この記事では、映画『ミスト(2007)』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。
映画『ミスト(2007)』の作品情報
出典:U-NEXT
製作年 | 2007年 |
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上映時間 | 125分 |
ジャンル | ホラー ミステリー ドラマ |
監督 | フランク・ダラボン |
キャスト | トーマス・ジェーン マーシャ・ゲイ・ハーデン ローリー・ホールデン アンドレ・ブラウアー |
製作国 | アメリカ |
映画『ミスト(2007)』の登場人物(キャスト)
- デヴィッド・ドレイトン(トーマス・ジェーン)
- 映画のポスターなどを描いているアーティスト。妻ステファニーを家に残し、息子ビリーと、車が壊れてしまったブレントと一緒にモールに買い出しに行くが、そこで霧に閉じ込められてしまう。感情的になる事が多いが、オリーやアマンダ、レプラーから信頼され、モールの中で頼りにされる。
- アマンダ・ダンフリー(ローリー・ホールデン)
- 赴任してきたばかりの、優秀な小学校の女性教師。出張の多い夫から、護身用にと銃を持たされている。子供はいない。ビリーから好かれ、モールの中ではビリーの世話をすることになる。
- ミセス・カーモディ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)
- 妄信的なキリスト教信者の女性。あまりの妄信ぶりから、住民たちからは心を病んでいると嫌煙されていた。閉鎖されたモールの中では、その妄信的な考えによって教祖となる。
- ブレント・ノートン(アンドレ・ブラウアー)
- ドレイトン家の隣に別荘を持つ、やり手の黒人弁護士。デヴィッドとは、境界線のことが原因で裁判で争った事がある。デヴィッドとは不仲だったが、嵐の片付けがきっかけで、関係が改善されつつあった。車がダメになったため、デヴィッドとダニーの車に同乗してモールへ向かい、閉じ込められる。
- オリー・ウィークス(トビー・ジョーンズ)
- モールの店員。射撃の腕は一流で、州チャンピオンになったこともある。モールに閉じ込められた後も、感情に飲まれず正常な考えができている数少ない人物。
- ウェイン・ジェサップ(サム・ウィットワー)
- 10日間の休暇をもらったばかりの若い軍人。2人の同僚と共に偶然モールに立ち寄り、そのまま閉じ込められてしまう。サリーとは高校時代の同級生で、両想いだったが結ばれることは無かった。霧の正体について、噂話レベルでなら知っていた。
- アイリーン・レプラー(フランシス・スターンハーゲン)
- 学校の校長を勤める老女。不動産会社のハティと一緒にモールに来ていて、閉じ込められてしまう。レプラー校長先生としての広い人脈を持つ。
映画『ミスト(2007)』のネタバレ・あらすじ(起承転結)
映画『ミスト(2007)』のあらすじ【起】
小さな町に、大きな嵐がやって来た。
翌朝、ドレイトン家は買い出しに行こうとしていた。
車が壊れた隣人ノートンは、デヴィッドの車に同乗させて欲しいと頼む。
デヴィッド、ビリー、ノートンは、モールに買い出しに行った。
妻に電話をしようとするが、携帯も公衆電話も通じない。
モールは混雑していた。
やがてサイレンが鳴り響き、霧の中に怪物がいると叫びながら、鼻血を出した1人の男性が逃げ込んでくる。
地震が起こり、モールは霧に包まれた。
幼い子供を家に残したままの女性は、周囲が止めるのも聞かず、モールを出て行った。
小学校の校長のレプラーとハティにビリーを任せ、倉庫にある毛布を取りに行くデヴィッド。
倉庫用の発電機が壊れていて、それを止めたデヴィッドは、シャッターを押すような音を聞く。
オリー、マイロン、ジム、ノームと共に倉庫に戻るデヴィッド。
発電機の故障を直すために、シャッターを開けて外へ行こうとした青年ノームは、霧の中から出てきた触手に襲われ命を落とした。
ノームを助けようとしたデヴィッドは、触手の一部を切り落とした。
映画『ミスト(2007)』のあらすじ【承】
正常な判断ができる店員オリーとデヴィッドは相談し、モールの中の人々に怪物の存在を伝えようとする。
弁護士のノートンにそれを頼もうとするが、ノートンは信じない。
仕方なくデヴィッドが説明するが信じる人は少なく、切り落とした触手を見た店長バドたちは、ようやく信じた。
多くの人々は、バリケードを作ってガラス窓を塞ぎ、夜に備えた。
ノートンを中心に、怪物の存在を否定して助けを呼ぶ相談をする人々が集まっていた。
カーモディは、妄信的な考えを話して嫌煙される。
ノートンたちは、外に助けを呼びに行った。
老人の車の中にあるショットガンを取りに行くため、屈強な男性が腰にロープを結んで、駐車場へと向かった。
しかし途中でロープが引っ張られ、戻ってきたのは体の一部だけ。
夜になり、ガラス窓を割って、虫に似た巨大な怪物が襲ってきた。
たいまつの火や、手にした武器で怪物を殺していくが、女性店員のサリーは虫に刺されて死んでしまう。
カーモディは、なぜか虫に刺されなかった。
そしてカーモディに心酔する人々が現れる。
映画『ミスト(2007)』のあらすじ【転】
怪物が去った後、たいまつの火で火傷を負ったジョーは、危険な状態になっていた。
ハティはいつの間にか、薬を大量に飲んで自殺していた。
翌日、隣の薬局に薬を取りに行く計画を立てるデヴィッドたち。
その後、デヴィッドの車でモールを出て、エンジンが続く限りそのまま逃げようと考えた。
デヴィッドとオリーは相談し、薬の場所を知るレプラー、ジョーの弟ボビー、賛同した面々と軍人ジェサップの協力を得て薬局へ向かう。
カーモディと信者たちは反対したが、押さえつけられた。
薬局で薬を手に入れたデヴィッドたちだったが、薬局は蜘蛛のような巨大な虫の巣窟になっていた。
虫の卵を産み付けられていた軍のMPは、自分たちの責任だと言い残し、小さな虫をまき散らして死んだ。
何とかモールに戻るが、ジョーは救えなかった。
カーモディは教祖になり、薬局でショックを受けたジムも心酔してしまった。
薬局でのMPの言葉が気になったデヴィッドは、軍人から話を聞き出そうとする。
しかし軍人2人は自殺していた。
残されたジェサップは、異次元を観察する窓を作ろうとした科学者の話をする。
映画『ミスト(2007)』の結末・ラスト(ネタバレ)
カーモディと信者たちは、ジェサップを責め立て、店の外へと追い出した。
翌朝、デヴィッドたちは外へ逃げる計画を立てていた。
計画を知っていたカーモディと信者たちは、デヴィッドたちを止めようとする。
そしてビリーを、生贄として渡せと暴れ始める。
オリーはカーモディを撃ち殺し、モールを出てデヴィッドの車へと急ぐ。
途中でオリーは巨大な怪物に襲われ、銃だけが残った。
途中ではぐれた3人も、怪物に殺されてしまった。
危険を冒して、ボンネットに落ちていた銃を手に入れたデヴィッド。
デヴィッド、ビリー、アマンダ、レプラー、ダンを乗せた車は走り始める。
自宅の前を通ると、ステファニーの死体が見えた。
やがてガソリンが尽きた。
そこでの全員の考えは同じだったが、弾は4つしか無かった。
4人を撃ち殺したデヴィッドは、自ら怪物に襲われて死ぬために外に出た。
だがそこにやって来たのは、軍の助けだった。
そこには最初にモールを出て行った女性の姿もあった。
デヴィッドは絶望した。
映画『ミスト(2007)』の考察・解説(ネタバレ)
映画『ミスト(2007)』と『ザ・ミスト(2018)』の違いとは?
映画『ミスト(2007)』と『ザ・ミスト(2018)』は、共にスティーブン・キングの小説を原作としていますが、設定や展開において大きな差異が見られます。2007年版の映画は、ほぼ全編がスーパーマーケットの中で進行し、霧の中に潜む怪物たちの恐怖と、閉じ込められた人々の心理的な追い詰められ方に重点が置かれています。衝撃的な結末では、主人公が絶望的な選択を迫られる様子が描かれています。
一方、2018年版のテレビシリーズは、映画版よりも多様な場所や登場人物を扱っています。スーパーだけでなく、教会や病院など、霧に覆われた様々な場所でのサバイバルが描かれ、登場人物たちの背景や人間関係にも焦点が当てられています。さらに、霧そのものが人々の心に影響を及ぼし、幻覚や異常行動を引き起こすという設定が加えられています。
このように、2007年版は閉鎖空間での心理的ホラーに重点を置いているのに対し、2018年版は登場人物の関係性や霧の影響を中心に描いた作品となっています。同じ原作でありながら、異なるアプローチで物語が展開されているのです。
映画『ミスト(2007)』の怪物の正体は?
映画『ミスト(2007)』に登場する怪物たちの正体は、明確には説明されていませんが、物語の中で示唆される情報から、彼らが異次元の生物であることが分かります。町の近くにある軍の秘密研究施設では、「アロー・ヘッド計画」という実験が行われており、その過程で異次元への扉が開かれたことが、怪物出現の原因と考えられます。
霧の中に現れる怪物たちは、巨大な昆虫のような生物や触手を持った怪物、巨大な歩行生物など、現実世界では見たことのない姿をしています。彼らは非常に凶暴で、霧の中にいる人々を襲い、捕食する存在として描かれます。これらの特徴から、彼らがもともと異次元の世界に生息し、霧とともに現れたことが推測されるのです。
映画の中で、軍の兵士たちがこの実験の失敗を認めており、彼らの過失によって異次元の生物が人々を襲う結果になったことが示唆されています。怪物の正体そのものは曖昧にされていますが、異次元からの侵略者として恐怖を与え、人間の無力さを際立たせる存在として描かれているのです。
映画『ミスト(2007)』に気まずいシーンはあるか?
映画『ミスト(2007)』には、いくつかの気まずいシーンが存在します。特に、スーパーマーケットに閉じ込められた人々の間で、極限状態における人間関係の緊迫感が高まる場面では、観ている側も居心地の悪さを感じることでしょう。
例えば、カーモディ夫人という女性が登場し、霧と怪物の襲来を「神の罰」だと信じ込み、周囲の人々に自分の宗教的な信念を押し付けるシーンがあります。彼女は恐怖に駆られた人々を扇動し、次第に多くの人々が彼女の過激な考えに同調していきます。このような集団心理の暴走と、それに伴う不快感は、観る者に強い気まずさを感じさせます。
また、主人公のデビッドと彼の仲間たちが、怪物に立ち向かおうとする中で、スーパーの他の人々と意見が対立するシーンも存在します。恐怖が人々の心を蝕み、互いに疑念を抱き、争い始める様子は、リアルに描かれており、観客に不安と気まずさを与えます。
これらのシーンは、怪物の恐怖だけでなく、人間同士の対立や不信感が生み出す恐怖をも強調しており、観る者に心理的な緊張感を与える要素となっているのです。
映画『ミスト(2007)』のツッコミどころとは?
映画『ミスト(2007)』には、いくつかのツッコミどころが存在します。まず、スーパーに閉じ込められた人々の行動や判断が、時として非合理的に感じられる点が挙げられます。恐ろしい怪物が霧の中で人々を襲っているにもかかわらず、外の状況を確認しようとする無謀な行動をとる登場人物がいたり、内部での争いに時間を浪費したりする場面があるのです。
また、カーモディ夫人が宗教的な狂信者として、霧の中の怪物を「神の罰」と解釈し、他の人々を扇動するシーンでは、彼女の過激な言動に多くの人々があっさりと影響されてしまう様子が描かれます。このような集団心理の暴走が短期間で起こり、人々が突如として狂気に陥ってしまうという展開は、現実的には少々不自然に感じられるかもしれません。
さらに、映画のラストシーンで、デビッドたちが絶望の末に自ら命を絶つという決断をする場面も、観客によっては「そこまですぐに諦めるのか?」と疑問に思う可能性があります。わずかな時間差で軍が救助に現れるという展開は、悲劇を強調するための演出ではありますが、これもまたツッコミどころの一つと言えるでしょう。
これらのツッコミどころは、物語のスリルやショック効果を高めるための演出であり、観客に強い印象を残すことを目的としています。一方で、リアリティとのバランスを取ることの難しさも浮き彫りにしているのです。
映画『ミスト(2007)』の霧の正体のネタバレは?
映画『ミスト(2007)』における霧の正体は、軍の秘密実験の失敗によって発生した、異次元からの怪物たちを隠すための現象だと言えます。物語の中で、町の近くにある軍の研究施設では、「アロー・ヘッド計画」という異次元へのアクセスを試みる実験が行われていたことが示唆されています。この実験の過程で、異次元への扉が開かれ、そこから霧とともに異次元の生物が現実世界に流れ込んできたのです。
霧の中には、巨大な昆虫のような生物や触手を持つ怪物、空を飛ぶ巨大な生物など、多種多様な怪物たちが潜んでいます。彼らは霧に隠れながら人々を襲撃するのです。つまり、霧自体は、これらの怪物たちが自由に行動するための隠れ蓑のような役割を果たしており、霧が町を覆うことで、人々は視界を奪われ、怪物の存在に気づかないまま襲われることになるのです。
映画の中では、軍の兵士がこの実験の失敗を認め、自分たちがこの恐怖の原因であることを認めるシーンがあります。しかし、霧の詳細な正体や、異次元の生物がどのようにしてこの世界に来たのかについては、具体的な説明はありません。霧の発生は、異次元と現実世界を繋ぐ裂け目のようなものであり、そこから未知の恐怖が流れ込んできたという設定になっているのです。観客は、霧の中の未知なるものへの恐怖こそが、物語の中心だと感じることでしょう。
映画『ミスト(2007)』でスーパーに残った人は助かったのか?
映画『ミスト(2007)』では、スーパーマーケットに残った人々の運命は明確に描かれていません。物語の終盤で、主人公のデビッドと数名の仲間たちは、絶望的な状況を耐え切れず、スーパーを脱出する決意をします。一方、スーパーに残った人々は、カーモディ夫人が殺害された後も、外の霧と怪物に怯えながら避難を続けているのです。
デビッドたちがスーパーを去った後の描写はなく、残された人々の運命は不明のままです。しかし、映画のラストシーンで、軍が霧を払い、町を救助している様子が描かれることから、スーパーに残った人々も、軍の到着によって助けられた可能性が高いと推測できます。
ただし、スーパーに残った人々の中には、物語の途中で精神的に不安定になり、カーモディ夫人の狂信的な行動に影響されていた者もいました。彼らがその後も冷静さを保ち、生き延びることができたかどうかは、観客の想像に委ねられています。結末において、デビッドたちがスーパーを離れたことが悲劇につながった一方で、残った人々が軍の救助を待ち続けるという選択が正しかった可能性も示唆されているのです。
このように、スーパーに残った人々の運命は明確にされていませんが、物語のテーマである「人間の選択の結果」が強調され、彼らの運命をどう捉えるかは観客次第となっています。
映画『ミスト(2007)』は、どのあたりがグロいのか?
映画『ミスト(2007)』には、いくつかの非常にグロテスクなシーンが含まれており、観る者に強烈なインパクトを与えます。例えば、スーパーに最初に怪物が襲来するシーンでは、巨大な触手が人間を襲う様子が描かれます。触手に捕まった人物が引きずり込まれ、身体が裂けたり、血まみれになったりするシーンは、非常に衝撃的でグロテスクな印象を与えるでしょう。
また、外に逃げようとした人々が怪物に襲われる場面でも、巨大な昆虫のような怪物や鳥のような生物が登場し、人々の肉を引き裂いたり、毒を注入して苦しませたりするシーンが存在します。特に、毒を注入された人の体が激しく膨張し、最終的に破裂する様子は、観ている者に強い不快感を与える描写となっています。
さらに、スーパー内での衝突や、恐怖によって人々が狂気に陥ったシーンにおいても、グロテスクな表現が見られます。カーモディ夫人が宗教的狂信から人々を操り、他の登場人物を殺そうとする場面では、血まみれの暴力シーンがあり、心理的にも視覚的にも強烈な印象を与えるのです。
これらのシーンは、怪物による直接的な暴力だけでなく、人間同士の争いや極限状況下での暴力が絡み合うことで、映画全体に不気味で緊張感のある雰囲気を作り出しています。怪物の恐怖と人間の狂気が混ざり合うことで、グロテスクな恐怖感が一層際立つ作品となっているのです。
映画『ミスト(2007)』の救いようがない最悪の結末とは?
映画『ミスト(2007)』の結末は、映画史に残るほどの絶望的で悲惨なものとして知られています。物語の終盤、主人公のデビッドは息子と数名の仲間とともに、スーパーマーケットを脱出し、霧の中を車で進んでいきます。しかし、彼らは霧の中で巨大な怪物や荒廃した風景に囲まれ、次第に希望を失っていくのです。
ついにガソリンが尽き、これ以上先に進めなくなった彼らは、絶望の底に突き落とされます。怪物に襲われて苦しみながら死ぬくらいなら、自ら命を絶った方がましだと考えたデビッドは、持っていた拳銃で仲間たちを次々と射殺し、最後には愛する息子の命さえも奪ってしまいます。しかし皮肉にも、拳銃の弾はそこで尽きてしまい、デビッドだけが生き残る結果となったのです。
絶望のあまり、自分も怪物に殺されるつもりで外に出たデビッドですが、その直後、信じられない光景を目にします。霧の中から軍の救助隊が現れ、霧を払いのけて怪物たちを駆逐していたのです。デビッドは、わずか数分差で息子や仲間を自らの手にかけてしまったことに気づき、絶叫するのでした。
この結末は、主人公が絶望のあまり最悪の選択をしてしまった直後に、実は救いの手が間近に迫っていたという、極めて残酷で皮肉に満ちたものです。この救いのない結末は、観客に深い虚無感と後味の悪さを感じさせ、人間の心の弱さや、極限状況下での判断の難しさを痛感させずにはおきません。
映画『ミスト(2007)』のエンディングに別バージョンはあるか?
映画『ミスト(2007)』のエンディングについては、公式な別バージョンは存在しません。原作であるスティーブン・キングの小説でも、映画のような具体的な結末は描かれておらず、曖昧な形で物語が終わります。映画版の衝撃的なラストシーンは、監督のフランク・ダラボンが独自の解釈で決めたもので、観客に強烈なインパクトを与えることを狙ったものです。
一部の熱心なファンの中には、もう少し救いのある結末や、登場人物たちが生き残るようなエンディングを望む声もありました。しかし、監督はこの映画のテーマを「絶望と人間の弱さ」に設定していたため、あえてこの悲劇的な結末を選択したのです。結果的に、この衝撃のラストシーンは、映画全体の印象を強く印象づけ、観る者の脳裏に深く刻み込まれることとなりました。
DVDやBlu-rayの特典映像を見ても、別バージョンのエンディングは収録されていません。つまり、映画のエンディングに別の展開を期待するファンは少なからず存在するものの、公式な代替エンディングは存在しないのです。
観客それぞれの解釈によっては、異なるエンディングを想像することは可能かもしれません。しかし映画という作品としては、あの絶望的で救いのない結末こそが、この作品の持つ最大の特徴であり、強みなのだと言えるでしょう。
映画『ミスト(2007)』の「僕を化け物に殺させないで」の意味とは?
映画『ミスト(2007)』の中で登場人物の一人が発する「僕を化け物に殺させないで」という言葉には、怪物によって苦しみながら死ぬことへの恐怖と、そこから逃れたいという切実な願いが込められています。物語の中で、霧の中に潜む怪物たちは非常に恐ろしい存在であり、彼らに襲われれば、逃げることも戦うこともできず、ただ無残に命を奪われるだけです。登場人物たちは、この恐ろしい死に怯えながらも、必死に生き延びようとします。
しかし、主人公のデビッドたちは、絶望的な状況に追い込まれ、もはや助かる見込みがないと悟ったとき、仲間の一人がこの言葉を口にするのです。これは、怪物に襲われて苦しみ抜いて死ぬくらいなら、仲間の手で楽に死なせてほしいという、悲痛な願いの表れなのです。
この言葉は、極限状態に置かれた人間の心理を赤裸々に描いており、ただ生き延びることだけでなく、どのような死に方をするかという選択さえも奪われた、究極の絶望的状況を象徴しています。登場人物たちは、恐怖と苦痛から解放されるために、自ら死を選ぶしかないという過酷な現実を、受け入れざるを得なかったのです。
映画『ミスト(2007)』はどこで見れる?フルで無料視聴する方法は?
映画『ミスト(2007)』を見逃した人やもう一度見たい人のために、以下の記事では映画『ミスト(2007)』のフルを無料視聴できる動画配信サービスと方法について紹介しています。
ぜひ、以下の記事もご覧いただき、映画『ミスト(2007)』をフル視聴してみてはいかがでしょうか。
みんなの感想・レビュー
S・キング原作の映画は衝撃のラストを誰もが期待してしまう。
どんなにそれまで酷い内容だったとしても、その15分が才能溢れる素晴らしいものであるならば心に強く残り印象的なものになる。
「終わりよければすべてよし」という言葉があるように、映画もラストのシーンが1番大事なのだ。
どんなラストになるのか期待が高まったその時、霧が晴れて一人だけ生き残ってしまう。
もちろん主人公以外が死んでしまうというのは衝撃的なものである。
しかし見ているものはそんな絶望のまっ只中で悲しくないのだ、それくらい主人公と共感できるシーンが少ない。
諦めるのが早すぎてこちらの気持ちが付いていけなかった。
映像を想像しながら読む小説であればとても恐ろしく、恐怖にかられることだろう。
息子を殺すということは最後の最後の最後まで絶対に選択しないはずである。
そのどうしようもない絶望をもっと共感させてくれたらと思わざる追えない瞬間だった。
ホラー映画は大体呪われるきっかけがある。
呪いをいたずらに解いてしまったり、遊び半分で廃墟を訪れたり写真を撮影したり。
しかしこの映画は全く理不尽な世界観を表現している。
化物を作ったのは人間のせいなのか、簡単に戦うことを諦める人間が悪いのか。人の弱い部分に刺さる狂信的な信者の終末論を解く女性もイライラするが、実際あの場面ではそういうことも起こりうるのかもしれない。
ラストも最後までどうなるのかわからない自分たちの行く末を、勝手に終わりにした結果が絶望的なものであった。
もう少し待っていれば、でも待っていても実は助からなかったのかもしれない。
何が正しいのか、間違っているのか観客に託すストーリーである。
感想としてはS・キング原作の映画化はやはり面白い。
ラスト15分をオリジナルなものにした監督のアイデアも斬新であり素晴らしい。
描き方はさておき、ストーリーはとても新しく絶望的なのだ。
ラストの感想にバラツキがあるのは映画製作者としてはシメシメといったところではないだろうか。
それだけ問題提起することが多く、観客は自分の頭で考え映画を見ているのだから。
ただのホラーで終わらせずに、精神的描写が多いのもキングならでは。
人間が1番恐れているのは視覚的ホラーよりも、実は追い詰められていく精神的な行き詰まりなのではないか。
これがただのモンスターホラーだったとしたなら、面白くない映画として決定づけられていたことであろう。