映画『ダレン・シャン』の概要:イギリス発のファンタジー小説。ファンタジー小説ながらも暗い内容や凄惨な描写もあり、その不思議な世界観に多くのファンがついた。日本からは渡辺謙も参加するなど映画化に期待が集まった。
映画『ダレン・シャン』の作品情報
上映時間:109分
ジャンル:サスペンス、アクション、ホラー
監督:ポール・ワイツ
キャスト:クリス・マッソグリア、ジョシュ・ハッチャーソン、ジョン・C・ライリー、ジェシカ・カールソン etc
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映画『ダレン・シャン』の登場人物(キャスト)
- ダレン・シャン(クリス・マッソグリア)
- 平凡な高校生だったが、ある日毒蜘蛛に噛まれた友人を助ける為ヴァンパイアと契約を交わし、自らもヴァンパイアとなる。何故か謎の組織から付け狙われている。
- スティーヴ(ジョシュ・ハッチャーソン)
- ダレンの親友で、ヴァンパイアに対して強いあこがれを持つ。クレプスリーにヴァンパイアにしてほしいと懇願するが断られている。
- クレプスリー(ジョン・C・ライリー)
- サーカスで蜘蛛を操るショーをしていたヴァンパイア。ダレンをヴァンパイアにした張本人。
- タイニー(マイケル・セルヴェリス)
- 何故かダレンを付け狙う謎の男。中立派のサーカスの吸血鬼とは異なり、残忍な犯行を繰り返す攻撃的な存在。
映画『ダレン・シャン』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『ダレン・シャン』のあらすじ【起】
ダレン・シャンは、眉目秀麗な優等生の男子高校生です。ダレンが優等生である一方、彼の親友スティーヴら親や教師に反抗を続ける不良でした。そんなスティーヴは、ヴァンパイアという存在に酷く興味を持っていました。そんな二人は、ある日町にやってきた「シルク・ド・フリーク」別名を「奇妙なサーカス」の公演を観に夜中こっそりと家を抜け出します。
その名の通りサーカスには蛇男や狼男、小人など様々な奇妙な人々が現れ観客を魅了しています。そしてその中で、ダレンの興味を大きく引く演目がありました。クレプスリーという男性が巨大な蜘蛛を見事に操るというものです。ダレンは前々から蜘蛛に対して何故か大変興味があるのでした。一方、スティーヴは「クレプスリーはヴァンパイアに違いない」と言うのです。
そんな時、サーカスが正式な許可を取っていないものであった為、保安所の検査官がサーカスに割って入ってきました。会場はパニックに陥り、その騒ぎに紛れてダレンはサーカス内へと入ってしまいます。そして、団員達がヴァンパイアの今後について話している会話を聞いてしまうのでした。
映画『ダレン・シャン』のあらすじ【承】
スティーヴの睨んだ通り、サーカスの面々はヴァンパイアだったのです。そして、その場にスティーヴが乗り込み自分を仲間にして欲しいと頼み込みます。しかし、クレプスリーはスティーヴの血はヴァンパイアに向いてないとその頼みを断りました。渋るスティーヴを連れて、ダレンはその場を後にします。
しかし、その時ダレンに魔が差しました。クレプスリーと共にショーに出演していたマダム・オクタを、思わず盗んでしまったのです。そして最悪な事に、毒を持つマダム・オクタがスティーヴを刺してしまったのです。苦しむ友人を前に慌てるダレンの前に、クレプスリーが現れました。そして、クレプスリーはダレンに、ダレンがヴァンパイアになる事を条件にスティーヴを助けるという申し出をしてきたのです。
ダレンは親友を助けるためにその条件を飲みました。クレプスリーの血液を体内に取り込んだダレンは、自らも人間の血を求めるヴァンパイアとなったのでした。
映画『ダレン・シャン』のあらすじ【転】
襲う喉の渇きに、このままでは家族を襲ってしまうと思ったダレンは自らの死を偽装し、家を離れる事を決意しました。そしてダレンはクレプスリーに連れられ、シルク・ド・フリークで新たな人生を歩む事となります。しかし、そんなダレンをつけ狙う不気味な影がありました。ミスター・タイニーとその部下、マーロックです。
人間との共存も視野に入れているシルク・ド・フリークの面々と異なり、彼等は残虐な犯行を繰り返す非常に攻撃的な吸血鬼です。彼等に何故か狙われているダレンを匿う事で、サーカスにも危険が迫っているのでした。そして彼等の読み通り、サーカスにミスター・タイニーらが現れます。ダレンを差し出すようにというミスター・タイニーの申し出を断ったサーカスに対して、彼等の魔の手が伸びます。
そして、サーカス内に出来たダレンの思い人であるレベッカが彼等に拉致されてしまったのでした。レベッカを助けるべく、ダレンは単身ミスター・タイニー達のアジトに向かいます。
映画『ダレン・シャン』の結末・ラスト(ネタバレ)
すると何と、そのアジトにはミスター・タイニーとマーロックのみならず、ダレンの親友であるスティーヴが待ち構えていました。スティーヴは吸血鬼になりたかった自分ではなくダレンが選ばれた事を根に持ち、ダレンが自分を裏切ったと感じていたのです。そしてダレンとスティーヴの全面対決が始まりますが、ヴァンパイアとなって一滴も血を飲んでおらず、更に十分な戦闘訓練を受けていないダレンはスティーヴに押され始めます。
クレプスリーも助けに現れますが、ミスター・タイニーとマーロックに阻まれダレンを助け出すことができません。そんな時、レベッカがダレンに自分の血を飲んで欲しいと懇願します。恐るべきは血を飲むことでは無く、人間の心を忘れる事だというレベッカの言葉に、ダレンはレベッカの血を飲みヴァンパイアとしての真の力を発揮します。
覚醒したダレンにマーロックを倒されたミスター・タイニーは、スティーヴを連れその場から去りました。そしてダレンとクレプスリーは、レベッカを連れてできませんサーカスへと戻るのでした。
映画『ダレン・シャン』の感想・評価・レビュー
吸血鬼になってしまうという人生の一大危機を、むしろ積極的に迎え入れてしまうキャラクター造詣は案外新しく面白かった。実際はそういうものなのかもしれない。特に考えていない主人公たちが逆に頼もしく親しみを持てるが、アクションにそれほど見栄えがなく中盤以降の盛り上がりが少なくて残念。青春コメディでも血みどろアクションでも面白くなりそうな設定とキャラクターだったので、中途半端な進展に落ち着いたのは間違いだったように思う。(男性 30代)
作家ダレン・シャン著の児童向けファンタジー小説が原作。原作では作家本人の実体験を書いたことになっていて、もっと禍々しいくらいの描写が多く、同時期に人気を博した『ハリー・ポッター』シリーズよりも不気味な印象が強い作品だ。その作品を実写映画化。
原作を読破した身としては、今作は全てにおいて想像を外した残念な結果になってしまっている。今作は原作の1巻を描いているが、内容的には原作ありきのもので、初見の人には意味不明な演出が多かったのではないだろうか。主人公ダレンの親友スティーブが敵に回ってしまったのは、憧れのヴァンパイアに自分ではなくダレンが気に入られてしまった嫉妬からだし、タイニーがダレンばかりを襲うのは、後々にダレンが重要な位置付けとして存在する者だからだ。そういう意味では原作ファンには少々、物足りない映画だったのではないかと思う。(女性 40代)
児童文学の傑作が原作らしく、子供向けと承知で観ました。ですが少年少女に見せるにしては趣味が悪く感じられます。それと登場人物への感情移入がしづらいです。ダレンの性格からして蜘蛛を盗むのは違和感が残るし、親友のためにヴァンパイアになる決断も正義が感じられません。苦しむスティーブにも同情できません。監督や脚本は原作を読み込んだのか疑ってしまいます。もう少し人物一人一人を掘り下げてほしかったです。(男性 20代)
人気児童書を基にしたヴァンパイアもののダークファンタジー。原作は読んだことないので、どんな感じなのかよく分からないが、実のところ退屈と言わざるをえなかった。序盤はちょっと不気味で面白そうだと思えたが、ダラダラと続くアクションも演出もチープだった。
助けるつもりだったのに誤解されて親友と敵対する、というストーリーもどこかで聞いたことがあるようなもので、友達ならなぜ先に事情を聞かないでいきなり敵対するのかも意味不明である。(女性 20代)
小学生の時に、朝読書の時間にこの『ダレン・シャン』を読んでいる友達がいて貸してもらって読みましたが、子供ながらになんて趣味の悪い物語を読んでいるのだろうと若干引いてしまったのを覚えています。
当時の記憶のまま今作を鑑賞しましたが、面白さでいえば小説の方が遥かに上です。しかし、あの気味の悪い世界観が映像になるとこんな風になるのかと、比べながら鑑賞する楽しさもあるでしょう。
個人的には、ジョシュ・ハッチャーソンが大好きなので彼が出ているだけでも見る価値がありました。(女性 30代)
みんなの感想・レビュー
ダレン・シャンは小説で見る方が面白いかもしれない。
そんな気がしてならないファンタジー映画である。
またシリーズ化されるのだろうと思いきや、人気が無かったのかもしれない。
それ以降音沙汰も無い。
トワイライトシリーズに便乗してバンパイア映画を作ってはみたものの、パンチが弱く人気が出なかったということが現実であろう。
作品としては暇なときに見る分には申し分なく楽しめる。
深いところを探らなければ何となくは見ることも出来るし良い。
しかしアメリカのファンタジーはもっと良いものを作ってくれるはずだと思って鑑賞するときつい結果になる。
どこにでもありそうな、そしてどこかで見たことのあるような陳腐なアクションシーンが随所に散りばめられている印象が強い映画である。
高速移動などにアクションは面白かったが、吸血鬼同士が戦ってもどちらかが死ぬわけではなかろうし、いったいいつまでこれやるの?という疑問に思うアクションシーン。
大して派手でも無いアクションに最後は飽きてしまう。
この作品のフリークスの座長を務めているのが日本人俳優、渡辺謙である。
頭の長いフリークスを演じているのだが、何故ここに渡辺謙なのか。
もちろんハリウッド映画の出演は凄いが、この作品でそんなに名前を安く売る必要は本当にあったのか?
世界の渡辺謙ともあろう人が若干勿体ない気がする。
日本人ブランドをもっと大事にして欲しい。
この映画の最大の謎は、何のために戦っているのかの大義名分が良くわからないところだ。
半吸血鬼と吸血鬼の戦いが見たいから復活させたいのだという台詞が最初あるのだが、知識の無いこちら側には納得するもしないもないものだし、親友スティーブが敵になってしまうほどダレンに何かされたわけでも無い。
いわば毒蜘蛛に刺されたのは不慮の事故である。
もっというと見世物小屋に行きたいと言ったのは彼であるから、どちらかというと自業自得である。
もっともらしい理由をつけて何とか面白そうな題材を広げてみる、そんな臭いがしてしまうファンタジー作品である。
上質なファンタジー映画のヒットが多いアメリカでは、このような映画が受け入れられるのか謎だったが、実際には正当な評価がされているようだ。