『単騎、千里を走る。』あらすじとネタバレ映画批評・評価

単騎、千里を走る。の概要:「単騎、千里を走る」(中国語題:千里走単騎)は、2006年の中国・日本合作映画。監督は中国スタッフが「LOVERS」の 張芸謀(チャン・イーモウ) 。日本スタッフは「鉄道員(ぽっぽや)」、「ホタル」などで多くの高倉健作品を手がけた降旗康男(ふるはた・やすお)。主演は高倉健。共演者に中国側から邱林(チュー・リン)、李加民(リー・ジャーミン)楊楊 (ヤンヤン)。日本側からは寺島しのぶ。中井貴一 (声のみ出演)。

単騎、千里を走る。

単騎、千里を走る。 あらすじ

映画『単騎、千里を走る。』のあらすじを紹介します。

漁村で静かに暮らす高田剛一(高倉健)に、妻の理恵(寺島しのぶ)から電話があり、息子の健一(声:中井貴一)が重病で父親に会いたがっているという連絡を受け、久々に彼は東京へと向かう。しかし入院している健一は、長年に渡る確執から剛一に会うことを拒んでいた。落胆し病院を去ろうとする剛一に、理恵はビデオテープを渡す。テープを再生した剛一は、息子が中国において千年以上に遡る、宗教的儀式としての演劇の研究を進めていたことを知る。

有名な俳優の李加民(リー・ジャーミン)の舞踏を見るために、はるばる中国南部の雲南省へ渡った健一だったが、その時、リーは病気のために歌を披露することができず、翌年再び健一が雲南省を訪れた折りに、「三国志」に由来する仮面劇「単騎、千里を走る」を披露してくれる事を約束していた。

しかし余命幾ばくもない病床の息子には叶わない約束だった。剛一は息子の果たせなかった仕事を成し遂げるため、リーの舞踏をビデオに撮影しようと中国の麗江市へ一人旅立つ。現地での手掛かりは、舞踏家リー・ジャーミンという名前のみ。そして高田の道案内をする邱林(チュー・リン)は殆ど日本語が話せず何も進まない状況が続く。言葉が理解出来ないところから生まれるもどかしさに苛立ちを隠しきれない剛一は、やっとの思いでリーの許に辿り着くことが叶ったが、そこは些細な事件で彼が収監されている刑務所だった。複雑な手続きの下で受刑者たちの演奏付きの公演となるもリーは歌おうとしない。彼は生き別れになった息子ヤン・ヤンのことを思うと、「単騎、千里を走る」を舞うことができないと云う。息子に一目会いたいと泣きながら懇願するリーに、剛一はやむなく麗江の奥地にいるというヤン・ヤンを迎えに行くことを決意する。

単騎、千里を走る。 評価

  • 点数:85点/100点
  • オススメ度:★★★★☆
  • ストーリー:★★★★☆
  • キャスト起用:★★★★★
  • 映像技術:★★★★★
  • 演出:★★★★★
  • 設定:★★★★☆

作品概要

  • 公開日:2005年
  • 上映時間:92分
  • ジャンル:ヒューマンドラマ
  • 監督:チャン・イーモウ、降旗康男
  • キャスト:高倉健、中井貴一、寺島しのぶ、リー・ジャーミン etc

単騎、千里を走る。 批評 ※ネタバレ

映画『単騎、千里を走る。』について、2つ批評します。※ネタバレあり

中国の雲南省の風景が高倉健を浮き立たせた佳作

高倉健に憧れずっと彼の映画を撮りたかったというチャン・イーモウの作品。監督の狙い通りと言った感じで、中国の大地に佇んでいるだけで健さんは絵になってしまう。そして日本語が殆ど理解出来ない中国人ガイドとの、不思議と噛み合っている二人の掛け合いが、作品の中で良いアクセントになっている。泣かせる話と笑えるエピソードを織り交ぜながら、言葉と国境も越えて友情を育んでいくロードムービー的な作風は、健さんの遺作である「あなたへ」にも少なからず影響しているのではないだろうか。寡黙な健さんのイメージはそのまま活かしながら、見知らぬ土地で積極的に人々と触れ合い、携帯電話やデジカメをいじり回し奮闘する場面にも、高倉健という役者の新味が出てユニークな表情を引き出している。こういった純朴な話は日本を舞台にすれば難しかっただろうが、中国の雲南省という原風景の中で生きる人々と共に、素朴にそして美しく描かれている。正直、日本での夫婦や親子関係はテロップの扱いでも良かった気がするが、そうはいかないのが映画というものだろう。

外国人との交流

改めて中国は広いというスケールを実感する。国際問題などで政治家同士がいがみあったり、一部の人間が上辺だけのネットで口論しているのを見聞きする度に辟易とするのだが、そういった民族同士のややこしい話ではなく、どこの国でも肉親の愛情は変わらないという純朴な話を見せてもらうと、その国に愛着さえ感じてしまうのは、果たして単純だと一言で片づけられるものだろうか。確かに現実ではそのような問題を避けられないところで我々は生きているかも知れないが、それならばこういった映画を撮る人の意義はどう受け止められるというのか。光の当たる部分しか見ないのか、それとも闇の部分しか見ないのか。本作の中でも言葉の隔たりという部分に大きな焦点が当てられているが、それでも通じ合うものはあるはずだという事を、監督は言っているのではないだろうかとも感じるのである。

まとめ

中国の巨匠チャン・イーモウ監督と、彼が尊敬して止まない高倉健との夢のコラボが実現した感動の一作。単身で中国の撮影隊に加わった高倉健の映画に掛ける意気込みには大いなる役者魂を感じるものである。こういった作品のメッセージ性というものは自然の風景にかき消されてしまう部分が多いのだが、その風景を切り取ったシーンの礎になっている作者や演技者の意識を、受け取る側はもっと感じなければならないだろう。そうすれば映画はもっと面白く感じられるのではないだろうか。

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