映画『道(1954)』のネタバレあらすじ結末 | MIHOシネマ

「道(1954)」のネタバレあらすじ結末

道(1954)の概要:純粋無垢なジェルソミーナは粗暴な旅芸人のザンパノに買われ、奴隷のようにこき使われる。それでも彼女は自分が必要されていると信じて寄り添おうとするのだが…。主題歌の悲しいメロディが切なく胸に突き刺さるフェデリコ・フェリーニ監督の代表作。

道の作品概要

道

公開日:1954年
上映時間:115分
ジャンル:ヒューマンドラマ、ラブストーリー
監督:フェデリコ・フェリーニ
キャスト:アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ、リチャード・ベースハート、アルド・シルヴァーニ etc

道の登場人物(キャスト)

ザンパノ(アンソニー・クイン)
旅の芸人。「鋼鉄の肺の男」として胸部に巻いた鎖を胸筋で切るという芸を売りにしている。粗暴な性格ですぐに暴力を振るう。酒や女も好き。人の気持ちがわからない。
ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)
ザンパノのアシスタントをしていた妹が死んだため、その代役として二束三文で買われた。知能指数は低いが、純粋でまっすぐな心の持ち主。四人姉妹の長女。
イル・マット(リチャード・ベイスハート)
綱渡り芸人。ザンパノとは昔から顔見知りで、犬猿の仲。生きる意味を見出せないジェルソミーナに助言をくれる。

道のネタバレあらすじ

映画『(1954)』のあらすじを結末まで解説しています。この先、ネタバレ含んでいるためご注意ください。

道のあらすじ【起】

イタリアの貧しい海辺の町で暮らすジェルソミーナは妹のローザが死んだという報告を受ける。ローザは旅芸人のザンパノに買われて彼のアシスタントをしていた。実家は大変貧しく、母親はローザの代役としてジェルソミーナを二束三文でザンパノに売ってしまう。軽度の知的障害があるジェルソミーナは今まで働いたことがなかったが、母親を助けるためにザンパノのオート三輪に乗り込む。

ザンパノは屈強な体をした粗暴な男で、胸部に巻いた鎖を胸筋だけで切るという芸で稼いでいた。ジェルソミーナは客の呼び込み方や太鼓の叩き方を教えてもらい、道化師としてザンパノのアシスタントを務める。さらに男女の関係も強要されるが、ジェルソミーナは黙って耐えていた。

稼ぎがいいとザンパノはレストランで食事をさせてくれた。ジェルソミーナはこの暮らしにも慣れ、ザンパノの女房役に幸福さえ感じていた。しかしザンパノは行きずりの女と寝る時は平気でジェルソミーナを置き去りにしてしまう。ジェルソミーナはそれがとても悲しかった。

道のあらすじ【承】

ジェルソミーナが自分の悲しみを訴えてもザンパノには伝わらない。ただ“一緒に居たいならつまらんことを言うな”と怒られるだけだった。

結婚式で芸を披露した2人は使用人の女性に食事をふるまってもらう。ザンパノは未亡人だというその女性と何処かへ行ってしまい、帽子や服をもらって上機嫌で帰ってくる。あまりの孤独と悲しみに耐えられなくなったジェルソミーナは、ザンパノのもとを去る。

途中で大きなお祭りに出くわしたジェルソミーナは、綱渡り芸人イル・マットの芸を見る。しかし祭りが終わってもジェルソミーナに行くあてはなく、道端で途方に暮れていた。そこへジェルソミーナを探していたザンパノがやってくる。ジェルソミーナは“行きたくない”と拗ねるが、結局ザンパノのオート三輪に乗り込む。

ザンパノとジェルソミーナはサーカスで使ってもらえることになる。そのサーカスにはあのイル・マットがいた。イル・マットとザンパノは昔からの知り合いだが、馬が合わない。イル・マットはザンパノの芸にふざけたチャチを入れ、ザンパノを笑い者にする。イル・マットはなぜかザンパノをからかいたくなるのだった。

道のあらすじ【転】

翌日、ジェルソミーナはイル・マットがバイオリンで奏でる悲しいメロディに惹かれて彼のところへ行く。イル・マットはジェルソミーナにバイオリンを教えてくれる。それを見たザンパノは本気で怒り出し、ナイフを持ってイル・マットを追いかける。この騒ぎは警察沙汰となり、ザンパノは留置場に拘留される。サーカスの団長はジェルソミーナだけなら一緒に来てもいいと言ってくれる。しかしジェルソミーナは迷っていた。

その夜、ジェルソミーナはイル・マットと話し込む。彼女は自分を無意味な存在だと感じ、生きるのが嫌になっていた。イル・マットはただの小石でもこの世にあるものは何かの役に立つと話してくれ、自分の相棒にならないかとジェルソミーナを誘う。しかしザンパノがジェルソミーナに惚れていることがわかると、吠えることしかできないザンパノを憐れむ。ジェルソミーナは自分がいないとザンパノは独りぼっちになってしまうのだと悟る。

イル・マットは彼女に自分のネックレスをプレゼントして去っていく。ジェルソミーナは目に涙をいっぱいためてイル・マットを見送る。そして釈放されたザンパノに黙ってついていく。

道のあらすじ【結】

ラッパが吹けるようになったジェルソミーナは、いつもイル・マットが奏でていた悲しい曲を吹いていた。修道院の納屋に泊めてもらった夜、ジェルソミーナはザンパノに少しは自分を好きなのか聞いてみる。しかしザンパノは何も答えてくれない。それどころかお世話になった修道院で泥棒をしろと言われ、ジェルソミーナは傷つく。

そんなある日、人気のない道でイル・マットと再会する。イル・マットは無邪気に声をかけてくるが、ザンパノはあの時の恨みを忘れておらず、いきなり彼を殴る。後頭部を強打したイル・マットはそのまま倒れこみ、ジェルソミーナの目の前で死んでしまう。ショックのあまりジェルソミーナは正気を失っていく。

ジェルソミーナは食事もとらずに泣き続けていた。芸の途中でも“彼の様子が変よ、ザンパノ”と口走り、泣き出してしまう。ザンパノはそんなジェルソミーナを持て余すようになる。そして野宿先で眠り込んだジェルソミーナを見捨てていく。ただ、少々のお金とラッパだけは彼女のそばに置いてやった。

数年後、旅芸人を続けていたザンパノは、ある港町であの悲しい曲を耳にする。その曲を口ずさんでいた女性は、数年前ここにいた頭のおかしい娘がいつもラッパで吹いていた曲だと教えてくれる。その娘はしばらくして死んだということだった。

その夜、ザンパノは泥酔して酒場から追い出される。“誰もいなくても平気だ”と言いながら海辺に行き着いたザンパノは、砂をかきむしりながらひとりで泣き崩れる。

道の解説・レビュー

どこにも辿り着くことのない「道」

フェリーニ初期の作品ながら、特異な生活の中に生きる人間の人生を切り取った名作。戦後の不安定な状態の中で貧困に喘ぐ中、生きるために自分の体を切り売りするように見せ物をしながら生きる男。子沢山の家庭で厄介者扱いをされ、僅かな金で売られるようにして働きに出る娘。日本の時代劇によく出てくるような話ではあるが、敗戦国の底辺社会を如実に表しながらも、その中で自分の生き方に疑問も持つことすら許されず、唯々喰うために度を続けるジプシーのような生活。ザンパノのような男はどこにでもいるのだろうが、ジェルソミーナの存在が何とも哀しい。知恵遅れなのか、果たして金がないために学問を受けられず無学なのかよく解らない設定なのであるが、同じザンパノの下で働いていた姉が死に、口減らしと言って同じところに僅かな金で売られるという状況に胸が痛む。戦後の混迷の中で理不尽がまかり通っていた時代ながらのシナリオであるが、それがゆえに物語は胸に迫ってくる。「道」というものは目指す場所へ辿り着くべきプロセスだろうが、この物語の道の向こうには明日も見えず、目的地さえも解らない果てしなく続く迷い道でしかない。

取り戻す事のできない人生の悲劇

戦後の社会背景は描かれないが、戦争から解放されたにも拘わらず、明日の見えない社会で生きなければならない底辺の人間模様が浮き彫りにされる。人それぞれに内包する小さなドラマを抱えているものの、そこに人を殺してしまったという状況が介在すれば物語は大きく変わってしまう。荒くれ者のザンパノも人を殺したことによって気が変になってしまったジェルソミーナには抗えなかった。不必要とも思われるその展開が、ザンパノを単なる悪者に仕立てなかったという部分で、ラストシーンに深い感銘を与える要因になっているのであるが、やはりジェルソミーナの不幸を際立たせてしまう結果になり、どう転んでも哀しい結末にしかならない部分が皮肉である。失ってしまったものへの言い知れぬ無常観に溢れ、取り戻せない人生がレクイエムの様に紡がれる悲劇である。

道の感想まとめ

フェリーニ監督は映画のシナリオよりも、映像での心理描写を旨とする作風でいささか難解と思われがちであるが、映画でしか表現できないものを追究したそのインパクトたるや、どれほどの言葉を並べ立てたところで太刀打ちできるものではない。難解という言葉で片付けるのは簡単ではあるが、その難解さに触れるというのも映画のひとつの楽しみ方である。本作はしっかりとしたシナリオの悲劇として、万人にも理解出来る部分で評価は高くなっているが、描写力という点においても卓越しており、その悲劇性を一層高める効果的なフレーミングに独特の個性が際立っている。さらにアンソニー・クインとジュリエッタ・マシーナという存在がその悲劇性に拍車を掛けた大きな要因である。

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コメント

  1. yuoyuo より:

    この小石にも価値がある。もしこの小石に価値がないとしたら、この世界には価値あるものなど、一つもない、

  2. ザンパノ より:

    表情だけで演技するジュリエッタ マシーナは素晴らしい女優です。その対極にいる野卑な男を演じるアンソニー クインも圧巻です。道という映画を見て魅了されたのは、無駄な説明の代わりに映像と場面転換で表わすフェリーニのセンスです。僕にとっては最高の映像ですね。

  3. ザンパノ より:

    山道の途中で捨てられたジェルソミーナ。幾ばくかの改悛を見せて、彼女の傍らにトランペットと僅かばかりのお金を置いて去ったザンパノ。
    場面は変わり、数年後、とある海辺の町で彼女が歌い続けていたハミングを聞き、洗濯する女に訳を尋ね、ジェルソミーナの死を知り、夜の浜辺で慟哭するも、時は戻らず。

    捨てた後の説明を省き、一気に時計の針を進めて見せた場面転換は見事に尽きる。

    取り戻せない時間の中に、人生の儚さが滲んでいる。

    生涯で唯一の、記憶に残る名作です。