この記事では、映画『イディオッツ』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説しています。また、累計10,000本以上の映画を見てきた映画愛好家が、映画『イディオッツ』を見た人におすすめの映画5選も紹介しています。
映画『イディオッツ』の作品情報
上映時間:117分
ジャンル:ヒューマンドラマ
監督:ラース・フォン・トリアー
キャスト:ボディル・ヨルゲンセン、イェンス・アルビヌス、アンヌ・ルイーセ・ハシング、トレルス・リュビュー etc
映画『イディオッツ』の登場人物(キャスト)
- カレン(ボディル・ヨルゲンセン)
- たまたま居合わせたレストランでイディオッツの面々を目撃し、以来行動を共にする女性。イディオッツを通じて自己を解放していく。
- ストファー(イェンス・アルビヌシュ)
- イディオッツのリーダー。普段は冷静沈着なまとめ役だが、時に誰も止められないほどの癇癪を起こすことがある。
映画『イディオッツ』のネタバレあらすじ(起承転結)
映画『イディオッツ』のあらすじ【起】
カレンはある日、たまたま入ったレストランで障がい者の集団に遭遇する。彼らは奇声を発しながらレストラン内を歩き回り、周囲の客たちは不快な表情を隠そうともしなかった。
障がい者の一人ストファーになつかれたカレンは、彼らを退店させようとするウェイターをなだめ、彼らと共に店を出る。
介助者の女性と共に施設までタクシーで移動する間、彼らについていくカレンだったが、タクシーに乗り込んだ途端彼らは態度を一変。実はレストランでの挙動はすべて演技だったのだと知り、カレンはショックを受ける。
障がい者を演じる集団「イディオッツ」のメンバーはその後、工場見学と称し近くの工場を訪ねる。帰るタイミングを逸したカレンもそのあとをついていくが、再び障がい者の演技を始めた彼らに不快感を覚えた。
彼らの目的は人間の真理を浮き彫りにさせること。障がい者と聞いただけで人は顔をしかめてみせたり理解を示すフリをする。そんな人間の愚かさを露呈させることがイディオッツのリーダー、ストファーの目的だった。彼らの行動に不快感を覚えながらも、カレンも彼らと共に行動し始める。

映画『イディオッツ』のあらすじ【承】
イディオッツのメンバーは皆、ストファーが伯父から借りている別荘に拠点を置いている。カレンも彼らとの共同生活を開始する。
ある日、別荘を買いたいと申し出る夫婦が訪ねてくる。ストファーは快く応対し、別荘の中を案内する。夫婦は別荘を気に入った様子で、購入の手続きへ進もうとするが、そこでストファーが「近所に障がい者施設がある」と告げると表情を一変させる。
夫人は何とか取り繕い障がい者に理解があるフリをする。そこでストファーは「実は今、彼らが訪ねてきてる。会って行かれては?」と提案し、障がい者を演じるイディオッツの面々を夫婦に引き合わせる。夫婦は苦笑いしつつ足早にその場を去って行った。
彼らと行動を共にするうちに、障がい者への人々の態度にショックを覚え、次第にイディオッツの活動に惹かれ始めていくカレン。彼女の悩みは、これまでずっと自己を抑制し、自分らしく振る舞ってこられなかったことだった。
ある日、メンバーが些細なことで揉めていると、窓際で誰かの呻き声が聞こえる。彼らが向かうと、そこには解き放たれたような様子で窓辺に座り、障がい者を演じるカレンの姿があった。その日から彼女は正式にイディオッツのメンバーとなる。
映画『イディオッツ』のあらすじ【転】
ある日、彼らの住む別荘に市役所から職員が訪ねてくる。ストファーが応対すると、市役所の用件は「障がい者たちを隣の市へ移動させれば、市から補助金を出す」という内容のものだった。
職員は障がい者の面倒を見るストファーに労いの言葉をかけ、決して悪い話ではないと笑みを浮かべる。その提案にストファーは激怒。職員に向かって怒鳴り散らし、別荘を追い出す。
それでも怒りの治まらないストファーは、走り去る車のあとを追いかけ、服を脱ぎ全裸で襲い掛かる。彼の後をイディオッツのメンバーが追う。どうにかしてストファーを連れ戻したメンバーたちだったが、癇癪を起こしたストファーは止めようがなく、仕方なく拘束具で縛りつけた。
翌日、平静を取り戻したストファーのためにメンバーはパーティーを開く。「何でも好きなことをしていい」と言われ、乱交パーティーがしたいとストファーは提案する。メンバーは次々に服を脱ぎだし、障がい者を演じながらあちこちでセックスをする。若いメンバーのイェップとジョセフィーヌは、お互いの心にある純粋な愛情を確認し合った。
映画『イディオッツ』の結末・ラスト(ネタバレ)
翌日、ジョセフィーヌの父が彼女を連れ戻しに訪れる。彼女は精神衰弱に陥っていたところをイディオッツのメンバーに救われたのだった。そのことを必死に説くジョセフィーヌだったが、父親は聞く耳を持たず、半ば無理やりに彼女を連れ歩き出す。
彼女を乗せた車が走り去ろうとする直前、イェップが車の前に立ちはだかり彼女を取り戻そうと抵抗する。しかし、ストファーはそんな彼を止め「家族は止められない」と告げる。走り去っていく車を見て慟哭するイェップ。その日から、メンバー内に軋轢が生じ始める。
徐々に険悪になっていくメンバー内の空気に、ストファーは苛立っていた。彼は何とかしてバラバラになった心を再び戻せないかと方法を模索し続ける。
そうして彼が辿り着いた結論が「メンバーの一人一人が、愛する家族の前で障がい者を演じる」というものだった。その試験を経た者を正式なメンバーとして採用するという彼の提案に、メンバーは異を唱える。
彼の提案に付き合いきれず、メンバーは次々にイディオッツを去って行く。そして遂にカレンの番がやって来る。介助人役を連れ、実の家族のもとへ向かうカレン。そして愛する家族たちの前で彼女は、奇声を発しながら障がい者のフリをし始めるのだった。
映画『イディオッツ』の感想・評価・レビュー(ネタバレ)
本作は、自らが知的障害者のふりをして周囲の人々の偽善を暴こうとする集団グループ「イディオッツ」の物語。
健常者が障害者のふりをするという、倫理観の欠如した不快極まりない内容だ。
しかしラストで、家族の前で障害者のふりをしたら本当のグループの一員として認めるというテストで次々と脱落者が出る中、カレンだけが障害者のふりをし始めるシーンは鳥肌が立った。それと、彼女が集団に入ったきっかけの部分をもっと知りたかった。
理解できるものではないが、鮮烈な印象を残す作品。(女性 20代)
私は、私自身のことをしっかり理解してあげられているのか不思議な気持ちになる作品でした。この作品に出てくるのは、コミュニケーションが取れない「障がい者」のフリをして食い逃げや、異常な行動をし、社会を挑発する集団。彼らが言いたいことはなんとなく理解はできます。「普通のフリをして本当の欲望や欲求を抑え、自由に生きないことは幸せなのか?」そう訴えているのだと思いました。しかし、私が感じたのは「彼らは本当に自由に生きているのか?」ということです。
何をしても咎められないと言うのは自由でもなんでもありません。
価値観というのは人それぞれですが、彼らとはかなり違いを感じました。なんとも言えない気持ちになります。(女性 30代)
ラース・フォン・トリアーらしい挑戦的な内容で、観ていて終始不安定な気持ちになりました。知的障害を「演じる」グループの行動に嫌悪を覚えつつ、社会の常識とは何かを突きつけられる。特にカレンのラストの決断には息を呑みました。観終わったあとに「これは感動だったのか、それとも不快だったのか」と自問する、そんな映画体験でした。(30代 女性)
正直、最初は戸惑いました。登場人物たちがふざけているようにしか見えず、何を伝えたい映画なのか分かりませんでした。でも、観進めるうちに「常識」や「社会の目」を揶揄していることがわかり、むしろ深く刺さってきました。特に最後のシーン、カレンが自身のトラウマに向き合い、社会のルールから解き放たれる姿に感情が揺れました。(20代 男性)
ダークで衝撃的な内容でしたが、それ以上に「自由とはなにか」を問われているような気がしました。社会に順応し生きることと、自分の本音に正直に生きることの間で揺れる若者たちの姿がリアルに描かれていたと思います。あの生々しいカメラワークもリアリティを増幅していて、感情をかき乱されました。人におすすめはしづらいけど、忘れられない映画です。(40代 男性)
最初から最後までかなり過激でショッキングな作品ですが、その挑発的な作風に惹かれてしまいました。知的障害を演じるという設定は危険と隣り合わせですが、そこにこそ本作の問題提起がある。人間の「演技性」や「弱さ」をあぶり出していく構成が見事でした。カレンが自宅で「スパッツィング」するクライマックスは涙が止まりませんでした。(30代 男性)
人によっては不快感しか残らないかもしれません。でも私はこの映画を観て「社会の枠組みの中で生きている自分」が揺さぶられました。人間の本性、集団心理、抑圧と解放のせめぎ合いがリアルで苦しかったです。ラース・フォン・トリアー監督のやり方は乱暴にも感じますが、だからこそ観る価値がある。強烈に脳裏に焼き付く映画でした。(50代 女性)
「ドグマ95」による不自然なほど自然な演出に最初は戸惑いましたが、次第にそれがリアルさを際立たせていくのが分かりました。イディオットたちの行動は狂っているようで、どこか純粋さもある。社会のルールや建前を壊すことで見えてくる“真の人間性”に気づかされた気がします。衝撃的なのに、妙に感動してしまいました。(20代 女性)
まるで社会実験のような映画でした。健常者が知的障害を装うというタブーを扱いながらも、なぜか滑稽で、同時に悲しくなる場面が多かった。観ている自分自身が「これは笑っていいのか? 怒るべきなのか?」と試されているような気分になり、映画と向き合うというより、自分自身と向き合わされる作品でした。賛否両論になるのも納得です。(60代 男性)
観る人を選ぶ映画ですが、私は圧倒されました。画面に映る全てがリアルすぎて、フィクションを観ている感覚がなくなっていく。人間の持つ「逸脱願望」や「同調圧力」への反抗が、暴力的なほどストレートに描かれています。カレンが最後に自宅で踏み出す一歩は、彼女なりの「生きることの再出発」だったと思います。(40代 女性)
映画『イディオッツ』を見た人におすすめの映画5選
ドッグヴィル(原題:Dogville)
この映画を一言で表すと?
舞台装置を排したセットで描かれる、極限状態における人間のエゴと暴力。
どんな話?
逃亡中の女性グレースは、小さな町ドッグヴィルに匿われる。恩を感じた彼女は町に貢献しようとするが、次第にその善意は搾取に変わっていく…。人間の本質をむき出しにする、衝撃の寓話劇。
ここがおすすめ!
『イディオッツ』同様、ラース・フォン・トリアー監督による作品で、観る者の倫理観と感情を強烈に揺さぶる内容。ミニマルなセットとナレーション中心の演出が独特の緊張感を生み出し、人間の“本性”と向き合わされます。
エレファント(原題:Elephant)
この映画を一言で表すと?
日常の延長線上で突然起きる惨劇を、静かに淡々と描いた問題作。
どんな話?
ごく普通の高校の日常をスローペースで描きながら、やがて起こる校内銃乱射事件に静かに接近していく。セリフや説明を排除し、観る者に「なぜ?」を考えさせる、詩的かつ冷酷な青春群像劇。
ここがおすすめ!
ガス・ヴァン・サント監督の長回しや静かな演出が、むしろ不穏さを際立たせます。『イディオッツ』と同様に、観客の感情に寄り添わない“突き放し型”の作品でありながら、強烈な余韻を残します。
ファニーゲーム U.S.A.(原題:Funny Games U.S.)
この映画を一言で表すと?
観客の“娯楽”を逆手に取った、サディスティックで挑発的なメタ映画。
どんな話?
休暇に訪れた一家が、突然訪ねてきた若者2人に理不尽な暴力ゲームを強要される。残酷な展開と、観客への皮肉に満ちた演出で、人が「暴力を観たい理由」を暴き出す、衝撃の心理スリラー。
ここがおすすめ!
マイケル・ハネケによる本作は、『イディオッツ』と同様、映画というメディアの道徳性そのものに疑問を投げかけてきます。作中の登場人物が“画面の外”を意識する演出は、あなたの鑑賞体験を破壊するでしょう。
裸のランチ(原題:Naked Lunch)
この映画を一言で表すと?
現実と幻覚が溶け合う、意識の奥底を旅するサイケデリック・トリップ。
どんな話?
殺虫剤中毒の男が、作家としての自我崩壊と幻覚の中で“別世界”に迷い込む。言語が壊れ、論理が崩れ、観客もまた彼とともに現実の歪みを体感する、異色の文学的映像体験。
ここがおすすめ!
デヴィッド・クローネンバーグ監督の独創性が爆発した本作は、精神の内面世界を映像化したような作風。『イディオッツ』のように、意図的に混乱を招く構成と、倫理や常識を無視した表現が共通しています。
サローヤ、または120日間のソドム(原題:Salò o le 120 giornate di Sodoma)
この映画を一言で表すと?
極限の支配と堕落を描いた、映画史上最も観るのがつらい問題作。
どんな話?
ファシズム支配下のイタリアを舞台に、権力者たちが少年少女を監禁し、肉体的・精神的に支配・蹂躙する120日間を描く。暴力、屈辱、権力と性の濃密な描写に満ちた衝撃作。
ここがおすすめ!
パゾリーニ監督の遺作でもあるこの映画は、観る者に激しい嫌悪と問いを残します。『イディオッツ』の倫理を逆撫でするような衝動がさらに加速したような内容で、“観ること”の覚悟を問われます。
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