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映画『子宮に沈める』のネタバレ・あらすじ・考察・解説

この記事では、映画『子宮に沈める』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。

映画『子宮に沈める』の作品情報


出典:U-NEXT

製作年 2013年
上映時間 95分
ジャンル ドラマ
監督 緒方貴臣
キャスト 伊澤恵美子
土屋希乃
土屋瑛輝
辰巳蒼生
製作国 日本

映画『子宮に沈める』の登場人物(キャスト)

由希子(伊澤恵美子)
どこにでもいるような、ごく普通の優しい母親。まだ幼い2人の子供にも愛情をもって接し、育児や家事に追われながらも幸福そうであった。しかし、夫とは不仲だったようで、彼との別離が引き金となり徐々に追い詰められていく。やがて当初とはまるで正反対な程に派手な身なりになり、外に男を作り子供を置き去りにして出て行ってしまう。
幸(土屋希乃)
まだ3歳の由希子の娘。母親のことが大好きで、彼女に捨てられた後も最後まで母を信じ続けていた。置き去りにされた後は由希子に代わり弟・蒼空の面倒を見たり、飢えを凌ぐため粘土やマヨネーズを食べて生き永らえる。
蒼空(土屋瑛輝)
幸の弟。恐らくまだ1歳程度。まだ話すこともできず、泣くことと笑うことだけしかできない。

映画『子宮に沈める』のネタバレ・あらすじ(起承転結)

映画『子宮に沈める』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『子宮に沈める』のあらすじ【起】

どこにでもいるようなごく普通の主婦、由希子。その日も幼い娘、幸(さち)が作ってきたテルテル坊主を一緒に飾って歌を口ずさみながらそれを並べたり、あやとりを教えてあげたりと幸福そうな家族でしかない。更にはもう1人、幸よりも小さい男児の蒼空(そら)を抱え、遊んであげている。

夕食の光景。サランラップのされたオムライスが映り、幸の「パパ遅いね」という台詞が聞こえ、それを無視するように由希子が「明日のお弁当何がいい?」と尋ねかける。オムライス、と答える幸にまた?と笑う由希子。幼い我が子を寝かしつける時間にも、夫の姿は見当たらない。それから、どこかに電話している由希子の姿が映し出される。恐らく夫にでもかけているのだろうか。電話には誰も応じることがなく、結局切ってしまう。

翌朝、気合の入ったキャラ弁を作ってあげる由希子。家の中でピクニックごっこをしている、或いはテルテル坊主のシーンがほんの一瞬挟まれることから不意な雨により中止にでもなったのか、家の中で親子3人、その弁当を食べる。嬉しそうに喜ぶ幸と蒼空。

ある晩、突然化粧を始める由希子。不意に、ここでやっと唐突に姿を見せる夫の俊介。鞄に何かを詰め立ち上がる俊介に抱き着き、「あたしのこと、好き?」と聞いた後キスをする。長いこと夫婦生活もぞんざいだったのか、「最後いつか覚えてる?子供たちはもう寝てるから。ね?」と行為を迫るが俊介は「疲れてるんだやめてくれ!」と彼女を突き飛ばす。起き上がってから、俊介にビンタをして「嫌いになったならちゃんと言って」と寂しげに呟く由希子。俊介は彼女を抱きしめながら「愛してる」と言うが、何故か由希子は逆上し俊介を叩き鞄を奪い放り捨てる。それでも、何も言わず、まるで由希子を空気か何かでも扱うかのように邪険にしその場を去る俊介。どうやら俊介はアパートを出て行ったらしい。……遠くで蒼空の泣き声が聞こえるのに、覗きに行く気力すら沸かない由希子。由希子の静かな泣き声と共に画面は暗転する。

映画『子宮に沈める』のあらすじ【承】

アパートからの引っ越しを決めた由希子。子供達が寝付いてから、新しい移転先で編み物をしているとアパートのチャイムが鳴り響く。どうやら由希子の高校時代の友人のようであった。派手な身なりの友人は、資格の勉強中だという由希子に「夜の仕事やれば?」と水商売の仕事を奨める。話の途中で泣き出してしまう蒼空の声に慌てて連れ出してきてあやしつける由希子。正反対に、能天気そうな友人は「いいなー、私も子供欲しい」等と笑い、煙草を吹かし笑うだけであった。由希子は彼女の言葉もあってなのかキャバクラで働くようになり、夜の帰りが遅くなる。娘の幸は、母の帰りを待ちわび暗い部屋の中であやとりをして過ごしている。帰ってきた母へ「おかえり」と告げに来る幸に「こんな時間まで起きてちゃ駄目じゃない」と優しく幸を寝床へ戻してやる由希子。しかし、幸は言うことを聞かず、寝ようとしない。ママの言うことを聞いて、と言っても「嫌。ママと一緒」と彼女の傍を離れようとはしなかった。朝晩の仕事に育児、家事、そして資格の勉強に追われ日に日に疲弊していく由希子。全てが段々と上手くいかなくなっていく。朝から思うように言うことを聞かない子供達に苛立ってばかりの由希子。由希子は日々の疲れと寂寥感を埋めるよう、外に男を作り家に連れ込むようになる。その男、カナメは幸にケーキを買ってきたと優しくするが父親以外の男に不安を感じ、逃げ出して由希子の背後に隠れてしまう。この時、由希子の姿は前と比べると少し派手な身なりになっているのが分かる。幸は買ってきたケーキの苺だけを食べて後は残してしまう。子供達が寝ついたと知るや構わず性行為を求めるカナメ。子供達が起きるから、と拒む由希子に「分かりゃしないって」と行為を続ける。

母親の真似をして、化粧をした鏡の前で洋服を選んだりしては退屈を凌ぐ幸。この時、幸が出した洋服や靴は以前の由希子と比べると明らかに派手なものばかりである。幸は蒼空に、由希子が男達にしていたような性行為を真似て腹部にキスしたりじゃれついたりし始める。由希子の疲労を表すかのように、それまでは綺麗に片付いていた部屋も徐々に散らかり始め、少しずつ歯車が狂い始める。由希子の元にはまた新しい男が現れ、別室では幸がまだ起きているのにも構わず無理やり性行為を行う。行為が終わると、蒼空の泣き声を聞き「帰るわ」とあっさり部屋を後にしていく男。由希子は「次はいつ会えるの?」と蒼空を放って男に縋りつく……くちゃくちゃに広がった室内、泣き喚く蒼空をあやそうともしない由希子。広がった部屋の中で絵を描いている幸。ある日、由希子は幸に昼ご飯に何を食べたいか尋ねる。幸はオムライスと答えるが「面倒だからチャーハンでいい?」とメニューを変更し、子供達に与えてから自分は席にはつかず煙草を吹かす。その姿はもはや以前のような「母親」だった由希子ではなく、一見して派手な「女」になっていた。彼女は大量のチャーハンを作り置きし、仕事に行くふりをして男の元に遊びに行くつもりだった。幸はそんな母に何かを覚えたのか、由希子の服を掴み「早く帰ってきてね」と呟く。

映画『子宮に沈める』のあらすじ【転】

由希子のいなくなった室内で、甲斐甲斐しく蒼空の面倒を見る幸。抱き上げようにもまだ小さな身体ではままならず、精々がベビーベッドを揺らしてあげることでしか彼をあやしてあげられない。ゴミだめのような部屋、由希子の戻ってこない家の中。トイレに向かった幸だったがドアにガムテープされていて先へ入れずに、その場でお漏らししてしまう。子供達が外に出ないために、由希子が封鎖していったのだろう。戻らない母の代わりに、見よう見まねで粉ミルクを手づかみで哺乳瓶に入れ水を注いでミルクを作り、いないないばあをして蒼空に遊んであげる。夜になっても帰ってこない由希子を待ち、ドアの前で立ち続ける幸。次の日になっても由希子の姿はない。「ママ、どこ?」とカーテンを開き何度も由希子の姿を求める幸だったが窓にはガムテープで目張りがしてあり人の目に晒されぬような状態になっていた。幼い知恵だけを頼りに、生き延びるためにも幸は缶詰を引っ張り出し包丁で蓋を開けようとするが、開け方も分からず横から切断しようとしても当然開かない。幸は蒼空のミルクを飲み始め、飢えを凌ぐ。独り占めにはせず、ミルクを分け合いながら、2人はそれでも懸命に由希子が帰るのを待ち続ける。

そんなある晩。暗がりの部屋。テレビの砂嵐が流れる中、幸が「ハッピーバースデー、蒼空」と誕生日の歌を口ずさみながら粘土のケーキでお祝いをするが、蒼空はもう衰弱死していた。動こうとしない蒼空にそれでも歌を歌い続ける幸。幸は蒼空が寝ているだけなのだと思い、「蒼空起きて、蒼空起きて」と何度も無邪気に呼びかける……。

映画『子宮に沈める』の結末・ラスト(ネタバレ)

インターフォンが鳴り、ママ、ママ、と言いながらドアへと向かう幸だがインターフォンに手が届かない。食料も徐々に底を尽きていき、幸は虫の沸いたゴミ袋を漁ったり、食べられそうなものならば何でも口にした。それでも由希子を信じ続け、幸はマヨネーズを飲みながら由希子の帰りを待つ。ゴミだらけの部屋で家族の写真を切り貼りしたスケッチブックに絵を描く幸は、空になったマヨネーズの中に水を入れそれを飲み、粘土を食べて腹を満たす。

虫が飛び交う音、不衛生なその室内で幸の体力もほとんど限界に近付いていた。ぐったりとうなだれている幸だったが、いよいよ由希子が帰宅する。ママ遅いよ、ママ遅いよと変わらず母に甘える幸だったが由希子は無言のまま部屋の中にしてあったガムテープを剥がしていく。幸は「ママ、蒼空動かないよ。蒼空どうしちゃったの?」と不思議そうに尋ね、由希子は蒼空に沸いた蛆を無言で取り続けると、蒼空の遺体にガムテープを巻きつける。洗濯機の中に蒼空の遺体を入れ洗ってやる間、由希子は浴槽に水を張った。由希子は無言のまま幸の服を脱がせ、「ママと一緒がいい。ママと……、」と言い残す幸を浴槽に沈めて殺害した。洗い終えた蒼空の遺体に丁重にガムテープを幾重にも張り付ける由希子。それから広がった室内を淡々と片付け続け、幸の遺体を椅子に座らせ、自身も静かに座った。椅子の上で由希子は脚を広げたかと思うと、編み物に使っていた針を己の陰部に深く深く抉るように突き刺した。嗚咽を上げながら、何度も何度も何度も――それを終えた由希子はシャワーへと入り、恐らく子宮にまで達していたのであろうその傷口から流れ出る鮮血を洗いながら泣き続けた。さっきまでとは打って変わって、綺麗に片付いた部屋。シャワーから上がり、裸のままで2人の子供達の遺体を幸せだった頃に使っていた緑のピクニックシートに包む由希子。開け放された窓の外、由希子の視線は只そこにだけ呆然と注がれたままだった。

映画『子宮に沈める』の考察・解説(ネタバレ)

映画『子宮に沈める』の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『子宮に沈める』の最後で由希子は窓から飛び降りたのか?

映画『子宮に沈める』のラストシーンにおいて、主人公の由希子が窓から飛び降りたかどうかは、この物語の最も大きな謎の一つとなっています。最後の場面では、由希子が窓際に立ち、深い絶望と苦悩に包まれている様子が印象的に描かれます。彼女は子供たちを失い、社会からも孤立し、精神的に限界に達していることが伝わってきます。

しかし、映画は由希子が実際に飛び降りる瞬間を直接的に描写せず、観客の想像に委ねる形でエンディングを迎えます。彼女が本当に窓から身を投げたのか、それとも最後の瞬間で思いとどまったのかは明確には示されていないのです。この曖昧な結末は、母親としての葛藤や社会的孤立に苦しむ人々の悲劇を象徴的に表現しています。

結局のところ、由希子が飛び降りたかどうかは、観客一人一人が彼女の心情や物語の流れをどのように解釈するかによって異なるでしょう。映画のラストが持つ曖昧性は、由希子の抱える絶望と苦悩をより深く印象づける効果を生んでいると言えます。彼女の運命は、現代社会における母親の置かれた状況の厳しさを浮き彫りにしているのです。

映画『子宮に沈める』で弟の死因は何だったのか?

映画『子宮に沈める』における由希子の弟の死は、物語の中で重要な悲劇的要素となっています。弟がどのような理由で命を落としたのかについては、映画の中で明確な説明はありませんが、描かれた状況から推測することができます。

由希子はシングルマザーとして二人の子供を育てていますが、彼女自身の精神状態は非常に不安定な状態にあります。弟は由希子の子供の一人であり、彼の死が由希子の人生を大きく狂わせる引き金になったと考えられます。映画の描写を見ると、弟は十分な世話を受けられず、ネグレクトの状態に置かれていた可能性が高いです。由希子は疲労と精神的なストレスから、子育てに十分な注意を払うことができなくなっていたのでしょう。

つまり、弟の死因は育児放棄や不注意によるものだったと推測されます。この悲劇は、母親の責任の重さや社会的孤立、精神的負担がもたらす深刻な結果を象徴しています。由希子の抱える問題が、子供の命さえも奪ってしまうほどに深刻化していたことを示唆しているのです。

映画『子宮に沈める』のタイトルの意味とは?

映画『子宮に沈める』のタイトルには、作品のテーマを象徴する深い意味が込められています。まず「子宮」という言葉に着目すると、それは母性や女性の身体的特徴、特に新しい命を宿し育む場所を表しています。このタイトルは、主人公の由希子が母親であること、そして母としての役割の重圧や苦悩が物語の中心的なモチーフであることを強調しているのです。

一方で「沈める」という言葉は、何かを深く沈ませる、あるいは消え去らせるという意味を持っています。これは由希子が物語を通じて直面する精神的な負担や孤独、社会とのつながりの喪失、そして徐々に追い詰められていく過程を表現していると解釈できます。彼女の心が深い絶望の淵に沈んでいく様子や、母親としての重責に押しつぶされそうになる姿は、この映画の重要なテーマとなっているのです。

つまり、このタイトルは母親であることの重荷や、社会から疎外された女性が絶望の淵に沈んでいく様子を示唆しているのです。『子宮に沈める』という言葉は、女性が生命を育む力を持つ一方で、その責任の重さゆえに心が破綻していくという両面性を表現していると言えるでしょう。

映画『子宮に沈める』の赤い糸が意味するものとは?

映画『子宮に沈める』に登場する「赤い糸」は、物語の中で重要な象徴的役割を担っています。一般的に赤い糸は「運命の赤い糸」として、特に恋愛における人と人との結びつきを表現することが多いですが、この作品ではそれとは異なる意味合いが込められています。

一つには、赤い糸が由希子と彼女の子供たちの絆や家族としてのつながりを象徴していると解釈できます。しかし物語が進むにつれ、由希子の精神状態が悪化し、子供たちとの関係性が壊れていく中で、この赤い糸で表されるはずの絆も切れていってしまいます。赤い糸は、本来あるべき家族の結びつきが失われていく過程や、母親としての責務を果たせなくなる由希子の状況を暗示しているのです。

また、赤い糸は由希子自身の内面の葛藤や、現実から逃避したいという欲求をも表していると考えられます。彼女が赤い糸を手にする場面からは、精神的に追い詰められ、現実と向き合うことができない彼女の心情が読み取れます。

このように、赤い糸は単なる絆の象徴にとどまらず、家族関係の崩壊や由希子の抱える心の闇を表現する重要なモチーフとして機能しているのです。

映画『子宮に沈める』のラストシーンを考察

映画『子宮に沈める』のラストシーンは、衝撃的であり、観る者に強烈な印象を残します。窓辺に佇む由希子の非常に不安定な精神状態が描写され、彼女がその後どのような行動に出るのかは明示されません。このラストシーンの曖昧さは、追い詰められた彼女が選ぶことになる運命について、観客に想像の余地を与えているのです。

由希子はこれまでの物語の中で、母親としての役割を十分に果たせず、子供たちを失ったことに強い罪悪感を抱えています。この罪の意識が彼女の精神を蝕み、ついには現実から逃避するために飛び降りを考えているようにも見えます。このシーンは、母親という立場が社会や家庭から受ける大きなプレッシャーを象徴的に表現しているのです。

しかし同時に、映画が飛び降りる決定的な瞬間を直接描かないことで、由希子が本当に決断の一線を越えたのかどうかは観客の解釈に委ねられています。現実から逃れたいという強い衝動を抱えながらも、最後の最後で思いとどまった可能性も残されているのです。このラストシーンは母親の役割に押しつぶされそうになる女性の苦悩を表現すると同時に、現代社会の抱える問題に対する鋭いメッセージを投げかけているのです。

映画『子宮に沈める』を見ると鬱になると言われる理由とは?

映画『子宮に沈める』が「鬱になる」と評される理由は、物語全体を通して非常に重くて暗いテーマが一貫して描かれているためです。この作品は母親としての苦悩や育児への無力感、社会的孤立、精神的な疲弊など、現代社会が抱える深刻な問題を真正面から扱っています。特に主人公の由希子が精神的に追い詰められ、ついには子供たちを失ってしまう過程が非常にリアルに描写されているため、観る人に強い衝撃を与えずにはいられません。

また映画全体のトーンが終始重苦しく、明るい希望や救いがほとんど見当たらないことも、観客が鬱的な感情を抱く要因となっています。特に育児に悩む人や精神的な問題を抱えている人にとって、この映画のテーマは非常に共感を呼ぶ一方で、そのリアリティゆえに心に重くのしかかってくるのです。

さらにラストシーンの曖昧さや、由希子が最後に選ぶ運命が明確に描かれないことが、観客にさらなる不安や不快感を残してしまいます。この映画は現実社会の厳しさを まざまざと見せつける作品であり、希望の光が見えない結末が鬱的な気分を引き起こしてしまうのです。

映画『子宮に沈める』の最初の生理シーンは何を意味するのか?

映画『子宮に沈める』冒頭の生理シーンは、物語の中で極めて象徴的な意味を持っています。このシーンは女性の身体的成熟や、母親としての役割を担うことの始まりを示唆しているのです。生理は女性が子供を産む能力を持つことの証ですが、同時に映画の中で由希子が直面することになる母親としての重責や苦悩とも重なり合って描かれています。

このシーンは、女性の肉体的な成長が母親としての重荷や プレッシャーと密接に結びついていることを暗示しており、由希子がこれから経験するであろう育児や家庭の困難への伏線となっています。また生理は身体的な痛みや不快感を伴うものですが、これは由希子の精神的な苦しみや、育児へのプレッシャーを象徴的に表現しているとも解釈できます。

この最初のシーンは物語全体の基調を定め、母性や女性の役割に対する社会の圧力を浮き彫りにする導入部として機能しているのです。生理という女性特有の身体的変化が、母親としての宿命や精神的な負担と結びつけられることで、由希子の辿る過酷な道のりが暗示されているのです。

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みんなの感想・レビュー

  1. こんた より:

    はっきり言って難しい。視聴者の理解力が高くないと分からないのではないか?具体的には、長女を浴槽に沈めて殺害したことが分かりづらい。衰弱しきっていた長女に抵抗する力は無かったのだろうが、もっと具体的に沈めるところを映像にすべきではなかったか?
    また、堕胎ということが男性には分からない。(当たり前かもしれないが・・・)
    映像を観た後、口コミ、感想を観てやっとこの映画が理解できました。