映画『砂の器(1974)』あらすじネタバレ結末と感想

砂の器(1974)の概要:松本清張の同名長編小説を野村芳太郎監督が映画化。わずかな手がかりで殺人事件の捜査を進める刑事が被害者の過去から重い宿命を背負った親子との接点を見出し、事件を解決していく。1974年公開の日本映画。

砂の器 あらすじネタバレ

砂の器
映画『砂の器(1974)』のあらすじを紹介します。※ネタバレ含む

砂の器 あらすじ【起・承】

昭和48年6月24日早朝。東京国鉄蒲田操車場構内で頭を殴打された初老の男性の死体が発見される。警視庁は殺人事件として捜査を開始するが男性の身元さえ分からなかった。

唯一の手がかりは男性が殺される直前に若い男と訪れていたバーのホステスの証言だった。男性はズーズー弁を使い“カメダ”という言葉を何度か発していたというものだ。

警視庁捜査一課の今西警部補(丹波哲郎)は“カメダ”は地名ではないかと考え、吉村刑事(森田健作)と秋田県の亀田という地へ向かうが何の手がかりも得られない。

ある日吉村は新聞で若い女性が電車の窓からで紙吹雪のようなものをまいていたという記事を見つける。吉村はその紙吹雪が犯人の来ていた白いポロシャツではないかと考える。女性は高木理恵子(島田陽子)というホステスで、彼女は聞き込みに来た吉村の前から姿を消し、そのまま行方不明となる。

8月9日。遺体は岡山の三木謙一(緒形拳)という男性だと判明する。伊勢参りに出たまま帰らない謙一の捜索願が出されたことがきっかけとなった。息子の話から謙一は善人で、また東北に何の縁もゆかりもないことがわかる。

今西は執念で謙一が昔巡査を務めていた島根県の出雲地方でもズーズー弁に似た方言を使うこと、そして出雲に「亀嵩」という場所があることを突き止める。

今西は亀嵩へ向かうが、そこで聞けた話は息子の証言を裏付けるだけの実りのないものだった。ところが吉村が見つけたポロシャツの破片から謙一と同じO型の血痕が確認され、犯人と理恵子は結びつき警察は理恵子の行方を全力で捜し始める。

理恵子には和賀英良(加藤剛)という天才音楽家の恋人がいた。理恵子は彼の子供を身ごもっていたが、元大蔵大臣の娘と婚約した和賀は産むことを許さなかった。

今西は伊勢での謙一の足取りを調べ、彼がなぜ東京へ来たのかを探る。そこから和賀と謙一の関係が浮かび上がる。捜査は大詰めを迎えていた。

砂の器 あらすじ【転・結】

和賀が「宿命」と題したピアノとオーケストラによる協奏曲を発表するコンサートの日。警視庁では捜査会議が開かれ、今西は和賀の逮捕令状を取り、事件の概要を説明する。

犯人の和賀英良は本名を本浦秀夫といい、実の父・本浦千代吉はハンセン病を患っていた。当時ハンセン病患者は差別され、2人は故郷の村にいられなくなり放浪の旅に出る。

遍路姿で施しを受けながら、親子は各地を転々と旅する。野宿を重ね、親子は島根県の亀嵩へ行き着く。病状が悪化した千代吉と秀夫は神社の軒下に身を隠していた。それを当時ここの巡査をしていた謙一が発見し保護する。

謙一は秀夫のために療養所へ入るよう千代吉を説得する。謙一の必死の説得で千代吉はそれを了承し親子は離れ離れとなる。そして秀夫は子供のいなかった謙一夫婦に引き取られる。夫婦は秀夫を我が子のように可愛がるが、秀夫は行方をくらましてしまう。

秀夫は大阪へ行き、自転車店を営む和賀英蔵に住み込み従業員として雇ってもらう。しかし大空襲で店は焼け和賀夫婦も死亡する。焼失した戸籍謄本を再発行する際、秀夫は自分を和賀の長男英良と偽って戸籍を作り、本浦秀夫の名を捨てる。

その後和賀は苦労して音楽家となり成功するが、そこに謙一が突然連絡してくる。実は千代吉はまだ生きており、謙一と文通をしていた。“秀夫に会いたい”という千代吉の願いを叶えたいと謙一はわざわざ東京の和賀を訪ねてきたのだった。

しかし過去を捨てたい和賀は謙一の申し出を拒み、それでも食い下がってくる謙一をついには殺害してしまったのだった。

吉村からは理恵子が流産による異常出血のため死亡していたことが報告される。

逮捕令状を持った今西と吉村は和賀のコンサート会場へ到着する。コンサートは大成功で終了し、舞台上の和賀は拍手の渦の中にいた。

舞台袖では逮捕令状を持った今西と吉村がそんな和賀の姿を見つめていた。

砂の器 評価

  • 点数:90点/100点
  • オススメ度:★★★★★
  • ストーリー:★★★★☆
  • キャスト起用:★★★★★
  • 映像技術:★★★★☆
  • 演出:★★★★☆
  • 設定:★★★★☆

作品概要

  • 公開日:1974年
  • 上映時間:143分
  • ジャンル:ヒューマンドラマ、サスペンス
  • 監督:野村芳太郎
  • キャスト:丹波哲郎、加藤剛、森田健作、島田陽子 etc

砂の器 批評・レビュー

映画『砂の器(1974)』について、感想と批評・レビューです。※ネタバレ含む

宿命の悲しさ

宿命という言葉を辞書で引くと“本人の意志や欲求にかかわりなく、置かれた環境や状況には逆らうことができないものととらえられる定め”と書いてある。

物語の後半部分で加藤剛演じる和賀が演奏しているのが“宿命”というタイトルの曲だ。この曲に和賀がどんな想いを込めていたのか、この演奏をバックに描かれる回想シーンによって観客は知ることになる。

今ではハンセン病が不治の病でも危険な病気でもないことがわかり、日本国内で新規患者が発見されることもほぼない。しかし和賀が生まれた当時の昭和初期の日本では、まだハンセン病患者への差別や誤解は甚だしく、残酷な現実があった。

そんな父のもとに生まれてきたことが和賀の宿命であり、幼い彼はその宿命をしっかり受け止めていた。父は息子を愛し、息子もまた父を愛していた。どれほど辛い目に遭ったとしてもこの親子は宿命に逆らわず2人で生きたかったのだろう。

父とは二度と会えないと悟ったからこそ、身も心も他人になりきることで彼は父だけでなくそれまでの自分も捨てたのだ。宿命を断ち切ったつもりだった。

しかし彼は謙一を殺したことで宿命には逆らえないことを悟る。そして宿命という名の曲を作る。あの悲しい旋律に込められた彼の想いを本当に理解できるのは、同じ宿命を背負って生きた父の千代吉だけなのかもしれない。

丹波哲郎の存在感

映像化は難しいと言われた松本清張の長編小説を、脚色のうまさや壮大な演出によって名作と言われる映像作品に仕上げた本作。見所はたくさんあるのだが、個人的には今西警部補を演じた丹波哲郎の存在感が一番印象に残った。

ユニークな人柄やセリフを覚えないエピソード、さらに霊界についての造詣が深いという妙な印象が強くなっていた丹波哲郎が、これほど重厚な芝居をする俳優だったとは実は本作を観るまで気づかなかった。

後輩の吉村刑事に向ける優しい眼差しや捜査を続ける中での地味なシーンが特に印象に残る。こういう何気ないシーンでの芝居が自然だと、観客は感情移入しやすい。

Gメンやキイハンターなど、ハードボイルドなイメージが強くそういうところもかっこいいが、本作では人間味あふれる今西警部補を自然に演じる名優・丹波哲郎のぬくもりが堪能できる。

砂の器 感想まとめ

個人的にはクライマックスでのドラマチックな演出より、前半の地味だが警察の捜査を丁寧に描く演出の方が好きだ。笠智衆、菅井きん、渥美清などの出演も嬉しいし、三木謙一の息子を演じた松山省次や警視庁捜査一課長役の内藤武敏など脇役もいい。

殺人事件を解決するサスペンスでありながら、強く印象に残るのは犯人や被害者、そして刑事までをも巻き込んだ人間ドラマの厚みであり、だからこそ本作は長く語り継がれる名作になったのだろう。派手なトリックや猟奇的な犯行の悪趣味な映像ばかり見せて傑作を作ったようなつもりでいる最近のサスペンスやミステリーの薄っぺらさとつまらなさの原因がどこにあるのか、本作を観るとよくわかる。

犯罪を描くなら、人間の業が描けていないとどうにもならない。本作のように人間そのものの持つどうしようもない悲しみが描かれていてこそのサスペンスなのではないだろうか。

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