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映画『坊っちゃん(1977)』あらすじネタバレ結末と感想

映画『坊っちゃん(1977)』の概要:『坊つちやん』(1977)は、夏目漱石の同名小説の五度目の映画化作。主演は中村雅俊。監督は前田陽一。生来無鉄砲で負けず嫌いの主人公坊っちゃんの、愛媛県松山での教師生活を描く。

映画『坊っちゃん』 作品情報

坊っちゃん

  • 製作年:1977年
  • 上映時間:92分
  • ジャンル:コメディ、青春、ヒューマンドラマ
  • 監督:前田陽一
  • キャスト:中村雅俊、松坂慶子、地井武男、米倉斉加年 etc

映画『坊っちゃん』 評価

  • 点数:65点/100点
  • オススメ度:★★★☆☆
  • ストーリー:★★★★★
  • キャスト起用:★★★☆☆
  • 映像技術:★★★☆☆
  • 演出:★★★☆☆
  • 設定:★★★☆☆

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映画『坊っちゃん』 あらすじネタバレ(ストーリー解説)

映画『坊っちゃん(1977)』のあらすじを紹介します。※ネタバレ含む

映画『坊っちゃん』 あらすじ【起・承】

親譲りの無鉄砲な青年・近藤大助は、子供のころから負けず嫌いでいろんな問題を起こした。両親や兄はそんな大助をすぐに見限ったが、下女の老婆・清だけは「坊っちゃん」と呼んで可愛がった。
親は亡くなり、大助は兄に貰ったお金で物理学校を出た。教師の職を紹介され、他に仕事もないので松山まで行くことになった。清はさみしがり、手紙を書くように何度も頼んだ。

松山中学校に赴任した大助は、教師たちにひそかに渾名をつけた。校長は狸。教頭は赤ッシャツ。美術教師は野だ(野だいこの略)。数学教師は山嵐。英語教師はうらなり。
大助は山嵐と同じ数学を教えるが、初めて教壇に立つ大助は生意気な生徒にかなり手こずらされた。町で蕎麦や団子を食べればおかわりした数まで正確に黒板に書きだされ、温泉で泳げばそれも書かれ、宿直の日には蚊帳の中にイナゴを入れられた。

赴任してすぐに、山嵐に氷をおごってもらうが、そのすぐ後赤シャツから山嵐が生徒たちを扇動して大助をからかっているという話を聞いた。さらに、山嵐は教師のくせに芸者と懇意だというのだ。大助は憤慨しておごってもらった代金を突き返す。しかし山嵐は受け取らず、このことで二人は反目する。

その頃、大助は町でとんでもない美女を見かける。どうやら、その美女は「マドンナ」と呼ばれているらしい。

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映画『坊っちゃん』 結末・ラスト(ネタバレ)

暫くして、大助は山嵐の噂が誤解であったことを知る。曲がったことが嫌いな大助は、山嵐もそうであることを知って誤解を解き、親友になる。

その頃、大助はマドンナとうらなりが婚約していることを知る。しかし、マドンナを狙った赤シャツは邪魔者のうらなりを追い出すために遠くの学校へ飛ばそうとしているのだった。
大助と山嵐は憤るが、うらなりはそのまま遠くへやられることになった。送別会の日、お構いなしに芸者とはしゃぐ赤シャツに、大助は立場も忘れて思っていることをぶちまける。
これで赤シャツ側に敵とみなされた大助は、学校での立場が悪くなる。

その頃、松山中学の生徒と他校の生徒との間に対立が起こっていた。両校の生徒はとうとう喧嘩に発展し、大助は止めに入るどころか加勢、さらにそこに山嵐までもが加わり、町中の騒ぎに発展する。
これで何もかも失った大助は、辞表を出して松山を後にした。しかし、生徒に見送られながら晴れやかな気持ちだった。

映画『坊っちゃん』 感想・評価・レビュー(ネタバレ)

映画『坊っちゃん(1977)』について、感想・レビュー・解説・考察です。※ネタバレ含む

何度も映像化される名作

夏目漱石の『吾輩は猫である』に次ぐ小説がこの『坊つちやん』である。名作故に、何度も映像化され、本作が五度目の映画作品となっている。何度も同じ作品を作るからといって、どれも同じというわけでもない。
主人公坊っちゃんの原作でのイメージは、無鉄砲で喧嘩っ早い所はあるが、情に厚く曲がったことが嫌い。あとは清の過大評価によって少々よく見えるといったところか。これだけのイメージだけ見ると、なんとなく男らしい人物を想像するが、実際は平凡な人物だったように思う。そういう点では、一番最近映像化された二宮和也主演のスペシャルドラマ版はイメージ通りだったと思う。
中村雅俊主演のこの映画は、原作のような後味の悪さはあまりない。確かに多様な熱血教師を演じたのはこの後だったとは思うが、どうにも熱血教師のイメージが定着しているし、最後まで歯切れがいい。主演によっても、作品の色はかなり変わってくるのだと思う。

清の存在が薄い

この作品が『坊つちやん』たりうる意味は、清がいるからこそである。坊っちゃんを「まっすぐでよいご気性だ」とほめちぎる。松山に行ってからも何度も文通でやり取りする。坊っちゃんがまっすぐでいられるのは、清が言うほど自分が立派な人間ではないと分かっているが、せめて期待を裏切らないようにしよう、という思いもあると思う。清との関係は、『坊つちやん』を語る上で欠かせないのである。
この映画では、清よりもマドンナの方に注目している。明治を生きる新しい女性として、松坂慶子演じるマドンナは存在した。

映画『坊っちゃん』 まとめ

何度も映画化されたりドラマ化されたりしている作品なので、どれを観ても基本的なストーリーに違いはない。しかし、どれもが他にはない『坊つちやん』を作ろうとしているのは確かだと思う。
まずは原作小説を読み、自分なりに坊っちゃん像を掴んでからいろんな作品を見比べてみると面白い。この映画の場合は、「熱血」な中村雅俊のイメージありきの作品だったと思う。結末の描き方については、この映画ならではの解釈だった。原作よりはすっきりする終わり方で、青春映画として面白かった。

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