この記事では、映画『シャッター アイランド』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。
- 映画『シャッター アイランド』の作品情報
- 映画『シャッター アイランド』の登場人物(キャスト)
- 映画『シャッター アイランド』のネタバレ・あらすじ(起承転結)
- 映画『シャッター アイランド』の考察・解説(ネタバレ)
- 映画『シャッター アイランド』の最後でテディはわざと手術を受けたのか?
- 映画『シャッター アイランド』で、なぜおばあさんは「逃げて」のメモを渡したのか?
- 映画『シャッター アイランド』に気まずいシーンはあるか?
- 映画『シャッター アイランド』がつまらない人はオチを理解していない?
- 映画『シャッター アイランド』の怖いシーンはどのようなものか?
- 映画『シャッター アイランド』の冒頭に出てくる「最初の女」とは?
- 映画『シャッター アイランド』に散りばめられた伏線とその回収は?
- 映画『シャッター アイランド』の「逃げて(run)」のメモの考察は?
- 映画『シャッター アイランド』最後の「モンスターで生きるか、善人として死ぬか」の考察は?
- 映画『シャッター アイランド』の隠された本当の結末とは?
- 映画『シャッター アイランド』のテディの絆創膏の意味とは?
- 映画『シャッター アイランド』に親と見ると気まずいシーンは出てくるか?
- 映画『シャッター アイランド』に出てくるロボトミー手術とは?
- 映画『シャッター アイランド』はどこで見れる?フルで無料視聴する方法は?
映画『シャッター アイランド』の作品情報
出典:U-NEXT
製作年 | 2009年 |
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上映時間 | 138分 |
ジャンル | ミステリー サスペンス |
監督 | マーティン・スコセッシ |
キャスト | レオナルド・ディカプリオ マーク・ラファロ ベン・キングズレー ミシェル・ウィリアムズ |
製作国 | アメリカ |
映画『シャッター アイランド』の登場人物(キャスト)
- テディ・ダニエルズ(レオナルド・ディカプリオ)
- アメリカ連邦捜査官で、依頼を受け精神病棟、シャッター・アイランドを訪れた。病院に違和感を感じ、調査に乗り出す。
- チャック・オール(マーク・ラファロ)
- テディの相棒。テディと共に捜査に乗り出すが…。
- ジョン・コーリー医師(ベン・キングスレー)
- シャッター・アイランドの院長。テディとチャックにレイチェルの捜索を依頼する。
- レイチェル・ソランド(エミリー・モーティマー)
- かつて自身の子供3人を殺害しシャッター・アイランドに入院する事となった。周囲から遮断されている筈のシャッター・アイランドから行方不明となる。
映画『シャッター アイランド』のネタバレ・あらすじ(起承転結)
映画『シャッター アイランド』のあらすじ【起】
1954年、アメリカのボストン湾にある孤島、「シャッター・アイランド」に一軒の精神病施設、アッシュクリフ病院がありました。この病院には犯罪を起こした精神疾患を持つ犯罪者ばかりが収容されています。孤島である為本土とは行き来が難しい環境であるにも関わらず、ある日レイチェルという患者が行方不明となりました。
彼女の行方を追う為、保安官であるテディとチャックが派遣されます。レイチェルはかつて自分の子供3人を殺害しましたが、自分の子供はまだ生きていると信じ、その死体と共に生活をしていたという事でこの病院に入所が決定しました。入所しても彼女の病的な思い込みは治らず、彼女はこの施設が自分の家で、子供達がどこかにいると信じきっています。
そんな中、テディはとある重要な情報を仕入れました。レイチェルの担当医であるシーアン医師が、彼女が行方不明になった時と時を同じくして、この島を立ち去っていたのです。テディはレイチェルの失踪とシーアン医師は何か関係していると思い調査に乗り出します。
映画『シャッター アイランド』のあらすじ【承】
しかし、島を襲う嵐の為、シーアン医師と連絡が取れず操作は行き詰ってしまいます。そこでテディは、この島に来たもう一つの目的、かつて自分の妻を殺した放火犯に面会をする事にします。その男の名前はレディス、彼は放火後この病棟に収監されていました。しかし、彼のファイルデータは何処にも存在せず、他の囚人たちにレディスのことを尋ねても皆が一様に多くを語りません。
テディは、病院側が何らかの理由でレディスに関する情報を伏せているのではないかと考え始めます。そんな中、テディはミセス・カーンズという囚人から「逃げろ」と忠告を受けます。この忠告を受けて、更にテディはこの病院には何かが隠されているという疑念を強くします。
実はこの病院では現在では違法とされている「ロボトミー手術」が行われていました。”人を穏やかにする”というロボトミー手術を囚人達に受けさせ、効果が見られれば全国に発表しようと考えていたのです。テディは、初日に院長に言われなかったC棟に何かが隠されていると踏みC棟へとこっそり向かいました。
映画『シャッター アイランド』のあらすじ【転】
C棟には、ジョージ・ノイスもいう男が収監されていました。テディはジョージにこの病院の秘密について問いますが、ジョージは不敵に笑うばかりです。そしてテディに向かって、「レディスはお前だ」と告げるのです。意味のわからない発言に、テディはジョージを諦めもう一つ案内されていない場所、灯台へと向かう事とします。
何故か相棒のチャックはそれを止めますが、彼の制止を振り切りテディは灯台へと向かいました。すると何と、灯台の近くにある洞窟の中でテディはずっと探していたレイチェルを発見したのです。しかし実際のレイチェルは患者ではなくこの病棟で勤務していた医師でした。
明らかに不審な病院の証拠を抑えるべく、テディは証拠を探し求めます。しかし証拠は見つからず、テディは改めてコーリー院長と顔を合わせる事になりました。すると院長は、テディの本名が「アンドリュー・レディス」であり、この病院の患者であることを告げます。第二次世界大戦に出征したテディはそこで精神を病んでしまったのでした。
映画『シャッター アイランド』の結末・ラスト(ネタバレ)
酒浸りになったテディを見ていられず、妻、ドロレスは鬱病を患ってしまいました。そしてドロレスは3人の子供達を殺し、私を殺して欲しいとドロレスに懇願します。彼女のいう通りにドロレスを殺したテディは完全に精神が崩壊してしまいこの病院に入院する事となったのでした。
今まで彼が追い求めていたものは全て彼が現実から逃避する為に彼自身直作り上げた妄想だったのです。病院側はそんなテディにロボトミー手術を受けさせるかどうか決定する為今回の彼の妄想に付き合っていたのでした。そして正気に戻らなかったテディには手術が施されることが決定しました。
手術を受ける朝、テディは実は彼の担当医であった相棒のチャックことシーアン医師に「モンスターのまま生きるか、善人のままで死ぬかどっちがいいかな」と言葉を零します。実はテディの記憶は既に戻っていましたが、自身の過去に押し潰されそうだった彼は自ら精神障害者を装い、ロボトミー手術が受けられるように仕向けたのでした。そんなテディの後ろ姿を、シーアン医師は呆然と見送りました。
映画『シャッター アイランド』の考察・解説(ネタバレ)
映画『シャッター アイランド』の最後でテディはわざと手術を受けたのか?
『シャッター アイランド』の結末では、主人公のテディ(本名はアンドリュー・レディス)が自ら進んでロボトミー手術を受けたのかどうかが議論を呼んでいます。最後のシーンで、テディは自分の過去の真実を思い出した後、再び「テディ・ダニエルズ」として振る舞い始めます。一見すると、彼が再び妄想の世界に逃げ込んだように見えますが、実はそうではないかもしれません。
テディが医師に対して投げかけた「モンスターとして生きるか、善人として死ぬか」という問いは、彼が自分の罪を認識し、それを償うためにロボトミー手術を選択した可能性を示唆しています。妻と子供を失った痛みと、その原因が自分にあったことを受け入れられず、その罪悪感から逃れるために、彼は記憶を失うことを望んだのかもしれません。
このように解釈すると、テディは意図的に手術を受けることを選んだと考えられます。彼は過去の真実と向き合い、その苦痛から解放されるために、自らの意思でロボトミー手術を受け入れたのだと言えるでしょう。
映画『シャッター アイランド』で、なぜおばあさんは「逃げて」のメモを渡したのか?
映画の中で、テディが精神病院の患者であるおばあさんから「逃げて」と書かれたメモを受け取るシーンがあります。このシーンは、物語全体のミステリーと緊張感を高める重要な役割を果たしています。
おばあさんがこのメモを渡した理由は、彼女自身がこの精神病院の実態や行われている治療に恐怖を感じていたからだと考えられます。おばあさん自身も精神疾患を抱えており、病院が危険な場所であり、テディ(アンドリュー)もその危険から逃げるべきだと感じたのでしょう。このメッセージは、病院が非倫理的な治療を行っている可能性を示唆し、そこから脱出することを促しているとも解釈できます。
また、映画全体が現実と妄想の境界線を曖昧にする構成になっているため、このメモが本当に信用できるのかどうかを観客に疑わせる効果もあります。「逃げて」というメッセージは、物語全体の不安感を煽り、テディが直面している危険を強調する重要な要素として機能しているのです。
映画『シャッター アイランド』に気まずいシーンはあるか?
『シャッター アイランド』には、視覚的にショッキングで不安を煽るシーンがいくつか登場します。中でも、特に残酷な描写や感情的に重いシーンは、「気まずい」と感じられる可能性があります。
例えば、テディ(アンドリュー)が妻を射殺するシーンや、彼が溺死した子供たちを発見するシーンは、非常に感情的に衝撃的な内容です。これらのシーンは、家族の悲劇を生々しく描いており、観客の心に深い影響を与えます。特に家族と一緒に観ている場合、こうした場面が「気まずい」雰囲気を作り出すかもしれません。
また、精神病院内での患者とのやり取りや、テディが体験する幻覚のシーンも、暗くて重いテーマを扱っているため、家族や年齢の若い視聴者と一緒に観ると「気まずさ」を感じる可能性があります。この映画は全体的にサスペンスとホラーの要素を含んでいるため、親しい人と一緒に観る際は、気まずいと感じるシーンがあることを覚悟しておくとよいでしょう。
映画『シャッター アイランド』がつまらない人はオチを理解していない?
『シャッター アイランド』を「つまらない」と感じる人の中には、映画の複雑な展開や衝撃的な結末を十分に理解していない可能性があります。この作品は、サイコロジカル・スリラーとして、物語が進むにつれて現実と幻想の境界線が曖昧になり、観客を混乱させるような構成になっています。最後の大どんでん返しでは、テディが実は「アンドリュー・レディス」という精神病院の患者だったことが明かされます。この真実を理解していないと、映画全体の展開が意味不明に感じられるかもしれません。
『シャッター アイランド』の面白さは、観客がテディと一緒に謎を解き明かしていく過程にあり、最後に全てが彼の妄想だったと分かる瞬間に大きなインパクトがあります。しかし、この結末の意味を十分に理解できていないと、それまでのサスペンスや謎解きが無意味に思え、「つまらない」と感じてしまうことがあるのです。
また、映画の終盤で現実と幻想の区別がつきにくくなるため、注意深く観ていないと真相が見えにくいという側面もあります。そのため、物語の結末を十分に理解できていない観客は、満足感を得られず「つまらない」と感じることがあるのかもしれません。
映画『シャッター アイランド』の怖いシーンはどのようなものか?
『シャッター アイランド』には、視覚的にも心理的にも観客を恐怖に陥れる「怖いシーン」がいくつか存在します。中でも最も恐怖を感じさせるシーンの一つは、テディが亡くなったはずの妻の幻影を見る場面です。彼女は時折テディの前に現れ、彼に話しかけたり非難したりします。このシーンは、テディの精神状態が崩壊していることを印象づけ、不気味な雰囲気を醸し出します。
また、精神病院内での幻覚シーンも非常に怖いと言えます。他の患者たちが不気味な行動を取ったり、テディに何かを伝えようとするシーンは、観客に強い恐怖心を与えます。さらに、テディが「ロボトミー手術」が行われていると疑うシーンも、緊張感が高く、恐怖を感じさせます。
しかし、最も衝撃的で恐ろしいシーンは、テディが自分の子供たちの溺死体を発見する場面でしょう。このシーンは、残酷な光景と、テディの精神的な苦痛を強烈に伝えており、観客にとって感情的にも非常に恐ろしい瞬間です。
これらの「怖いシーン」は、視覚的な恐怖だけでなく、テディの内面の葛藤や精神の崩壊を通して、観客の心理に深く働きかける点が特徴的です。
映画『シャッター アイランド』の冒頭に出てくる「最初の女」とは?
『シャッター アイランド』の冒頭シーンで、テディ(本名はアンドリュー・レディス)が島に到着した直後、最初に出会う「患者」である老婦人がいます。この老婦人こそ、「最初の女」と呼ばれる存在です。彼女の登場は、物語全体に漂う不穏な雰囲気と謎を深める役割を果たしています。一見、テディとその相棒に協力的な態度を取る彼女ですが、その後、テディに「逃げて」というメモを渡したことで、彼の疑念をさらに深めるきっかけとなります。
「最初の女」は、精神病院の患者の一人であり、その言動は非常に奇妙で不可解です。彼女がテディに残した「逃げろ」というメッセージは、テディにこの島や病院のシステムに対する疑惑を抱かせ、真相を追求するモチベーションを与えます。彼女は真実に近い存在であるように見えますが、その言葉が妄想の産物なのかどうかも定かではありません。
また、「最初の女」の存在は、映画が描く現実と幻覚の境界をぼやけさせ、観客にとっても彼女の言葉の信憑性を疑わせる要因となっています。彼女がテディにメッセージを送ったことで、彼の行動がさらに混乱し、物語の謎が深まっていくのです。
映画『シャッター アイランド』に散りばめられた伏線とその回収は?
『シャッター アイランド』には、物語の結末に向けて巧妙に張り巡らされた数多くの伏線が存在します。これらの伏線は、最終的にテディが実は「アンドリュー・レディス」という精神病院の患者であることを示唆しています。
映画の序盤から、テディの記憶や行動に関する細かな違和感が散りばめられています。彼が薬の服用を拒んだり、頭痛に悩まされるシーンは、彼の精神状態が不安定であることを示唆する伏線となっています。また、「シャッター アイランド」に対する彼の違和感や、相棒のチャックに対する疑念も、彼が現実と向き合えていない状態であることを暗示しています。
さらに、水のシンボリズムも重要な伏線として機能しています。テディは水を極端に嫌い、夢や幻覚の中でも水が象徴的に用いられます。これは、彼の子供たちが水死したという過去の出来事と関連しており、最終的に彼のトラウマが明らかになる際の重要な手がかりとなります。
他にも、彼の妻が頻繁に幻覚の中に現れることや、「レイチェル・ソランド」という女性患者の行方を追うストーリーも、全てが彼自身の心の中で作り上げられた物語であることを示唆する伏線として働いています。これらの伏線は、最終的に彼が精神病院での治療の一環として、全てが設定された環境にいたことが明らかになった時点で見事に回収されるのです。
映画『シャッター アイランド』の「逃げて(run)」のメモの考察は?
映画の中でテディが精神病院内で受け取る「逃げて(run)」というメモは、非常に印象的な要素であり、物語全体に対する疑念を深める役割を果たしています。このメモを受け取ったことで、テディはこの病院が単なる精神病院ではなく、何か恐ろしい陰謀が渦巻く場所だと確信するようになります。しかし、物語が進むにつれ、このメモの意味合いが複雑になっていきます。
一見すると、「逃げて」というメッセージは、病院の危険性から逃れるべきだという単純な警告のように受け取れます。しかし、実はこのメモは、テディ(アンドリュー・レディス)自身に向けられた別の意味を持っている可能性があります。つまり、彼が現実から逃避しており、自分の罪や過去と向き合うことができていないという心理状態を象徴しているのです。彼が妻と子供たちを失った痛みから逃げ続けていることを示唆しているとも解釈できます。
このメモは、物語全体を通してテディが現実と向き合うかどうかの葛藤を表現しており、彼にとっての逃避と直面化のテーマを浮き彫りにしています。最終的に、彼が逃げ続けることを選ぶのか、それとも現実と向き合うことを選ぶのかが、物語のクライマックスに大きく関わってくるのです。
映画『シャッター アイランド』最後の「モンスターで生きるか、善人として死ぬか」の考察は?
映画の最後のシーンで、テディ(本名はアンドリュー・レディス)は医師に対して、「モンスターとして生きるべきか、それとも善人として死ぬべきか」という深遠な問いを投げかけます。この言葉は、映画全体を貫く最も重要なテーマであり、彼の最終的な選択を示唆する重要な手がかりとなっています。
テディは、自分が過去に犯した罪、特に愛する妻を殺害し、子供たちを守ることができなかったという事実を受け止めることに苦悩していました。彼の内面では、この辛い真実を受け入れるべきなのか、それとも忘却の彼方に追いやるべきなのかという激しい葛藤が渦巻いていたのです。ロボトミー手術を受ければ、彼は苦しい記憶や感情から解放されるでしょう。しかし、その代償として、彼の個性や人格そのものが失われてしまう危険性もありました。
「モンスターとして生きる」とは、過去の罪悪感と向き合い、苦しみを背負いながらも生き続けることを意味しています。対して、「善人として死ぬ」というのは、自らの過ちを認め、清らかな心で人生の幕を下ろすことを指すのかもしれません。テディがこの言葉を口にしたということは、彼が自分の過去を真摯に受け止め、最終的にはロボトミー手術を自ら選択した可能性が高いことを示唆しているのです。
この重要なセリフは、テディが精神的な解放を切望し、手術を受け入れる覚悟を決めたことを表していると解釈できます。彼の選択は、物語の結末に対する深い洞察を促し、観る者に強い印象を残すのです。
映画『シャッター アイランド』の隠された本当の結末とは?
『シャッター アイランド』の真の結末は、テディ(アンドリュー・レディス)が自分の過去を完全に思い出し、それを受け入れた上で、自らの意思でロボトミー手術を選択したというものだと考えられています。物語の中盤までは、テディは自分が探偵で、行方不明の女性患者レイチェル・ソランドを捜索しているという設定を信じ込んでいました。しかし、最後には、それが全て彼自身の妄想であり、実際には彼こそが「アンドリュー・レディス」という精神病院の患者だったことが明らかになるのです。
映画の終盤、テディは全ての真実を思い出します。彼は過去に妻を殺害し、その原因が妻の精神疾患と、彼自身がそれに気づけなかったことにあったと認めるのです。この衝撃的な事実を受け止めたテディ(アンドリュー)は、この先も罪悪感と向き合い続ける人生には耐えられないと感じ、ロボトミー手術を受けて記憶を喪失することを選びます。
この選択は、彼が医師に「モンスターとして生きるか、善人として死ぬか」と問いかけた場面に象徴されています。彼は、自分の罪と向き合い続ける苦しみよりも、記憶を失って心の平穏を得ることを選んだのだと解釈できるでしょう。テディが自らの意思で手術を選んだという隠された結末は、観客に強い感情的衝撃を与えます。
映画『シャッター アイランド』のテディの絆創膏の意味とは?
『シャッター アイランド』で、主人公テディ(アンドリュー・レディス)が額に貼っている絆創膏には、象徴的な意味が込められています。映画の冒頭から、彼はこの絆創膏を身につけており、物語の途中で一度その絆創膏が剥がれる場面があります。この絆創膏は、彼の心や精神に何らかの「傷」があることを表しており、過去の出来事に対する罪悪感やトラウマを象徴していると言えるでしょう。
また、絆創膏は彼の心理的な不安定さや、現実から目を背けようとする態度の表れでもあります。テディがレイチェル・ソランドという患者の行方を追っている間も、自分自身の真の姿を認めたくないがために、「隠された痛み」を絆創膏で覆い隠しているのです。しかし、物語が進行し、彼が過去と向き合う準備ができたとき、絆創膏が剥がれ落ちるという視覚的な変化が現れます。これは、彼がついに過去の傷を受け入れ、自分の罪と正面から対峙する段階に達したことを示唆しているのです。
つまり、絆創膏は彼の心の傷を隠し、真実から目を背けるための心理的な防御機制として機能していたと言えます。そしてその絆創膏が外れる瞬間は、彼が本当の自分自身と向き合う準備ができたことを視覚的に表現しているのです。
映画『シャッター アイランド』に親と見ると気まずいシーンは出てくるか?
『シャッター アイランド』には、親と一緒に鑑賞すると気まずさを感じるシーンがいくつか存在します。この映画は非常に暗く、心理的に重いテーマを扱っており、家族で見るには適さない場面があるのです。
特に気まずいシーンの一つは、テディ(アンドリュー)が妻と子供たちの悲劇的な死を回想する場面です。彼の子供たちが母親に溺れさせられ、その後テディが妻を射殺するというシーンは、視覚的にも感情的にも非常に衝撃的で、家族で見ていると居心地の悪い雰囲気になる可能性があります。このシーンは残酷で、強い情動を揺さぶるため、親しい家族と一緒に観るのは避けたほうが賢明かもしれません。
また、精神病院の患者たちの不安定な行動や、幻覚のシーンも不気味で、不快感を覚える人がいるかもしれません。特にテディが幻覚の中で妻や他の人物と会話するシーンは、精神的に不安定な状況を描いており、年齢層の異なる視聴者が一緒だと気まずい思いをするかもしれません。
映画全体がトラウマや精神疾患、暴力といった重いテーマを扱っているため、家族で鑑賞する際は、感情的に複雑なシーンが気まずく感じられる可能性があることを念頭に置いておくことをおすすめします。
映画『シャッター アイランド』に出てくるロボトミー手術とは?
『シャッター アイランド』に登場する「ロボトミー手術」は、20世紀前半に実際に行われていた精神科医療の一つで、脳の一部を切除することで患者の精神的な問題を「治療」しようとする方法です。この手術は主に重度の精神疾患を抱える患者に対して行われましたが、非常に残酷で非人道的な側面がありました。ロボトミー手術を受けた患者の多くは、人格や感情が大きく損なわれ、時には植物状態に近い状態になってしまったのです。
映画の中では、このロボトミー手術が重要なテーマとして扱われています。主人公のテディ(アンドリュー・レディス)が精神病院で調査を進める中で、この手術が行われていることを疑い、病院側が患者を手術で支配しようとしているのではないかと感じます。彼にとって、ロボトミー手術は「恐ろしい最終手段」として描かれており、それを阻止するために行動を起こすのです。
しかし、物語の終盤では皮肉にも、テディ自身がこの手術の対象となります。彼は自分の苦しい記憶から解放されるために、手術を受け入れる決意をするのです。ロボトミー手術は、映画のテーマである「現実逃避」や「罪との対峙」を象徴する重要な要素となっており、テディが精神的な苦痛から逃れるための最後の手段として位置づけられています。
『シャッター アイランド』は、当時の精神医学界で議論を呼んだ問題のある治療法を取り上げ、主人公の運命を左右する重要な要素として物語に巧みに組み込んでいるのです。
映画『シャッター アイランド』はどこで見れる?フルで無料視聴する方法は?
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みんなの感想・レビュー
この映画を始め他のでもそうだが、2度観なくても1回で理解できますね。
キャラの動きや目線、仕草を見てるとだいたいわかるので。
ん?と思うシーンが多いので。
見終わった後に、あのシーンはそういうことだったのかと。
何度も観ないとわからない人もいれば、1度でわかる人もいるということで…
ながら見ではなく、色々なことに注意して見ると1度でわかりますね。
レオナルド・ディカプリオが謎の事件を追う捜査官を演じた今作。序盤から不穏な空気が立ちこめ、何かがおかしい、何かが怪しいと思いながらもはっきりとした「何か」が分からずこれがシャッターアイランドの雰囲気なのかと解釈して鑑賞していました。物語が進むにつれて徐々に明らかになっていく「おかしさ」の理由。理解しているつもりで見ていましたが、すっかり騙されてしまいました。
ラストのシーンはどちらの「自分」だったのでしょう?驚かせてくるようなホラー要素もあり、何度も見たくなる素敵な作品です。
脱走犯レイチェルと、病院長側の言う事、どちらが真実か。
薬を盛られているから、患者として収容される運命になるでしょう。
島に来てから変な夢を毎晩見たり、白昼夢、手のふるえも症状として出ているあなたは、どうやっても病人になる。
その後、病院長から、君は2年前から患者として、ここに収容されている。
君の名前はレディスだ、と告げられる。
確かに、テディは白昼夢も見ているし、夢も見ている。
銃が使えないことも、薬の影響とも考えられる。
表面だけ見れば、脱走囚レディスのほうが、正しいような感覚になる。
しかし、テディの「電流が流れているフェンスを見たことがある」というセリフ。
これは、病院に収容された時に、一度見ているからこそ言えるのでは?
また、病院に来た時の、刑事2人に対する囚人たちの反応は、知っている人に対してのものとは、考えられないだろうか。
よく見れば、警備の人間たちの目線は、テディに対してのみ過敏に反応している。
看護師や職員も、テディの言動に対し、明らかに半笑いなのである。
警備の人間からすれば、脱走しないよう見張る義務が、職員たちは、テディの妄想につき合わされているだけ、と考えれば、つじつまが合う。
テディはやはり、2年間収容されていたのだろう。
最後、真実を再び忘れ、自分はまだ刑事だと思い込むテディのセリフを、よく考えて欲しい。
「化け物として生きるか、善人として死ぬか」。
このまま、また自分の罪を忘れて、妄想の世界で生きるモンスターになり、わからないうちに手術されるよりも、自分の罪を理解した状態で、手術を受け入れたい。
そういった強い意志を含んだ言葉とは考えられないだろうか?
つまり、再発して妄想世界のテディになったのではなく、アンドリュー・レディス本人として、去っていったと考えられる。
「自分たちのほうが賢い」はつまり、テディに戻ったと思っているなら、自分の勝ちだ、というレディスの宣言にも思える。
ここまで、見る人を選ぶ映画は珍しい!
何度も見て、自分なりに納得できる答えが出せれば、細部までこだわりぬいて作られた傑作。
しかし、気軽に見たい人は、絶対に見ないほうがいい作品。
だって、ミステリーなのに、細部の謎が解けていない!
しかし、それを解くのが好きな人にとっては、何度も見たくなる、素晴らしい映画だ。
病院長と、同僚の医師、テディとチャックの4人でお酒を飲みながら語り合う部屋で、精神病院で行われる治療行為の話には、人間の怖さを感じてしまう。
それから、ロボトミー手術は、かなり昔に禁止されたものだ。
設定が1954年なのは、そのせいだろう。
因みに、レオナルド・ディカプリオは、マーティン・スコセッシ監督の作品に出演することが多い。