映画『群衆(1941)』の概要:マスコミによって架空の男「ジョン・ドー」に仕立て上げられた男が民衆の英雄となっていく様を描く、1941年の名作社会派ドラマ。フランク・キャプラ監督の描くマスコミに翻弄される群衆の姿は、現代にも通ずるものがある。
映画『群衆』の作品情報
上映時間:124分
ジャンル:ヒューマンドラマ
監督:フランク・キャプラ
キャスト:ゲイリー・クーパー、バーバラ・スタンウィック、ウォルター・ブレナン、エドワード・アーノルド etc
映画『群衆』の登場人物(キャスト)
- ジョン・ドー / ジョン・ウィラビー(ゲイリー・クーパー)
- ジョン・ドーは新聞記者アンがでっち上げた架空の男。「ジョン・ドー」には日本語でいう「名無しの権兵衛」と同じような使われ方がある。自分を失業に追い込んだ政治に抗議するため、クリスマスイブに市庁舎から飛び降り自殺するという投書をした、という設定。アンの原稿によって隣人愛を説き、人々の支持を得る。
ジョン・ウィラビーは、発行部数を伸ばすため、「ジョン・ドー」役として新聞社が雇った無職の男性。元マイナーリーグの野球選手だったが、腕の故障を機に引退。相棒の「大佐」と演奏をしながら根無し草の生活を送っていた。ハンサムだが、純朴で世間知らず。今までは他人のことなど考えることもなかった。
- アン・ミッチェル(バーバラ・スタンウィック)
- 新ブレティン社でコラムを担当している新聞記者。クビにされかけ、架空の男「ジョン・ドー」からの手紙をでっち上げコラムに載せる。1人で母親と2人の妹を養っており、借金を抱えている。亡き父親もものを書く仕事をしていた。次第にジョンに惹かれ、良心と仕事との狭間で思い悩むことになる。
- D.B.ノートン(エドワード・アーノルド)
- アンの働く新聞社を買収した街の有力者で、警察さえも動かすことができる。ジョン・ドーの精神に賛同した人々の「ジョン・ドー・クラブ」の活動を推し進めるが、その真の目的は、彼らを扇動して自分が国政入りすることにあった。
- 「大佐」(ウォルター・ブレナン)
- ジョンと一緒に演奏をしながら放浪している男。本名は不明でジョンからは「大佐」と呼ばれている。金や権力というものを毛嫌いしており、有名になったジョンに群がる人々を「亡者」と呼んで批判している。「ジョン・ドー」として活動し始めたジョンから一度は離れたが、扇動された群衆から罵倒されるジョンをいち早く助け出した。
- ヘンリー・コネル(ジャームズ・グレソン)
- 新ブレティン社の編集長でアンの上司。一度はアンをクビにするが、「ジョン・ドー」に関するアンの提案に乗り、復職させる。権力に弱いが、一方で次第にジョンの人柄と「ジョン・ドー」の精神に感化され、ジョンを政治に利用しようとするノートンに嫌悪感を顕わにする。ライバルは競合新聞社のクロニクル社。
- ミッチェル夫人(スプリング・バイントン)
- アンの母親。金はないがとてもお人好しで、よく隣人の手助けをしている。亡き夫もお人好しだったようで、その精神が「ジョン・ドー」のスピーチ原稿に大きな影響を与えた。
- ロベット市長(ジーン・ロックハート)
- 新ブレティン社がある街の市長。「ジョン・ドー」の記事に右往左往させられている。
映画『群衆』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『群衆』のあらすじ【起】
D.B.ノートンに買収され「新ブレティン社」と名を変えた新聞社では、大勢の社員が解雇されることとなった。その中の1人、女性記者のアンは、ヘンリー・コネル編集長にクビの理由はコラムに刺激がないからだと言われ、でっち上げ記事を思いつく。ジョン・ドーという失業した架空の男を作り出し、その男から「クリスマスイブに市庁舎から飛び降りる」という内容の手紙が届いたとコラムに綴ったのだ。
翌日ニューヨークは「ジョン・ドー」の話題で持ちきりだった。政治を批判する手紙の内容に、州知事も手を打つべきと考え市長に対応を取らせる。コネル編集長も慌ててアンを呼び出した。アンに手紙はでっち上げだと聞かされたコネル編集長は事態の収拾を図るが、アンはこのネタを利用して売り上げを伸ばすべきだと主張した。幸い新聞社には、自分がジョン・ドーだと主張する人が大勢集まっている。この中からジョン・ドーを演じる男を雇い、クリスマスイブに自殺させようというのだ。編集長も乗り気になり、元マイナーリーグの野球選手だが今は無職の男・ジョン・ウィラピーを採用する。アンは復職し、ボーナスまで手に入れた。コネル編集長はジョンにホテルを手配し、クリスマス後に故障した腕の治療代まで払うと約束した。ジョンの連れ・「大佐」は反対したが、腕を治したいジョンは「ジョン・ドー」役を引き受ける。
映画『群衆』のあらすじ【承】
ジョンの写真が載った新聞は反響を呼び、瞬く間に発行部数が伸びた。アンの進言で、D.B.ノートンはジョンのラジオ出演を手配する。ノートンはアンを自分の直属にし、ラジオの原稿を書かせることにする。アンは張り切るが、なかなか良い文章が書けない。母親は政治への批判ではなく、シンプルで希望を持たせる内容にした方が良いとアドバイスする。物書きだった亡き父の日記を参考に、アンは再び原稿を書き始める。
ジョンは贅沢な暮らしに浮かれ、腕を治して野球選手に復帰する日を夢見ていた。しかし、ライバル新聞社のクロニクル社の手の者から、人々を騙していたとバレれば野球人生は終わりだと言われ心が揺れる。ラジオでノートンに騙されたのだと告白すれば5千ドル払うと言われ、原稿を渡される。
ラジオ放送当日。自分の書いた原稿には父の魂が宿っていると目を輝かせるアンに、ジョンはどちらの原稿を読むべきか悩んでいた。ジョンが読んだのは、アンの原稿だった。ジョンは「ジョン・ドー(名無しの権兵衛といった意味)」は世の中に大勢いるとスピーチし、隣人と団結すべきなのだという彼の言葉は民衆を大いに感動させた。
ジョンはアンの言葉に乗って大金をふいにしてしまったことを後悔し、「大佐」と共に逃げ出した。しかしラジオを聴いていた人々にばれ、すぐに連れ戻されてしまう。
スピーチに感動した人々は、各地で「ジョン・ドー・クラブ」を作り始めた。「ジョン・ドー」役を辞めようとするジョンだったが、クラブの人々の話を聞いて説得されてしまう。人々は、今まで避けていた隣人と交流し始め、お互いが実は良い人間だと気付き団結し始めたのだ。「大佐」はジョンに愛想を尽かし出て行ってしまった。
映画『群衆』のあらすじ【転】
ジョンはアンと共に全国のジョン・ドー・クラブを回り始める。クラブの数はどんどん増えていく。ついには国政までもがジョン・ドーの動向に注目し始める。ノートンは市長をホストに、全国のジョン・ドー・クラブの集会を開くことに決める。更にノートンは、コネル編集長からジョンに関する契約書などを自分に渡すよう命じる。コネル編集長はノートンの真意を測りかねていた。
アンは良心の呵責を感じていた。アンとジョンはお互いを愛するようになっていたが、どちらも気持ちを打ち明けられずにいた。クラブの全国集会直前、アンはノートンに呼び出される。そこで初めて、アンはノートンの真意が、「ジョン・ドー党」を立ち上げ党総裁として自分が国政に進出することなのだと知る。アンはジョンが利用されることに強い罪悪感を抱いたが、家族を養うためにも後には引けないところまで来てしまっていた。
その頃、ジョンはアンの自宅を訪ねていた。ジョンはアンに結婚を申し込みたいと考えていたのだ。アンは留守で、ジョンは彼女の母に気持ちを相談する。彼女の家を出たジョンを、コネル編集長が待ち受けていた。コネル編集長は、ノートンが政界進出にクラブを利用しようとしていると警告した。アンもグルだと言われジョンは始め信じなかったが、スピーチの原稿を見せられノートン邸に急ぐ。
ノートン邸には政界進出の甘い汁を吸おうとする権力者たちが集まっていた。そこにアンもいるのを見たジョンは、原稿を破り捨てノートン達を罵った。するとノートンは、ジョンが金に釣られた偽物だと暴露すると脅した。それでもジョンは、人々の心に芽生えた良心を壊させはしないと啖呵を切って会場へ向かった。アンはその言葉にジョンを信じようと心を決めたが、ジョンは彼女を冷たく突き放す。
映画『群衆』の結末・ラスト(ネタバレ)
会場には1万5千人もの群衆が集まっていた。ジョンが会場入りしたが、スピーチをする前に、会場にジョン・ドーは偽物だという新聞が配られ始める。さらにノートンの指示を受けた警察も、ジョンを逮捕しにやってきた。ノートンはマイクの前に立ち、ジョンのことを、嘘をついて会費を横領した詐欺師だと主張した。書類を手に入れたのはこのためだったのだ。警察が群衆を扇動し、会場はジョンへのブーイングの嵐となった。もはや誰もジョンの言葉を聞いてはいなかった。群衆は今にもジョンを殺しそうな勢いで、石を投げるものまで出始めた。アンはコネル編集長と共に市長の元に監禁され、ジョンを心配して泣き崩れる。ジョンは会場に来ていた「大佐」に助けられ、行方が分からなくなった。彼の心を絶望が占めていた。
クリスマスイブ。アンはジョンが本当に自殺するのではと心配し、病気の身を挺して市庁舎へやってきた。ノートンと取り巻き達も、もしもの時に手を打つため市庁舎へ来ていた。ジョンは屋上に立ち、飛び降りようとする。しかしアンが追いつき、諦めてはいけないと彼を抱き留めた。最初の「ドー(=キリスト)」の信念は2千年生き続けていると訴え、アンは気を失ってしまった。「ジョン・ドー」の精神を失ってはいない人々も駆け付けていた。いくつかのクラブは彼を責め立てたことを後悔し、今も活動を続けていたのだ。ジョンは自殺を止め、アンを抱きかかえてクラブの人々に迎えられた。
映画『群衆』の感想・評価・レビュー
有名になりたい、誰かの役に立ちたい、他人から尊敬されたいなど、他人よりも上に立つことを望む人は少なくありませんよね。野心や向上心があってとてもいい事だと思いますが、それが「お金」を目当てに引き受けた偽りの気持ちだとしたら、本当に有名になった時、素直に喜べるでしょうか?
自分の想像していた以上に人に注目されてしまうと「何かしなきゃ」と咄嗟に嘘をついて自分を大きく見せたくなってしまう気持ちが本当によく分かりました。良くも悪くもそれが人間の本質なのかなと感じます。(女性 30代)
みんなの感想・レビュー