『アデル、ブルーは熱い色』あらすじ&ネタバレ考察・ストーリー解説

女性同士の純愛を描く、衝撃的な性愛描写が話題となったフランス映画。アデル役をアデル・エグザルコプロス、エマ役をレア・セドゥーが演じる。第66回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作。

あらすじ

アデル、ブルーは熱い色』のあらすじを紹介します。

女子高生のアデル(アデル・エグザルコプロス)は同級生の彼氏も友人もいるが、どこか自分の居場所を見出せずにいた。そんなある日、青い髪を持つ不思議な女性エマ(レア・セドゥ)を見かけ運命の出会いを感じる。後日再会を果たすとエマが画家志望の美大生と分かり、アデルはますます彼女の知性と大人びた雰囲気に引き込まれていく。二人の友情が愛情に変わるのに時間はかからなかった。二人は幾度も逢瀬を重ね、互いの愛を確かめるのだった。そして数年後教師となったアデルは、夢叶って画家となったエマと共に幸せな暮らしを送っていた。しかしエマの新作完成パーティーを機に二人の間には徐々に溝が生まれる。エマが画家として大成するにつれて、アデルは彼女がどこか自分の手の届かない所にいってしまうように感じてしまっていた。寂しさから逃れるようにアデルは同僚の男と浮気をしてしまい、それが原因で二人の関係は終焉を迎えるのだった……。

評価

  • 点数:55点/100点
  • オススメ度:★★☆☆☆
  • ストーリー:★★☆☆☆
  • キャスト起用:★★★★☆
  • 映像技術:★★★★☆
  • 演出:★★★★☆
  • 設定:★★★☆☆

作品概要

  • 公開日:2014年4月5日
  • 上映時間:179分
  • ジャンル:ラブストーリー
  • 監督:アブデラティフ・ケシシュ
  • キャスト:アデル・エグザルコプロス、レア・セドゥー、サリム・ケシュシュ、モナ・バルラベン、ジェレミー・ラユルト etc…

ネタバレ考察・ストーリー解説

『アデル、ブルーは熱い色』について、考察・解説します。※ネタバレあり

階級についての社会映画

今作が話題に挙がる際最も注目されるのは、その写実的な性描写についてであり、確かにアデル・エグザルコプロスとレア・セドゥーの体当たり演技には賞賛を送りたい。ただ恋愛映画として今作を見た時に物足りなさを感じるのもまた事実である。それは恋愛映画において必須要素である「困難」が、一見今作には抜け落ちているように見えるからだ。時に難病であり戦争であり、或いはすれ違いなんていう小さなものでも、愛する二人を隔てる「困難」は恋愛映画には必要不可欠な要素であり、それを乗り越えたり、時には屈服する所に観客はカタルシスを覚えるのだ。例えば同じ同性愛を描いたアン・リー監督の『ブロークンバック・マウンテン』は、周囲のゲイに対する差別が「困難」として機能しており、同性愛という特殊なシチュエーションでも優れた恋愛映画として多くの人に認識されている。それに引き換え今作では同性愛に対する差別が描かれるシーンは少ない。両親や周囲へのカミングアウトの時間軸がすっぽり抜け落ちていることからも、それを意図的に外しているとも思える。
答えから言ってしまうと今作における「困難」とは「階級」である。アデルとエマは一見対等の自由恋愛をしているようだが、実はアデルは一般層、エマはインテリ層に属している。それは互いの家を行き来した際の食事のシーンでも明らかに描かれており、アデルの家では大量のパスタ、エマの家では牡蠣とワインが振る舞われるのだ。二人が同棲してからのパーティーではこの差が浮き彫りになってくる。高尚な芸術論を交わすエマとその友人たちに、お手製のパスタを何とか振る舞おうとするアデルの姿は実に痛ましい。結果としてアデルの浮気で二人の関係は終わるが、その根底にあるのはこの「階級」の違いである。そしてこれはフランスにおける社会問題であり、この映画同様巧みに隠蔽されている問題なのだ。

まとめ

リアルな性描写には賛否両論あるだろうが主演二人の熱演には一見の価値があるし、タイトルにも入っている青を差し色とした色彩設計は見事だ(ラストシーンでアデルが着ているドレスの青の孤独な鮮烈さ!)。前述のように恋愛映画のふりをして実は社会問題を描いていることも評価できる。ただ恋愛映画として見ると肩すかしを食らってしまうだろう。二人の行為は食事や睡眠といった日常と地続きのものとして描かれておりトキメキには欠けるし、アデルの成長物語としても物足りない。そして何よりも3時間という上映時間は一般的に考えて長過ぎるのではないか。恋愛映画で二人が会話を交わすまでに50分近く費やしてしまうのは流石に冗長だと思う。恋愛映画と思って手を伸ばすのは危険過ぎる。

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