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映画『沈黙 サイレンス』のネタバレあらすじ結末と感想

映画『沈黙 サイレンス』の概要:キリシタン弾圧について書かれた遠藤周作の小説『沈黙』を、マーティン・スコセッシ監督が2016年に映画化した作品。スコセッシ監督が30年近く前から構想を練っていたというだけあって、巨匠の底力を見せつける重厚な作品に仕上がっている。

映画『沈黙 サイレンス』の作品情報

沈黙 サイレンス

製作年:2016年
上映時間:162分
ジャンル:歴史、ヒューマンドラマ
監督:マーティン・スコセッシ
キャスト:アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライヴァー、浅野忠信、キアラン・ハインズ etc

映画『沈黙 サイレンス』の登場人物(キャスト)

セバスチャン・ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)
ポルトガルのイエズス会の神父。日本では司祭と呼ばれる。師であるフェレイラ神父の消息を確かめるため、危険を冒して日本へやってくる。
フランシス・ガルペ(アダム・ドライヴァー)
ロドリゴ神父とともに日本へやってきた神父。ロドリゴ神父よりも、感情的な一面がある。
クリストヴァン・フェレイラ(リーアム・ニーソン)
日本で15年間もキリスト教の布教活動をしていたが、幕府の激しい弾圧により、棄教を余儀なくされる。貿易商人に最後の手紙を託し、消息不明となる。
キチジロー(窪塚洋介)
長崎の五島の村出身のキリシタン。海を漂流中にポルトガル人に助けられ、マカオにいた。ロドリゴ神父たちの案内人として、日本に帰ってくる。家族は踏み絵を拒否して火あぶりにされたが、キチジローは踏み絵を踏んで生き残っていた。
井上筑後守(イッセー尾形)
長崎奉行所の大名。一見温厚そうな老人だが、キリスト教弾圧のためなら手段を選ばない男で、キリシタンから恐れられている。
通詞(浅野忠信)
長崎奉行所に捕まったロドリゴ神父の通訳を務める男。英語は、ポルトガル人の神父に習った。フェレイラ神父のこともよく知っている。
モキチ(塚本晋也)
長崎の寒村のキリシタン。ロドリゴ神父を司祭として敬い、彼らに尽くす。自分の死を覚悟し、木彫りの小さな十字架をロドリゴ神父に託す。
ジュアン(加瀬亮)
五島で捕まった貧しいキリシタン。ジュアンは洗礼名で、本名はチュウキチ。キリスト教を信仰すれば、天国という飢えや苦しみのない世界へ行けると信じている。

映画『沈黙 サイレンス』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)

映画『沈黙 サイレンス』のストーリー(あらすじ)を結末・ラストまでわかりやすく簡単に解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『沈黙 サイレンス』のあらすじ【起】

1633年、長崎県の雲仙。キリスト教布教のため、ポルトガルからやってきたイエズス会のフェレイラ神父は、長崎奉行に捕らえられ、棄教を迫られていた。長崎奉行は、修道士4名を磔にし、熱湯を浴びせるという拷問をフェレイラ神父に見せる。修道士たちは福音を捨てることを拒み、拷問によって命を落としていく。

それから数年後。フェレイラ神父の最後の手紙がポルトガルに届く。その手紙によると、フェレイラ神父は棄教し、日本人として暮らしているらしかった。彼を師と仰ぐロドリゴ神父とガルペ神父は、彼の消息を確かめるため、日本への渡航を志願する。年長の神父は「危険すぎる」と止めるが、若い2人は使命感に燃えていた。

1640年、ロドリゴ神父とガルペ神父は、マカオから日本へ密航する中国船に乗せてもらい、日本へ密入国する。通訳兼案内人として、マカオにいた唯一の日本人のキチジローが同行する。キチジローはポルトガル人に助けられた遭難者で、日本へ帰りたがっていた。

船は無事に長崎の果てへ到着するが、陸へ上がった途端、キチジローが姿を消す。2人が怯えていると、松明を持ったトモギ村のキリシタンたちが集まってくる。2人の到着を伝えたのはキチジローだった。ジイさまと呼ばれている村の長老は、2人を村に迎える。

貧しい村には隠れキリシタンが大勢いた。彼らは、長崎奉行・井上筑後守の迫害を恐れ、息を潜めて暮らしていた。彼らは司祭の出現を喜び、2人を炭焼き小屋に匿って、祈りを捧げる。ロドリゴ神父は、日本の信徒の熱心さに感動する。

ガルペ神父は、狭い炭焼き小屋から出られない日々にストレスを感じていた。そんなある日、五島の村から「自分たちの村にも来て欲しい」と、使いの村人がやってくる。五島はキチジローの故郷で、彼が2人のことを村人に伝えたのだった。

「せめて1人はここに残って欲しい」というジイさまたちの願いを聞き入れ、ガルペ神父はトモギ村に留まり、ロドリゴ神父だけ五島へ向かう。五島の隠れキリシタンたちは、ロドリゴ神父の来訪を心から喜ぶ。ロドリゴ神父は6日間五島に滞在し、多くの人々の告悔を聞く。そして、8年前に踏み絵を踏んだキチジローの罪も赦す。キチジローの家族は踏み絵を踏むことを拒み、全員火あぶりにされていた。

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映画『沈黙 サイレンス』のあらすじ【承】

トモギ村に奉行所の役人が訪れ、ジイさまが捕らえられる。井上は村人に3日間の猶予を与え、司祭(ロドリゴ神父たちのこと)のことを話すよう命じる。話せば褒美を与えるが、隠した場合は村からジイさまに加えて3名の人質を長崎へ連れていくという。信仰心の厚いモキチとイチゾウは、自ら人質に志願し、ロドリゴ神父たちを守ろうとする。残りの1名はよそ者のキチジローが指名され、村から4人の人質が差し出される。

別れる前の晩、モキチはロドリゴ神父に手作りの小さな十字架を託し、村人を守るために踏み絵を踏んでもいいか尋ねる。ロドリゴ神父は、踏み絵を踏むことを赦すが、ガルペ神父は反対する。

村を発つ前、役人は4人に踏み絵を踏ませる。4人は村人を守るために踏み絵を踏むが、役人は彼らの動揺を見逃さなかった。そして今度はキリスト像に唾を吐くよう命じる。キチジロー以外の3人はどうしてもそれができず、キリシタンであることがバレてしまう。3人は、海面ギリギリの岩場で磔にされ、荒波に打たれて命を落としていく。3人の遺体は燃やされ、遺灰は海に捨てられる。ロドリゴ神父は山から全てを見ており、強いショックを受ける。

役人が山狩りをすることになり、ロドリゴ神父とガルペ神父は別々に村を離れる。ガルペ神父は使命を果たすため平戸へ向かい、ロドリゴ神父は五島へ戻る。五島に到着したロドリゴ神父は山をさまよい、キチジローと再会する。キチジローは、磔にされた3人のために告悔する。ロドリゴ神父は、沈黙を続ける神に疑問を抱き、無に祈っているような気持ちになる。

キチジローの案内でキリシタンの村へ移動する途中、ロドリゴ神父は役人に捕らえられる。キチジローが裏切ったのだ。五島では、他にも数名の信徒が捕まっていた。井上は、「お前しだいで彼らを自由にできる」と言って、ロドリゴ神父に棄教を迫る。しかしロドリゴ神父は、それを断る。

映画『沈黙 サイレンス』のあらすじ【転】

ロドリゴ神父は、他の信徒たちとともに、長崎奉行所へ送られる。これから尋問が行われるため、ロドリゴ神父には通詞(通訳の役人)がつく。通詞は、フェレイラ神父が棄教し、現在は日本名を名乗って日本人の妻もいることを教えてくれる。日本人は、棄教のことを「転ぶ」という言葉で表現しており、通詞はロドリゴ神父もいずれ転ぶと思っていた。

奉行所の牢屋で、ロドリゴ神父は丁重な扱いを受ける。井上は、日本ではキリスト教は育たないのだとロドリゴ神父を諭す。しかし、ロドリゴ神父は抵抗を続ける。

キチジローは牢屋までロドリゴ神父を追ってきて、もう一度告悔させて欲しいと懇願する。ロドリゴ神父は、キチジローのことを悪と呼ぶほどの価値もない下劣な男だと軽蔑する。そしてそんな自分の冷たさに苦しむ。

牢屋の外に5人の信徒が出され、そこで踏み絵を踏むよう命じられる。しかし5人は踏み絵を踏まない。役人は、ジュアンという洗礼名の男以外を牢屋に返す。そしてロドリゴ神父の目の前で、あっという間にジュアンの首をはねてしまう。ロドリゴ神父は無残に転がったジュアンの生首を見て、牢屋の中で嘔吐する。キチジローはお手本として踏み絵を踏み、再び自由の身となる。

井上は、屋敷内にロドリゴ神父を招き、日本にとってキリスト教が危険な宗教であることを説明する。そしてなかなか棄教しないロドリゴ神父をさらに苦しめるため、次の行動を起こす。

砂浜へ連れて行かれたロドリゴ神父は、囚われの身となったガルペ神父の姿を見る。役人たちは、ガルペ神父の目の前で信徒たちを簀巻きにし、船から海へ投げ落としていく。ガルペ神父は「私を身代わりにしろ!」と叫びながら海へ入り、信徒たちとともに溺死する。通詞はロドリゴ神父に「お前が彼らに苦しみを押し付けたのだ」と囁く。ロドリゴ神父は、気が狂いそうだった。

ロドリゴ神父を転ばすため、井上の命令で、フェレイラ神父が呼ばれる。ロドリゴ神父は師との再会を喜ぶが、フェレイラ神父の表情は曇っていた。彼は沢野という日本名で呼ばれ、日本のために働いていた。フェレイラ神父は、医学や天文学の発展に貢献し、キリスト教を否定する書物まで書いていた。ロドリゴ神父は、あまりにむごすぎると涙を流すが、フェレイラ神父は今の生活に満足していると言い張る。そして、自分の受けた穴吊りの拷問がいかに恐ろしいものかを語り、ロドリゴ神父にも棄教を勧める。ロドリゴ神父には、自分は絶対に屈しないという自信があった。

映画『沈黙 サイレンス』の結末・ラスト(ネタバレ)

井上は、いよいよ最終手段に出る。ロドリゴ神父は穴吊りの拷問場所に連れて行かれ、拷問に苦しむ信徒たちの叫び声を聞かされる。信徒たちは、耳の横に穴を開けられた状態で逆さに吊るされ、顔だけを穴の中に沈められる。それは、滴り落ちる血が穴に溜まっていくという壮絶な拷問だった。彼らは踏み絵も踏み、棄教も宣言していたが、ロドリゴ神父が棄教しないため、代わりに拷問されていた。同じ苦しみを味わったフェレイラ神父は、祈りでは彼らは救えないとロドリゴ神父を説得する。

踏み絵の前に立たされたロドリゴ神父は、「踏みなさい、お前の苦しみは知っている」という神の声を聞く。そしてついに踏み絵を踏み、その場にうなだれる。ロドリゴ神父が棄教したことで、信徒たちは解放される。

1641年、オランダ貿易会社の医師をしている男が日本を訪れ、棄教したフェレイラ神父とロドリゴ神父の噂を聞く。彼らは、巧みに隠されたキリスト教の証を探し出し、日本からキリスト教を根絶するために働いていた。棄教してからのロドリゴ神父は、黙々とその役目をこなしていた。

ロドリゴ神父は井上の命令で、江戸で亡くなった岡田三右衛門という男の名前を引き継ぎ、岡田の妻と子供とともに江戸で暮らし始める。井上は、棄教の誓いや転び証文を何度もロドリゴ神父に書かせ、キリスト教の弾圧に彼を利用する。

キチジローはロドリゴ神父の召使いとして側にいた。2人きりになった時、キチジローはロドリゴ神父を「パードレ(司祭)」と呼び、告悔を聞いて欲しいと懇願する。ロドリゴ神父は驚いてそれを断るが、キチジローは、彼の沈黙の中にある信仰心を感じ取っていた。

井上の定期的な取り調べは続いていた。1667年、キチジローはお守りの中に聖母の絵を隠し持っていたことがバレてしまい、役人に連れ去られていく。その時もロドリゴ神父は、沈黙を続けていた。

1682年、「最後の司祭」と呼ばれたロドリゴ神父は、江戸で息をひきとる。彼は棄教してから2度と神を認めず、死に際しても神への祈りを口にすることはなかった。彼を知る人はみんな、彼の信仰はずっと昔に消え去ったものと思っていた。

仏式で執り行われたロドリゴ神父の葬儀の際、妻だけが棺の中のロドリゴ神父への接触を許される。妻は遺体の胸元に守り刀を置き、夫の棺を見送る。ロドリゴ神父は仏教徒として荼毘に付されたが、彼の手の中には、かつてモキチから託された木彫りの小さな十字架があった。それは彼の妻が密かに握らせたものだった。

映画『沈黙 サイレンス』の感想・評価・レビュー

言わずと知れた遠藤周作の名作だが、小説と比べて、どうしても美化されてしまうのが残念だ。
衣装やメイクで貧困と暴力を表現しているのに、簀巻の藁や寝床の床板が綺麗すぎて、違和感がある。
モキチの役者が物語に深みを与える、良い演技をしていたと思う。
中学校で習って以来疑問だったが、信徒にとって踏絵とはそんなに抵抗があるものなのだろうか。
改めて、多くの日本人は信仰心が薄いと言われるのが分かった気がする。(女性 30代)


軽々しく感想を述べるのを、ためらう作品。それほどテーマが深い。時代設定は江戸初期だが、普遍性のある内容なので自分を当てはめたとしても充分に考えさせられる。

アンドリュー・ガーフィールドはテーマ性のある作品を選ぶ印象があるが、本作でも難しい役所を好演していた。窪塚洋介もよかった。海外作品の中で描かれる日本に違和感を覚えることも多いが、本作はほぼそんな場面はなかった。消耗するが素晴らしい映画なので、気持ちに余裕のある時にまた観たい。(女性 40代)


日本ではPG12指定された作品で終始、重い空気を漂わせ、日本のキリシタン弾圧の様子を描いている。マーティン・スコセッシ監督が制作した作品ではあるが、海外から見た映画でありながら実に日本的である。作中は暗いイメージが強くいかに弾圧が酷いものだったかを映し出し、神父たちを追い詰める。窪塚洋介が演じたキチジローを終盤近くまで許せなかったが、沈黙したことで日本の弾圧に屈しながらも信仰を捨てず心の中だけで祈りを捧げた精神に感服した。観終わった後の疲労感は凄まじいが、それでも観ることで考えさせられる重厚な作品である。(女性 40代)


本作は、遠藤周作の原作を『沈黙』を映画化した2時間40分の超大作。
キリスト教徒への残酷な拷問シーンなど、観るのが苦しい場面もあったが、原作に忠実で監督の意気込みを感じた。
また、窪塚洋介演じるキチジローの人間らしい役どころに感情移入した。
クリスチャンの方々はどのような感想を抱いたのか気になるが、とにかく宗教の自由がある時代に生まれたことに心から感謝したい。
そして、世界からこのような宗教の差別がなくなることを祈るばかりだ。
鑑賞後もタイトルのような重たい余韻が残るが、得るものがある作品。(女性 20代)


海外の作品で描かれる日本はどうしても中国っぽい雰囲気が出てしまい、大掛かりな作品でも日本人を中国人、韓国人などが演じていることはよくある話ですよね。日本人としてはそんな描かれ方に慣れっこだと思いますが、今作は日本人はしっかりと日本人キャストが演じているので妙な違和感が無く、すんなりと受け入れることが出来ました。
歴史を全く知らない私には少し難しいテーマで、物語もよく理解できませんでしたが誰が正しいとか、何が悪いなど対立させるのではなく、誰もが善と悪を持ち合わせているというメッセージをこの作品から受け取りました。(女性 30代)

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