映画『市民ケーン』あらすじネタバレ結末と感想

市民ケーンの概要:巨大な富を手にしながら孤独に死んでいった新聞王のケーンが最後に残した“バラの蕾”という言葉の謎を解くため、ある記者が彼の生涯をたどっていく。巧みな脚本と斬新な映像が今も高く評価される1941年公開のアメリカ映画。

市民ケーン あらすじネタバレ

市民ケーン
映画『市民ケーン』のあらすじを紹介します。※ネタバレ含む

市民ケーン あらすじ【起・承】

1941年、アメリカ。フロリダの“ザナドゥ”と呼ばれる世界最大の個人邸宅に住む元新聞王のチャールス・F・ケーン(オーソン・ウェルズ)が亡くなった。彼は死の床で“バラの蕾”とつぶやき、孤独に息絶えた。

ケーンの死を報道するニュース映像を作っていた製作者たちは、表面的な彼の生涯ではなく、もっと彼の人間性に迫るべきだと考える。そこで“バラの蕾”という言葉の意味を探るため、編集者のトムソンがケーンの知人たちへ取材に行く。

トムソンはケーンの後見人だったサッチャーの日記を読み、マネージャー役のバーンステイン、親友で仕事仲間だったリーランド、2番目の妻だったスーザン、執事のレイモンドの順に取材をする。全ての話を総合したケーンの生涯とは以下のようなものだった。

コロラドにあるケーンの実家は小さな宿屋だったが、客が宿賃がわりに置いていったボロ鉱山の権利書が思わぬ財産となり、ケーンの母は財産管理をウォール街のサッチャーの銀行に委託する。同時にろくでなしの父から息子を守るため、彼の教育もサッチャーに依頼。サッチャーはケーンの後見人となり、彼をニューヨークへ連れて行く。

25歳の時、ケーンはサッチャーから独立する。彼はすでに世界で6位の資産家だったが、ビジネスには興味がなく、落ちぶれた新聞社の経営を始める。彼は悪徳資本家に搾取される市民を守りたいという正義感に燃えていた。リーランドはケーンが社長に就任した際に書いた改革宣言の原稿を大事に保管する。

ケーンはニュースからゴシップまで記事の幅を広げ、6年後にはライバル社から有名記者を全員引き抜き、自社を全米トップの新聞社にのし上げる。さらにヨーロッパ諸国の美術品の収集も始め、大統領の姪にあたるエミリー・ノートンと結婚する。

しかし忙しいケーンはエミリーと朝食時しか顔を合わすことができず、2人の愛は徐々に冷めていく。そんな頃、ケーンは街角でスーザンと出会う。彼はオペラ歌手を目指していたというスーザンの無邪気さと歌声に惹かれ、彼女のアパートを度々訪ねるようになる。

市民ケーン あらすじ【転・結】

同じ頃、ケーンは政界進出を目指し州知事に立候補する。新聞社37、シンジケート2、放送局1の経営者となっていたケーンの人気と影響力は絶大で、公約では現職のゲティス知事の汚職を暴くと宣言する。危機感を募らせたゲティスはスーザンの存在を利用してケーンに立候補の取り下げを要求する。しかしケーンはその脅しに屈せず、その結果スーザンとのスキャンダルが暴露され、ケーンは落選。さらにエミリーとも離婚する。

ずっと側で彼を支えてきたリーランドはケーンの傲慢さを憎むようになり、シカゴへの転勤を申し出る。

ケーンは離婚の半年後にスーザンと再婚し、シカゴにオペラハウスを建設する。スーザンを一人前のオペラ歌手にしてやろうと、一流のレッスンを受けさせ、オペラハウスのこけら落としには彼女主演のオペラを上演する。しかし彼女に歌の才能はなく、評価は最悪だった。さらにリーランドまで彼女を酷評し、ケーンは彼をクビにする。リーランドはケーンの改革宣言を送りつけ、ケーンのもとを去る。

ケーンはスーザンを一流にしようと躍起になるが、スーザンは精神的に追いつめられ自殺未遂をする。これにはケーンも観念して、彼女と暮らす巨大宮殿の“ザナドゥ”を建設し、そこに閉じこもるようになる。スーザンはまるで牢獄のような宮殿内での暮らしに嫌気がさし、ケーンを責めるようになっていく。

ケーンは彼女の機嫌をとるために贅沢三昧させるが、彼女は“欲しいのは愛情で物ではない”と反発。そしてついにケーンのもとを去る。ケーンは怒りに任せて彼女の部屋を破壊している最中、ガラス製のスノードームを見つける。それを手にして、彼の動きが止まる。

その後ケーンは宮殿の中で孤独に暮らし、最期の時を迎える。彼が“バラの蕾”とつぶやいて亡くなった瞬間、手に持っていたスノードームが床に落ち、くだけ散る。

結局トムソンは“バラの蕾”の謎を解明できないまま宮殿を後にする。宮殿では莫大な量の彼の遺品が整理されていた。ガラクタとして焼却炉に放り込まれたソリは、ケーンがコロラドいた子供時代によく遊んでいたもので、ソリには“バラの蕾”というロゴとバラの絵が描かれていた。

市民ケーン 評価

  • 点数:90点/100点
  • オススメ度:★★★★★
  • ストーリー:★★★★★
  • キャスト起用:★★★★☆
  • 映像技術:★★★★★
  • 演出:★★★★★
  • 設定:★★★★☆

作品概要

  • 公開日:1941年
  • 上映時間:119分
  • ジャンル:ヒューマンドラマ、ミステリー
  • 監督:オーソン・ウェルズ
  • キャスト:オーソン・ウェルズ、ジョセフ・コットン、ドロシー・カミンゴア、エヴェレット・スローン etc

市民ケーン 批評・レビュー

映画『市民ケーン』について、感想と批評・レビューです。※ネタバレ含む

傑作という評価についての考察

本作は公開から80年近く経った現在でも、映画史上の最高傑作と評価されることが多い。それではなぜこの作品がそれほど評価されるのか。その秘密に迫ってみたい。

死の床で“バラの蕾”とつぶやいて亡くなった新聞王ケーンの人生を描いた本作。最初はホラーやミステリーを思わせる陰鬱な空気の宮殿の外観から始まり、徐々に宮殿内部へ、そして雪景色、スノードーム、クローズアップされたケーンの口元から発せられる“バラの蕾”という謎の言葉、彼の手から落ちて砕け散るスノードーム。ケーンの側には身内らしき人間は誰もおらず、看護師だけが彼の死を確認する。ここではケーンの現在の孤独な境遇が映像のみで語られるので、“バラの蕾”という一言のセリフが強烈に残る。

そこから一転、場面は賑やかでテンポのいいニュース映像に切り替わり表面的なケーンの人生を一気に見せてしまう。観客がここで彼の歩みを軽く予習していることが、後の回想シーンに効いてくるという計算だ。さらに映像を見終わった男の“人間が描けていない”という言葉により、これは“バラの蕾”という意味深な言葉をキーワードにして、ケーンという人物を掘り下げていく物語なのだと自然に理解できる。

この対照的な静と動のシークエンスをつなげた冒頭部分だけ見ても、本作の脚本と演出がいかに効率良く計算され、工夫されたものかがわかる。

ケーンと最初の妻であるエミリーの朝食風景では、長い時間経過を短いショットを重ねて効果的につなぎ、2人の関係が破綻していく様子をありありと描き出す。

そうかと思えば役者の芝居を重点的に見せる長回しのシーンも多用しており、製作・監督・脚本(ハーマン・J・マンキーウィッツと共同執筆)・主演を務めたオーソン・ウェルズの豊かな発想力と頭の柔らかさには驚かされる。彼の巧みな誘導により、観客はいつの間にかケーンの人生に深入りし、この主人公について考えるようになってしまう。

本作では、弱冠25歳だったオーソン・ウェルズの熱気と才能がスパークしている。若いウェルズはしがらみや常識を無視して自由に初めての映画製作を楽しんだはず。その雰囲気は映画全体から感じ取れる。とにかく型にはまらない伸び伸びとした映画なのだ。

自由にやったウェルズは、この後ケーンのモデルとされる大物の怒りを買い、ハリウッドから干されてしまう。そうなってしまったのはこの作品がやはり放っておけない傑作で、あちこちからの反響が大きすぎたからだと考えるのが妥当だろう。

市民ケーン 感想まとめ

演出や映像面での見せ方のうまさもさることながら、人間に対する鋭い洞察力に感心した。ケーンを知る人たちは、それなりに彼を理解しているように見えるし、それぞれの印象で彼を語る。しかし“バラの蕾”が何を意味するのか、誰一人としてわからなかったという結末は、他人の人生を知ることの難しさと人間の孤独を象徴している。

ケーンは極端な例かもしれないが、愛する家族に囲まれ自分は幸せだと思っていても、その家族はあなたの人生をどれだけ知っているだろう。例えば自分の両親の人生についてさえ、ほとんど何も知らないのではないだろうか。

確かにケーンは全てを失った孤独な男だ。それでも彼を自分とは別世界に生きる特別な人だとはどうしても思えない。ケーンが孤独であるように、自分もまた孤独だからだ。それは家族や友人がいてもいなくても根底は変わらない。

結局人間とはどうやっても孤独から逃れることはできない。ケーンにそれを受け入れる謙虚さがあれば、彼はもう少し温もりのある人生を送れたのかもしれない。絶対的な孤独を受け入れることで、他人の痛みや人生の重みが少しずつ理解できるのだから。

この作品の一番の魅力は、人間を描くうまさにあると個人的には思っている。

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