映画『駆込み女と駆出し男』の概要:江戸時代に実在した、縁切り寺こと東慶寺をテーマにした作品。大泉洋にとってこれ以上ないほどのはまり役であり、同作品で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を獲得している。
映画『駆込み女と駆出し男』の作品情報
上映時間:143分
ジャンル:ヒューマンドラマ、時代劇
監督:原田眞人
キャスト:大泉洋、戸田恵梨香、満島ひかり、内山理名 etc
映画『駆込み女と駆出し男』の登場人物(キャスト)
- 中村信次郎(大泉洋)
- 医師見習いでありながら、戯曲家も目指す青年。少々頼りない一面もあるが、心優しい人物。治療を通してじょごに惹かれていく。
- じょご(戸田恵梨香)
- 夫から逃げ、縁切り寺に駆け込んできた人物。優しく、且つまっすぐな心を持つ人物。やけど傷の治療のため、信次郎と関わるようになる。
- お吟(満島ひかり)
- 堀切屋の愛人で、じょごと共に縁切り寺に逃げ込んだ。彼女が縁切り寺に逃げ込んだことには、ある秘密があった。
- 堀切屋三郎衛門(堤真一)
- お吟の愛人。普段は豪商として活躍しているものの、盗人という裏の顔を持つ。縁切り寺に逃げ込んだお吟を取り戻そうとしている。
- 戸賀崎ゆう(内山理名)
- 縁切り寺に従事する一人。暴力をふるう夫から逃げてきたが・・?
- 三代目柏屋源兵衛(樹木希林)
- 縁切り寺を取り締まる厳格な人物。信次郎の叔母にあたる人物で、頼りない信次郎を温かく見守っている。
映画『駆込み女と駆出し男』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)
映画『駆込み女と駆出し男』のあらすじ【起】
今から遡ること遥か昔、江戸時代の出来事である。その頃の日本では、今よりもずっと女性の立場が低かった。そんな時代では、例え旦那の不貞などの理由であったとしても、女性から男性に対して離婚を突きつけることができなかったのである。そんな時代で、唯一女性が男性と縁を切る方法、それが縁切り寺だった。縁切り寺に駆け込み、数年間に及ぶ修行を積むことで、正式に縁切りが受諾されるのである。
そして、じょごという女性も縁切り寺に駆け込もうとしていた。彼女は鉄工所で勤務する夫に嫁いだものの、この夫が全てをじょごに押し付け、自分は女遊びばかりするどうしようもない男だった。縁切り寺に向かう道中で、じょごはお吟という女性に出会う。その女性もまた、愛人である堀切屋三郎衛門との縁を切ろうとしているところだった。堀切屋三郎衛門は、豪商という顔を持ちながら裏では盗みに手をつける悪人だった。しかし、堀切屋の手先がお吟を追ってくる。責任感の強いじょごはそんなお吟を置いてはいけず、二人は協力して縁切り寺に駆け込むのだった。
映画『駆込み女と駆出し男』のあらすじ【承】
縁切り寺への入門を認められるには、まず縁切り寺の主人である柏屋源兵衛の面接を受けなければならない。なぜ縁切り寺に駆け込んできたかという事情を話した二人は、晴れて入門が認められた。しかし、正式に縁切りが認められるためには、2年間尼として厳しい業務に従事しなければならない。
縁切り寺には、二人以外にも多くの女性が尼として従事していた。彼女たちは全員、パートナーの手から逃れ、縁を切ろうとしている人物なのである。女性だらけのこの寺に、唯一の男性がいた。それは、柏屋の甥である信次郎という人物だった。彼は口が達者なやや軽薄そうな人物ではあるものの、医者としての知識があるため、尼たちの担当医として必要時寺にやってくるのだ。
じょごは、鉄工所という劣悪な環境の中で、多くのやけど傷を負っていた。そして、信次郎はそんなじょごの傷を治すために縁切り寺に通うようになる。そして、信次郎は治療を重ねるうちに、その真っ直ぐで凛々しいじょじょに惹かれるようになっていくのだった。
映画『駆込み女と駆出し男』のあらすじ【転】
じょごが縁切り寺での日々にも慣れてきた頃、悲しいニュースが彼女の耳に入ってくる。なんと、お吟が病で倒れてしまったのだ。しかも、それは普通の病ではなかった。その当時不治の病とされていた、労咳にかかってしまったのだ。信次郎がお吟の治療に当たり、縁切り寺で薬草畑を耕していたじょごはそれを手伝うようになる。しかし、不治の病相手には太刀打ちできず、お吟は次第に弱っていく。
そんな頃、なんと信次郎が堀切屋によって誘拐されてしまう。信次郎は依然としてお吟を諦めておらず、彼女を奪い返そうとしていたのだった。そんな堀切屋に、信次郎はお吟に関する真実を告げる。お吟は、心から堀切屋を愛していた。しかし、自分はいずれ労咳で死ぬ身。衰え死んでいく我が身を、堀切屋に見せたくなかったお吟は、だからこそ縁切り寺に駆け込んだのである。
そして、お吟は静かに息を引き取った。その時、外から経を読む声が聞こえてきた。それは、托鉢僧に姿を変えた堀切屋だった。お吟のことを本当に思っていた堀切屋が、最後に彼女の死を扉の外から悼んでいたのだった。
映画『駆込み女と駆出し男』の結末・ラスト(ネタバレ)
しかし、それから間も無くして縁切り寺では大事件が起きていた。基本的に男性立ち入り厳禁の縁切り寺に、一人の男が乱入してきたのである。その男は、ゆうという尼の夫だった人物だった。その男はゆうを連れ返そうと、刀を手に縁切り寺で暴れ始める。
侍であるというその男の登場に、縁切り寺はパニックに陥る。しかし、そんな時、一人の女性が男の前に立ちはだかる。じょごである。じょごは薙刀を手に取ると、なんと、その男に対立したのである。そんなじょごに感化されるように、他の尼たちも武器を手に取った。そして、彼女たちは協力して、男を縁切り寺から追い出すことに成功したのである。
じょごが入寺してから2年の月日が流れ、とうとう彼女が寺を去る時がやってきた。晴れて縁切りを認められたじょごは、自由の身となる。そんなじょごに、信次郎は勇気を振り絞って、自分と一緒になって欲しいと告げるのだった。じょごはそんな信次郎の申し出を受け、二人は晴れて一緒になるのであった。
映画『駆込み女と駆出し男』の感想・評価・レビュー
少し長めの作品ではあるが、一つの話を描いているのではなく、二つ三つと並行して流れているため、飽きを感じさせないし、コミカルでもあるが、シリウスな場面もあり、見れば見るほど面白い映画である。様々な訳を持って、離縁を求めに寺に駆け込む女たちと、そのお世話をする見習いの駆け出しの医師を描いている。特に医師を演じている大泉洋の言い回しや、早口な台詞など役にぴったりはまっている所も見所である。江戸時代ならではの女性の在り方や、今では考えられない夫婦の別れ方なども、リアルに描かれている。(女性 20代)
駆け込み寺に駆け込んだ女たちの生活の様子や、江戸時代の男女の在り方がわかりました。「べったべった、だんだん」など、適度に方言も使われていて面白く最後まで観ました。
早口のため巻き度もしてもう一度観た場面も多少ありましたが、早口だったためにテンポよく進んでいたのだと思います。中盤の親分を口だけ(デタラメ)で撃破した場面は爽快で、手下の捨て台詞、「生まれ変わったらなぁ、あんたの弟子になる!」に笑いました。(女性 40代)
こういう作品を観ると、近年の時代劇は本当に面白いなと思う。
この映画でいうと離婚できないことみたいな、今では考えられないような時代背景は変えられないにしても、その時代に生きている人が今の時代に生きている人がと同じようなことに悩んだり楽しんだりしていたことを理解できるようになった。
この映画も人々の感情はリアルだと思う。
満島ひかりのイメージに愛人はなかったけど、そこは満島ひかり、しっかりとお吟さんでした。あの話し方もすぐにしっくりときました。(女性 40代)
女性の立場が低く、縁切寺に入門するのにも審査があるのが厳しい世界だなと感じた。しかも、2年間も尼として修業に励まなければならず、当時の女性は苦労したのだろうと思う。だが、裏を返せばそこまでしても別れたい相手がいるということで、ダメな男が多いことが残念だと感じた。女性の苦しさが描かれているだけでなく、じょごやお吟がいることで強さも感じられた。樹木希林が演じた三代目柏屋源兵衛は厳しくも温かな女性で、物語に良い味を生み出していたと思う。(女性 30代)
演者たちの素晴らしい演技が数多く観ることができる、テンポの良い時代劇であった。
大泉洋は代表作と言っていいほどにハマり役であった。難しいセリフや言い回しも、あそこまでスラスラと演じることができる俳優は日本でも数少ないのではないだろうか。
戸田恵梨香も今作のヒロインにふさわしい演技を披露していた。この作品の独特な流れを邪魔しない、作品に合っている演技だった。
あと語るべきは樹木希林の存在感だろうか。早口でテンポの良いストーリーの中で、あれほどの安心感を与える演技は、他の誰も真似ができないものだと思う。(男性 20代)
大泉洋のハマり役という口コミを見て鑑賞しましたが、こんなに自然に大泉洋らしさが出ている役は珍しいなと感じました。彼らしさがあっても違和感は無くとても面白かったです。
「縁切り寺」は現代にもあり、私も一度行ったことがあります。悪い縁を切るのはもちろんですが、「良い縁」呼び込むために今の何も無い状況を「断ち切る」と言う解釈も出来るそう。
そんな縁切り寺の「始まり」を見られた気がして嬉しくなりました。豪華キャストそれぞれの演技力が作品を更に素晴らしいものにしています。(女性 30代)
みんなの感想・レビュー
大泉洋演じる信二郎が、訳あり女たちの人生の再出発を後押しする話。
いつの時代にも男女のいざこざは起こるものなのだな、と江戸時代の日常の物語を観ているような気持ちになった。
現代よりも縁切りが困難だった時代に、自分一人で縁切りを決断し、次へと進んでいく女たちの逞しさ。また、女たちが団結した時の友情を越える絆に、強さや美しさを感じられた。
キャストの演技力が素晴らしく、これがただの喜劇ではないことを物語っている。
本作では、明らかに物語のトーンから逸脱した演出が何箇所か見られる。これをどうとるかで、観るものの評価が多少変わってくることは確かである。例えば、源兵衛を演じた樹木希林。原作では名前の通り、源兵衛は男性キャラクターであるが、なぜか映画では女性になってしまっている。これに対する論理的な理由付けはない。また、ひとりの尼の想像妊娠が発覚する下りでの、過剰な下ネタギャグなどもその一例である。原田眞人監督作品において、そういう要素がいままで見られた訳ではないため、作家性で片付けるわけにもいかない。何となく三池崇史を意識したような気はするのだが。
しかし、おそらくこの演出については作品の愛嬌とも言える部分で必然性のあるものではないだろう。この辺りをさらっと流して見れば、全体の良いリズム感に身をおもねることができるだろう。
良い映画は必ず観客に「おみやげ」をくれるものである。それは時に観客の心にずっとのこり続ける感動であることもあるし、恐怖であることもある。例えば、「リング」を例に挙げてみよう。劇中に登場する「呪いのビデオ」は恐怖の対象であるが、あの映画が真に恐ろしいのは鑑賞後の日常にまで恐怖が侵食するからである。今でこそ少ないが、当時は「呪いのビデオ」よろしく、タイトルも何も書かれていない真っ黒なビデオテープが一家に一本はあったのだ。それがふと目に入った時、映画と日常がオーバーラップするのである。
本作もちゃんとおみやげを残してくれる。それは役者陣の持つしなやかな演技の強さのおかげでもあるのだが、シネフィルとしても知られる原田監督らしく、過去の映画の引用にも飛んだ作品であるので、そこを掘り下げる楽しみもあるのだ。
しばしば日本映画をこき下ろすものの意見として役者の演技が拙いというものがある。しかし、本作をみればその考えが間違ったものであることがわかるだろう。ヒロインであるじょごを演じる戸田恵梨香についても同様である。彼女は役者として幅広く活躍しているものの、これといった立派な代表作には恵まれていなかった。もちろん、彼女の名が世に知れ渡ったのは間違いなく「デスノート」である。しかし、あの作品の評価は決して高いものではなく、ましてや役者としての戸田恵梨香の評価を高めるものでは少なくとも無かったはずである。しかし、本作の戸田恵梨香は全く違う。キャラクターが背負っていう運命や不条理をまさしく体現し、観客は彼女に感情移入せざるを得なくなる。もちろん、監督の演出力やまわりの役者陣とのアンサンブルが本作の評価を一段と高めているのは言わずもがなであるが、それに応えることができるポテンシャルを戸田恵梨香が秘めていたということは一観客として素直に喜ぶべきことである。
また、主演の大泉洋の存在も素晴らしい。まさしく「喜劇」を現代日本映画で正しく演じられる数少ない俳優である。周りを見回せば、過剰な演出で役者が変顔で意味不明なことを絶叫する邦画が多い中、大泉洋は抑えながらも観客の笑いを誘う演技力の持ち主である。言うなれば、「幕末太陽傳」におけるフランキー堺のようである。