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映画『グリーン・インフェルノ』のネタバレ・あらすじ・考察・解説

この記事では、映画『グリーン・インフェルノ』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説し、この映画の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。

  1. 映画『グリーン・インフェルノ』の作品情報
  2. 映画『グリーン・インフェルノ』の登場人物(キャスト)
  3. 映画『グリーン・インフェルノ』のネタバレ・あらすじ(起承転結)
    1. 映画『グリーン・インフェルノ』のあらすじ【起】
    2. 映画『グリーン・インフェルノ』のあらすじ【承】
    3. 映画『グリーン・インフェルノ』のあらすじ【転】
    4. 映画『グリーン・インフェルノ』の結末・ラスト(ネタバレ)
  4. 映画『グリーン・インフェルノ』の考察・解説(ネタバレ)
    1. 映画『グリーン・インフェルノ』のラストで、なぜジャスティンは嘘の証言をしたのか?
    2. 映画『グリーン・インフェルノ』の下痢シーンが意味するものとは?
    3. 映画『グリーン・インフェルノ』に気まずいシーンはあるか?
    4. 映画『グリーン・インフェルノ』は、どのあたりがグロいのか?
    5. 映画『グリーン・インフェルノ』でラストの衛星写真に写っていたのはアレハンドロか?
    6. 映画『グリーン・インフェルノ』は実話を基にした作品?
    7. 映画『グリーン・インフェルノ』の残虐な人間解体シーンについて
    8. 映画『グリーン・インフェルノ』のジョナは黄熱病だったのか
    9. 映画『グリーン・インフェルノ』で、なぜジャスティンは白塗りにされたのか?
    10. 映画『グリーン・インフェルノ』では、ジャスティンを助けてくれた男の子の存在が重要だった?
  5. 映画『グリーン・インフェルノ』はどこで見れる?フルで無料視聴する方法は?

映画『グリーン・インフェルノ』の作品情報


出典:U-NEXT

製作年 2013年
上映時間 101分
ジャンル ホラー
モンド
監督 イーライ・ロス
キャスト ロレンツァ・イッツォ
アリエル・レビ
ダリル・サバラ
カービー・ブリス・ブラントン
製作国 アメリカ
チリ

映画『グリーン・インフェルノ』の登場人物(キャスト)

ジャスティン(ロレンツァ・イッツォ)
大学生。父親が国連に勤めており、自身も人権問題の解決に熱心。
アレナンドロ(アリエル・レヴィ)
人権保護サークルのリーダー。表向きは慈善運動に熱心だが、実は他人を自分が成り上がるための道具としか考えていない。

映画『グリーン・インフェルノ』のネタバレ・あらすじ(起承転結)

映画『グリーン・インフェルノ』のあらすじをネタバレありの起承転結で解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『グリーン・インフェルノ』のあらすじ【起】

木々が生い茂るペルーの森の中。とある部族の老人が子供を連れて歩いていると、騒音が響き渡った。重機の音だ。大自然の真只中にある森にも開発の波は押し寄せていた。

森の近くの町では労働者が待遇の改善を訴えるハンストが行われていた。デモに賛同している大学生のジャスティンはハンストを実践する。対して友人のケイシーはデモ隊のことを偽善だと見下し、勝手に餓死してくれれば、騒音から解放されると侮蔑した。

二人は、大学で民族儀式の講義を受けた。アフリカや中東、アマゾンの部族の間には、女性が村の者に女だと認めてもらうために陰核を切除する儀式があるという。それを知ったジャスティンは残酷な仕打ちに憤慨した。

講義の終わり、同じ授業を受けていた男子生徒から声をかけられるジャスティン。男子生徒は人権活動サークルに所属しており、父が国連で人権問題の解決に努めているジャスティンを勧誘しようとしていた。彼らはハンストを主催していたグループで、ジャスティンは彼らの組織に興味を抱いた。

映画『グリーン・インフェルノ』のあらすじ【承】

ジャスティンはその晩、父と夕食を共にし、講義で知った話を聞かせる。世界各地で行われている女性に対する不当な扱いを国連は是正できないのかと訴えるジャスティンに対し、父は一朝一夕に解決するものじゃないと言って宥めようとする。石油問題にはすぐ首を突っ込むのにと、ジャスティンは父を詰った。

ジャスティンは男子生徒に紹介されたサークルに参加することにした。サークルの会議では、資源開発のため、存続の危機に陥っているペルーのジャングルを守る手段について話し合われていた。文明の波が森と民族を抹殺していく。リーダーのアレハンドロはそのことを真剣に危惧していたが、茶化してきたジャスティンに苛立ち、彼を追い出した。次の日、反省したジャスティンはアレハンドロに謝罪し、協力を申し出る。

人権サークルは、ペルーのジャングルで暮らすヤハ族を救うため、現地に乗り込むことにした。前回の反省から、グループに貢献したいと考えていたジャスティンは、その活動への参加を表明する。ケイシーに引き留められたが、彼女の決意は固かった。

映画『グリーン・インフェルノ』のあらすじ【転】

出発の日、父はジャスティンを引き留めようとし、ケイシーは間違っていると彼女を批難した。それでもジャスティンは心変わりをしなかった。ケイシーは旅立つ友人の無事を祈った。

飛行機でペルー入りしたサークルのメンバーは、現地スタッフのカルロスの協力の下、ジャングルを目指した。皆、観光気分だった。写真を撮るのに熱中し、観光客向けのレストランで食事を取り、住環境にも文句を言う。それでも彼らは人を救いにきたつもりでいた。

食事の後、遂に彼らはジャングルに踏み込んだ。開発企業の制服に着替え、従業員に扮した彼らは、作業現場に乗り込むと重機や木に自分を縛り付けて、作業を妨害しようとした。しかし、彼らは逮捕されてしまった。

ジャスティンは怒りに震えていた。アレハンドロは、国連の従業員の娘という自分の立場を利用して目立とうとしたのだ。強制送還される飛行機の中で、ジャスティンはアレハンドロを批難する。ジャスティンが眼下のジャングルを見下ろしていると、突如、飛行機の動力に異常が生じ、ジャングルの中に不時着してしまった。機体は真っ二つに折れ、運転席には木の幹が突き刺さった。何人かは外に投げ出され、機体に残った者も重傷を負った。

飛行機の残骸から這い出たジャスティンたちだが、彼らを何者かが包囲した。全身を赤く塗った部族の人間で、彼らは生き残った人権サークルのメンバーを槍や矢で撃ち抜いていった。ジャスティンも急所に矢を受け、倒れてしまう。

映画『グリーン・インフェルノ』の結末・ラスト(ネタバレ)

目が覚めると、ジャスティンは部族の船に乗せられていた。船は部族の集落に向かっていた。部族の集落の入口には杭が打たれており、そこには生首や、肉を剥されたばかりの真赤な骸骨が突き刺さっていた。怯え戸惑うメンバーたちは、族長の前に連れて行かれた。連れて来られたジャスティンたちを見て、村長は神の贈り物だと民に言う。族長により品定めの後、人権サークルのメンバーは一人を残して牢に入れられた。牢に入れられなかった一人は、石でできた儀式用の台に縛り付けられると、村長により両目を抉られた。抉った目を村長は喰らい、それから舌を切り落としてそれも食べた。その後、部族の民は人権サークルのメンバーの四肢を切り落とし、首を断つと、零れた血を飲み乾した。

儀式の後、切られた四肢と胴は調理され、部族の食事になった。檻に入れられたメンバーの一人が恐怖で便を漏らす。すると、それを見た部族の者たちは彼らを嘲笑した。

助けを待つのは絶望的だった。しかし、資源開発の企業のブルドーザーが来る見込みがある。彼らは自らが妨害した企業に縋るしかなかった。

明くる日、ジャスティンを含めた牢の女性が連れ出される。彼女たちは族長の前で服を剥され、陰部に骨でできたツメを突き刺された。族長による品定めの結果、ジャスティンが選ばれ、建物の中に連れて行かれた。

救援を呼ぶため、牢にいた一人が脱走を試みる。一人が川に逃げ込んだのと入れ違いで、全身に白い化粧を施されたジャスティンが戻ってきた。彼女は何をされたか覚えていないという。ジャスティンが戻ってきた直後、牢のメンバーに食事が振る舞われた。与えられた食事を食べていると、その肉の表面に何かが刻まれていることに気付いた。それは、脱出したメンバーの身体に刻まれていたタトゥーだった。それに気付いた一人は、仲間の肉を食わされたことに絶望し、食事が盛られていた盆を割って自分の首を切った。

人権サークルのメンバーは、町で手に入れていたマリファナを仲間の死体に入れておくことを提案した。部族の者たちは、焼いて肉を食う。その煙を吸えば部族の者たちは酩酊して、その隙に逃げ出せるだろうと考えたのだ。作戦は成功し、ジャスティンはアレハンドロを置き去りに脱出に成功する。

飛行機の墜落現場に戻ったジャスティンたちは、墜落の時に死んだ仲間が杭に突き刺さっているのを目の当たりにする。その死体が持っていた携帯電話を回収するものの、ジャスティンは追ってきた部族の者たちに再び捕まってしまう。

連れ戻されたジャスティンは、手足を杭に縛られ、白い化粧を施される。族長がやってきて、彼女の陰部にツメを突き立てようとしたその時、集落が物々しい空気に包まれる。川の方から一人の男がやってきて、資源開発の会社の従業員の首を掲げていた。部族の者たちはジャスティンを置き去りにして、どこかに行ってしまった。その隙に、ジャスティンは集落を脱出する。

逃げた先では、部族の戦士たちとペルー軍が戦闘を繰り広げていた。ジャスティンはペルー軍に救助され、ジャングルを脱出した。

学生寮に戻ったジャスティンは、悪夢から目を覚ました。外ではアレハンドロを英雄視した別の人権団体がデモをしていた。

映画『グリーン・インフェルノ』の考察・解説(ネタバレ)

映画『グリーン・インフェルノ』の疑問や謎をわかりやすく考察・解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

映画『グリーン・インフェルノ』のラストで、なぜジャスティンは嘘の証言をしたのか?

『グリーン・インフェルノ』の結末で、ジャスティンはアマゾンでの恐ろしい体験について嘘の証言をします。彼女は捕食者である先住民に遭遇し、仲間たちが次々と残忍な方法で殺されるのを目撃しました。しかし、帰国後のインタビューで彼女は、「先住民たちは友好的で、自分たちを助けてくれた」と述べたのです。

ジャスティンがこのような嘘をついた理由はいくつか考えられます。まず、生き残ったことへの罪悪感や、仲間が死んでしまった現実を受け入れられなかったのかもしれません。また、先住民が自分を食べずに解放してくれたことから、彼らに対する憎しみを持てなくなったとも解釈できます。

もう一つの可能性は、活動家としての立場を守るためです。真実を話せば、先住民に対する国際的な非難が集中し、彼らの生活が脅かされるかもしれません。ジャスティンは、先住民たちが生きるために行動していることを理解し、彼らの生活を守るために嘘をついたのかもしれません。

この結末は、ジャスティンがアマゾンでの経験を通じて成長し、単純な善悪の区別を超えた視点を持つようになったことを示唆しています。彼女は、先住民の行動を一概に非難できなくなったのです。

映画『グリーン・インフェルノ』の下痢シーンが意味するものとは?

『グリーン・インフェルノ』には、捕らえられた登場人物たちが食事を与えられた後に下痢を起こすシーンがあります。このシーンは単なるギャグではなく、いくつかの重要な意味を持っています。

まず、このシーンは肉体的な苦痛や恐怖だけでなく、生理的な不快感を通して彼らの絶望と無力感を表現しています。下痢は彼らの肉体的限界を示し、過酷な環境や異文化の食事に適応できない様子を描いています。文明社会で育った若者たちがいかにこの地で無力であるかが強調されているのです。

また、このシーンは彼らがアマゾンで捕まった後、完全に支配され、抵抗する力さえ失っていることを象徴しています。彼らは自由を奪われ、生きることすらコントロールされている状況なのです。

さらに、下痢シーンは一時的に物語の緊張感を和らげる効果もあり、その後に続く残虐な展開との対比を際立たせています。このシーンは登場人物たちの無力さと絶望を表現するための重要な要素なのです。

映画『グリーン・インフェルノ』に気まずいシーンはあるか?

『グリーン・インフェルノ』には、文化の違いや登場人物たちの無理解が強調される場面が多く、「気まずい」と感じられるシーンがいくつかあります。例えば、捕らえられた若者たちが先住民の村に連れて行かれた後、現地の文化や習慣を理解できずに戸惑ったり、恐怖に怯えたりする場面などです。

これらのシーンでは、登場人物たちが先住民に対して無知で、彼らの行動や言動がいかに異質に見えるかが強調されています。言葉が通じないために先住民の意図が理解できず、ただ恐れおののいている彼らの様子は、見ていて気まずさを感じさせます。

また、先住民の儀式や習慣を目の当たりにしたとき、登場人物たちが嫌悪感や不安を抱くシーンもあります。これらは文化的な違いから生じる反応ですが、観客にとっても理解しづらかったり、不快に感じたりする瞬間が多いのです。

こうした気まずいシーンは、「異文化の中でどう振る舞うべきか」という問いを投げかけると同時に、登場人物たちの無知と恐怖が彼らの運命にどのような影響を与えるかを示唆しています。観る者に不快な感情を呼び起こしつつ、物語の緊張感を高める効果もあるのです。

映画『グリーン・インフェルノ』は、どのあたりがグロいのか?

『グリーン・インフェルノ』は残虐でショッキングなシーンが多く、観客に強烈なインパクトを与えます。特に「グロい」と感じられるのは、リアルで過激な描写が使われている捕食シーンや拷問シーンです。

例えば、若者たちが捕らえられた直後、ジョナが儀式の生贄として殺されるシーンは非常に衝撃的です。彼の体が生きたまま解体され、内臓が取り出される様子は、残酷で見る者に強い不快感を与えます。さらに彼の死体がそのまま調理され、村人たちに食べられるシーンは、リアリティのある描写と相まって、「グロい」と感じさせる要因となっています。

また、他の捕虜たちも次々と残忍な方法で殺され、食べられてしまいます。これらのシーンでは、血や肉体の損壊が生々しく描かれており、視覚的にショッキングな印象を与えます。

さらに、捕食シーン以外にも、登場人物たちがパニックに陥り、お互いを裏切ったりする場面も、精神的な意味で「グロい」と感じさせます。極限状態における人間の醜さや無力さがリアルに描かれ、観客に深い不快感を与えるのです。こうした要素が組み合わさることで、『グリーン・インフェルノ』は「グロい」映画として知られるようになりました。

映画『グリーン・インフェルノ』でラストの衛星写真に写っていたのはアレハンドロか?

『グリーン・インフェルノ』の最後のシーンで、ジャスティンが自宅に戻ると、アレハンドロの妹から電話がかかってきます。その直後、彼女の机の上に衛星写真が映し出されるのですが、そこには赤い塗料を塗った人物が先住民の中に立っている姿が写っています。この人物がアレハンドロなのかどうかは、観客に大きな疑問を投げかけます。

映画の中でアレハンドロは、他の仲間たちが残忍に殺される中、必死に先住民に助けを求め、自分の命を守ろうとしました。彼が先住民に取り入ろうとする姿は、利己的な性格を象徴しています。もし衛星写真の人物が本当にアレハンドロだとすれば、彼は自分の命を守るために先住民と取引を行い、彼らの一員として受け入れられた可能性があります。

ただし、このシーンは彼がどうやって生き延びたのか、その後どうなったのかを明らかにしていません。写真の人物が本当にアレハンドロなのか、それともジャスティンの想像や罪悪感の表れなのかは曖昧なままです。監督はこの曖昧さを残すことで、観客にアレハンドロの運命や物語の結末について考えさせようとしているのかもしれません。

映画『グリーン・インフェルノ』は実話を基にした作品?

『グリーン・インフェルノ』は実話に基づいた作品ではありませんが、現実の社会問題やテーマを反映しています。監督のイーライ・ロスは、環境保護活動家や未接触部族、開発問題など、現代社会における矛盾や対立を題材に取り上げているのです。作品の舞台となるアマゾンの森林伐採や、先住民の生活が脅かされている状況は、実際に存在する問題です。

映画のタイトル『グリーン・インフェルノ』は、1980年公開のイタリア映画『食人族』の別名でもあり、同じく未接触部族と文明社会の衝突をテーマにしています。イーライ・ロス監督はこれらの作品に影響を受けつつ、現代的な視点を取り入れて映画を制作したのです。

登場人物たちがアマゾンの森林伐採を阻止しようとする姿や、先住民と接触するシーンは、現実の環境保護運動や文化的衝突を彷彿とさせます。ただし、映画で描かれる残虐な儀式やカニバリズムは誇張されており、現実にそのまま当てはまるわけではありません。

つまり、『グリーン・インフェルノ』は実話そのものを描いた作品ではなく、現実の問題を背景に持つフィクションです。この映画は、「文明と未接触部族の関係」という普遍的なテーマを通して、観客に現代社会の矛盾や課題について考えさせる狙いがあるのです。

映画『グリーン・インフェルノ』の残虐な人間解体シーンについて

『グリーン・インフェルノ』で最もショッキングなシーンの一つが、生きた人間が解体されるシーンです。登場人物のジョナが先住民たちに捕らえられ、儀式の生贄として残忍に解体される様子が克明に描かれているのです。このシーンでは、ジョナの目が抉り出され、手足が切断され、体がバラバラにされていく過程が、非常にグロテスクに表現されています。

このシーンの目的は観客にショックを与えるだけでなく、文明社会と未接触部族の間にある文化的なギャップや相互の無理解を浮き彫りにすることにあります。先住民にとってはこの行為が彼らの文化や伝統に基づいたものであり、正当化されるのですが、観客や登場人物の目には極端な残虐行為としか映りません。ここには、両者の間にある越えがたい隔たりが象徴されているのです。

人間の肉体が破壊される様子を赤裸々に描いたこのシーンは、映画の中でも特に衝撃が大きく、視覚的なインパクトが強いため、多くの観客の記憶に強く残ります。それは単なる恐怖を超えて、文明社会と異文化の間にある理解不能な溝を表現しているからです。だからこそ、この残虐シーンは映画の中で最も議論を呼ぶ場面の一つとなっているのです。

映画『グリーン・インフェルノ』のジョナは黄熱病だったのか

映画の中で、先住民に捕らえられたジョナが黄熱病に感染していたのではないかという疑惑が浮上します。しかし、実際に彼が黄熱病だったのかどうかは、映画内で明確には示されていません。ジョナが殺される前のシーンで、体調が悪そうに見える描写がありますが、それが黄熱病の症状なのかは定かではないのです。

黄熱病はアマゾンのような熱帯地域で感染する可能性がある病気で、発熱や黄疸、出血などの症状が現れることがあります。もしジョナが本当に黄熱病に感染していたとすれば、彼が最初に犠牲になったのは、先住民が感染源を排除しようとした結果だったのかもしれません。

ただし、映画の中でジョナが殺された理由としては、黄熱病よりも彼が部族の外部者だったことが重視されているように見えます。ジョナの殺害は、侵入者を排除し、部族の安全を守るための儀式的な行為として描かれているからです。

したがって、ジョナが黄熱病に感染していた可能性は完全には否定できないものの、あくまで推測の域を出ません。むしろ映画全体のテーマや先住民の行動原理を考慮すると、病気よりも文化的な理由が優先されていたと解釈するのが自然でしょう。

映画『グリーン・インフェルノ』で、なぜジャスティンは白塗りにされたのか?

『グリーン・インフェルノ』の中で、先住民に捕らえられたジャスティンが白塗りにされるシーンがあります。この白塗りは、部族の特別な儀式の一環として描かれています。先住民たちはジャスティンを他の捕虜とは異なる存在として扱い、「処女」のような神聖な存在として位置づけていたため、特別な儀式の対象にしたのだと推測されます。

白塗りにされたことには、ジャスティンが生贄として捧げられる準備が整ったことを示す意味合いがあるのかもしれません。また、白という色は多くの文化で純潔や無垢を象徴するため、先住民にとってジャスティンを特別な存在として扱うための手段だったとも考えられます。

さらに、白塗りによってジャスティンは部族の注目を集め、他の捕虜とは違う運命が待ち受けていることが示唆されています。彼女は単に殺されるのではなく、より神聖で重大な役割を担わされることが予感させられるのです。

このシーンは、ジャスティンが置かれた恐怖と孤立の状況を浮き彫りにすると同時に、未知の文化の中で彼女がどのような運命をたどるのかという疑問を観客に抱かせる重要な場面となっています。白塗りという行為を通して、先住民の文化や儀式の一端が象徴的に表現されているのです。

映画『グリーン・インフェルノ』では、ジャスティンを助けてくれた男の子の存在が重要だった?

『グリーン・インフェルノ』の中で、先住民の村に捕らえられたジャスティンを助けようとする一人の男の子が登場します。この男の子の存在は、物語の展開に欠かせない重要な役割を果たしています。彼の助けがなければ、ジャスティンが最終的に村から脱出することはできなかったでしょう。

男の子は、村の中でも特異な存在であり、他の部族員とは異なる視点を持っています。ジャスティンに好意を抱き、彼女が他の捕虜とは違うことを理解した男の子は、彼女を助けることを決意します。ジャスティンが白塗りにされ、処刑の危機に瀕している時も、男の子は食べ物を与えたり、彼女の不安を和らげようと努めたりするのです。

男の子のこうした行動は、先住民が一様に残虐な存在ではなく、彼らの中にも個人の感情や思いやりが存在することを示唆しています。この男の子のおかげで、映画は単なる「文明 対 野蛮」という二項対立を超えて、より複雑な人間関係や文化の違いを描き出すことに成功しているのです。

そして物語の終盤、男の子はジャスティンの村からの脱出を手助けし、彼女の命を救います。この行動がジャスティンの生還のきっかけとなり、物語の結末を大きく左右することになるのです。男の子の存在は、「異なる文化の間にも理解と共感は存在する」というメッセージを映画全体で伝える上で欠かせない要素となっています。

彼は、一見すると対立しか生まれなさそうな状況の中で、人間性の尊さと思いやりの大切さを体現するキャラクターだと言えるでしょう。だからこそ、男の子の存在は観客の心に強く訴えかけ、この作品の印象を深めるのに大きく貢献しているのです。

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みんなの感想・レビュー

  1. 隈さん より:

    グロテスクかかってこい!な方にはオススメです。

    一通り見た感想といえば……ショックシーンが多過ぎて体調を万全にして臨まないとぶっ倒れそうなくらいハードでしたww

    特に洋画ならではのラブシーンやトリックなどの頭脳シーンはないですが、脱出を試みる主人公達の攻防戦がハラハラして目が離せませんでした。

    ※映画を見る際は食事より飲み物くらいにしておくことをお薦めします※ww

  2. 匿名 より:

    年齢制限がかかっている時点である程度のスプラッターは予測できたが、ともかくグロテスクな表現が多い。いわば食卓に上がる前のマグロの解体ショーを見せられているようなものである。私たちにとって食人族の行動が信じられないものであっても、彼らにとってはこれが日常なのだ。

    目を覆いたくなるようなスプラッター描写の一方で、本作品はリアリティにこだわりを強く持っている。

    実際に現地の民族(もちろん食人族ではないが)の方々に台本を渡し、演技をしてもらったというのだから面白い。

  3. 匿名 より:

    学生時代、必ず一人は理想に燃える人がいたであろう。この映画は理想だけを抱き、正しい行動を起こさない者への警鐘を示している。

    と、言ってはみるもののそうではないだろう。食人族に出会ってしまえば善人も悪人も関係なく彼らの食事だ。いわば自然の摂理である。

    食事を(学生たちを解体)する際に、一見するとバラエティ番組にありがちなのどかな村の食事風景のようなカメラワークが特徴であった。

    そういった意味では不条理なホラー映画よりも筋の通った内容であった。

  4. 匿名 より:

    DVDパッケージは遠目から見ると主人公が佇んでいる森がドクロマークのように見える作りになっており細部に遊び心の感じられる作品である。

  5. 匿名 より:

    私たちはどこまで他国の文化に口出しすることができるのか?本作のテーマはある意味ここに集約している。

    女性の割礼は、他国から見れば人権侵害と唱えることができる。ところが割礼をずっと行ってきた村にとってはそれが風習、そして文化なのである。

    例えば私たち日本人が食事に箸を使うのと同様に。相撲の土俵に女性が立ち入れないのと同様に。

    それを否定するのは間違っていることか?正しいことか?割礼だけが非人道的な文化なのか?人道的な文化は誰が決めるのか?

    非常に難しい問題である。無論こうした答えの出ない問題に正面から立ち向かうのは素晴らしいことである。

    しかし間違った行動はそれに伴うしっぺ返しが伴うというのを本作品は教えてくれる。