この記事では、映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』の作品情報
出典:U-NEXT
製作年 | 2001年 |
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上映時間 | 89分 |
ジャンル | アニメ コメディ ファミリー アドベンチャー |
監督 | 原恵一 |
キャスト | 矢島晶子 ならはしみき 藤原啓治 こおろぎさとみ |
製作国 | 日本 |
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』の登場人物(キャスト)
- 野原しんのすけ(矢島晶子)
- 5歳のおバカな園児。野原家の長男であり、みさえとひろしの子供。いつもはおバカなことばかりしているが、大人達がおかしくなってからは、ひまわりの面倒を見るというお兄ちゃんらしい面も見せる。
- 野原ひろし(藤原啓治)
- 野原家の大黒柱で、しんのすけの父。オトナ帝国に連れて行かれ我を忘れてしまうが、強烈な足の臭いが吉となり、子供に戻る「匂い」を嗅いでも正気を保てるようになる。
- 野原みさえ(ならはしみき)
- 野原ひろしの妻でありしんのすけの母。いざという時最も頼りになる最強の母であるが、ひろしと同じく我を忘れてしまう。ひろしの足の臭いで元に戻った後は、その大きい尻を武器に大人達を撃退する。
- ケン(津嘉山正種)
- イエスタデイワンスモアの幹部。20世紀博で懐かしい「匂い」を作り出し、大人達の懐古心を利用してオトナ帝国を作る計画を立てる。チャコという恋人と共に計画を遂行するが、野原家の未来を守るという奮闘にことごとく阻まれる。
- チャコ(小林愛)
- イエスタデイワンスモアの幹部であり、ケンの恋人。20世紀復興計画をケンと共に遂行する。ポーカーフェイスだが、たまに人間らしい一面も見せる。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』のネタバレ・あらすじ(起承転結)
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』のあらすじ【起】
野原しんのすけは、両親のみさえ、ひろし、そして妹のひまわりと共に万博に来ていた。すると、突如巨大な怪獣が現れ場内には避難勧告が流れる。逃げ惑う人々の中で、野原一家は万博防衛隊へと変身し戦闘態勢に入る。一人戦闘機に乗るひろしは、巨大に変身し怪獣と戦う。しかし、ひろしだけが活躍することに我慢できないしんのすけは、思わず参戦してしまう。と、ここで撮影カットの声がかかる。これは、20世紀博の施設の1つであったのだ。
野原一家が訪れた20世紀博とは、大人達が昔を懐かしみ楽しむことのできる興行施設である。子供を預けた後は、懐かしい広場でメンコや縄跳びで遊ぶ。そして、給食を真似たレストランで食事をする。春日部中の大人達がこの20世紀博に夢中になっていた。
帰宅する野原一家の車内では、昭和の曲が流れている。それどころか、街中で見かけるものは昔の車や昔のファッション、昔のレコード販売など昔のものだらけになっていた。
その夜、20世紀博からモノクロ映像でお知らせが入る。”明日の朝、愉快に過ごしましょう”という短いメッセージのみだった。変だと思うしんのすけだったが、みさえとひろしは突然子供のように豹変してしまうのであった。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』のあらすじ【承】
イエスタデイワンスモアの幹部、ケンとチャコ。二人は、大人達が子供に戻ってしまう「匂い」を充満させ、現実の21世紀を終わらせようとしていた。
子どもの心に戻った大人達は、20世紀博に向かうトラックに乗り走り去ってしまう。そして、街には子ども達だけが取り残される。
春日部防衛隊である風間くん、まさおくん、ボーちゃん、ネネちゃん、そしてひまわりを背負うしんのすけもまた、街に取り残されていた。その夜、大人の消えた真っ暗闇の春日部の街に、一本のラジオ放送が入る。イエスタデイワンスモアのケンからである。大人達は「匂い」によって子どもに戻っていること、そして明日迎えの車に乗れば両親に会えるが、来なければ反抗分子として捉えられてしまうという内容が伝えられる。
翌朝、街の子ども達はイエスタデイワンスモアに従い車に乗り込む。一方、従っても両親に会わせてもらえないという風間くんの言葉に納得した春日部防衛隊。6人は迎えの車には乗らず、追っ手から逃げることを決意する。
そして翌朝、ケンとチャコ、そして子どもに戻った大人達が反抗分子を捕らえにくる。その中には、ひろしとみさえの姿もあった。二人に見つかった春日部防衛隊は、あらゆる方法で街中を逃げ回るのであった。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』のあらすじ【転】
ボーちゃんの提案で、幼稚園バスを運転して逃げることを決める6人。力を合わせてバスを動かす6人であったが、ケンの愛車に突っ込んでしまう。切れたケンは、大人達全員にバスを追うよう指示するのであった。
やがて、しんのすけ達は大人から逃げ回る中で20世紀博へ向かっていたことに気付く。大人達を戻すためにも、20世紀博に突入することを決意する。
そして、6人はバスのまま20世紀博に乗り込む。そこで、しんのすけとひまわり、シロ以外は大人達に捕まってしまう。
なんとか逃げ出したしんのすけは、シロが嗅ぎ分ける道を頼りにみさえとひろしを探す。すると、一つの扉の前に辿り着く。EXPO70と書かれたその扉に入ると、小さい頃のひろしとその両親が居るのである。
両親に月の石を見たいとごねる幼きひろし。そんなひろしを見て、しんのすけは静かに”父ちゃん、迎えに来たよ”と声をかける。そして、大人達は「匂い」のせいで子供に戻っているというケンの言葉を思い出したしんのすけ。ひろしのトレードマークでもある臭い靴を脱がせ、幼きひろしに嗅がせるのであった。
靴の「匂い」により、ひろしは自分が歩んできた人生を思い出す。みさえとの出会い、家を建てた時やしんのすけが生まれた日など、野原一家での幸せな日常を思い出していく。大人の姿で目覚めたひろしは、目の前のしんのすけを力の限り抱きしめるのであった。
ひろしの靴の「匂い」により、正気を保てることに気づいた野原一家。みさえも取り戻した一家の前に、一連の流れを見ていたケンが現れる。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』の結末・ラスト(ネタバレ)
野原一家に興味を持ったケンは、自分が作り出した20世紀の街へ一家を連れていく。そこでは、懐古心を持つ大人達が、昔のように生活をしているのであった。
そこで野原一家は、「匂い」レベルが最大まで上がっていると知る。そして、タワーの頂上から「匂い」を一斉に放出し、21世紀を終わらせるという作戦をケンから聞かされる。未来を守るため、野原一家はタワーへ向かって走り出す。
タワーへ到着した野原一家は、全員で駆け上っていく。しかし、追っ手に阻まれ、最後はしんのすけ一人が登り続けていた。
ボロボロになりながらも、頂上に辿り着くしんのすけ。そこには、「匂い」を街中に解放させようとするケンとチャコの姿がある。必死にしがみつくしんのすけだが、ケンに振り払われてしまう。
そして、ついに「匂い」が解放されるその時、ケンは街中の「匂い」レベルが下がってしまったことに気づく。街の住人達もまた、野原一家の必死で未来を守る姿を見ていたのだ。
終わりを悟ったケンとチャコ。タワーから飛び降りることを決意するが、またしてもしんのすけに阻まれる。
元に戻った大人達を乗せたトラックが、春日部の街へと帰ってくる。そして、野原一家もまた我が家へ帰るのであった。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』の考察・解説(ネタバレ)
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』は、なぜ親が観ると号泣すると言われるのか?
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』は、昭和の時代を舞台に、大人たちが過去の思い出に心を奪われてしまう様子を描いた作品です。物語の中で、しんのすけの両親であるひろしとみさえも、昭和の懐かしい雰囲気に魅了され、現実の世界から逃避してしまいます。特に、ひろしが自分の子供時代の思い出を語りながら涙を流すシーンは、親世代の観客の心に深く響くものがあります。
この映画が親を泣かせる理由は、過去の思い出や家族の絆の大切さを強調しているからだと言えるでしょう。多くの大人たちは、日々の生活に追われる中で、子供の頃に抱いていた純粋な気持ちや夢を忘れがちです。しかし、しんのすけの一生懸命な姿を目にしたひろしとみさえは、「今、家族と一緒に過ごすことの尊さ」を再認識するのです。親たちは、家族との時間や子供たちとの思い出こそが何よりも大切なのだと気づかされ、感動の涙を流すのです。
この作品は、一見すると子供向けのアニメーションですが、実は親世代に向けて「家族の絆」や「今を大切に生きること」のメッセージを強く訴えかけています。そのメッセージ性の高さが、多くの親たちの心に深く響き、号泣する要因となっているのです。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』の「ずるいぞ」の深い意味とは?
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』で、しんのすけが父ひろしに向かって叫ぶ「ずるいぞ」という言葉には、深い意味が込められています。このシーンでは、ひろしがオトナ帝国の影響で過去の思い出に心を奪われ、現実から逃避しようとしています。それに対して、しんのすけは「ずるいぞ」と叫ぶのです。
この「ずるいぞ」という言葉には、しんのすけの強い想いが込められているのです。しんのすけにとって、ひろしは常に頼れる父親であり、家族を支える大切な存在です。しかし、ひろしが現実を直視せずに逃げ出そうとすることで、しんのすけは「家族の絆」が失われてしまうことを恐れているのです。「ずるいぞ」という言葉には、そんなひろしへの失望と、家族としてのきずなを取り戻したいという強い願いが込められているのです。
また、この言葉には「現実から目をそらして過去にばかり浸っていては、今を生きる人々が傷つく」というメッセージも含まれていると考えられます。しんのすけは、ひろしに逃げずに現実と向き合い、家族と正面から向き合ってほしいと願っているのです。このシーンは、家族の絆や今を大切に生きることの重要性を強く訴えかけているのです。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』でチャコは不妊だったのか?
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』の中で、チャコが不妊であるかどうかは明確には描かれていません。しかし、物語の随所に、彼女が「子供を持つことができなかった」ことを示唆するシーンが散りばめられています。チャコは、ケンと共にオトナ帝国を作り上げ、大人たちが過去の思い出に浸ることで現実から逃避できる世界を築き上げます。
物語の中で、チャコがしんのすけに対して母親のような態度を見せる場面があることに注目すべきでしょう。彼女は、しんのすけに優しく接し、彼が危険に晒される場面では、まるで母親のように彼を守ろうとするのです。このことから、チャコには母性本能があるものの、実際に子供を授かることができなかったのではないかと推測できます。
また、チャコが「オトナ帝国」という理想郷を作り上げた背景には、自身の未練や叶えられなかった夢を現実逃避の形で表現したいという思いがあったのかもしれません。彼女は、過去に囚われた大人たちを集めることで、失ってしまったものを取り戻そうとしていたのかもしれないのです。
チャコが不妊だったかどうかは明言されていませんが、彼女の言動や行動からは、そのような事情を匂わせる描写がいくつも見受けられるのです。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』の当時の反応は?
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』は、公開当時、多くの観客から絶賛されました。子供向けアニメとして知られる『クレヨンしんちゃん』シリーズの中でも、この作品は特に深いテーマと感動的なストーリーが話題を呼び、大人の観客からも高い評価を得たのです。
物語の中で描かれる「懐かしさに心を奪われる大人たち」の姿や、しんのすけが家族を救うために奮闘する様子は、多くの人々の共感を呼びました。特に、主人公しんのすけの父・ひろしが過去の思い出に涙するシーンは、親世代の観客の心を大いに揺さぶり、感動を呼ぶ名場面となりました。
また、この映画は『クレヨンしんちゃん』シリーズの中でも異色の作品と位置づけられ、単なるコメディアニメに留まらず、深遠なテーマを扱った作品として高く評価されました。アニメ映画としては珍しく大人向けのメッセージが込められており、子供だけでなく大人も楽しめる内容であったことから、多くのメディアや評論家から称賛の声が上がったのです。
この作品は、公開から年月が経った今なお、「クレヨンしんちゃん」の名作として語り継がれ、多くの人々に愛され続けています。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』でケンとチャコはなぜオトナ帝国を作ったか?
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』の中で、ケンとチャコが「オトナ帝国」を作り上げた理由は、現代社会に対する失望と、大人たちが抱える現実の問題からの逃避にあります。彼らは、昭和の時代の懐かしい思い出を「オトナ帝国」として再現することで、過去の美しい記憶に浸りたいという願望を抱いていたのです。
ケンとチャコは、昭和時代こそが理想的な世界だと考え、その時代の音楽や文化、雰囲気を再現することで、大人たちを過去の思い出に引き込み、現実から逃避させようとしました。彼らは、現代社会のストレスや問題に疲れ果てた大人たちの「過去の楽しかった時代に戻りたい」という欲求を巧みに利用し、「オトナ帝国」という夢の世界を作り上げたのです。
彼らの真の目的は、大人たちを昭和の思い出に縛り付けることで、現実の世界を破壊し、新しい秩序を打ち立てることにありました。ケンとチャコは、自分たちが理想とする世界を実現するために、過去の記憶に囚われた大人たちを利用し、子供たちの存在を排除しようとしたのです。
しかし、彼らの野望は、しんのすけと彼の家族の愛と絆によって阻止されます。しんのすけの勇気と家族の絆は、ケンとチャコが求めた「理想の世界」とは真逆の、本当に大切なものが何であるかを教えてくれるのです。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』の海外の反応は?
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』は、海外でも高い評価を得ています。特にアニメファンや映画評論家の間では、子供向けアニメでありながら大人の心に訴えかける深いテーマを扱っている点が注目されました。この映画は、単なるギャグアニメに留まらず、社会的なメッセージ性を持った作品として認識されたのです。
海外の観客は、昭和時代の日本文化や風景に興味を示し、その中で描かれるノスタルジーと現実の葛藤に共感を寄せました。また、しんのすけが家族を救うために奮闘する姿や、ひろしとみさえの夫婦愛、家族の絆が力強く描かれている点も、多くの国で共感を呼びました。
特に、家族の絆をテーマにした物語や、過去と現在の対比が、国境や文化の垣根を越えて理解されやすく、心に響く内容として受け入れられたのです。子供向けアニメでありながら、大人も楽しめる深いテーマと感動的なストーリーが、海外の観客からも強い支持を集めました。
さらに、この映画はアニメ映画としての質の高さや演出の巧みさも高く評価されており、海外の映画祭やアニメイベントでも注目を集めました。結果的に、世界中で『クレヨンしんちゃん』の知名度が上昇し、シリーズ全体の評価をさらに高める一助となったのです。
みんなの感想・レビュー
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この映画を見ると人にやさしくなれる気がします。
今までの映画クレヨンしんちゃんシリーズの中で一番泣いた作品です。
舞台は突如埼玉の春日部市にできた万博。
筆者の私は20代の平成生まれなので”万博”と聞いて懐かしい!とは思いませんが、何処か子どもの頃に帰った気がしましたね。
クレしんワールドならではのギャグシーンが数々入っているのにこんなにもアニメに泣かされるとは思いませんでした。
やはり見どころは最後野原家が一致団結してしんのすけをタワー最上階へ送り届けるシーンですね!しんのすけはただ敵を追いかけているのではなく、家族・友達の未来を救うべく身を削るシーンは未だに心揺らされます。
心が洗われる名作です!
クレヨンしんちゃんだからといって、アニメ映画だからといって侮ってはいけない。間違いなく名作中の名作に仕上がっている。普段は子供向けのアニメだけれど、この作品が胸を打つのは昭和を生きた世代だ。出てくるものが懐かしいというよりも「大人だって子供の頃があった」という当たり前の切なさを訴えてくる。また、ノスタルジーを刺激しつつ、同時に今を大切にする、今と向き合うことも教えてくれるのだ。懐かしいだけの映画では、決してない。
そんな気持ちのまま、最後天童よしみの歌が流れる頃には涙腺が崩壊していること間違いなしである。
①オトナでなくとも
クレヨンしんちゃんの中でも傑作と名高い作品なだけあって、細部への作りこみがすごい。言葉で読むよりはもう見るよう勧めるしかでいないのだが、音楽から小道具に至るまでとにかく20世紀を、つまり昭和を意識しているのだろう。スタッフが「ここまでやるんですか」といい、監督が「うるさいやるんだよ」と返したという逸話があるそうだが、うなずくしかない。
私自身はこの20世紀の描写がすべてわかるほどの年齢ではないのだけれど、それでもノスタルジーを感じずにはいられなかった。これが私の親世代ともなると、もうそれはそれはひろしやみさえ並みにのめり込むに違いない。だからといって子供でも十分に楽しめるだけの魅力があるのがクレヨンしんちゃんの良いところだ。ぜひ2世代、3世代で観たい映画だ。
②メッセージ性
今一生懸命働いている大人だって、ヒーローに憧れたり、かっこつけていた頃が、魔法少女に憧れていた頃がある、という当たり前だけれどなかなか誰も叫んでくれないメッセージが胸を打つ。子どもの時代に戻りたいといつも思っているような人は少ないかもしれないが、時折ふと強烈に帰りたくなることは誰にでもあるだろう。そういった、失ってしまった二度と戻らないものの輝きがちりばめられている。
ひろしとみさえが、「しんのすけとひまわり」という今あるものの大切さを思い出して過去を振り切るのも素晴らしいし、また、最後あきらめて死のうとしたケンとチャコに対して勘違いではあるが「ズルイぞ!!」というしんのすけの言葉もまた刺さる。まさにクレヨンしんちゃんだからこそ、描けた切なさの世界だと言える。