映画『コッホ先生と僕らの革命』あらすじとネタバレ感想

コッホ先生と僕らの革命の概要:第一次世界大戦前の帝国主義のドイツに自由の風が吹いてきた。ドイツ・サッカーの創始者コンラート・コッホのと生徒たちの感動の絆がここによみがえる…。

コッホ先生と僕らの革命 あらすじ

コッホ先生と僕らの革命
映画『コッホ先生と僕らの革命』のあらすじを紹介します。

時は19世紀末のドイツ。

帝国主義に突き進み、反英感情が国の中に巻き起こる中、学校内の授業では英語の使用は禁止。英国で生まれたサッカーは反社会的スポーツとみなされていた。

ところが、帝国ドイツの都市ブラウンシュヴァイクの名門カナリネウム校では、進歩的なメアフェアルト校長(ブルグハルト・クラウスナー)の鶴の一声で、ドイツ初の英語教師コッホ(ダニエル・ブリュール)が赴任する事となる。
コッホはオックスフォード大学に留学していたドイツ人で4年ぶりに故郷に帰ってきて、ドイツでは馴染みのないサッカーを生徒に教えようとしていた。

しかしコッホは、英語に関心を示さず、学ぶ意欲も持たず、なおかつ親たちの言いなりになり暗澹たる派閥をしく生徒たちを目の当たりにする。それもそのはず。名門校である学校の生徒は殆ど富裕層や実業家、土地の名士の息子で占められていて、級長のフェリックス(セオ・トレッブス)の父親は学校の後援会長のリヒャルト(ユストゥス・フォン・ドーナニー)だった。
クラスで唯一の労働階級で母子家庭の・ヨスト(エイドリアン・ムーア)は奨学金で学校に通う身なのを、からかわれるものの誰もかばわない。

それどころか、後援会の保護者、教師陣は帝国主義を重んじる学校は秩序と規律、服従こそ全てと言いきり、生徒たちに自由を与えてなかったのだ。

サッカーを通じフェアプレーと敬意、人間性の育成を重んじていたコッホは教育の場で矢面に立たされる事となるのだが…。

コッホ先生と僕らの革命 評価

  • 点数:90点/100点
  • オススメ度:★★★★★
  • ストーリー:★★★★★
  • キャスト起用:★★★★☆
  • 映像技術:★★★★☆
  • 演出:★★★★☆
  • 設定:★★★★☆

作品概要

  • 公開日:2011年
  • 上映時間:114分
  • ジャンル:ヒューマンドラマ、青春
  • 監督:セバスチャン・グロブラー
  • キャスト:ダニエル・ブリュール、ブルクハルト・クラウスナー、ユストゥス・フォン・ドナーニー、カトリン・フォン・シュタインブルク etc

コッホ先生と僕らの革命 ネタバレ批評

映画『コッホ先生と僕らの革命』について、感想批評です。※ネタバレあり

コッホは嵐を呼ぶ男だった

コンラート・コッホは、サッカーだけではなく、クリケットや体操など、ありとあらゆるスポーツに関する本、総計100冊以上、上梓している。その心は映画の舞台となった大戦前の帝政ドイツの有様をみれば判るだろう。
当時のドイツは、『プロイセン方式』という教育方式で、生徒は肘を机にそろえて置き、発言をする時は先生から指揮棒で指されてから発言する事という軍隊式。授業はドイツ軍の勝利の歴史のみを教えるという偏ったもの。体育の授業は健康の為とは程遠く、生徒の向き不向きを無視した軍隊式行進と器械体操のみ。

学校の体操用具会社の社長の息子のオットー(ティル・ヴァレンティン・ウィンター)は、ふくよかな為、体育の授業では落ちこぼれ。
そんな学校にコッホがやってきて旋風を巻き起こしたのだから、まさに嵐を呼ぶ男だったのだ。

対立する生徒とその親たち

コッホは、クラスで虐げられているヨストにFWの才能を、オットーにはGPの才能を見出し抜擢する。今まで威張っていたフェリックスは出番がないのでふててしまう。
そこまで生徒を魅了するサッカーとは何なのかと後援会の面々と会長が視察に来るのだが、運悪くヨストの蹴ったボールが視察に訪れた牧師に当たり、会長であるリヒャルトはサッカーを禁止するように命じる。ヨストの母クララ(キャサリン・ヴォン・ステインバーグ)も息子は進学させたいからサッカーはさせないでくれとコッホに懇願し、コッホは四面楚歌となってしまう。

学校内でのサッカー禁止令が出た生徒たちは、放課後にサッカーをする事となり、フェリックスも片思いしていた使用人のロザリー(ヘンリエット・コンフューリス)がサッカーを観に行っているのを知り、渋々ながら参加していくうちに打解けていく。

しかしそれを許さなかったのがフェリックスの父親で後援会長のリヒャルトだった。彼はサッカーの練習は反抗であり革命だと言及し、コッホを糾弾。抜き打ちでコッホたちが練習している森の中の公園に現れ生徒たちを捕まえ、ヨストを退学処分にしようとする。

コッホが生徒に伝えたかった事とは

地下の牢屋に入れられ閉じ込められてしまった生徒たちにフェリックスは、唯一助かる方法を見出し提案する。それは教育庁にサッカーの視察を頼む事だった。いちかばちかやってみるしかない。コッホがヨストを庇って辞職してしまう前に。
フェリックスの機転で何とか教育庁の視察が間に合ったものの、リヒャルトは手段を選ばずコッホを辞職に追いやろうとタブロイド誌に酷評記事の掲載まで手を回す。

酷評記事を読んだ生徒たちの親により辞職においやられようとしたコッホの前に視察団がやってくる…という所で映画は終わるが、思うに何故コッホ率いる生徒たちは、ココマデリヒャルト会長率いる学校の後援会長に執拗に叩かれなければいけなかったかという事だ。

映画の中で、コッホは何度も生徒たちを叱り付ける。サッカーが楽しすぎて上滑りし、サッカーに興味のない他者に対する思いやりが欠如した生徒たちに激昂する。歴史の授業中に名誉負傷した帝国軍人を連れてきた先生に対し『お前はサッカーできないんだろ』とからかいだした生徒に対しコッホは何よりも哀しんでた。サッカーを楽しむ以前に誰に対してもフェアであれと。それが出来ないから、後援会長はいつまでもお前たちを執拗に許さないのだと。

コッホが生徒に伝えたかったのは、サッカーの技術以上に『心の中のフェアプレー』である。最後の最後にそれに生徒が気づいたとき、コッホの中に安堵の微笑みが芽生えたのではないだろうか。

コッホ先生と僕らの革命 感想まとめ

ドイツは今や英国と並ぶ程のサッカー強豪国である。その裏には、総合的にスポーツとは何か、スポーツの中に『心のフェアプレー』を持ち込んだコンラート・コッホの存在が根づいているといっても過言ではない。
この物語は、現状を打ち破る事を諦める事に慣れてしまった全ての大人たちの希望の光になるだろう。それと同時に自分の夢が叶った時に、上滑りな行動をすればそれなりの報いもくるという事を教えてくれる映画である。

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