映画『I am Sam アイ・アム・サム』の概要:知的障害ゆえに娘と引き離された男性と幼い娘との親子愛を描く、2001年公開の感動作。知的障害を持つ父親をショーン・ペン、その娘をダコタ・ファニングが演じ、どちらも高い評価を受けた。
映画『I am Sam アイ・アム・サム』の作品情報
上映時間:133分
ジャンル:ヒューマンドラマ
監督:ジェシー・ネルソン
キャスト:ショーン・ペン、ミシェル・ファイファー、ダコタ・ファニング、ダイアン・ウィースト etc
映画『I am Sam アイ・アム・サム』の登場人物(キャスト)
- サム・ドーソン(ショーン・ペン)
- 知的障害を持ちながら幼い娘を育てるシングルファーザー。7歳程度の知能しか持っておらず、純粋。スターバックスで机拭きの仕事をしている。ビートルズの大ファンで、折り紙が得意。
- ルーシー・ドーソン(ダコタ・ファニング)
- サムの一人娘。名前の由来はビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ」。年の割に賢く、自分の知能が父親を追い越してしまうことを恐れ、常にサムを気遣っている。一方でサムが他の父親と違うことに、内心恥ずかしさと物足りなさを感じてもいた。
- リタ・ハリスン(ミシェル・ファイファー)
- 養育権を求める裁判で、サムの弁護をすることになる女性弁護士。仕事は有能だが神経質で、職場の皆から恐れられている。結婚し息子がいるが、多忙のため息子の面倒をなかなか見られず、息子は彼女に心を閉ざしている。夫とも常に言い争う関係。
- アニー(ダイアン・ウィースト)
- サムの向かいの部屋に住む、心優しい中年女性。外出恐怖症で長い間部屋から出ていない。赤ん坊の子育てに苦労しているサムを見かねて、子育てを指南したりサムの仕事中ルーシーを預かってくれている。
- ランディ(ローラ・ダーン)
- ルーシーの里親となった女性。裕福な暮らしをしており、絵を描くのが趣味。ルーシーの良い母親になろうと愛情を注いでいるが、ルーシーからは心を開いてもらえずにいる。赤い服を着ていることが多い。
- ターナー(リチャード・シフ)
- 裁判でサムと対抗する立場にある検察官。リタに負けず劣らず有能で、厳しい口調でサム達を攻め立てる。
- ウィリー(チェイス・マッケンジー・ベバック)
- リタの息子。父からも母からも面倒を見てもらうことが少なく、リタに対して心を閉ざしてしまっている。
映画『I am Sam アイ・アム・サム』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『I am Sam アイ・アム・サム』のあらすじ【起】
サム・ドーソンはスターバックスで働く、7歳程度の知能しかない知的障害者。そんな彼に娘が生まれた。サムは彼女に、大好きなビートルズの曲名から取ってルーシーと名付ける。しかし娘の母親は、退院日にルーシーを残し、姿を消してしまった。サムは慣れない子育てに悪戦苦闘。そんな様子を見かねた向かいに住む外出恐怖症の女性アニーが、子育ての手助けをしてくれた。
サムの惜しみない愛情を受け、ルーシーは利発的な7歳の少女に成長する。自分が父親よりも賢くなっていること、他の父親とはどこかが違うことに気づき始める年頃だった。サムを気遣った彼女は難しい字を読むことを止めてしまう。学校の教師は彼女の成長への影響を心配していた。ルーシーはサムの事が大好きだったが、店で突然喚き始めたり、クラスメイトから父親が馬鹿にされる姿を見て、心の底で物足りなさや恥ずかしさを感じるようになっていた。
ルーシーの8歳の誕生日、サムはクラスメイトや自分の友人達を呼んでパーティーを開く。しかしサプライズを成功させようとするあまり、彼女のクラスメイトを押してしまった。クラスメイトの父親は偏見から「暴力を振るった」と怒り始める。そこにルーシーが帰って来たが、そのクラスメイトから「ルーシーは本当の父親ではないと言っていた」と聞かされてしまう。ルーシーは咄嗟に家を飛び出してしまう。
映画『I am Sam アイ・アム・サム』のあらすじ【承】
ちょうどその場に居合わせていた児童相談局員の通報で、ルーシーはサムから引き離されてしまった。サムにはルーシーを育てるだけの能力が無いと判断されたのだ。サムは友人達のアドバイスを受け弁護士のリタ・ハリスンを訪ねる。リタは初め、弁護料を払えないサムを相手にしていなかったが、同僚への見栄から無償で弁護を引き受けた。
養育権を争う裁判が始まったが、サム側にはまともな証言をできる人物がいない。さらにサム自身も、裁判中に不利になりそうな発言や進行を無視した行動をとる為、リタは頭を悩ませていた。ある日の面会後、ルーシーはサムにも嘘をついて2人で施設を逃げ出した。結局見つかってしまい、サムは児童相談曲だけでなくリタにもこっぴどく怒られる。
アルバイト先の店長とアニーが証人として来てくれた。アニーはターナー検事の追及を論理的に言いくるめるが、父親との関係を指摘され、深く傷ついてしまった。
明日はサムが証言台に立つ。リタは練習の為サムを自宅に連れてくる。そこには息子のウィリーが、父親も子守もいない家に一人で座っていた。リタは夫を電話で責めるが、ウィリーは多忙な母親に心を閉ざしてしまっていた。冷徹なように見えたリタも、息子の事で思い悩んでいたのだ。
証言当日、サムはアルバイト先でドリンク作りを任され、スーツを汚した上遅刻してしまう。ターナー検事はそんなサムの弱い部分を次々と責め立てる。サムは混乱し、自分が父親にふさわしくないともとれる発言をしてしまう。結局サムは裁判に負け、ルーシーと引き離されてしまった。
映画『I am Sam アイ・アム・サム』のあらすじ【転】
ルーシーはランディ・カーペンターの家に里子に出され、サムは数少ない面会日にしか会うことを許されなかった。誕生日、ルーシーはパパと会うのを楽しみに、プレゼントも開けずに待っていた。しかしサムは家の近くまで来たものの、ルーシーとランディの姿を見て声もかけずに帰ってしまった。それ以来サムは自分の殻に閉じこもり、ルーシーも父親が会いに来てくれなかった悲しみから、里親のランディに対し態度を和らげるようになる。
サムは審査の日にも出てこなかった。怒ったリタが訪ねると、サムは折り紙でできた壁に自分を閉じ込めていた。リタは悩んでいるのはサムだけではないと心の内をぶちまけた。リタの夫は別の女性と不倫し、リタの元を去っていた。
サムは再びルーシーに会いに行く。ルーシーはひどく怒っていたが、サムの心からの謝罪を受け入れた。サム側は審査で育児のサポート体制強化を主張したが、里親のランディはルーシーの養子受け入れを強く望んでいた。養育権を勝ち取るのは絶望的だった。リタも養育権を諦め今よりも面会を多くする方向への方針転換を提案する。
サムはランディの家の近くに越し、ピザ屋のバイトと犬の散歩のバイトを始めた。このことにランディは嫌な顔をしたが、あまりにルーシーが喜ぶので強く言えなくなる。
映画『I am Sam アイ・アム・サム』の結末・ラスト(ネタバレ)
ルーシーは夜中にこっそり家を抜け出すようになった。何かしら用事をこじつけて、サムのアパートまで毎晩のようにやって来るのだ。サムはその度にルーシーをランディの元に連れて帰った。お話を読んで好物のアイホップのマフィンをあげれば眠れるはずだとアドバイスまでした。
ある日ランディはマフィンを用意して、こっそり出て行こうとするルーシーを待ち構えていた。ランディは「黙って出て行かなければ好きな時にサムに会わせる」とまで言ったが、ルーシーはマフィンだけを持って部屋に戻ってしまった。ランディはこれにショックを受ける。
リタがウィリーを連れてサムの元を訪れる。リタは夫との事を振り切り、ウィリーとの仲も改善していた。リタはサムに救われたと打ち明けるのだった。
いよいよ判決の前夜。ランディがサムの家に眠るルーシーを連れてきた。外出中に眠ってしまったが、きっと目覚めればまたサムの元に来るだろうからと言って。ランディはルーシーを愛し、彼女を正式に迎えるのを楽しみにしていた。しかしルーシーがいかにサムの事を愛しているかを思い知らされたのだ。ランディは明日の裁判で、養育権をサムに譲ろうと決めていた。それを聞いたサムは、ルーシーにとってランディも必要な存在なのだということを語る。ランディはそれを聞き微笑んだ。
サムとルーシーはまた一緒に暮らせるようになった。リタ親子やランディ夫妻も彼らのそばで、2人の幸せそうな姿を見守るのだった。
映画『I am Sam アイ・アム・サム』の感想・評価・レビュー
ショーン・ペンの演技力には本当にいつも感銘を受ける。どんな役柄も違和感がなく、引き込まれてしまう。
親子の関係にはいろんな種類が存在する。親と子が一緒に暮らすことが必ずしも幸せとは思わないが、この作品で親と子の幸せは何かを考えるのは非常に難しかった。感じたことは、家族の環境に関係なく、どんな家庭であっても親子だけで生きていくことは難しいということだ。サムとリタのように、周りとの繋がりや助けがあって初めて成り立つものだと改めて感じた。親は決して完璧でなくてよく、まずは素直にたくさんの愛を子に注ぐことが大切なのだと教えられた気がした。(女性 30代)
知的障害のため7歳の知能しか持たない父親サムと、間もなく8歳を迎える一人娘のルーシーの絆や深い愛情を描いたヒューマンドラマ。本作は娘の養育権をめぐる物語である。
知的障害を持ちながらもひたむきに娘を想うサムと、父と共に暮らすことを望むルーシー。2人の深い親子愛は、涙なしには観ることはできないだろう。
サムにいつの間にか子どもが生まれていた、というところの描写が巧妙だった。
また、説明的で余計な部分がないところに好感を持った。(女性 20代)
こういった作品は、昔よりもデリケートな問題として扱われる事も多く、まず、この映画のような着地が正解かどうかという部分も疑問である。実際に子供を育てる環境を考えた時に、安全面や教育の部分を見てしまえば、サムのような父親に一任するのはなかなか踏み切れないというのも大いにわかる。この作品で考えるべきは、子供にとって、何が一番幸せなのかという部分であろう。大切な父親の元にいられる環境が本作品では答えとなっているが、こういった問題は今後も議論され続けるのだが、まず大切なのは偏見を無くす事ではないかと感じた。(男性 30代)
「こんな子どもに育って欲しい」というような願望が一切無く、ただただ純粋な愛情だけで少女を育てているショーン・ペンの姿に、ジーンときます。
障害を持った親が子育てをすることのリスクは、挙げだしたら多分キリが無いけれど、血が繋がっていないのにあんなにも深い愛を注ぐことが出来るのは、紛れも無く強い親子の絆があるからこそ。周りのサポートがあれば、きっと沢山の壁も乗り越えていけるんじゃないだろうか、と思いました。
とても優しくて、あたたかくて、涙の溢れる作品です。(女性 20代)
世間が見る子供にとって良い環境というものと、子供本人が思う良い環境というものが噛み合わないということが、こんなに切ない展開になってしまうんだと感じながら見ました。ただ、娘が成長するに当たり、主人公の知能より高くなってしまうことで起こる問題もたくさんあることを知り、自分が思うより複雑な問題なんだなと知ることが出来る作品でした。
結末を見た後は本当に良かったと胸をなでおろしました。主人公と娘がお互いを思いやる気持ちはもちろんの事、親権を争っていた女性の心の広さにとても感動しました。(女性 20代)
知的障害者をテーマにした作品で、どこか重々しさを想像していたが、見終わった後はとても温かい気持ちになれる。
ルーシーにとってはサムがたった一人の父親であり、どんなことがあっても切れない二人の強い絆と純粋な愛情に感動する。子育てや、子供にとっての幸せとは何かを深く考えさせられる。
サムの生き辛さを感じるが、彼だけじゃなく他の登場人物たちもそれぞれ悩みやコンプレックスを抱えながら生きていて、自分の人生と向き合いながら、誰かと支え合い愛し合うことの大切さに気づかされる作品である。(女性 30代)
7歳程度の知能しかない父親サムと、もうすぐ8歳の誕生日を迎え自分が父親よりも賢くなることに不安を持つ娘ルーシー。知的障害を持つサムは、周りの人の協力を受けながら、彼の全ての愛情をルーシーに注ぎながら生活していました。サムを支える友人や職場の人々の優しさや、空回りしてしまうサムの愛情、ルーシーの父親への感情など、それぞれの感情が理解でき、全てがとても丁寧に描かれています。
ショーン・ペンの演技力が素晴らしく、知的障害を持つ父とその娘の話だけではなく、それぞれ家族の愛の形や、大事なものに気が付ける感動作です。(女性 30代)
昔から大好きな作品です。親子愛があふれている作品で、主人公のサムが演技とは思えないほど自然な芝居をしています。知的障害という難しい役どころですが、とてもリアルで、同じ障害をもつサムの友人たちの優しい姿も何とも言えません。
この作品には悪役はひとりも出てきません。みんなが悩み、考え、そして他人から教えられて生きています。そして何と言っても、サムの愛娘を演じるダコタ・ファニングが可愛らしいです!無垢で純粋な子どもらしい姿に心を打たれ、大人になって忘れがちであるピュアな気持ちを思い出させてくれます。親子の絆について考えさせられる作品です。(女性 30代)
ショーン・ペンとダコタ・ファニングの熱演光る一本。あらためて役者さんってすごいな、と思わずにいられない。
障がいを抱えている登場人物にまつわる話としては奇跡的に後味が良い。子供にとって最善の道はなんなのか、ということについては色々な考えがあるだろう。そんな中でもこの作品での落とし所は悪くないのではないか。里親のお母さんが最後にする選択が心を打つ。こんな風に周りの大人に愛されて育つ子供は幸せだろう、そんな気分で終われた。(男性 40代)
みんなの感想・レビュー
涙なしでは見れない名作。なんと言っても俳優陣の演技が素晴らしいです。特にサム役のショーン・ペンの演技は見事で、今までのイメージがガラッと変わり、また新しい顔を見せてくれました。娘ルーシー役のダコタ・ファニングちゃんは天使かと思うほど愛らしく、演技にも脱帽でした。障害者であるがために引き離されてしまった父と娘、それでも抜け出して父サムに会いに行くところは感動です。胸が張り裂けそうなほど切なくなる所も多かったですが、ユーモアでクスっと笑わせてくれるシーンもあり最後まで楽しめ、父娘の純粋な気持ちに心が洗われました。見た人を温かい気持ちにさせてくれる愛に溢れた作品です。
子どもにとっての幸せはなんなのかを考えさせられる映画である。パパと一緒に居たいと言うルーシーの言葉を無視し、周囲の大人たちがルーシーにとっての幸せを勝手に決めようとする。サムが法廷で証言するシーンは、心が痛くなった。
ルーシーが作中に言う「愛こそがすべて。」という言葉は、誰もが心を揺さぶられるだろう。父親の知能やお金なんて関係ない。家族は愛こそがすべてなのだと、20代の私も再確認することができた。作品中に流れるビートルズのカバーも、とても良い雰囲気を出している。
とにもかくにも、ルーシー役のダコタ・ファニングが健気でかわいい!
インタビューも堂々たるもので大人顔負け。才能とはこういったものかと思わされる女優だ。
本作はハートフルな家族愛がテーマとなっている。
ショーン・ペン演じるサムは知的障害を持っているがために養育能力がないとして、愛する娘・ルーシーと引き離されてしまう。この悲しい限りの設定が大きな葛藤を生み、サムの喜び、悲しみ、悔しさ……そして周囲の人間たちの愛情を、とてつもなくうまく表現している。
知的障害者の父とその娘との絆を描いた、涙なしには観られない作品。障害を持つが故に、偏見を受けたり上手く立ち回れなかったりと苦しむ中、子供を心から愛し一生懸命努力するサムを演じたショーン・ペンの演技には、ただただ感動するばかりだ。彼を弁護するリタも、芯が強くしっかりした女性だが、実は自身も家族との付き合い方に悩んでおり、その不器用で素直になれない姿にとても共感する。
物語は障害を抱えた上での子育ての困難を描いているが、そこには「障害」があるかないかなんて関係ない、家族間の悩みや問題、そして愛情がある。観た後家族に会ってハグしたくなる、そんな暖かい気持ちにさせてくれる一本。
娘役のダコタ・ファニングが子供らしくかわいらしく、知的障害を持つ父親との生活を守ろうと、強く賢い彼女に感心した。父親の知能を越えてしまう年齢に差し掛かる女の子の複雑な想いとあどけない姿と、大好きな父親と一緒に過ごす幸せな時間に胸が熱くなった。
主演のショーン・ペンが障害者という役に挑み、その才能に鳥肌が立た。個人的には子の作品での演技で彼にアカデミー賞主演男優賞をあげたかった。素晴らしい演技力。
知的障害を持つ父親という難しい役どころをショーン・ペンが見事に演じた傑作です。娘役のダコタ・ファニングも本当にかわいい。
純粋な気持ちで娘にとって良い選択に迫られた父親の心境、こちらも純粋な気持ちで障害を持った父親を心から愛している娘。精神年齢では同年代となる親子が、互いが互いを思いやる心が温かい作品でした。
ピュアな気持ちになれる、ヒューマンドラマの傑作です。
ショーン・ペンの演技の上手さとダコタ・ファニングの可愛さに、まず驚かされる作品。父のサムを気遣うルーシーの健気な様子に胸を打たれる。7歳という幼い少女ながら、周囲の思いやサムの複雑な立場をよく理解していることに涙が溢れた。サムがルーシーを愛しているだけでなく、ルーシーもサムを必要とし深く愛していることが伝わるため、周囲の人の心が動いたのだと思う。純粋な親子愛を感じることができる作品だと思う。
最初は障害者を弁護するという奉仕の精神を持つ自分の姿を同僚などに示すために弁護を引き受けたリタ。その彼女が最後には障害というフィルターを取り除いた対等な人間としての態度でサムに対して言葉を投げかけます。そんなリタの姿から、サムは再び立ち上がります。
障害とは個人が抱えている問題であるかもしれないけれども、それで不便や傷つくのは社会や周りの視線や扱いであること、それを無くすことでお互いに幸せになれるのだという事を映画を見ている中で感じます。
主人公サムは知的障害があることを理由に、様々な不便をこうむり、裁判の中では親としての権利がないことを説明されます。そんな中で社会からの扱いに傷ついたサムは部屋に閉じこもり、ルーシーと会おうとすることさえ諦めてしまいます。そんな中で、弁護士リタは傷ついているのはサムだけではないこと、自分自身も傷ついていることを、涙ながらに怒りながらも伝えます。そんな彼女の姿が印象に残るのは、常に早口で話し、車に乗ればクラクションを鳴らしまくり、カウンセリングに通い、子供との間にはぎくしゃくした関係を抱えているリタの姿を映画の中で見ているからです。
この映画の中で、障害を持つことを理由にサムは娘ルーシーから引き離されてしまいます。障害があるという事、それは確かにハンディキャップかもしれませんが、裁判の中で争われるのはそんなサムの障害を理由としたものばかり。障害を由来とした行動や、低収入の仕事しかできないという事。それらばかりが取り上げられる中で、サムを愛するルーシーの娘としての意見は取り入れられません。
サムとルーシーの間には確かに親子との絆が存在する、それは映画を見ている中で自然と分かってきます。しかし、裁判の場ではそれを言葉で合理的に説明しなければなりません。それは障害を持つサムにとってはとても難しいこと。サムの友人たちも障害を持つ人々ばかりで、裁判では彼らの意見は聞き入れられません。裁判の中で、サム自身の言葉で親としてふさわしい証明をすることは出来ず、彼は娘と会えなくなってしまいます。
しかし、ルーシーは里親の元で育てられても、サムを忘れることはしませんでした。サムの事を厄介に思う里親はサムがルーシーから離れるようにしても、ルーシーは離れません。物語の最後で、サムとルーシーが親子になるのを認めるのは、里親としてルーシーを育てる女性が彼らの親子関係を認めることがきっかけになります。親子の資格とは、裁判や法的に決められるものではなく、親子の間の愛情、それを障害というフィルターを取り除いて、二人の関係を認める人の姿で現されています。
映画の中では様々なビートルズの曲が流れます。歌っているのはカバーアーティストですが、物語の中と歌詞のリンクや、男女様々な人々による歌声が物語に彩を与えます。映画を見ている中で登場人物たちの感情や状況を示すような歌選びのセンスは見ていて充実感を感じます。
障害と親子の絆というテーマを扱いながら、お涙頂戴な展開になるのではなく、静かに登場人物の感情を表現している作風とそれを支える素晴らしい楽曲たち。
それらを見ている中で、最後には静かに感動できる作品です。