安感や不気味さを与えるのです。

このようなシーンでは、登場人物の間に緊張感が生まれ、それが視聴者にも伝わることで、結果的に「気まずい」と感じられる瞬間が生み出されているのです。『来る』という作品は、人間関係の複雑さと霊的な恐怖が交錯する物語であり、そこから生じる気まずさは、作品の特徴の一つとも言えるでしょう。

映画『来る』の琴子は最後どうなったのか?

映画『来る』の終盤、霊媒師の真琴琴子(松たか子)は、強大な霊的存在「ぼぎわん」と対峙する重要な役割を担います。琴子は、これまで数多くの霊を払ってきた実力者ですが、ぼぎわんは彼女が今まで出会ったどの存在とも異なる、強力な相手だったのです。

物語のクライマックスで、琴子はぼぎわんを封じ込めるために、最後の儀式を執り行います。この儀式は、命を懸けるほどの危険を伴うものであり、琴子はぼぎわんの恐るべき力と真正面から向き合うことになります。彼女は自らの霊能力を振り絞り、ぼぎわんを封印しようと必死の戦いを繰り広げるのですが、その戦いは想像を絶する過酷なものでした。

映画のラストシーンでは、琴子がぼぎわんとの死闘の末に命を落としたことが示唆されます。彼女は自己犠牲の末にぼぎわんを封じ込めることに成功しますが、その過程で自分自身も霊的な存在と化してしまったかのような、曖昧な結末が描かれるのです。つまり、琴子は肉体的には死んでしまったものの、霊的な力の中で生き続けている可能性が残されているのです。

この結末は、視聴者に解釈の余地を残す形で提示されています。琴子が完全に死んでしまったのか、それとも霊的な存在として別の形で存在し続けるのかは、はっきりとは語られません。しかし、彼女がぼぎわんを封じ込めるために命を賭して戦ったことは紛れもない事実であり、物語の一つの到達点となっているのです。

映画『来る』で、オムライスの夢の意味のネタバレ

映画『来る』に登場する「オムライスの夢」は、物語の中で重要なシンボルとして機能しています。この夢は、主人公の田原秀樹が繰り返し見る不可解なビジョンであり、彼の幼少期の経験や感情と密接に関係しているのです。

オムライスは、子供時代の思い出や家族との絆を象徴しています。秀樹がオムライスの夢を見るたびに、その夢は彼の心の奥底に潜む、忘れ去られた恐怖やトラウマを反映しているのです。オムライスは、通常、家庭的で温かみのある料理であり、安心感や幸福感を連想させるものですが、この物語では、その象徴的な意味合いが不気味さを帯びてくるのです。

この夢の背景には、秀樹が幼い頃に体験した恐怖や、ぼぎわんに関連する出来事が影を落としています。オムライスは、彼が子供の頃に感じた安心感や愛情を表す一方で、その裏には彼がまだ理解し切れていない恐怖が隠されているのです。物語が進行するにつれ、秀樹が夢で見ていたオムライスが、彼の過去に関わる重要な伏線であることが明らかになり、それがぼぎわんとの対決へと繋がっていくのです。

夢そのものの意味は、安心感や愛情が隠れた恐怖に取って代わられるというテーマを表しています。このシンボルは、秀樹が家族を守りたいという強い想いと、彼自身の無力感や恐怖心が交錯する瞬間を象徴しているのです。オムライスの夢は、物語の中で家族愛や絆に関連する一方で、恐怖とも結びついた複雑なシンボルなのです。

映画『来る』のあれ(ぼぎわん)の正体とは?

映画『来る』に登場する「あれ(ぼぎわん)」は、物語の中心となる超常的な存在であり、主人公たちに恐怖をもたらす存在です。ぼぎわんの正体は非常に謎めいており、映画全体を通して、その姿が明確に描かれることはありませんが、古くから存在する邪悪な霊的存在として描写されています。

ぼぎわんは、日本の伝承に登場するような恐ろしい霊的存在であり、特定の人物に取り憑き、その人やその周りの人々に不幸をもたらします。ぼぎわんは、怨念や憎しみの集合体のような存在で、ターゲットとなった人物の人生を徐々に破壊していく力を持っています。彼らが抱える恐怖や不安を増幅させ、最終的には命を奪うまでその力を強めていくのです。

また、ぼぎわんは家族に関わる呪いや憎しみのシンボルとしても描かれています。物語の中で、主人公の田原秀樹やその家族にぼぎわんが取り憑き、家族の絆や日常生活が少しずつ崩壊していく様子が描写されます。ぼぎわんは、人間の心の弱さや負の感情を利用して、犠牲者を支配し、最終的には破滅へと導く存在なのです。

ぼぎわんの正体については具体的な説明はありませんが、古代から存在する邪悪な霊的な力の象徴として描かれています。この存在は、単なる悪霊ではなく、人間の心の闇や恐怖を映し出す鏡のような役割を果たしており、人々が抱える不安や恐れを反映させることで、さらに強大な力を得ていくのです。つまるところ、ぼぎわんは恐怖そのものを体現する存在であり、人間が逃れることのできない影のような存在として描かれているのです。

映画『来る』が「観ていてイライラする」と言われる理由は何か?

映画『来る』が「観ていてイライラする」と感じられる理由の一つは、物語の展開が非常にゆっくりで、進行が不明瞭なためです。この作品は、ホラー要素を含みながらも、ストーリーの進展がなかなか見られず、観客にフラストレーションを感じさせやすい構成になっているのです。

特に、物語の前半部分では、主人公たちが何に脅かされているのかが明確でなく、登場人物たちの行動が無力に見えることが、視聴者にストレスを与えます。登場人物たちは、ぼぎわんという超常的な脅威に気づきながらも、どのように対処すべきか分からず、時間だけが無為に過ぎていくように感じられるのです。このような状況が続くことで、物語が停滞しているという印象を与え、観ている側に焦燥感をもたらします。

さらに、登場人物たちの行動や会話が時として不自然であり、感情移入が難しい部分もあります。特に、家族間の問題や夫婦の不和といったテーマが繰り返し登場しますが、具体的な解決策が示されないまま話が進むため、登場人物たちの葛藤や苦悩が視聴者にとってもどかしく感じられるのです。これが「観ていてイライラする」という感覚を引き起こす一因となっています。

また、物語のクライマックスに向かうシーンでも、急展開が連続し、説明不足な部分が目立つため、観客がついていけないと感じることもあります。恐怖の原因や霊的存在の詳細が明らかにされないまま物語が終わるため、結末に納得できない視聴者が多いのも事実です。このような要素が組み合わさり、『来る』は一部の観客にとって「イライラする」映画となってしまっているのです。

映画『来る』が「意味わからない」と言われる理由は何か?

映画『来る』が「意味がわからない」と評される理由の一つは、ストーリーの展開や進行が複雑で、説明不足な部分が多いことにあります。この作品は、「ぼぎわん」という霊的存在が主人公たちを脅かすホラー映画として進みますが、その脅威の正体や背景についての説明があまりにも曖昧で、観客が物語全体を把握するのが困難な構成になっているのです。

特に、映画の途中で登場人物の視点が頻繁に切り替わり、家族、霊媒師、そして他のキャラクターたちの間でストーリーが展開されるため、視聴者が一つの物語に集中することが難しくなります。この視点の頻繁な変更により、どのキャラクターが中心的な役割を担っているのか、また彼らがなぜこの脅威に巻き込まれているのかが明確に伝わらなくなってしまうのです。

さらに、ぼぎわんという存在自体が抽象的に描かれている点も、物語の理解を困難にしている要因です。ぼぎわんがどのような力を持ち、なぜ特定の人物に取り憑くのかといった具体的な説明がほとんど与えられないため、観客はその脅威を直感的に理解するしかありません。また、霊的な儀式やバトルのシーンも急速に展開され、細かな設定やルールが不明瞭なまま進行するため、物語の意味をつかむのがさらに難しくなっているのです。

映画のラストシーンも解釈が容易ではなく、琴子や他の登場人物がぼぎわんとどのように関わったのか、結局彼らが何を成し遂げたのかについての明確な答えが示されません。こうした要素が重なり合い、観客に「意味がわからない」という感覚を抱かせる結果となっているのです。

映画『来る』の最後のシーンで、琴子は死んだのか?

映画『来る』の最後のシーンでは、霊媒師の真琴琴子がぼぎわんと対決し、命を賭けた儀式を執り行います。琴子は非常に強力な霊媒師として描かれており、これまで数多くの霊的存在と戦ってきた実績を持っていますが、ぼぎわんは彼女が今まで対峙した中でも最も強力な脅威でした。物語のクライマックスにおいて、琴子はぼぎわんを封じ込めるために、自らの命を懸けた儀式に臨むのです。

この儀式の結果、ぼぎわんの力は封じ込められ、周囲の人々は救われることになります。しかし、その過程で琴子自身も大きなダメージを受け、物語の終盤では彼女が霊的な存在と化したかのような描写がなされます。映画は、彼女が物理的に死んでしまったのか、それとも霊的な形で生き続けているのかを明確には示していませんが、少なくとも現実の世界には戻らないことが示唆されているのです。

一般的な解釈としては、琴子が霊的な力を使い果たし、命と引き換えにぼぎわんを封じ込めたというものがあります。彼女の犠牲によってぼぎわんは封印されたものの、琴子自身はその代償として命を失ったと考えられるのです。霊的な戦いの最中で命を落としたとしても、彼女の霊力や存在は霊的な世界に留まり続けるか、あるいはぼぎわんの脅威が再び現れることを防ぐために、見えない形で存在し続けているとも解釈できます。

したがって、琴子が物理的には死んだと考えるのが妥当ではありますが、霊的な力を持つ彼女が完全に消滅したのか、それとも霊的な存在としてどこかに存在し続けているのかは、映画が観客の解釈に委ねている部分だと言えるでしょう。

映画『来る』の作中の霊媒師は本物?

映画『来る』に登場する霊媒師たちは、物語の中で非常に重要な役割を果たしています。作中には複数の霊媒師が登場し、それぞれが霊的な存在である「ぼぎわん」と戦うために様々な儀式や対策を講じます。彼らは皆、長年にわたって霊的な問題に取り組んできたプロフェッショナルとして描かれており、その能力は本物だと設定されているのです。

特に、真琴琴子(演:松たか子)は作中で最も強力な霊媒師として描写されています。彼女は数多くの悪霊や邪悪な存在を払ってきた実績を持ち、ぼぎわんに対しても強い覚悟で立ち向かいます。琴子の霊能力は、単に作中の他のキャラクターが信じているだけでなく、実際にぼぎわんの力に対抗するシーンが描かれているため、彼女の能力が本物であることが映画の中で証明されているのです。

また、他の霊媒師たちも、霊的な存在を感知したり、払うための儀式を行ったりするシーンが描かれており、彼らの能力も本物として扱われています。彼らはぼぎわんという非常に強力な霊的存在に対しても効果的に対処しようと努めますが、ぼぎわんの力があまりにも強大であるため、完全に打ち勝つことができない場合もあるのです。

作中の霊媒師たちの描写を総合的に判断すると、彼らは確かに霊的な力を持っており、その能力が現実の脅威に対抗するために使われていると考えられます。物語全体が超自然的な要素に基づいているため、霊媒師たちが本物の能力を持っているという設定は、映画の中で一貫して維持されているのです。

結論として、映画『来る』に登場する霊媒師たちは、少なくとも物語の世界観においては本物であり、その霊能力は作中で実際に効果を発揮するものとして描かれていると言えるでしょう。

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映画『来る』を無料視聴できる動画配信サービスと方法
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