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映画『もうひとりの息子』あらすじとネタバレ感想

映画『もうひとりの息子』の概要:2013年に公開されたフランス映画。同時期に日本映画『そして父になる』が公開された。両者は共に子どもの取り違えがテーマになっている。後者の作品は、親からの視点で描かれ、前者は子どもの視点で描かれている。二作品とも秀作だが、本作の方が勝っている。この作品がいかに秀でているか。それは、今も争いが耐えない二組の人種、イスラエル人とパレスチナ人の視点から描かれている点だ。第25回東京国際映画祭にて東京サクラグランプリと最優秀監督賞を受賞。

映画『もうひとりの息子』 作品情報

もうひとりの息子

  • 製作年:2012年
  • 上映時間:101分
  • ジャンル:ヒューマンドラマ
  • 監督:ロレーヌ・レヴィ
  • キャスト:エマニュエル・ドゥヴォス、パスカル・エルベ、ジュール・シトリュク、マハディ・ザハビ etc

映画『もうひとりの息子』 評価

  • 点数:90点/100点
  • オススメ度:★★★★★
  • ストーリー:★★★★★
  • キャスト起用:★★★★☆
  • 映像技術:★★★☆☆
  • 演出:★★★★★
  • 設定:★★★★☆

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映画『もうひとりの息子』 あらすじ(ストーリー解説)

映画『もうひとりの息子』のあらすじを紹介します。

イスラエルで暮らすフランス系ユダヤ人ヨセフ(ジュール・シトリュク)は、18歳になったばかり。彼は、兵役を受けるために軍を訪れていた。軍に入隊するために様々な診断を受け、後日彼の家族の元に届けられた診断結果は、驚くべき結果だった。それは、今一緒に暮らしている親とは、血の繋がりがないこと。ヨセフの本当の両親は、別にいることだった。ヨセフの母親(エマニュエル・ドュヴォス)はショックを受け、父親(パスカル・エルベ)は悲嘆に暮れるばかりだった。またヨセフの実の両親と言うのは、高さ9mの分離壁に隔てられた向こう側の国、パレスチナに暮らす人間だった。

ちょうど18年前、湾岸戦争が勃発していた。軍に入隊していたヨセフの父親を頼って、彼の母親が身重の身体で戦地を訪れていた。出産予定日はまだ先のことだったが、予定日より早くヨセフを産んでしまった。湾岸戦争と言う混乱の最中、病院側の手違いで実の息子ヨセフと他人の子を取り違えてしまっていた。確かに、戦争の混乱期と言えども、親としてこんなにも悲しいことはない。ヨセフの実の両親のパレスチナ人と育ての親のイスラエル人が、当時の病院に呼ばれて、顔を合わせることに。双方の母親は、落ち込みながらも気丈に振る舞い、それぞれの息子の写真を交換し、前向きに物事を捉える一方で、二人の父親は紛争、宗教、そして分離壁のせいで、双方対立した姿勢を取り、言い合うばかりだった。彼らの間には、分離壁以上に目に見えない高い壁が存在していた。

また、当事者でもある取り違えられた二人の息子たちもまた、その事実に苦悩し、葛藤しながらも一つずつ彼ら自身の運命を必死に受け入れようとするのだった。ヨセフは幼い頃から優秀なユダヤ教信者で、ラビからも深い信頼を得、聖体拝領もし、立派なユダヤ人、ユダヤ教信者として認められていた。そんな彼にラビは、両親がユダヤ人でない以上、ヨセフをユダヤ人だとは認められないと、きっぱり言い渡される。18年間信じて疑わなかった彼の思想が、アイデンティティが一瞬にして覆されてしまう。一方、パレスチナ人として分離壁の向こうで家族と共に暮らしていたヤシン(マハディ・ザハビ)もまた、一人苦しんでいた。年の近い長兄と両親と同じ席で、ヤシンは真実を聞かされる。ショックを受ける本人を尻目に、長男がヤシンを攻撃してしまう。『お前は“壁”の向こうにいる敵と同じだ。早くこの家から出て行け』と。昔は兄弟仲良くしていたのに、事実を聞かされた彼はヤシン以上に、混乱し傷つき、葛藤していた。愛する弟が、壁の向こう側にいる敵と同じと言う事に。親として、子どもとして、真実を受け入れるのはあまりにも酷なことだ。病院側にも責任があるかも知れないが、湾岸戦争と言う混乱期に起きた悲しい出来事に、誰がその責任があるのか、問えないのが一番悲しい。

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映画『もうひとりの息子』 感想・評価・レビュー(ネタバレ)

映画『もうひとりの息子』について、感想・レビュー・解説・考察です。※ネタバレ含む

取り違えから起きる家族間の不協和音。そして再生への道

前述でも述べたように取り違えを扱った作品には是枝裕和監督作品『そして父になる』がある。本作同様、二組の家族の葛藤がしっかり描かれているが、本作『もうひとりの息子』では、家族同士の葛藤と同時に、二人の青年の人種として苦悩や物事の分別がつく年齢の設定から起こる焦燥感や疎外感など、しっかり表現されているので、大人の視点からでも、子どもの視点からでも、この重いテーマのメッセージを受け取ることが出来る。

また世間では、乳幼児の取り違えと言う人為的ミスが本当に存在すのか、疑問に思うかも知れない。近年の日本では、データ管理を行い、産まれ立ての赤ん坊に区別を付けるためにリストバンドをするようにしているようだが、やはりこのような事例が起きる一番の要因は、人手不足だろう。人手不足で起きた乳幼児取り違えの一番多いケースは、戦後間もない第1次ベビーブームであろう。この時期に起きたケースの中で最も有名なのは、訴訟事件にまで発展した事件だ。同じ病院、同じ日に産まれた二人の男の赤ちゃん。一人は裕福な家庭の子。もう一人は貧乏な家庭の子。この組み合わせは十分、アニメかドラマであるような組み合わせだが、これは本当にあった事例なのだ。裕福な家庭で育つはずだった少年は、間違えて貧乏な家庭で育つ。暮らしはどん底で、生活保護を受けるような家庭の上、学生時代も相当の苦労があったようだ。その一方で、裕福な家庭に間違えて渡された少年は、その後何不自由なく60年間、その家庭の長男として過ごしたが、両親が死に、遺産相続中に、昔から長男だけが似てないと言う理由から下の兄弟達がDNA鑑定を依頼したところ、その家族の長男でも、実子でもないことが判明。その後病院側を相手取り、訴訟を起こしたと言うのが、この事件の一連の流れだ。このケースを基に70年代に『ねじれた絆』と言うドラマが制作された。このドラマは2004年にも一度、制作されている。日本映画『そして父になる』の土台とも言われている。

乳幼児期の取り違えは、日本のみならず海外でも多く事例が報告されている。そして、その事実が発覚した際には、夫婦間や親族間での問題に発展したりすることもある。これは、家族や子どもの人生や生活に、多大な影響をもたらす。単純に人為的ミスとは言い切れない重大な事態に巻き込まれた家族達は、それに立ち向かう精神力を身につけないといけない。

映画『もうひとりの息子』について

本音を言えば、この作品に対し特筆すべきところが、まずない。監督が有名でもなければ、役者に華があるわけでもない。ミニシアター系列で上映される作品群でも、実に小粒な作品だが、それに見合う対価として、やはり東京国際映画祭での賞の受賞や映画作品における題材が、映画そのもの付加価値を補えていると、言えるだろう。

ただ主演の青年ヨセフ役には、数年前にフランス映画界で子役として華やかな活躍をしていた役者ジュール・シトリュクが複雑な役所を演じている。その点は、映画の中でも特筆できる点だろう。彼は子役時代に『バティニョールおじさん』と『ぼくセザール 10歳半 1m39cm』の2作品で主演を見事に務めた。前者の『バティニョールおじさん』では第2次世界大戦のフランス。ドイツ軍に連行されるユダヤ人少年を好演。共演にはこの作品の後に『コ―ラス』や『幸せはシャンソニア劇場から』等で脚光を浴びるジェラール・ジュニョ。ジュール・シトリュクは子役ながら大人の役者ジェラール・ジュニョを凌ぐ演技を披露している。後者『ぼくセザール 10歳半 1m39cm』では等身大のフランス人の子どもをありのままに演じていた。その後『皇帝ペンギン』では声優を務め、子役さながらの活躍をしていたが、その後あまりパッとした活躍をしていなかった分、本作の出演はこれからの彼の活躍に大いに影響して欲しいと、私は思う。

また母親オリット役には、フランスを代表する女優エマニュエル・ドュヴォスが葛藤する母親役を熱演。彼女は日本では、有名な女優ではないが、フランスでは多くの作品に出演している。『預言者』『君と歩く世界』の監督ジャック・オーディアールの監督初期作品『リード・マイ・リップス』にて米アカデミー賞にも匹敵するフランスのセザール賞にて主演女優賞を受賞。その後、同監督作品『真夜中のピアニスト』にも出演している。他には、フランス映画界を代表する監督アルノー・デプレシャンの7作品のうち4作品に出演。『魂を救え!』『そして僕は恋をする』『エスターカーン めざめの時』『クリスマスストーリー』の4作品。まさにアルノー・デプレシャンのミューズとも言うべき女優だろう。フランスを代表する女優と言う肩書きが合う女性だ。

最後に、本作の監督を務めたのは女流監督のロレーヌ・レヴィだ。彼女の情報は、この作品以外、ほとんど入ってきていないが、本国フランスでは、1985年から活動しているようだ。活動初期は、舞台が中心の活動。後に、舞台からテレビの世界に入り脚本家として、活躍の場を広げる。2004年、彼女が監督と脚本を兼ねた作品『La première fois que j’aieu 20 ans(私が20歳であった最初の頃)』にて、監督長編デビューを飾る。引き続き長編2作目にマルクル・レヴィのベストセラー『Mes Amis, Mes Amours(ぼくの友だち、あるいは、友だちのぼく)』を脚色し、キャスティングにはフランスの人気の役者を起用。そして長編3作目でもある本作『もうひとりの息子』でやっと、日本に彼女の作品が輸入され、東京国際映画祭でも注目を集めました。

また主演を取り囲むように他の役者たちも、日本での知名度は低いが、世界を代表するベテランから若手までを揃えている。ヨセフの父親役を演じたパスカル・エルベは舞台中心で活躍してきたユダヤ系アルジェリア人。2008年の同作の監督作品『Mes Amis, Mes Amours(ぼくの友だち、あるいは、友だちのぼく)』にも出演している。2010年には監督業にも進出している。彼が出演した作品が日本に入ってきたのは本作が初めてかもしれないが、フランスでは既に多くの場で活躍をするベテラン俳優だ。パレスチナ側の両親役には、父親にはハリファ・ナトゥール。『迷子の警察音楽隊』で脚光を浴びたベテラン俳優。母親役にはパレスチナ難民出身の世界的巨匠ラシード・マシャラーウィ監督の夫人でもあり、彼のミューズ的存在だ。同監督の作品は2008年の第21回東京国際映画祭にて『アジアの風』部門にて特集上映されている。

二人の間の息子ヤシン役には、ベルギー映画界が誇る若手の俳優。16歳の時にベルギー出身の監督ダルデンヌ兄弟がプロデュースした『Le soleile assassiné(太陽の殺人)』の作品にて大役に抜擢。この作品でベルギーのアカデミー賞、ジョゼフ・プラトー賞で最優秀ベルギー男優賞にノミネートされ、アメリカからもオファーがあるほど、現在欧米各国から注目が集まる期待の俊英だ。

本作は、女性監督らしい繊細なタッチと、力強い演出で、子どもの取り違いから発生した、工作する家族の生き様を活写。パレスチナ人でも、イスラエル人でもない、フランス人と言う客観的な視点から描かれた本作品。もしもどちらかの視点で、物語が描かれていたら、偏ったメッセージを孕む作品になっていたでしょう。監督自身が、中和的な立場でいたからこそ、私たち日本人も感情移入できたのでしょう。また、ある新聞記事の切れ端に、本作のコラムが掲載されていた。その中には『撮影スタッフのクルー達は、イスラエル人とパレスチナ人が集められました。彼らは撮影当初こそ、身内同士で固まって行動していたが、撮影期間の終盤には、互いの問題や紛争について話すようになり、今目の前に直面している問題を映画を通して真っ向から考えるようになった』と言う記述があった。一つの事柄を通して、人々の心が動かされる様に、私はいたく感動したことを覚えている。

映画『もうひとりの息子』 まとめ

題材が題材だけに、とても重く悲しい作品ですが、観る者の価値観が問われる作品でしょう。多くの世代の人々にも観て欲しい秀作です。何度も比較してしまいますが『そして父になる』では、どちらかと言えば、子どもの年齢が年少なだけに、親目線で物語が語られていますが、本作『もうひとりの息子』ではもうすぐ成人する年齢の子どもたちの葛藤を描写する点は、同年齢の私でも感情移入してしまう。もし彼らの立場なら、一体どのような態度を取るのか、どのように現実を受け入れるのか、私でも分からない事実に、映画の中の二人の主人公は、直面します。ラスト、ヨセフは小高い丘に座り語ります。『僕は君の人生を歩めたかもしれない。でも、僕は思う。歩み始めたこの人生を、君のためにも成功してみせる。僕の人生を歩む君も同じだ。必ず成功しろよ。』と…。まるで“もうひとりの自分”に誓い、また自分自身への決意にも受け取れます。様々な葛藤を乗り越え、最後に辿り着いた真実の答えに、私たちはきっと真の希望を見ることが出来るのではないでしょうか?

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