映画『大人は判ってくれない』の概要:「大人は判ってくれない」(原題:Les Quatre Cents Coups)は、1959年のフランス映画。監督は「あこがれ」、「水の話」などの短編映画制作を経て、本作が長編映画デビューとなったフランソワ・トリュフォー。主演は本作がデビュー作となったジャン=ピエール・レオ。共演にはパトリック・オーフェー、アルベール・レミー、クレール・モーリエなど。クレジットにはないが、カメオ出演でジャンヌ・モロー、ジャン=クロード・ブリアリ、ジャック・ドゥミ監督など、ヌーベルバーグ作品の著名人が登場している。
映画『大人は判ってくれない』 作品情報
- 製作年:1959年
- 上映時間:97分
- ジャンル:ヒューマンドラマ
- 監督:フランソワ・トリュフォー
- キャスト:ジャン=ピエール・レオ、クレール・モーリエ、アルベール・レミー、ジャン=クロード・ブリアリ etc
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映画『大人は判ってくれない』 評価
- 点数:90点/100点
- オススメ度:★★★★★
- ストーリー:★★★★★
- キャスト起用:★★★★☆
- 映像技術:★★★★☆
- 演出:★★★★★
- 設定:★★★★★
[miho21]
映画『大人は判ってくれない』 あらすじ(ストーリー解説)
映画『大人は判ってくれない』のあらすじを紹介します。
十二歳の少年アントワーヌ(ジャン・ピエール・レオ)は、恵まれない境遇の中で辛い日々を過ごしていた。彼は母の連れ子であり、親子三人暮しの狭いアパートには共稼ぎの両親が帰る前に日課の掃除が待っており、口やかましい母親と妻の顔色を伺う父親との、忙しない食事の後片づけなどで宿題をやる暇はなかった。
翌朝の登校途中に親友のルネと出会うと、二人は学校をさぼって一日を少年らしく伸び伸びと遊んで過ごした。しかしアントワーヌは見知らぬ男と母親が午後の街で抱き合っているのを目撃し、そこで互いの視線が合ったがその日の母の帰宅は遅かった。翌朝に仕方なく登校し、前日の欠席の理由を教師に追求されてアントワーヌは思わず母が死んだと答えた。しかし前日の欠席を知った両親が現れて嘘がばれてしまう。父はアントワーヌを殴り夜に話合おうと言ったが、彼は家へ帰らずにルネの叔父の印刷工場の片隅で朝を迎えた。母は息子の反抗に驚き学校へ彼を連れ戻しに行く。母は精一杯に励ますが彼は心を閉ざしてしまっていた。翌日から平和が戻ってきたように見え、親子で映画にも行ったが、ある日の作文で、アントワーヌは尊敬するバルザックの文章を丸写しにして教師から叱られ、それを弁護したルネは停学になった。アントワーヌも家を出てルネの家に隠れ住んだがやがて金に困り、ルネと共に父の勤める会社のタイプライターを盗み出したが、それも金に替えることが叶わず、戻しに行った時に守衛に捕ってしまう。父はアントワーヌを警察へ連れて行き、少年審判所へ送られる護送車の中で彼は初めて涙を流した。母は息子に面会もせず判事の鑑別所送りに応じた。束縛された鑑別所で日々を過ごす中でようやく母親が面会に訪れたが、アントワーヌを引き取らないと彼女は冷徹に息子を突き放した。ある日彼は監視の隙を見て脱走した。田園地帯を走り続け、山を越えていつしか海岸に辿り着いた。それは彼が初めて目の当たりにする海の風景だった。
映画『大人は判ってくれない』 感想・評価・レビュー(ネタバレ)
映画『大人は判ってくれない』について、感想・レビュー・解説・考察です。※ネタバレ含む
トリュフォーのもの悲しい青春譚
些細な子供の悪戯が、運命に翻弄されながら自らの人格を形成してゆく過程を綴った成長譚である。冒頭に「アンドレ・バザンに捧ぐ」というメッセージがあるが、パザンは戦後のフランスで影響力の非常に大きかった映画批評家であり、「ヌーヴェルヴァーグの精神的父親」と称されることもある。少年鑑別所を出た10代のトリュフォーを引き取って面倒を見ており、家族に恵まれなかったトリュフォーにとって、バザンは精神的父親であり、庇護者のような存在となっていた。その悲しい10代の体験を大人と子供の両方の目線で巧みに一つの物語として描く手法が見事である。タイトル通りに子供目線で大人を憎しみの対象として描くには、自らが大人としての立場を弁えていなければその事情など描けるものではない。不遇な少年時代を過ごしながらも、その後に出会った人生の師とも言えるパザンの保護下によって映画的視力を培い、自らの私小説を独自の表現スタイルとして結実させたトリュフォーの金字塔である。
絶望という武器
大人の事情とか子供の教育とかの野暮な話ではなく、多かれ少なかれ反抗期を迎える頃の物事の感じ方はどこか屈折している部分があり、まともに相手をしていても解決しない問題を孕んでいるものである。世の中が全てが自分中心に回っている子供時代に、大人が考える”正しい判断”というものが出来る訳がないのだ。事の成り行きが全て運命というものに司取られているのを理解するには大人になるのを待つしかない。そして大人になってから初めて子供だった自分の姿を見つめる事が出来るようになるのだが、ここに出てくる大人は殆どが未熟なまま自分の都合だけで生きており、絶望という弱々しい武器を手に自分の存在にしがみついて大人を主張する。そんな大人に反抗しながら子供として生きたアントワーヌだけが、大人になった視線で自分の子供時代を運命的に見つめる事ができたのではないだろうか。
大人になれば分かることなのに…と思って鑑賞していた私もアントワーヌにとっては「判ってくれない」大人の一人なのかもしれません。親に反抗する気持ちや、誰からの指図も受けたくない時期ってどんな人にもあると思うんです。しかし、その時に関わった人たちの接し方や態度によって子供の人生は良い道にも悪い道にも進めるのだと感じました。
時期を過ぎればほとんどの子供が正しい道を歩み始めるのだと思いますが、大人の態度一つで、子供の人生が大きく変わってしまう可能性があることは、忘れずにいたいと思います。(女性 30代)
映画『大人は判ってくれない』 まとめ
冒頭シーンからパリという街への想いを感じさせられる風景描写が印象的である。そのパリの中で不遇な境遇に抗いながら少年期を過ごす主人公を、陰影の深いモノクロームで切り取り、繊細な少年の心理を客観的な視線で巧みに描く印象的な表現手法に加え、ラストシーンでの主人公の行く末を描かずに終わらせるシーンなど、ヌーヴェルバーグの先駆的作品として現在でも色褪せる事はない。アントワーヌが主人公になった映画は本作を含めて5本作られることになり、20年に渡りトリュフォー監督と主演がジャン・ピエール・レオという展開で制作される事になる。一人の主人公を描く作品としての連作は映画史上殆ど類を見ない物語なので、興味のある方は是非一度通して鑑賞していただきたい。
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