映画『めぐりあう時間たち』の概要:2002年制作のアメリカ映画(原題:The Hours)。ヴァージニア・ウルフと彼女を取り巻く3人の女性のドラマ。第75回アカデミー賞でニコール・キッドマンが主演女優賞を受賞したことでも話題の作品。
映画『めぐりあう時間たち』 作品情報
- 製作年:2002年
- 上映時間:115分
- ジャンル:ヒューマンドラマ
- 監督:スティーヴン・ダルドリー
- キャスト:ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープ、スティーヴン・ディレイン etc
映画『めぐりあう時間たち』 評価
- 点数:80点/100点
- オススメ度:★★★★☆
- ストーリー:★★★★☆
- キャスト起用:★★★★☆
- 映像技術:★★★★☆
- 演出:★★★★☆
- 設定:★★★★★
[miho21]
映画『めぐりあう時間たち』 あらすじ(ストーリー解説)
映画『めぐりあう時間たち』のあらすじを紹介します。
この物語は時間軸の違う3人の女性のドラマを交差させて、1つの物語を作り上げている。
主人公は1923年のヴァージニア・ウルフ。
彼女は夫と共にロンドンから郊外のリッチモンドに越してきた。
この頃「ダロウェイ夫人」の執筆中であった。
彼女たち夫婦が引っ越してきたのは、精神を病んだヴァージニアが2回の自殺未遂をしたため夫レナードが仕事も辞め決断したからであった。
しかし田舎暮らしに不満があるヴァージニアはロンドンに戻りたいと夫に切望する。
ロンドンに戻ることを決意した2人だったが、ヴァージニアはその後入水自殺をすることになる。
もう1人の女性は1951年、ロスで暮らすローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)だ。
彼女は「ダロウェイ夫人」を読書中。
ここで夫と子供と絵に書いたような幸せな生活をしていた。
良妻賢母という言葉がピッタリのローラだったが、この女は夫も子供も愛していなかった。
特に生活に不満はなく、夫は優しく愛してくれていた。
それなのに彼女が幸せすぎる生活に疲れていたのだ。
2人目をお腹に身ごもりながらホテルの部屋で自殺を試みるが踏みとどまった彼女。
しかし出産後、子供と夫を置いて家を出ていくのであった。
最後は2001年のニューヨーク、クラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)。
彼女のあだ名は「ダロウェイ夫人」である。
雑誌の編集者をしているキャリアウーマンの彼女は、古くからの友人リチャード(エド・ハリス)と恋人関係を続けていた。
彼は詩人で小説家、同性愛者でエイズ患者であり病状は進行していた。
クラリッサは彼を守り続けていたが、リチャードはその生活から脱出するべく自分の文学賞受賞パーティーで自殺を図る。
そして彼の死後、クラリッサの元に2番目の女性ローラが訪ねてきた。
そう彼女こそがリチャードの母であったのだ。
映画『めぐりあう時間たち』 感想・評価・レビュー(ネタバレ)
映画『めぐりあう時間たち』について、感想・レビュー・解説・考察です。※ネタバレ含む
意見がはっきりと分かれる文学的で良質な作品
ちっとも面白くないという意見も聞くし、感動してしばらく心の動揺が隠せなかったという意見もある。
観る側によって意見や感想が違うのはどの映画も同じであるが、本作品はテーマが非常に重い。
この映画は崇高な感じがするのである。
時代の違う3人の女性の人生を「ダロウェイ夫人」の小説で繋げ交差させる手法は絶妙であった。
幸せとは何か。
永遠のテーマであるかもしれない。
この普遍的な問題をリアルな描写で描ききったため、真剣に意見を言うことができるような映画に仕上がっているのかもしれない。
特にローラの物語は感慨深いものがある。
男性には理解しがたいかもしれないが、何の不自由もなく家族に愛されているのにも関わらず自殺したくなるという女性の心は言葉にできないほど複雑である。
結婚に向いていなかったのかもしれないし、良妻賢母に向いていなかったのかもしれない。
自分の理想に自分をあてはめすぎたため、彼女は息苦しくなっていったのか。
子供と夫を何の問題もないのに置いていくというのは、相当な覚悟が必要である。
それができてしまうほど彼女は幸せな日常に追い詰められていた。
またクラリッサにしても相手であるリチャードが日常からの脱出を図った。
それぞれの物語はあまりに重く、ナイーブで簡単に触れられないようなものである。
しかし現実的に表面的には問題が無い家庭でも、心の中はわからない。
自分たちの身近でももしかしたら有り得るような日常なのかもしれない。
女優たちの共演が見事である
鼻を特殊メイクでつけ演じきったニコール・キッドマンをはじめ、アカデミー賞クラスの女優が3人も集まると見事なドラマに仕上がるもんだと感心する。
また脇を固める男性陣の演技も素晴らしく、大人の良質な作品というジャンルに入るだろう。
映画『めぐりあう時間たち』 まとめ
滅多に出会えいないような良質な作品に出会うことがある。
それは好みの問題であり、完全に観る側の個人的な意見であることはもちろん間違いない。
本作品はヒューマン好きの自分にとって忘れられないような作品になった。
「幸せとは何か」という誰しもが違う意見や感覚を持つ難しいテーマであるのに、見事に話をまとめきり物語としてダラダラさせずに描いている。
起用した俳優もベテランばかりで、話の複雑さをインスタントにさせていない。
全てにおいてバランスのとれた映画であると言える。
個人的にはもっと賞をとっても良かったのではとも思うが、主演女優賞がとれたことは本望である。
いつか世間的にもう少し評価があがると良いと思う。
みんなの感想・レビュー
リチャードがローラの子供である必然性がまったくない。取って付けた親子関係にしか描かれていない。登場人物的にはローラの人物像に興味があるが、あり得ない。
公開時、話題になっていたので映画館で観ました。当時私は30歳。精神を病んだ作家のお話、難解で分かったような分からないような・・でも妙に心に残りました。
最近、テレビ放映されていたので再見。こんなに沁みるなんて。
当時の自分には分からなかったと思う。40代以上の人にもう一度見てほしい映画です。
映画を観てこんなにも心を動かされたのは初めて。
詩的な台詞、映像、音楽、どれも素敵でため息がでる。苦しくて切ない虚無感を 3人の女優が見事に演じている。
生と死が日常と隣り合っている緊張感。
本当にいい作品。
結局3人ともレスビアンだったのかな。
ニコール・キッドマンは小説にいきずまってるけど、悩みは
それだけじゃなさそう。
ジュリアンムーアは幸せな家庭を演じるのに疲れ切ってるが、
実は別の幸せを望んでそう。
女性との幸せを望んだ二人だったけど、時代が許してくれなかったね。
メリルストリープはいい時代に生まれたから、いいパートナーと暮らしてる
よね。
ジュリアンムーアのパートがやけに切なかった。
今日も1日幸せだった、平和な穏やかな1日に感謝したい、
今日何も特別な事の無い、つまらない1日だった、なんて不幸な人生なんだろう、
その差は、さほど大きくは無い。
だから、とても共感できるし、でも、逃げようと考えてはいない。
でも、突然、明日を迎えたとき、逃げてしまおう、すべてを捨ててしまおう、と思ってもおかしくない。
わけがわからなく、二回見てしまいました。同性愛者の気持ちがわからない私には、難しい映画でした。
けれど、人は孤独なんだというなんとも当たり前のことが辛く感じました。
私は、ジュリアン・ムーアの演技がとてもよかった。穏やかな笑顔の下に隠されている虚しさ・・・それに夫は全然気がつかない。見ている方もせつなくなりました。
ただ出てくる人々が皆さん同性愛者で、一般ピーポーの自分には、共感しきれず、暗い映画だなあ、という感想です。生きていくのつらそうな人ばかりで、多分もう二度と見ることはないでしょう。
女の幸せって何か?
他人との比較でもないし、社会的標準でも表せないし、結局は自分で感じるしかできないもの。
けっして、同じものは一つとしてない。
素晴らしい作品。髪型にも気が取られた。簡単に結婚するな、簡単に子供をつくるな、母親であれ死ぬな、子供を養育するぎむがある。
たまたま本日NHK BSで昼間に流れていたので久しぶりに見ていました。
因みにクラリッサとリチャードは友人ですよね?クラリッサは女性同棲者にはれっきとした女性パートナーがいて、娘は精子ドナーとの体外受精で生まれてるはず?
確かに崇高な映画で、繊細かつ、心のひだの妙が成せる映画だなぁと、20代後半で見た時とまた違う感覚で見ておりました(^.^)