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映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』のネタバレあらすじ結末と感想

この記事では、映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』のストーリー(あらすじ)をネタバレありで結末まで起承転結で分かりやすく簡単に解説していきます。

また、映画ライターや読者による映画感想も数多く掲載中または掲載予定です。

映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』の作品情報


出典:https://video.unext.jp/title/SID0027937

製作年 2007年
上映時間 140分
ジャンル ドラマ
音楽
伝記
監督 オリヴィエ・ダアン
キャスト マリオン・コティヤール
シルヴィー・テステュー
パスカル・グレゴリー
エマニュエル・セニエ
製作国 フランス
チェコ
イギリス

映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』の登場人物(キャスト)

エディット・ピアフ(マリオン・コティヤール)
1915年、パリの下町ベルヴィルに生まれる。大道芸人の父は軍隊に召集され、母は路上で歌い、日銭を稼いだ。除隊した父が大道芸で日銭を稼ぐのを手伝っていたある日、観客の要望に応えてアカペラで歌ったところ、賞賛され、歌に目覚めた。
ルイ・ルプレ(ジェラール・ドパルデュー)
キャバレー「ジェルニーズ」のオーナーで、路上で歌うエディットの才能を見出し「ラ・ポーム・ピアフ」の名でデビューさせる。エディットを著名人に紹介し人脈作りに貢献するなど、エディットの後ろ盾となり、父親のような存在でもあった。
レイモン・アッソ(マルク・バルベ)
1936年のカウントダウンパーティーで、ルプレがエディットに紹介した作詞・作曲家であり、詩人でもある男性。エディットのプロデュースに携わることになると、歌唱・表現の特訓だけでなく、衣装やマナー、身のこなしについても厳しく指導し、エディット・ピアフとしての再デビューを成功させる。
マルセル・セルダン(ジャン=ピエール・マルタンス)
フランス出身のプロボクサーで、1948年、世界ミドル級王者となった。妻子ある身だがエディットと惹かれ合い、禁断の恋に落ちる。エディットを自分の行きつけの店に食事に連れて行くも、彼女が「気に入らない」と言うと店を変えるなど、寛容な態度で彼女のわがままに付き合う。

映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)

映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』のストーリー(あらすじ)を結末・ラストまでわかりやすく簡単に解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』のあらすじ【起】

1918年、パリ・ベルヴィルの街は第一次大戦下の混乱が続いていた。

幼い少女エディット・ジョヴァン・ガションの母アネッタは路上で歌を歌って日銭を稼ぎ、大道芸人の父ルイは兵役に就いていた。

アネッタに、興行主からコンスタンティノープルで歌う仕事の話が入り、アネッタはエディットを自分の母に預けて一人、旅立った。

しかし、エディットは育児放棄に遭い、酷い生活が続いた。
それを知ったルイは一時帰宅し、エディットを連れて、ノルマンディー・べルネーで娼館を営む母の元へ行き、除隊したら大道芸人をやりながらエディットを養う約束をして、母に娘を預けた後、軍に戻った。

エディットには部屋も食事も与えられ、娼婦たちから可愛がられた。
特にティティ―ヌはエディットに、実母以上の愛情を与えて大切にしてくれた。

ある日エディットは、虚弱体質が原因となって角膜炎を発症し、失明の危機に晒された。
ティティ―ヌはエディットを連れて聖テレーズを巡礼し、エディットの回復を祈った。

エディットが7歳になったある日、彼女の視力は奇跡的に回復した。

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映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』のあらすじ【承】

除隊となったルイは、約束通りエディットを迎えに来た。
嫌がるエディットとティティ―ヌを無理矢理引きはがすようにして、ルイはエディットを馬車に乗せて発った。

ルイはサーカス団に所属したものの、団長と喧嘩をして辞めてしまい、大道芸人として日銭を稼ぐようになる。
ある日観客が、ルイを手伝うエディットを見て「娘も何かできるのか」と声を上げた。
ルイは「できますとも」と答え、エディットは即興でフランス国歌を歌った。
彼女の歌声は観客たちの心を掴み、賞賛された。

1935年10月のある日、エディットが親友モモーヌを連れてパリの路上で歌っていたところ、キャバレー「ジェルニーズ」のオーナーであるルイ・ルプレにスカウトされる。

ルプレの元で、ラ・モーム・ピアフとしてデビューしたエディットは、抜群の歌唱力で聴く人の心を惹きつけ、一躍スターとなった。

しかし翌年、ルプレは何者かによって殺害され、過去にギャングと付き合いのあったエディットに共犯の容疑がかけられた。

マスコミの報道は過熱し、エディットが舞台に立つと野次が飛ぶようになった。

映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』のあらすじ【転】

失意の日々を送るエディットに、以前ルプレから紹介された作詞・作曲家であり詩人でもあるレイモン・アッソが手を差し伸べた。

エディットはアッソの指示で住まいを変え、キャバレーを辞めて、アッソから本格的な歌唱の厳しい特訓を受けた。

エディットの努力は功をなし、「エディット・ピアフ」としてフランスのシャンソン界に返り咲いた。

エディットの歌唱力と表現力は多方面において絶賛の的となり、世界的に有名な人気シャンソン歌手となった。
1947年にはアメリカ初公演を成功させ、大女優で歌手でもあるマレーネ・ディートリヒに声を掛けられた。

同年、エディットは世界チャンピオンのボクサー・マルセル・セルダンと出会い、妻子ある彼と禁断の恋に落ちる。
しかし、人生最大の恋の最中に、マルセルは飛行機事故で亡くなってしまった。
悲しみと絶望の中にあっても、エディットは舞台に立ち、歌い続けた。
「愛の讃歌」は彼女の代表作として、時間と国境を越えて愛されることとなる。

一方、私生活では、マルセルを失ってから特に、酒とモルヒネの乱用が酷くなっていた。

映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』の結末・ラスト(ネタバレ)

1952年、歌手のジャック・ピルスと結婚したエディットは、1955年に旅行中のカリフォルニアで離脱症状に苦しみ、薬物依存症の治療を受ける決心をした。

ジャックと離婚したエディットは、1959年2月、ニューヨークの舞台上で倒れ、療養生活に入った。
彼女は初めて歌手として名声を得た、パリのオランピア劇場で再び歌うことを心待ちにしていたが、長引く療養生活の中で自信を失い、諦めかけた。

しかし、療養中のエディットを、作曲家のシャルル・デュモンらが訪れ、エディットのために作った曲「水に流して」を披露したところ、エディットは自分の人生そのものを表現した曲に感動し、この曲を携えてオランピア劇場の舞台に立つと決心した。

1960年、オランピア劇場で歌うエディットの身体は衰弱しきっており、立っているのがやっとという状態だった。
一度は中座した舞台だったが、彼女の体調を心配する周囲の反対を「歌うしかないの」と押し切り、再び舞台に立ち「パダン」を熱唱する。
しかし歌の途中で倒れ、そのまま入院生活に入った。

1963年、エディットは47歳で逝去した。

映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』の感想・評価・レビュー

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映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』のネタバレあらすじ結末と感想まとめ

以上、映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』のネタバレあらすじ結末と感想について紹介しました。

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